第2話:「行くよ、ロール! ここからぼくたちの反撃だ!」
「……ゼペット、まだ?」
「もう少し。シャワー室で――」
タオルをもらおうと扉を開けた瞬間、鍵をかけ忘れていたのか、そこには先客が居た。目が合う。赤いツインテールが揺れる。籠にはパイロットスーツが無造作に脱ぎ捨てられていて、その上にはピンクの下着が小さく畳まれている。ほとんど産まれたままのすがたに近い彼女は、右脚のニーソックスを脱ごうとしているところだった。
「ねえ、ゼペット。まだ?」
細身のわりに主張の強い胸にぼくの眼は釘付けになって――。
「き、」
「き? なぁに、ゼペット」
「きゃああああぁぁああああ!」
金切り声を上げたのは彼女だった。ぼくは光の早さで扉を閉めて、そこに背中を預ける。後ろからゴツゴツと衝撃が伝わる、何か投げつけられているのだろう。ぼくはそれどころではなくて、心臓が口から飛び出しそうになっていた。
「へんたい!へんたい! もぉ、何なのよ!」
「ご、ごめん。わざとじゃなくって、そう、タオルを――」
「そんな嘘を誰が信じるっていうの!?」
そんなことを言われてもそれ以上の理由を説明できないぼくは困ってしまって頭を抱える。その間も、甲高い罵声と何かを投げつけるような物音は止まない。
「決闘よ! 決闘! けちょんけちょんにしてやるわ!」
そう聴こえた瞬間に、シャワー室のドアが蹴り破られた。尻もちをついているぼくを、パイロットスーツに着替えた少女が見下ろしている。袖口をぱちんと嵌めて、オブラートに包みまくって言えば、まぁ、その、ゴミを見るような目つきで睨みつけられる。
「デッキに出なさい」
それだけ言って、かつかつとブーツの音を響かせて、デッキの方へ戻っていく少女。「ゼペットー?」とまだ様子のわからないであろうロールのノイズ混じりの声が聞こえて、ぼくは途方にくれた。とりあえず、シャワー室のタオルを取り出して拭ってやったけれども、まだ洗濯カゴにピンクの下着が残っていることは――、きっと見なかったことにしたほうがいいかもしれなかった。
「……決闘? たしかにそう聴こえたけど」
「うん、かくかくしかじか」
「馬鹿じゃないの」
それもこれもハンカチをちゃんと持っていれば、いやいや、それよりも先にきちんと警報で起きだしていればこんなことにはならなかったのにまったく世話の焼ける――、とロールの罵声は止まなかったから、途中から右から左へと受け流していた。
「なにを笑ってるの? そんなに裸が見れて嬉しかったんだ」
「うん、――ってちがうちがう!」
ロールの絶対零度の瞳に、ぼくは首を横に振った。けど、気分が高揚しているのも事実だった。いやいや、やましい意味ではなく! いまだにあの肢体が脳裏から消えないけど、それはそれとして!
「『決闘』ってことは!」
ぼくはロールの手を引いて、デッキに引き返す。そこでは作業員たちが騒然となっていた。それもそのはず、ファフロッキーズを無事に退治してシャワーを浴びていたエースパイロットが、突如戻ってきては、その機体のコックピットから、いち作業員であるぼくを殺意の篭った眼で見下ろしているのだから。
「わたしは、当然、無二姫(ワンオフき)『ケレリタス』。あなたは?」
ぼくはデッキ内を見回した。一番カタパルトの『ケレリタス』の白銀の機体。それに続いて、ミューの機体『マグナス』。組立途中のコッペリアが何体か並んでいる。
「ミュー」
「ねえ、君、何したの?」
コンテナの上に腰掛けている青髪のミューは、脚をぶらつかせながら、こちらを見つめていた。ぼろぼろのぬいぐるみに顔をうずめながら、意地悪そうな顔をしている。
「ボクの機体を使いたいなら、ロールちゃんを一週間は貸してもらわないと♪」
ぼくが真剣な眼差しでロールの方を見つめると、無言で腹パンをされた。
「早くしなさい。それだけあなたの苦しむ時間が長引くだけよ。機体ならそこにあるじゃない。誰にも登録されていない、『器用貧乏』が」
この状況を見守っていた作業員の中から笑いが起こる。組み上がっているにもかかわらず、乗り手のいなかったポンコツ機体を彼女は指名したからだった。
ましてや相手はあの『ケレリタス』。勝ち目は、針穴ほどもない。
「行こう、ロール」
「へ、ほんとに乗るの?」
