第3話:「ダメ、デリケートなところなんだから。優しく。ね?」

 「なによなによ!」


 深夜、シィ=ライトロードは厳重に警戒をしたうえでシャワーを浴び直し、基地の中央管制ブロックに向かっていた。いま思い出しても腹が立つ。誰にも見せたことのない裸を見られた上に、絶対の自信のあるコッペリア戦闘まで。勝ったとはいえ、コッペリア乗り『シィ=ライトロード』はあれを勝ったとは呼称しない。わたしがわたしであるために、あんな無様なままじゃ赦せなかった。


 「いち作業員がいきなり『器用貧乏』に乗ってあそこまで動かせるわけ!? それにお付のロボットみたいな少女はいったい……」


 中央管制ブロックには何人かの夜勤のものがいたが、わたしの名前を出せばどんな無理だって通る。わたしは彼らが使う名簿のファイルを捲り、信じがたい作業員のページを探す。


 「ゼペット……、なに、これ」


 わたしは自分の眼を疑った。たしかに添付されている写真は彼のものだ。いまよりさらに幼い姿だったが、ゴーグル付きの帽子に見覚えがある。が、名前以外のすべての項目が『UNKNOWN』で埋め尽くされていた。


 「……こんなのって」


 たしかに孤児などのページを見れば、『UNKNOWN』がついている項目はないわけではない。が、ここまで何からなにまでわからないことずくめなのは、明らかに異常だった。隣のロボ娘も『ロール』という名前以外がまったくわからない。外敵から街を守る前線基地に、何故これほど素性のわからない2人が配置されているのか、わたしにはまったく理解できなかった。


 「あぁ、その子たちですか。どこから来たのかはわかりませんが、司教様が保護してこの基地で社会勉強させているようです。だから、すべてが特例で――。あ、やっぱり、シィ様気になってるんですね、この2人」


 夜勤の者がコーヒーを飲みながら、そうからかってきた。「ちがう!」とはいいつつも、益々わからなくなってきた。


 「もしかしたら、あの天に描かれた魔法陣からこっそり降りてきたのかも知れませんよ」


 彼は冗談めかした口調でそういい、わたしたちは蒸気煙る夜空を見上げた。


 ※


 「……い、いくよ」

 「うん。ゆっくり。優しくね、ゼペット。――あ、」

 「ご、ごめん」

 「いいから……。そのまま」


 星降る夜、電気を消したふたりの部屋で、その行為は行われていた。ぼくが指がわずかに動かすたびに、ロールが「あ……」とか「ふぅ……ん」とか漏らして、ふたりだけの部屋に響いた。朝の『決闘』の疲れもあってだるい身体をベッドに横たえて、ロールの、ぼく以外誰にも触らせたことのない秘部を露わにする。


 「もっときりきり捲いていい?」

 「ダメ、デリケートなところなんだから。優しく。ね?」


 ベッドに腰掛けたロールの背中から生えているゼンマイを巻いているところだった。きり、きりきり。個人的にはもっと全力で回したいのだけど、それをするととても嫌がる上に、「女心がわかってない!」って言われる。どこの世界の常識なんだそれ。


 ロールのデュアルアイが瞬き、電気を消した部屋の影がとろけるように蠢く。

 この蒸気の街『アンティキティラ』では月の明かりは蒸気によって遮られて散乱してしまうから、まるでぼやっと天が輝いているように見える。淡く照らされたロールの姿は、いつ見ても美しかった。その、機能美的な意味で。


 「それにしても、初めてであれだけ動かせたの、すごくない? やっぱりぼくには『コッペリア』騎乗の才能があるのかも」

 「ノーコメント。あ、でも、わたしの補助があったのも忘れないでよね」

 「そうそう、偶然、複座で助かったよ」

 「『偶然』ね……」


 きりきり、きりきり。


 「ゼペットは本当にまだ思い出していないのね」

 「……うん」


 きり……、きり。

 ぼくにはある時点以前の記憶がまったくなかった。思い出そうとしても、この街のように霧に覆われて手が届かない。記憶が鮮明なのは、この街を統治する司教様に拾われてから。そのときには、ロールも一緒だった。


 一応扱いとしては、遠くの街から逃れてきた戦災孤児ということになっている。名前以外ほとんど憶えていないぼくに、司教が様々なことを教えてくれた。外敵『ファフロッキーズ』のこと、街に封ぜられた『魔石』のこと、機装『コッペリア』のこと。


 不思議と記憶をなくしても、機械いじりだけは、考えるよりも手が先に動いたので、こうして前線基地でコッペリアの整備をさせてもらっているというわけだ。


 「ロールも憶えてるなら、教えてくれたっていいじゃん」

 「嫌よ」


 きりきり、きりきり。

 ぼくがいったい何者で、どこから来たのか。まったく想像が付かなかった。そして、このロールという少女は何者なのか。こうして週に何度かゼンマイを捲いてあげてるけど、この機械仕掛けの少女が動力切れになったところはみたことがなかった。あまり装甲の中は見せてもらえないけど、コッペリアをも凌ぐ緻密な構造が所狭しと埋め込まれているのを見たことがあった。そして、この人格。コッペリアですら人が乗らなければただのヴォイニッチ朱鋼の塊なのに。


 きりり、きり。

 「ゼペットが思い出すまで教えてあげない。だって、わたし、この生活がわりと気に入っているから。ねえ、ゼペットもそうでしょう」


 きり、きり、きり。

 「ということは思い出さないほうが良いということ?」

 「『役割』なんて忘れたままのほうがいいわ」


 きり、ぱきり!

