第四話 追われる
彼が自宅で王の使者を迎え、王の命を受けて旅立つまでの話が、映像と音で再現される。
しかも視点を自由に変えられるので、私は中空に漂っているような位置でやりとりを観察していた。
なんだかロールプレイングゲームの中の妖精視点に似ている。
世界観もどことなく大作ロールプレイングゲームに似ている。
(申しわけないが、私の世界を再現するために、君の記憶を部分的にお借りした。仮想世界なので視点も変えることが出来る)
(あ、ええ、それは構わないけれど。どうしてこんなにゲーム調なの)
(我々の世界と私のおかれた立場を、君に論理的かつ感覚的に理解してもらうためには、この形式で表現するのが一番適切だと判断した)
(ふうん。あの、お話に出てくる『栄光』って何ですか)
(我々にとっての食料と考えてもらえばよい)
(作り出すことができなくて、奪い取るしかないもの、ですか)
(その通り)
(そして、貴方はそれを得るために、この世界に使わされたと)
(その通り)
(ふうん、あ、世界が変わった)
*
夕焼けの中に、単純なボックス型長方形のシルエットが、黒々と浮かび上がる。
廊下が暗いので、病院ではない。
全体が暗いので、会社や工場でもない。
この時間、前面に明かりが灯っていない建物と言えば「小学校」ではないだろうか。
そして、私が通っている学校ではない。
建物の配置から全然違うのが、シルエットからも見てとれる。
建物を『ななめ上から見下ろす』という、空中で制止でもしないと有り得ない角度になっているが、これは日本にやってきた時の「彼」の視点ということだろう。
(その通り、これは私の経験を再生したものだ)
(ふうん、あ、動いた)
視点は急激に校舎に接近する。
ということは、目的地がそこだということだ。
(どうして最初に学校に行くの)
(それは、過去の帰還者達の経験から「まずは学校に向かうのがよい」という言い伝えが残されているからだ)
(貴方は、その言い伝えにまずは従ってみたと)
(その通りだ)
(ふうん、昔というのは何年前ですか)
(我々の世界と君達の世界は時間間隔が異なるので、正確に答える術はないのだが、まあ、君達の世界で五十年前だと思う)
(ああ、じゃあ駄目だわ)
(そうなのか)
(うん)
小学校の中に入り込んだ彼は、まず理科室に入り込んだ。
何か探しているかのように全体を見回して、目的のものを見つけたらしく視点が固定される。
その先にあるものは――定番の解剖模型だった。
(どうして理科室の解剖模型に近づいたの。いえ、それ以前にどうして理科室が分かったの。小学校を識別できるのも不思議だけど)
(我々は微量な元素であっても、どこに何がどのくらいあるのか分かる。そして、人間の世界は場所ごとに特徴的な元素の片寄りが見られる。小学校の理科室という元素の片寄りには特徴がある。従って、そう――君の記憶によるところのマップにキーワードを打ち込んだら、それに該当する店に印がつくのと似たような感覚で、小学校の理科室の位置が分かる)
(ふうん)
そんなことを言っている間に、解剖模型に近づいた「彼」の視点が急に暗くなった。
(暗くなってすまない。同化中だ)
(同化って何)
(君の知識でいくと、分子間の隙間に我々が入り込んで、部分的に稼働域を構成すること――となる)
(つまり、解剖模型の分子間にトンネル効果を利用して入り込み、解剖模型の手足が稼働するように関節部分の構成を質量保存の法則に矛盾しないように配慮しながら作り変える、ということね)
(理解が速くて助かる。君の年代は皆、そのぐらいの認識能力があるのか)
(いえ――私は特別、いや特殊なの。ところで、同化は何にでも可能なの?)
(可能だが、同化した対象物が自律稼働可能なものだと、最終的に分離する時にタイミングを計るのが困難な場合がある)
(どうして?)
