蒸気機甲とファフロッキーズ

山田えみる

第1話:『真実はいつだって、霧の向こうに隠されている』

 真実はいつだって、霧の向こうに隠されている。


 ※


 霧に覆われた街『アンティキティラ』の上空に魔法陣のようなものが穿たれて、そこから巨大ななにかが降ってくる。カエル? しかしその肌には両生類特有のぬめりなどはなく、漆黒の鋼鉄で出来ており、その眼差しは愚鈍なそれではなく、明らかに殺意を持った灯火が宿っている。


 ぼくはその名を知っている。その外敵の名を。


 「ファフロッキーズ来ました! F型です」

 「よぉし、出るよ!」


 ぼくは舌なめずりをしながら、コンソールグリップを握る。コックピットは狭く冷たく無骨なのだが、それが却って落ち着く。つま先をペダルに乗せると、個人認証のコードが復唱されて、20メートルの機体が震えだした。


 「ゼペット、シートベルトしなさい」

 「悪い悪い、ロール」

 「まったく子どもじゃないんだから」


 複座の前方に座る少女――、正確に言えば、生身の人間ではないのだが――、ぼくのパートナーである機娘『ロール』が振り返って、その大きな瞳でぼくを見つめていた。デュアルアイの奥が揺れ動き、すぐに彼女は前を向く。


 「これ、終わったら、ゼンマイを捲いてもらうから」

 「お安いご用さ」


 いつもの出撃の儀式を済ませ、ぼくたちは外敵を見据える。明らかに自由落下とは異なる動きで大地に降り立ったF型は、のっしのっしと平野に足跡を刻みながら、街を目指す。


 アンティキティラに封じられた『魔石』。それが彼らの目的だった。が、いまのぼくたちにわかっていることはそれだけで、誰があの鋼鉄の塊を差し向けているのか、『魔石』を奪ってどうするつもりなのか、そもそも意味のある行動なのかと、議論はいまも収束の気配を見せない。


 ――とりあえず、ぼくはぼくに出来ることをやるだけさ。

 片時もメンテナンスを欠かさなかったぼくの機体が呼応するように唸りを上げ、コアの蒸気機関から共有されたエネルギーが歯車を通じて全身に漲るのが感じられる。


 「蒸気機甲団第一部隊、ゼペットとロールで行きます!」


 カタパルトからの射出。衝撃的なGが全身にかかって歯を食い縛るが、ぼくだって歴戦のベテランパイロット。指はコンソールグリップ、つま先はペダルの上、目線はずっとあのデカカエルから逸らしてはいない。


 「ゼペット」

 「いくぜええええええぇ!」


 ぼくの機体の巨大な身体が軋みを上げて、空中姿勢制御用の翼がバックパックから展開される。ぼくは機体のマニュピレーターをわきわきと動かす。


 「ゼペット」

 「なんだよー。ノリが悪いなぁ」


 ロールのノイズ混じりの声に頬を膨らますと、物理的な衝撃が脳天を貫いた。馬鹿な。たしかに戦闘となればこのくらいの衝撃は当たり前にあるのだけど、まだあのカエルまではかなりの距離がある。これだけの超射程で――


 「ゼペット!」


 ――狙撃だなんて。


 「さっさと起きて」


 『蒸気機甲とファフロッキーズ』


 眼を開くと、ロールの顔があった。彼女はどうやらいくらやっても起きないぼくに呆れたらしく、ぼくのお腹に拳を入れたのだ。機娘なので無表情な彼女だけれど、さすがにこれだけ付き合いが長いと、怒ってるかそうじゃないかくらいはわかる。


 「……夢、か」


 手のひらを開いて、閉じてみる。あのときぼくがコンソールグリップだと思って握っていたのは愛用のスパナだった。


 「何を寝ぼけたことを言っているの。警報、鳴ってる」

 「へ……?」


 ぼくは慌ててジャケットを羽織って、様々な工具をポケットに差し込んでいく。最後にゴーグル付きの帽子を被って、できあがり。寝坊常習犯のぼくにとっては早着替えなんて朝飯前だと言いたいところだけど、ロールの適切なサポートがあったおかげだ。


