第7話:「じゃあ、あとは任せ、た、よ……」

「起きた? なら、降りて、ゼペット」


 いつのまにかロールの背中におぶさっていたぼくは、前線基地についたころに眼を醒ました。普段しっかり寝てるつもりだったけど、例の想定外のファフロッキーズの出現でびっくりしてしまったんだろうか。我ながら男の子とは思えない軟弱っぷりだ。


 ロールに何か小言を言われるんじゃないかと身構えていたけれど、特に何も言われず、少し心配された。シィも珍しく真顔で「大丈夫なの?」と聞いてきた。そんなに重症そうに見えたんだろうか。


 そして、今日のMVPのもとを訪れようと、三人でミュー=ミュリアリアの部屋に向かった。そこでぼくたちが眼にしたのは、無数のボロボロのぬいぐるみに囲まれた部屋で、明らかに生命維持に欠かせないようなチューブを身に何本も挿入して眠っている、ミューの姿だった。


 「やあ。あー、心配しなくてもいいよ。『マグネス』のアレを使うといつもこうだし。久しぶりだったしね」


 ぼさぼさ黒髪は、相変わらず眠たそうな声音で、訊いてもいないのにそう弁明した。ぼくとロールは視線をあわせる。


 あらゆる現代兵器が通用しなかったファフロッキーズの外装をあれだけドロドロに溶かすためには、どれほどのエネルギーが必要だったのだろう。あの日輪のような兵装の原理はわからないけれど、それほどのエネルギーを引き出すためには、当然、小型の『魔石』に負荷をかけなければならない。そんなことをすれば、搭乗者にも牙を剥く。


 「そんな神妙な顔しなくてもいいよ。それより遅れちゃっていけないんだー、シィ」

 「ごめんなさい、街に出ていて」

 「迷子になるんだからやめろっていつも言ってるだろ〜?」

 「ゼペットたちに助けてもらったわ」


 へぇ、と興味深そうな(そして眠そうな)眼でぼくたちをじろじろと見つめる。


 「デート?」

 「違うわよ!」


 顔を真赤にして即座に否定するシィ=ライトロードだった。


 「それにしてもよかった。シィにもお友達ができたようだし? 君がいなくても、あの街を守れた。ほとんど寝てるようなボクと『マグネス』でも、きちんと役に立てた、よね?」


 しゅこーしゅこーと、見慣れない器具が音を立てている。眠そうな眼の中のひかりが一層薄れてきて、いまにもまぶたが閉じられそうになる。何か言いたげに口を開き、眼尻からは涙が一筋こぼれた。ぼくたちにその小さな手を伸ばして、にこりと微笑んだ。


 「じゃあ、あとは任せ、た、よ……」

 「ミュー? ミューしっかり!?」


 がくりと下がった手首に、ぼくたちは慌ててしまう。駆け寄りそうになったぼくの裾をロールが掴んで、無言で首を横に振る。そんな。そんなことって――。と、地面にうずくまりそうになったとき、寝息と歯ぎしりの音が聞こえてきて、耳を疑った。


 「すぴー。すぴぴー」


 なんなんだ、このドラマチック入眠は。っていうか、さっきの『何か言いたげに口を開き、眼尻からは涙が一筋こぼれた』の一連の動きって、もしかしてただの欠伸だったんじゃないのか!?


 「ミューはいつもこうよ」


 シィはため息をつきながら、ボロボロのぬいぐるみがどっちゃり乗っかっている椅子に座り(ぬいぐるみたちのせいで、おしりの半分も乗っていないだろう)、ミューの寝顔を見つめていた。この前線基地では基本的に『ケレリタス』と『マグネス』を中心に運用されている。この街は他にもコッペリアを有しているのだけど、四方を守らなければならない以上、運用できる機体は限られているのだ。


 「すぴぴ」

 「こんなになっちゃうから、できるだけ『ケレリタス』でちゃっちゃと片付けたかったんだけどね。今日はさすがに気が緩んでいたわ」


 と、彼女のぼさぼさの髪を撫で付ける。


 「すぴぴーん」


 記録をしっかり見てみないことにはなんとも言えないが、この区画で2日連続でファフロッキーズの襲撃があったことなんて、一度もなかったはずだ。それをどうにか食い止めたミューが褒められはすれ、シィが自分を責める理由にはならないはず――、ということをどう伝えようとかと考えあぐねいていたら、ロールに手を引かれた。


 バイザーには『ふたりきりにしてあげましょう』という文字が浮かんでいる。っていうか、そんな器用なことができたのか、お前。とりあえず頷いて、ミューの部屋をあとにした。