(トンネル自体が動いたら、通り抜けは難しいのではないか)
(ああ、なるほど)
今度は急に視界が開けた。
解剖模型に同化し、視野を確保できたに違いない。
それにしても、視野なんか自由に設定すればよいのではないかと思う。
律儀に解剖模型と同じ位置に視野を固定する意味はあるのだろうか。
(それがあるのだ。エネルギー源と効果的に共振し、エネルギーを効果的に採集するためには、必然的にエネルギー源と似たような大きさであることが望ましいのだ)
(共振? 捕食とか吸収とか収集とかではなく?)
(そう、共振なのだ)
(ふうん、何だかいろいろ条件があって不便ですね)
(――昔はこんなに制限はなかったのだが。供給量が減ったのでな)
(欠片でも大切ということか)
廊下の向こう側が明るくなってきた。
狭い範囲が次第に明るくなることから、懐中電灯の類だと分かる。
警備員の定期パトロールだろう。
しばらくすると、廊下を歩いてゆく靴の音が聞こえ、摺りガラスの向こうを紺色のユニフォームを着た人影がぶらぶら歩いていくらしい様子が断片的に見られた。
解剖模型が動く。
カタリという物音がして、廊下の向こうの人物が動きを停めた。
(昔はこの『物音』の段階で『栄光』の収集ができたと聞いている。しかし、今は欠片も見当たらない)
廊下の向こう、摺りガラス越しに見える人影は、ライトを理科室の中に向けた。
続いて、入口の鍵を開けるらしいガチャガチャという物音が聞こえてきた。
なんだか焦っているようで、物音が激しい上に、ライトの光も激しく上下に動いていた。
やっと鍵の回る音がして理科室のドアが開けられ、紺色の警備会社の制服を着た男が室内に駆け込んでくる。
「おいっ、そこにいるのは分かっているんだ。さっさと姿を見せろ」
警備員は手元のライトをせわしなく振って、理科室前方の黒板付近を歩いてゆく。
目が血走っており、口からは、
「やっと俺の番だ。これを待っていたんだ。やっとだ。俺もこれで金持ちだ――」
という言葉が、次から次へと漏れていた。
彼は、その展開に戸惑いを隠せなかった。
(もちろん、私には人間と同じ感情がある訳ではないので、これは『一番近い』という意味だが)
『栄光』を手に入れるどころではない。
自分が狙われているのだ。
教室後方にいた彼は、天井や壁を激しく這い回る懐中電灯の光の中を、解剖模型に同化したままゆっくりと廊下側に移動しはじめた。
解剖模型は自律しないので抜け出すことはいつでもできる。
しかし、『実体』では従う物理法則が異なるために、通常空間を素早く動くことができない。
この世界の物理法則に従って行動するには、この世界の物理が最適なのだ。
(これも随分と不便な設定ですね)
(『栄光』を使えば『実体』の位置を瞬間的に変えることもできるのだが、残量を考えるとここでその力を使うのは躊躇われた)
解剖模型が、理科室の水道とシンクが設置されている机の横を、警備員の目を気にしながら身を縮めて移動していく。
その姿を想像すると、とてもシュールな感じがする。
理科室後方のドアは閉じられているが、『実体』だけであれば隙間を抜けることができるのだろう。
実際、入ってくる時には支障なかった。
そろりと解剖模型が動く。
警備員は窓際のほうに回り込んで、机の下を確認し始めたらしい。
窓側からの光が床の上を滑ってゆく。
横に移動する動きが速いので、解剖模型が教室後方のドアにたどり着くか着かないかのうちに、追い付かれてしまうかもしれない。
(ここは、見つかってもよいから、一気に後方ドアに駆け寄るべきところね)
そう私が思った途端、合わせたかのように解剖模型は後方ドアに向かって突進した。
「あ、こら、待て!」という警備員の慌てた声が聞こえる。
構わずドアに向かって走り込む、解剖模型。
理科室の机を回り込んでくる、警備員。
警備員の手が解剖模型に触れる寸前に、彼は解剖模型から分離した。
分離した途端に、視野が自由になる。
解剖模型そのままの形をした白い影が、二重写しのように分かれて、急速に一本の白い布状に収束して、後方ドアの隙間から外に出るところを、警備員の上部後方からの視点で眺めた。
(これで終わりではない)
分離した彼は、学校の廊下を急いで窓側に横切ってゆく。
「急いで」と言っても、解剖模型と違ってゆるやかな動きだ。
ドーナツ状の煙草の煙が、空中を漂っていく速度に似ている。
その間に、後方ドアから前方ドアに移動した警備員は、彼の姿を見つけて叫んだ。
「待て、オバケ!」
待つわけがない。
もどかしくなるほどのゆったりとした動きで、彼は廊下を横切る。
警備員が近づく。
ここで、時間の進み方が実際のものよりも間延びし始めた。
(スロー再生もできるんですか)
(再現映像だから、可能だ)
警備員の手が伸びる。
彼の姿が、布状から屋外への窓の隙間にあわせて棒状に間延びする。
(そもそも、手で触れることができるの?)