 「ハンカチとティッシュは」

 「お母さんかよ」

 「お母さん、知らないでしょ、ゼペット」


 ロールな余計な一言に頬を膨らませるが、そんな漫才をしている場合でもない。耳をつんざくような警報が鳴り響いている。街を背にしたこの前線基地で、それが意味するところはもちろん、敵襲。正体不明の外敵の襲来だ。


 「……ファフロッキーズ」


 蒸気機甲が立ち並んでいるデッキへの廊下をかけていくぼくたちが、窓から見たものは、あの夢で見たような漆黒の巨大カエルだった。すでに魔法陣が消えるところで、F型ファフロッキーズの着地によって土煙が上がっている。


 そこに白い尾を引いて、駆けて行くひとつの影があった。蒸気機甲、コッペリア。この街において、ファフロッキーズに立ち向かえる唯一の手段。


 「……あれは」

 「ゼペット。親方から通信。早く来いだって」

 「ひぇえ」


 もう少しあの機体を見ていたかったけど、親方に殴られるのを想像しただけで震え上がってしまう。先を駆けて行くロールが手を差し出してくれて、その無機質な感触を感じながら、ぼくたちはデッキへと向かっていった。


 「寝坊とは良い御身分だな、ゼペット」

 「……すみませぇん」


 デッキに着くなり、親方にスパナで殴られたぼくだった。それをロールは止めるでもなく、無表情なデュアルアイで見つめていた。日常茶飯事といえば、日常茶飯事だけど。


 「……敵は、どうなりました?」

 「お前が寝坊しているあいだに、アレだ」


 親方が指差した方向を見ると、漆黒の鋼鉄カエルはいくつかのパーツに分断されて、地面に転がっていた。天上には出現時と似たような魔法陣が展開され、切り刻まれたパーツが、重力を無視して天に登っていく。


 「……たったこれだけの時間で」


 ぼくが寝坊していたとはいえ、あの廊下を走っていたときに出撃をした機体だ。戦闘時間はもしかしたら十分を切っているのではないだろうか。まさに神速。型にもよるが、場合によっては、複数機体で一時間以上戦闘をすることだって珍しくはないのに。


 「こんなことが出来るのは、」

 「無二姫(ワンオフき)『ケレリタス』」


 ロールがノイズ混じりの声でそう告げると、それに呼応したかのように、一機の細身なシルエットが蒸気の跡を残しながら飛んでくるところだった。


 20メートルの白亜の機兵、軽装型とはいえ、その威圧感は神々しくもある。メカニックチームの手旗信号にしたがって、無事にデッキへと帰還した『ケレリタス』は、一仕事終えたかのように各関節から蒸気を吹き出した。


 むせ返るような蒸気に顔を覆っていると、『ケレリタス』の胸のコックピットが開き、赤髪の少女が顔を出していた。ツリ目が特徴的な彼女は、自分の討伐成果に満足しているのか、ふふんと鼻を鳴らして、天に召されていくカエルを見つめていた。


 ツインテールを揺らしながら梯子を下り、メカニックチームのひとりといくつか会話をして、優雅にブーツを鳴らして去っていった。


 「おーい、ゼペット。いつまでも『ケレリタス』見惚れてねえで、さっさと持ち場につきな。俺達の戦いはここからだ!」


 親方が随分張り切った口調で『ケレリタス』に走っていく。戦闘後の修繕作業。それがぼくたち、蒸気機甲団第八工員部隊の仕事だ。


 ただし、コッペリアというのは、その駆動系もシステムもほとんどがオーパーツレベルの代物で、下手にぼくたちが手を出して壊すわけにもいかない。ぼくたちの主だった仕事は、外装のチェックと、蒸気を拭き取ること。まあ、清掃員だ。