「こうでもしないと、いつまでたっても『コッペリア』には乗れない」
ぼくは拳を握りしめて、その機体へ歩を進める。
精錬された『ケレリタス』とは対照的に、その機体はほとんど手入れもされておらず、ほこりを被っている。地味な茶色に塗装されたその機体は、ずんぐりむっくりとしていて、かろうじて人型と呼べなくもないが、旧式感は否めなかった。
「随分初期に精製された機体ね。しかも一台限りの試作型。操作系統がまだ確立される前っぽいから、複座なのね。勝てないわ。別のにしましょう」
ロールが機体の装甲に手を置いて、機体構造を解析していた。デュアルアイがぺかぺかとまたたいている。
「いや、これでいい」
ぼくはその機体を知っていた。『器用貧乏』と揶揄される、その古ぼけた機体を。タラップを登って、コックピットに身を降ろす。遅れて、ロールが複座の前の席に収まった。
ついに動かせる本物のコッペリア。20メートルの機兵。メンテナスで触るのはまたちがう、いまから動かすんだというリアルな感触に、ぼくはわくわくしながらコンソールグリップを握った。
「ゼペット、シートベルトしなさい」
「悪い悪い、ロール」
「まったく子どもじゃないんだから」
つま先をペダルに触れさせる。<パイロット、アイデンティファイ:ゼペット&ロール>と電子音が聴こえた。彼女のパイロットスーツやぼくの作業着のつま先には、特殊な石が埋め込まれている。『ToeIC』と呼ばれるそれで、人と機体のコミュニケーションを図るのだ。もっともオーパーツすぎて、IC(石/インテグレイティドサーキット)なんて何のことか知らないけど。
「ゼペットがコッペリアに乗る日が来るなんて、ね」
前の座席のロールが振り返って、そんなことを言った。その意図を図りかねるぼくがきょとんとしていると、デュアルアイの奥が揺れ動き、すぐに彼女は前を向く。
「これ、終わったら、ゼンマイを捲いてもらうから」
「お安いご用さ」
コンソールグリップにコマンドを打ち、つま先を叩くと、『器用貧乏』が唸りを上げ、コアの蒸気機関から共有されたエネルギーが歯車を通じて全身に漲るのが感じられた。動く。動くぞ。
「準備が出来たようね。ま、そんな機体じゃ一分も保たないでしょうけど」
少女がコックピットの中に頭を引っ込めると、厳重な装甲の中に格納され、『ケレリタス』の頭部バイザーが輝きを増す。白銀の痩躯の機体。背負っているバックパックも必要最小限の姿勢制御のためのものでしかない。しかし、貧相という言葉では表現できない威圧感が、彼女の誇りを具現化したような存在感が、『ケレリタス』にはあった。
一方、ぼくたちが乗っている『器用貧乏』は鈍重な機体だ。茶色で埃を被っている装甲に、前腕・後腕それぞれ二本ずつ計8本の細いマニュピレーター。カタログ上では、装甲のいたるところから細い隠し腕が出ることもわかっている。
――だから、なんだ。
この機体を見た作業員はみながそう思ったに違いない。
まず腕が多い。しかも対ファフロッキーズにしては、あまりに細い。それが何の役に立つのだろう。しかもそれを制御するために、複座式にして、しかもそのせいで制御系統の大幅な改修痕も見られる始末。本末転倒だ。
「無二姫『ケレリタス』、シィ=ライトロード!」
「……ほら、ゼペットも何か言って」
コンソールをかちゃかちゃといじりながら、ロールがこちらを振り向かずにそっけなく言った。
「え、ええっと、蒸気機甲団第一部隊――じゃなくて、ゼペットとロール、『ディラック』!」
ぼくは咄嗟に、夢のなかでいつも乗り回しているエース機の名前をつけてしまった。恥ずかしくて顔を覆いたくなるが、いまさら後にも引けない。
作業員達はめったにないこの催し物に盛り上がっている。あ、賭けも行われてる。まったく、これで損傷でもしたら仕事が増えるのはあんたたちだろうに。ミューがにやにやしながら、こちらの機体を見上げている。
「ゼペット、よそ見している暇はないよ」
ロールの一言で、ハッと視線を前に戻すと、白銀の機体がすでに肉薄しているところだった。速い。あまりにも速い。それが20メートルの巨人であることを忘れるほど。不必要な装備を排除して、神速だけを求めた機体――。
「ゼペット、マニュピレーター!」