(私が最小化したら無理だ。手の細胞の間を移動することができる訳だから。しかし、同化したものから分離した直後の『原型』に戻るまでの瞬間や、『栄光』を失って無力化された状態で、それなりの大きさがあれば、物理的に接触可能だ)
(なるほど。私が見つけた時がそうだった)
そうこうするうちに、警備員の手が彼の末端を捕えそうになっている。
今ここにいるということは、捕まらなかったということなのだから全然問題はないはずなのだが、映画のワンシーンのようなスローモーションを見ていると、思わず手に汗をかく。
彼はするりと窓から外に抜けた。
時間の流れが通常通りに戻り、警備員の呪詛が後方から聞こえてくる。
(これで、私がこの世界では『恐れるべき存在』ではなく、『積極的に捕獲すべき存在』であるという仮説が成り立つわけだが)
(その通り。私の知識を活用したら分かるのでは)
(我々は客観的な一次情報のみ扱う。主観的なものや二次情報は扱わない)
(私が見たり聞いたりした体験は使えても、読んだ知識は使えないということね)
(理解が速くて助かる)
私は、自分の姿を視界の中に思い浮かべる。
すると、私が思う私の姿が、空中に現れて浮かんだ。
(私が主体となって説明するには、このほうがやりやすい)
続いて『白板』を思い浮かべてみる。
すると――夜景をバックにして白板が空中に浮かんだ。
夜だから盤面は暗いはずなのに、日中と同じようにはっきりと見えている。
『彼』による補正がかかっているのだろう。
ついでに、私が白衣姿になっているのはご愛嬌だ。
(何かを説明する際の制服なのか)
(ちょっと違うけど、似たようなもの)
私は白板の前に立って(正確には浮かんで)、指示棒を持ちながら説明を始めた。
*
「オバケは、物理的な存在である」
今のところ一般世間に秘匿されているこの事実は、昭和四十五年以降に建設が進められた『筑波研究学園都市』で最初に確認された。
昭和六十年代の筑波学園都市は、『国際科学技術博覧会』(通称『科学万博』)が開催されるなど、急激に人口が増加して近代化が進む一方で、前近代的な村落共同体が周辺を取り囲んでいるという構造になっていた。
言い換えると、筑波研究学園都市はオバケが好むおどろおどろしい環境に、それを全く気にしない研究者という人種が放し飼いされている、世界でも類を見ない特殊な環境にあった。
そのことが筑波を『オバケ研究の発祥の地であり最先端の聖地』とする。
ある時、未だ十分な街灯が整備されていない学園都市内の道路を、自転車で走行中だった戦徹(しのやまとおる)研究員は、ちょうど自身の研究テーマである『ファンデルワールス錯体の結合と分解』について考えている最中であった。
彼は研究について考え始めると周囲が見えなくなる。
今までは筑波学園都市だからこそ事故にならなかっただけで、彼の自転車の前を横切ることは自殺行為に等しい。
突然目の前に現れた不定形のもの(以下、とりあえず『彼』)が、
「わあっ――と、ちょっとちょっと、危ないって――」
と、必死に自己主張を繰り返しているにも関わらず、気がつかずにそのまま追突してしまった。
事情を知らなかった『彼』にとっては、災難である。
ぶつかった衝撃で部分的な機能障害を起こした『彼』は、自己修復機能による復旧が完了する前に戦研究員によって握りしめられてしまう。
さらに、通常であれば分子間を抜ければ問題なかったところが、不可思議な現象に狂喜して戦が手を振り回していたため、『彼』は間を抜けることができなかった。
以上のような「筑波の特殊な環境と戦研究員の特異な性格と『彼』の不幸な機能障害」が、非常に稀な確率で重なったために、最初のオヴァクェは捕獲された。