 「ゼペット、ゼペット」

 「どうした、ロール」

 「拭いて」

 「あー」


 見れば、『ケレリタス』帰還の蒸気のせいで、彼女のデュアルアイが曇りに曇っていた。今日は朝どたばたしていたから、曇り止めも塗ってこなかったことを思い出した。自分の無数のポケットをまさぐってみるが、拭えるものが見つからなかったので、オイル塗れの布巾で拭こうとしたら腹パンされた。


 「だから、ハンカチ持ってくるように言ったのに」

 「はいはい、すみませんね」


 ロールがこれじゃあ、まったく役に立たない。ぼくはとりあえず荷物や工具をデッキの片隅に置いて、視界がほとんどゼロであたふたしているロールの手を引いて、この基地の、中央ブロックへ向かっていった。まあ、ぼくたち2人くらいいなくても、どうにかなるでしょ。


 「あー、サボっちゃっていけないんだー」


 奥から歩いてきたのは、小柄なシルエットだった。手に持ったぼろぼろのぬいぐるみが床をずっており、反対側の手は大きな欠伸を抑えている。長い髪はぼさぼさで、いつも眠たげな表情をしている。


 「ミュー、パイロットのあなたがいまごろ出勤なんて。寝坊でもしたんですか。寝坊なんてダメですよ、人間のクズです」

 「はふ。でも、あの子がさっさと片付けてくれるからね〜。それにしてもファフロッキーズもちょっとくらいボクたちの時間に気を使ってほしいよね」


 ひときわ大きな欠伸をして、ミューははにゃりという笑顔を浮かべた。


 「ロールちゃん、今晩あたり、どう?」

 「結構です」

 「がっくしだー」


 ミューは肩を落としてふらふらとデッキの方へと歩いて行った。正直なところもうミューがデッキに向かう必要はないのだが、ここでサボったらサボったで、司教にこっぴどく怒られてしまうから。


 ミューの趣味は解体。一度部屋を覗いてみたことがあるが、そこはぬいぐるみたちのスプラッタな世界だった。ロールに逢うたびに『今晩どう?』って言ってくるのだけど、頷いたら最後、ビスの一本まで解体されてしまうだろう。


 のほほんと無邪気なようにみえて、こどもが昆虫を平気で解体するように、無邪気さゆえの情けがないのだ。


 「……ゼペット、まだ?」

 「もう少し。シャワー室で――」


 タオルをもらおうと扉を開けた瞬間、鍵をかけ忘れていたのか、そこには先客が居た。目が合う。赤いツインテールが揺れる。籠にはパイロットスーツが無造作に脱ぎ捨てられていて、その上にはピンクの下着が小さく畳まれている。ほとんど産まれたままのすがたに近い彼女は、右脚のニーソックスを脱ごうとしているところだった。


 「ねえ、ゼペット。まだ?」


 細身のわりに主張の強い胸にぼくの眼は釘付けになって――。


 「き、」

 「き? なぁに、ゼペット」

 「きゃああああぁぁああああ!」


 金切り声を上げたのは彼女だった。ぼくは光の早さで扉を閉めて、そこに背中を預ける。後ろからゴツゴツと衝撃が伝わる、何か投げつけられているのだろう。ぼくはそれどころではなくて、心臓が口から飛び出しそうになっていた。


 「へんたい!へんたい! もぉ、何なのよ!」

 「ご、ごめん。わざとじゃなくって、そう、タオルを――」

 「そんな嘘を誰が信じるっていうの!?」


 そんなことを言われてもそれ以上の理由を説明できないぼくは困ってしまって頭を抱える。その間も、甲高い罵声と何かを投げつけるような物音は止まない。


 「決闘よ! 決闘! けちょんけちょんにしてやるわ!」


 そう聴こえた瞬間に、シャワー室のドアが蹴り破られた。尻もちをついているぼくを、パイロットスーツに着替えた少女が見下ろしている。袖口をぱちんと嵌めて、オブラートに言えば、まぁ、その、ゴミを見るような目つきで睨みつけられた。

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