 ※


 「どう?」

 「ううん。微妙ね。まろやかさが足りないわ」


 ううむ。ぼくはロールに挿入していた、アンティーク風の鍵を抜き(抜くときに「あ……っ」とか言うのほんとにやめて欲しい)、枕元に放り投げた。


 司教様にことの顛末を話して、夕食を食べたぼくたちは、ベッドの上に座っていた。ロールが背中の秘部を晒しながら、袋いっぱいに買った鍵を片っ端から試している。


 「ねえ、早く挿入れて?」

 「えーっと、じゃあ次はこれ!」


 枕元には、ロールが結局全部買ってきた紙袋が置かれていて、中には雑多な鍵のアクセサリーや棒状のものが入っている。ぼくはそこからひとつ選んでは、ロールに挿入し、コメントを聞いては、その感触に応じて、クラス分けをしていった。


 ――それにしても『まろやかさが足りない』ってどういうことなんだろう。


 「ん、あっ……。太すぎだけど、逆に良いかもしれない」

 「おっけー」


 ロールの背中の『秘部』と呼ばれているところには、小さなハッチが在る。それをめくると、そこには無数の極小金属がひしめていて、一定の大きさのものならば、それが自在に変形をしてくわえ込む。昔から使っていた(ぼくが折ってしまった)ゼンマイ回しの鍵は、それはもう調子がよかったようで、しばらくそれで慣れてしまっているので、新しいゼンマイ回しではしっくりこないそうだ。


 「ねえ、ロール」

 「なに?」

 「ぼくはなんで気絶をしていたんだろう」


 体調が悪いとかそんな予兆はいっさいなかった。たしかに人混みのショッピングストリートを、慣れないシィと一緒に歩いたのはストレスだったのかもしれないが、それだけだ。気絶するような理由にはどうやったってならない。


 スラム街で、空中にファフロッキーズの魔法陣を見て、蜘蛛型が降りてきて。『マグネス』が出撃して、ミューが戦術的な撃破をして、蜘蛛はその身体の50%以上が溶け落ちた。残った部分を回収するかのように、再び天空に魔法陣が描かれて。


 その刹那、誰かがぼくに囁いたのだ。知らないけれど、憶えている、妙に馴染みのあるその単語を。あの魔法陣にまつわる、向こう側の――。

 向こう側?


 「ゼペット」


 いつのまにかこちらを向いていたロールのデュアルアイが間近でまたたく。次に挿入しようと思っていた鍵を取り落とし、その手をロールが握る。無機質な、けれど、どこか暖かみのある、懐かしい手のひら。


 「ゼペット」


 そのまま体重を乗せられて、ぼくはベッドに押し倒されるかたちになった。ぼくを平気で背負えるロールなのだから、その重さに抗うことは出来ない(ちなみにここで『重い』とか言ったら、たぶんきっと殴られる)。


 デュアルアイのバイザーにぼくの顔が映り込む。


 「ロ、ロール?」

 「ほうれんそう」

 「はい?」

 「ほうれん草を食べないからよ。ほら、おとなになると、ほうれん草が大事と言うじゃない。鉄分不足。明日から増やしますからね」


 思いがけないどうでもいいことに、ぼくはついついきょとんとしてしまった。その隙をついて、ロールはぼくの顔に顔を近づけてきた。もし彼女に人間と同じような唇というものがあれば、それはぼくのファーストキスになっていたに違いない。


 「あなたにこのあいだ捲いてもらったから、急ぎはしない。そうそうぴったりくるゼンマイ回しなんて見つからないし。寝ましょ。今日はいろんなことがあって疲れてしまったわ」


 大きく伸びをして、彼女はそのままぼくの隣に寝転んでしまった。布団をたぐりよせて、それを抱きしめるように、ぼくに背を向けて寝息を立てる。


 記憶喪失のぼくが、その記憶のはじまりから一緒にいる彼女だったけれど、いまいちその言動はよくわからないことが多かった。何故かどきどきしている鼓動を意識しながら、ぼくは歯を磨くためにベッドをそっと降りた。


 ※


 「すぴーすぴー」

 「……ミュー」

 「すぴーりんぐびゅーてぃー」

 「起きてるでしょ」

 「バレた?」

 「バレバレ」


 ミュー=ミュリアリアは悪びれたふうもなく、半身を起こした。欠伸をひとつ。生命維持のための装置を外して、ぬいぐるみの山の中に放り投げ、いつもどおりの眠そうな顔をわたしに向ける。


 「ああ、ほら、急に起きるから、鼻血が」

 「おっとっと」


 機兵コッペリアを駆るということ。そのほとんどすべてが失われた技術で構成されているその機兵が、どのように動いているのかわたしたちには理解できない。街の『魔石』のことを知らなくても、そこから発生した動力を使えるのと一緒。理解できていなくても、わたしたちはコッペリアを駆ることができるし、それはこの街を守るのに十分な条件だ。