なお、戦の研究室でそのオヴァクェが脱出できなかったのは、まだオヴァクェが怖がられる存在であったために、オヴァクェ側が出現する時点で『栄光』の残量を限りなくゼロに近い状態にしていたからである。
それなのに自己修復機能へのリソース分割と、散々に振り回される中での脱出経路演算をしなければいけなかったために、到着した時には消滅寸前の状態であった。
変人だが極めて優秀な研究者であった戦は、オヴァクェが消滅するまでの一部始終をベータマックスのカメラで撮影していた。
(後に、この録画映像の一部が流出する事件があったが、テープがベータサイズであったために拡散範囲が狭かったことと、あまりにも画質に問題があったために偽造とされたことで収まった)
この歴史的な出来事により、筑波研究学園都市の一角、竹園西小学校の隣にある文部科学省研究交流センター地下に、同省所管の公益財団法人である『オヴァクェ研究開発機構(通称、オヴァ研)』がひっそりと開設される。
小学校の隣になったのは単なる偶然である。
また、途中から「オバケ」という一般名称が「オヴァクェ」という表記になっているのは、
オバケの無理やりな日本語名称である『位相の異なる量子的存在』を、
やはり無理やり英語表記にした「アザー・ヴァリエイション・オブ・クオンタム・イクジスタンス」から、
頭文字を取って『O・VA・Q・E』とこじつけたため、
その正しいカナ表記が「オヴァクェ」となるからである。
一般的な名称は依然として「オバケ」であるが、戦が捕獲した第一素体以降の研究対象としての存在を、一般と区別して「オヴァクェ」と呼ぶ。
その素体から、以下のことが分かっている。
人間の恐怖をエネルギー源とする不定形の生命体である。
発祥の地は不明だが、もともとは人間と同じように肉体を持っていたと思われる。
高密度に圧縮された情報を入出力する素子である「情報結晶」と、人間の感情と共振してエネルギーを生み出す「心合成回路」をコアとして、その周囲に配置された原子および分子のファンデルワールス力を無段階変化させることができる技術により、物理的特性が極めて希薄な状態で存在している。
人間の脳で生じている電気シナプスおよび化学シナプスの流れと共振することでエネルギーを摂取しており、その中でも恐怖によって生じる共振が彼らにとっての大好物になっている。
光からもエネルギーを得ることはできるが、きわめて効率が悪い。
エネルギーが枯渇すると情報結晶の入出力が途絶えるため、人間で言うところの「仮死」状態となる。
エネルギーを得ることで再活性化が可能であるが、物理的にコアが破壊された場合には元には戻らない。
形状は定まっていないが、基本的には感情の波を吸収しやすいように、表面先が最大となる毛玉状の姿で存在していることが多い。
このオヴァクェを効率的に捕獲するために設立された専門部隊が、「オヴァクェ・ハンター」である。
そして必然的に略称は「オヴァハン」となる。
(ところで――)
と、私はここで右手の人差し指を上に向ける。
この『オヴァハン』という名称の響きから安易に『中年女性』を想定した者は、科学を軽視した可能性のあるその安直な論理展開を今すぐ深く反省して、これからの認識を改めて頂かなくてはならない。
オヴァクェ研究は純然たる科学の世界である。
決してダジャレが通じる安易な世界ではない。
科学の世界は極めて論理的な思考の積み重ねから、必然の結果が導き出されるところである。
科学的な推論を重ねた結果として、初期の「オヴァハン」を構成するメンバーに選ばれたのは、必然的に「夜間の学校を巡回する男性警備員」であった。
