第十一話 ひらめいた!(九月十五日 鞠子)

 土曜日の朝。

 鞠子はどうしても気になって、福岡家に行く前に出版社に電話をした。さすがは出版社というべきか、休日にもかかわらず出勤していた編集者が電話に出た。

 鞠子は自分が松本警察署の刑事であることを話し、それから本に書かれた内容と実際に発生している事件の類似について説明する。

 その編集者は苦笑しながら言った。

「事件と小説の類似はよく質問されることがあるんですよね。だからといって作家が犯人だったことはないですし、たいていは偶然似てしまったか、あるいは読者が一方的にリスペクトしたというのが真相です。年間かなりの出版物が産み出されているわけですから、実際の犯罪に似通ってしまうこともあるでしょう」

 いずれにしても覆面作家である以上、正式な捜査協力依頼がなければ本人に会わせることはできない――そう、彼は言った。

 担当編集者も出張のため、不在だった。

 もっともな話だし、鞠子も『作家イコール犯人』という安易な構図を描いていた訳ではないので、そこで切り上げることにした。


 *


 その後、福岡家についてみると、現場は大騒ぎになっていた。


 *


 夜、九時頃に帰宅した鞠子がキッチンに入ってみると、洋がひとりパソコンを開いてダイニングテーブルの前に座っていた。心なしか気落ちしているように感じられた。

「瞳子はもう寝たの?」

 洋は無言で机の上の紙を指差す。

 そこには瞳子の字で

『気分が悪いから先に寝る。ご飯はいらない。心配しなくても大丈夫』

 と書かれていた。

「ご飯はいらない、か。珍しいね」

 鞠子は食器棚からコーヒーカップを取り出して、インスタントコーヒーを注いた。

「でも、わざわざ手紙を残したのであれば大丈夫。あの子のことだから、しばらくすれば元に戻るでしょう」

 洋が鞠子を見上げていた。

 その目で、彼も考えていることが同じだと鞠子には分かった。

 とても落ち着いた視線である。瞳子の心配をしていたのではなく、こうなった理由を深く考察していたに違いない。

『大丈夫、すぐに元に戻る』は、普通なら子供に無関心な親の無責任なセリフに聞こえるかもしれない。

 しかし、子供が閉じこもった時にすぐに介入しようとするのは、子供のことを心配してというよりは、親が心配事を引きずりたくないからではないかと鞠子は思う。

 体調が悪そうな時には、鞠子も洋も即座に対応するが、

 しかし、心の風向きが悪くなった時には、寄り添う気持ちは示すけれども即時直接介入することは避けていた。

 ――パパは分かってくれていると思う。私の言葉は娘に対する絶対的な信頼感からきているということを。

 あまり時間を割いてやれない分、鞠子は瞳子のことについてどんな小さなことでもおざなりにする気はなかったが、それと信頼は別物である。

 子供への信頼は、放置と見た目変わらないかもしれないが、実際は大きく異なる。

「そうだね。私もそう思う」

 洋は立ち上がって、鍋の火を着けた。

「今日はすいとんを作ってみた」

 鞠子は椅子に座ると、大きな溜息をついて腕を組んだ上に顎を乗せた。

 こちらは別の心配事によるものだった。洋もお疲れのようだが、明日は日曜日だから付き合ってもらうことにする。

「今日はさんざんだった」

 鞠子は語りモードに入る。


 鞠子は今取り組んでいる事件の進捗について、洋に概要を話すことにしていた。

 鞠子の性格上、一度気になるとなかなか頭を離れないし、ひとりで考え込んでいると家の中が暗くなる。

 概要だけでも話すことで整理がつくこともあるよ、と洋から提案されてやっていることだった。

 もちろん、洗いざらいすべてを話したとしても洋がそれを第三者に漏らすことは絶対にない。

 しかし、鞠子の刑事としてのプライドが一般人に必要以上に捜査情報を漏らすことを許さなかった。


 鞠子はショコラ・デ・トレビアンと名乗る連続窃盗犯が、予告状を出していることを説明し、その上で今日の出来事を語った。

「それで今日、警備していた家に次から次へと宅配便が届いたのよ。しかも頼んだ覚えのないものが着払いで」

「へえ、変わっているね」

「そうでしょう、警察の警備を試しているのかしら」

「そうかもしれないね」

「洋さん」

 新婚の時からの約束で、鞠子は二人だけの時は『洋さん』と呼ぶことにしていた。

「はい、鞠子さん」

「何か考えていることがあるのでしょう。洋さんのセリフが短い時には、同時に他のことを考えているから表に出る言葉まで意識が回っていない。後、必要以上にもったいぶった話し方をするのはやめた方がいいわよ。私は慣れたけど」

「いやあ。」

 洋は頭をかいた。

「鞠子さんにはかなわないなあ」

 そう言ってコーヒーを一口飲む。

「いやね。予告までしたのに、さらに警戒させるようなことを重ねるのは、鞠子さんが言った通り警察を翻弄するためだと思うよ。ただ――」

「ただ?」

「わざわざハードルを上げることになる。何でそんなことをするのだろう。しかも前の日に。私なら当日の予告時間前に集中させる」

「どうして?」

「予告状を送った以上、警察が警備していることは最初から分かっているはず。だったら、それを利用しない手はない。現場を混乱させて、その隙を狙う」

「それはそうね。でも前日から揺さぶりをかけておくのも効果的では」

「そういう考え方もあるけど、相手に警備の不備を気づかせることにもなる。さらにそれを上回る計画を準備しているのならばともかく――」

 そこでいったん話を区切ると、洋は煙草に火をつけた。

 鞠子は思い切りにらんだ。彼はさっきの話をすっかり忘れている。

「あ、ごめん」

「……先を続けて」

「うん、予告状を送って、前日に警備の撹乱までやるのは現実的ではないよ。そんなのは物語の中の技術的に優れた泥棒にしかできない。現代日本のただの人なら、そんなことは考えないと思う」

「そう、だよね」

 ――そうするとどうなるのか。

 鞠子の目の前で、洋はいつものように微笑んでいる。

 鞠子は事件の冒頭、福岡家での会話を脳内で再生した。

 ――これはうちの親父が持っていた絵の中の一枚なんだけどね。

 ――他は美術館に置いてあるけど、奥のほうで申し訳なさそうに展示されていますよ。

 つまり、絵はシリーズである。

 シリーズであれば、他にもある。

 福岡家にある以外にも、絵が存在している。

 それは、美術館にある。

「パパごめん、ちょっと署に行ってくる!」

 犯人の意図について他の可能性があることに気がついた鞠子は、そう言って家を飛び出した。

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