『遅い!』
肉薄した慣性を右脚で殺して回転をかけながら、手に持ったミスリルナイフがこちらのコアに向かって振り下ろされる。その流れるような動きに、ぼくたちのコマンドは対応できない。ましてやいち工作員が初めて乗ったんだ、まともに戦えるわけが――。
「くっっそおおお!」
ぼくは力まかせに『ToeIC』を踏み込んだ。コンソールグリップを全力で前に倒し、ぼくは眼をつぶって叫んだ。中のパイロットのことなど考えない、無慈悲な急加速に胃の中のものを吐き出しそうになるが、その不自然な動きは、『ケレリタス』にとっても予想外だった。
『チッ』
重量差は歴然。コントロールの精度や操縦の腕前もこうなってしまえば関係なくなる。何しろ向こうから近づいてきてくれるのだから。そしてそれが神速だろうが、攻撃するときには近づかなければならない。
「押しつぶしてやる!」
『はん、甘い』
シィの鼻で笑うような声がコックピットの中に響いたが、構わない。ぼくは全身全霊で、『ディラック』を突撃させる。
「ゼペット!」
突然、目の前が白色に染まる。水蒸気。近距離から重量で押しつぶそうとした『ディラック』に対して、『ケレリタス』は急制動をかけたのだ。右脚で『ディラック』の頭部バイザーを踏みつけて、跳び箱の要領で背後に抜けた。
「ぼくたちを踏み台にした!?」
「ゼペット、止まって、止まってー!」
「うわっぷ!」
どんがらがっしゃーん。『ケレリタス』のように軽量でないことは良し悪しで、突撃の物理的威力は増すけれども、慣性が強すぎて、ブレーキを全力でかけても止まることができずに、コンテナの山へと突っ込んでしまった。
「ロール、大丈夫?」
「ゼペットこそ。立ち直すよ」
『無様ねえ。でもわたしの裸を見た罪はそんなんで赦されるものじゃないわ!』
水蒸気を撒きながら、地面を蹴って加速する『ケレリタス』。しかし、違和感に気づいたのは意外にも早かった。いざナイフを構えようとした彼女が、右腕に何も持っていないことに気がついたのだ。
「あー、ごめん。これ?」
『……この』
さっきとび箱されるときに、ぼくの担当していた後ろ側のマニュピレーターで拝借させてもらったのだ。この機体のマニュピレーターは細くて非力だが、こちらの重い一撃を華麗に回避している最中では、注意も薄れていたのだろう。スッと、容易に奪うことができた。
『どこまでもわたしをコケにして』
ノッてきた。ぼくは舌なめずりをする。
これで彼女が取り乱せば、『ケレリタス』の高速移動は恐るるに足らなくなる。どころか、彼女の欠点にすらなりうる。繊細な操作が要求される高速移動のために、あの機体は極限まで装甲を軽量化している。当たらなければどうということはない、を地で行くようなピーキーな機体なのだ。
それならば、この非力な『ディラック』でも戦いようはある。
「行くよ、ロール! ここからぼくたちの反撃だ!」
30秒後、見事に膝をついた『ディラック』だった。ああ、彼女を舐めていた。無二姫『ケレリタス』のシィ=ライトロード。
右脚を軸にした急加速と急制動を繰り返して、こちらが対応できない速度のヒット・アンド・アウェイを打たれ続けた。急突撃も二度目では意味はなく、その隙を突かれて、鈍重な機体を支える膝関節を破壊された。そのあとはもはや嬲り殺しに近く――。
「ほらね、ゼペット」
動かなくなった機体の中で、ロールがこちらを振り向いてデュアルアイを輝かせた。ぼくはコンソールグリップから手を離したが、緊張と興奮からか、手はそのかたちに握られたまま固まっていた。震える手のひらを見つめる。
『おしまい。これに懲りたら、破廉恥な真似は――』
「シィ。シィ=ライトロード」
勝ち誇る『ケレリタス』。コクピットに右脚を乗せて、ツインテールの少女は悠然とこちらを見下ろしている。ぼくはコックピットを開き、それに直接対面した。
「でも、一分は保ったよね」
ハッとしたような表情の後、顔を赤らめて、『負け惜しみを!』を地団駄を踏んでいた。それを見て、緊張の糸が切れてしまったぼくは鼻血を出しながら、そのままロールにもたれかかるように気を失ってしまった。
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