まず、オヴァハンは前述の通り極秘事項を取り扱う部隊であるから、少数先鋭とならざるをえない。
そして、人・物・カネが限られているのであるから、限られた地域にそれを投入するのが最も効率的である。
当初、オヴァクェの活動は「夜間に限定されているか、あるいは夜間に活動する可能性が極めて高い」と想定されていた。
これは、昔話や民話の中でオバケが現われるのが、殆どの場合「真っ暗な暗闇の中」であったからである。
また、近年においてオバケの目撃報告が集中していたのは学校であった。
ここから、まずは『夜間の学校』を重点的に探索すべき、という結論を導き出される。
まだ未解明な部分が多かった黎明期のオヴァクェを扱う初期研究であるから、文献の探索が主流であったことはやむをえない。
なお、この段階においては学校と同じく有望な探索候補地に『墓地』があった。
この墓地が何故対象から漏れたかというと、初期においては重点的な探索先として提唱する者が多かったものの、いわゆる『オバケ・幽霊論争』により両者の相違点が検証され、存在感の希薄な幽霊は存在感の濃厚なオヴァクェとは明らかな別物である、という結論が主流派となったためである。
オヴァクェの積りで追いかけたら幽霊だったということも想定される。
その非効率さを考えて、まずは学校が優先されることになった。
非常に科学的かつ合理的な、美しい結論である。
職務上、厳しく秘密保持義務を課されていた警備員の中から、さらに厳正に選抜された者だけがこの極秘事項を知らされて、特命任務に就いた。
この時期の「夜間の学校巡回を担当する警備員」は、業界内でもスーパーエリートであったと言える。
現在でも、例えば『彼』を追いかけた学校の警備員も、一応は厳しい選抜を潜り抜けたメンバーではあったのだが、にもかかわらず前述のようなお粗末な探索となったことには理由がある。
現在、学校の夜間警備員はオヴァハンの主流(メインストリーム)ではない。
オヴァクェ研究が進展する中で、次第に「夜間でなくとも活動しているらしい」ということが分かってきた。
さらに「むしろ日中のほうが活性が低下して捕獲しやすい」ことも分かってきた。
ところが、日中の学校外での捕獲となると、警備員では不適切である。
制服という目立つ格好で、日中の街中で捕獲活動のような大騒ぎをしてしまっては、せっかく一般世間に対して『オヴァクェの不都合な真実』を秘匿している意味がなくなってしまう。
そのため、再度「ハンターに必要な属性とそれに適合する人物像」が議論された。
その結果、
「平日および休日、昼および夜の別を問わず行動していても、不信に思われない」
「緊急時に一般市民を押しのけて対処することも厭わない、強いメンタリティ」
「デフォルトで『五月蝿くて図々しい存在』と世間に認知されている」
という観点から、オヴァハンに非常に適していると判断されたのが、
中年女性である。
繰り返すが、決してダジャレではない。
「最初から素直にそうしておけばいいのに」と笑う者は、仮説の積み重ねから導き出される結論の重要性が理解できない愚民であるから、反省して頂きたい。
ともかく、これにより再度選抜されたオヴァハン部隊は、それまでとは比較にならないほどの高い捕獲実績を上げていった。
そもそもの適性が高かったこともあるが、彼女たちのモチベーションを上げずにおかなかった要因があった。
それが、実績に対して得られるインセンティブである。
稀少な研究素材であることから、オヴァクェは一体が数百万円で取引されている。
高額の収入であり、加えて秘密保持の関係から『所得税非課税』となるため、オヴァクェを複数捕獲した幹部クラスはかなりの高額所得者となった。