 「あ」「あー!」


 他事を考えていたから、鍵のようなゼンマイ回しの柄がぱきりと折れてしまった。司教様に拾われた頃から、ずっと使ってきたので、金属的な疲労を起こしてしまったのか……。


 惨めに折れた柄を持って呆然とするぼうに、ロールがデュアルアイを輝かせて顔をぐいっと近づける。


 「だから、優しくやってって言ったのに!」

 「どうしよう、これ」

 「ゼペット、明日、街に出るわよ。マーケットに行くの」

 「……市販のでいいの?」


 オーパーツレベルの、自我を持つ機械仕掛けの少女。その動力源としてのゼンマイ回し。てっきり特殊な器具だと思っていたのだけど、意外と普通に購入できるものらしい。


 「見てて」


 ロールは再び背中をぼくに見せ、ぼくは鍵穴を注視する。そこは無数に分割された金属で構成されていて、それがうにょうにょと動いて、折れてしまった鍵の先がぽろりと出てきた。


 「この鍵穴はどんなものでも咥えるの」

 「知らなかった」

 「ゼペットが回してくれる、ということに意味があるのよ。ねえ、まだ回し足りないから、残りは、指で。ね?」


 つばを飲み込んで人差し指をそっとその鍵穴に近づける。あ、っと気づいて、寝間着の端で指を拭う。硬く閉ざされた鍵穴はぼくの指が触れると、小石を落とした水面のように、微小な金属片が波打って、少しずつぼくの指を受け入れていった。


 「……そう。上手」


 ロールの鍵中は人肌に暖かくて、ぼくは不思議な気持ちになってしまった。流星の夜が更けて行く。はじめてコッペリアを駆ったその熱気を、その胸の中に遺したまま。


 ※


 「これはこれは。シィが悔しがっていましたよ、ゼペット君」

 「すみません、騒動を起こしてしまって」

 「いやいや、男たるもの、それくらいでなければなりません。が、少しは覗く相手を選んだほうがいいかもしれませんな」

 「そ、そういうつもりじゃないんですってば」


 蒸気によってすべてが回る街『アンティキティラ』のマーケットに行くことになったぼくたちは、司教の部屋に挨拶に伺っていた。ここは外敵『ファフロッキーズ』から街を守る最前線基地、そうそう場を離れて良いわけではないと思うのだけど、快く司教は許可してくれた。


 が、やっぱりぼくがシャワー室を覗こうとしたことになっているようだ。すごく、こう、『年頃の男の子としては、そういうのに興味を持つのは非常に健全なことで、わたしは安心しているよ。かくいうわたしも若い頃はげふんげふーん』というような表情をされたものだから、言い訳をすればするほど、司教の瞳が『わかるわかる』って感じになっていく。そしてそれに呼応するように、ロールのデュアルアイの視線が冷たいものになっていった。


 リウス司教。

 『アンティキティラ』に『魔石』を封じた賢者の末裔であり、現在の統治者。どこから来たとも知れないぼくとロールを拾ってくれた老人だ。


 白髪の温和そうな老人であったが、見た目ほどに年齢は重ねていないらしい。その刻まれた皺の一本一本に、街を守ることの苦労が詰まっているのだと思うと、その責任に自然と背筋が伸びる。


 「いま我が街は薄氷の上を歩いているようなものです。『魔石』の恩恵に預かりながら、その代償として、『魔石』を狙う外敵から街を防衛しなければならない。いまでこそ出現パターンが解析されたところですが、昔は、その都度対応していたので大変なんてものではありませんでした」


 窓の外を見つめて、しみじみと。


 「『コッペリア』の解析も進み、どうにかパイロットを育成できるようにもなりました。数年しか保たないとはいえ、シィのようなエースパイロットも生まれました。このまま、すべてがうまく行けばいいのですが……」

 「はい」


 こちらを振り返った司教の目に、鋭い光が差した。と思えば、さっきまでの温和な瞳になっている。


 「ああ、そうだそうだ。君が『たまたま』乗って使いこなした、あの機体、あなたで登録をしておきました」

 「え、本当ですか!?」

 「他に乗る者もいませんし、あれだけ複雑な機体、あなたとロールくらいしか乗りこなせません。あなたさえよければ訓練のメニューも組んでおきましょう」


 外敵に対抗しうる唯一の兵装『コッペリア』のパイロット。ぼくはずっとそれに憧れていた。もちろん作業員として働くのに何らかの不満があるわけではないが、拾ってもらったことへの恩返しとして、これ以上のものはないだろう。


 「ありがとうございます!」

 「もちろん、練習相手はシィですがね」


 悪戯げに笑うリウス司教だった。

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