 その急加速・急減速のせいなのか、それとも機体の中にもあるという『魔石』の影響なのか、機体を降りると、いまのミューのように体調を崩す。一応健康検査は受けているものの、こればっかりは治らない。わたしたちの肉体という枷のせいで、この街を守るのは十分間が上限だ。


 『マグネス』のあの攻撃はよほど『魔石』の影響を受けたのだろう、ミューが出撃することはほとんどないが、それでも帰ってきた時には、こんな状態になる。あの機体には攻撃手段がアレしかないので、仕方がないといえば仕方がないのだけど。


 だから、基本的に『ケレリタス』が出撃するようにしている。『マグネス』はいわば、隙を生じぬ二段構え。『ケレリタス』なら、『普通に戦えば』大技もないから、肉体への影響も少ないだろうし、わたしのほうがミューよりも体力があるから。


 「また、色々背負ってる顔しているね、シィ」

 「背負い物してるのはあなたでしょうが」

 「ちがいないねぇ」


 鼻血を拭ったミューはその中性的な顔をこちらに向けた。黒髪ぼさぼさ。幼さがまだ残る顔つきだったが、これでわたしより年上らしいから、なんかずるい。


 「もしかして、『基本的に『ケレリタス』が出撃するようにしている。『マグネス』はいわば、隙を生じぬ二段構え。『ケレリタス』なら、『普通に戦えば』大技もないから、肉体への影響も少ないだろうし、わたしのほうがミューよりも体力があるから』とか思ってた? そうして君は戦うんだろうけど、少しはボクたちのことも信頼してほしかったり」

 「……そうね、ごめんなさい」

 「わかればいいのです」


 はにゃりとミューは微笑んだ。


 「それにしても、デートなんでずるいにゃあ。ボクが先に眼をつけていたんだけどね」

 「そ、そそそそ、そうなんですか!?」

 「シィも気になってるんだ、ちょっとショックかも。……やっぱり、解体したいよね、あの機体」

 「へ?」


 ミューは頬を染めて恥じらいながら、もじもじしていた。その視線の先には、無残に解体されきったぬいぐるみの山がある。ミューのことはよくわからないことが多いけど、この性癖だけはいまだに理解ができないでいる。


 「あの。わたしはロールはちょっと、ねえ、あまり興味が、ないかな?」

 「やっぱりゼペット君なんだ?」


 ロールの『どの関節をどのように解体したい』みたいなスプラッタな話を遮るために、盛大に墓穴を掘り抜いたわたしである。ミューが悪戯げな眼でわたしを見上げた。


 「シィはすぐに顔に出るから」

 「……ちがうもん」

 「またまたぁ。はじめて無二姫(ワンオフき)に初めて泥をつかせて、しかも迷子になってるところを颯爽と助けてくれたら、気になっちゃうよね」


 首を横に振って否定をしてみるが、ミューはそのにやにや笑いをやめてくれない。きっと顔は真っ赤になっているだろう。ミューの言うことはそのとおり――、なのかもしれない。あの『器用貧乏』をあれほど使いこなして、出自が不明な少年。気にならないほうがどうかしている。この感情をどんな名詞で表現するのかは別として。


 「でもさ、シィ。その感情をどんな名詞で表現するのかは別としても、お礼くらいはしなきゃ。君のことだから、きっと素直になれずに酷いことも言ったでしょう?」

 「……うん」


 シャワー室で裸を見られたときとか、その脚だけを考えていたという謎の告白をされたときとか、頭に血が昇ってしまうと、ついついつっけんどんな態度を取ってしまう。それも仕方がない。同年代の少年とコミュニケーションを取る機会なんて、生まれの区画がファフロッキーズに潰されて以来、わたしにはなかったのだから。


 「お礼……、お礼ね」

 「そう。お礼だから、シィがゼペット君に優しくしたとしても、それ以上の意味はないのだー」


 策士である。

 わたしは何度も頷きながら、立ち上がり、ミューの部屋をあとにしようとした。が、ドアノブに手をかけたところでふと立ち止まり、そそくさと、ミューのベッド脇に戻る。


 「でも、何をすれば……」

 「世話が焼けるにゃー」


 二人以外に誰もいないのだが、わたしたちはひそひそと声を潜めて話し合った。はじめてミューが年上だということに納得できた夜だった。『経験があるの?』とそれとなく訊いてみたが、『男と女の秘密』と言われた。


 ――ちなみに、ぼろぼろにされたぬいぐるみでひしめく部屋の中で、街で昔一緒に買った『マグネス』のキットだけは解体されずに飾られていた。

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