そのことは秘密保持義務があるため、周囲にはあまり知られていない。
「宝くじが当たった」という噂がオヴァハンのインセンティブの偽装工作としてよく使われている。
*
以上のことを、私は専門的な部分は端折って説明した。
(状況が理解できた。ところで――)
さすがは『彼』である。見逃さなかった。
(どうして君はオヴァクェのことについて、そこまで詳しいのだろうか)
(それは――私の両親がオヴァクェの研究者だから、だけど)
私は出来るだけ平然と答えようとしたが、どうしても途中でぎこちなくなってしまった。
『彼』はそのような心の揺れに敏感らしい。
私が聞かれたくない点を突いてきた。
(それでは、みくり殿自身がオヴァクェのことをよく承知していることの説明にはならない)
(それはその通り。けれど――)
その先のことをあまり説明したくないために、私は口籠った。
と同時に、別な点に気が付く。
そちらに話を誘導すれば、誤魔化すことができるかもしれない。
(そういえば、貴方。今、私の名前を呼ばなかったかしら?)
(その通り。名前をお呼びした、みくり殿)
(『殿』というのは女性の名前につけるものではないし、なんだか堅苦しいので『みくり』で構わない)
(分かった、みくり)
(それで、貴方のお名前を全然聞いていないと思うのだけれど)
(おお、それは失礼した。人間には「何者じゃ。まずは名を名乗れ!」という不文律があるのだったな)
どこから引用したのか、元の分からない知識を『彼』は開示する。
(遅くなって大変申し訳なかった。それでは名乗ろう。私の正式な名前は、コレセル・シャトセロ・ショレサンデル・シュトレハイゼル・アブララレレギラロ・レガイウンゼ・コロ、だ)
(え――ごめん、もう一回お願いします)
(コレセル・シャトセロ・ショレサンデル・シュトレハイゼル・アブララレレギラロ・レガイウンゼ・コロ、だ。コレセルが人間でいうところの『名字』で、シャトセロが『勇敢な』、ショレサンデルが『高貴な』、シュトレハイゼルが『崇高な』、アブララレレギラロが『比類なき』、レガイウンゼが『勇者』という意味となり、最後のコロが『名前』ということになる)
(ごめん、覚えるのは無理。なんでそんなにむやみに長いのよ)
(競技大会で極めて顕著な成績で優勝すると、王から『敬称』を下賜される。つまり、長ければ長いほど名誉なことなのだ)
(でも、これでは何と呼んだらいいのか分からないわ。えっと――最初の二文字は何だっけ?)
(二文字は『コレ』だ)
(じゃあ、それに『もん』をつけて、『コレもん』にします!)
(『もん』とはどういう意味なのか? やはり敬称か何かか?)
(人間の世界では、日常に現れる不思議な物体および生命体には、必ず語尾に『もん』が付くことになってるの!)
(ふむ、最前お借りした知識にはそういうことは――)
(あります!)
(――ふむ、了解した。名前が短くなることは少々不本意だが、人間の習慣であれば致し方ない。これがいわゆる『郷に入れば郷に従え。但し二谷除く』というやつか)
(何それ?)
(いや、少々疲れて混線し始めたようだ。失礼した)
ここまでの説明で、コレもんはせっかく溜めた太陽エネルギーを使ってしまったらしい。
ぽろりと私の頭から落下すると、毛の長いベージュ色の絨毯の上に落ちて転がった。
私は彼を両手で包み込むように持ち上げると、元のお菓子の空き缶へと戻した。
時計を見ると、彼との会話で経過した現実時間は十分程度だった。
心理的な時間は三時間に近い。
私も少し疲れたので、ふわふわの毛玉を見つめながら少し眠ることにした。
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