魔性篇◆CASE6:前晩
薄着をするのも肌寒いと感じるようになった十月のある日。
いつもと変わらない日々を過ごしている弥生は、土曜なのに登校していた。
〝土曜にテストとかないだろ……はぁ、疲れた〟
ため息をつきながら、気だるげに帰路を歩いていると、胸ポケットが小刻みに震えた。
「?」
誰かと思い携帯を開くと、夜竜からだった。
『今日暇??
暇なら寄りなさいよ。
面白いものが見れるわよ♪』
絵文字まであしらわれたデコレーションメールが届いて、弥生は思わず口元を緩めた。
もともと夜竜に無理矢理導かれ、脅されるように通うようになった魂夜堂。それが今では、弥生にとって夜竜の存在はかけがえのないものとなり、魂夜堂で過ごす時間が大切なものとなっていた。
そんな夜竜が最近手に入れた携帯電話。それで送ってくるメールは意外なようで可愛らしく、届くたびに夜竜とのつながりを確認できるようで、弥生は嬉しかった。
『テスト終わったところなんで、今から寄ります』
返信した弥生は、足取りも軽く魂夜堂へと向かった。
「うおあっ?!」
魂夜堂の扉を開けた瞬間、暗がりにぼわっと浮かび上がる骸骨が目の前にあって、弥生は盛大に飛び上がって驚いた。
「やっだぁ!弥生君ったらそんなに驚くことないじゃなーい!」
「こ、紅亜さん……!」
骸骨のマスクの下からのぞいたのは、赤い髪のお色気淫魔医師だった。黒づくめの体にぴったりとした服に、羽まで生やして、いつもとは雰囲気が違っていた。
「夜竜―っ、いとしの弥生君が来たよーっ」
テンションはいつもどおり高い。弥生は首をかしげた。
「これ、何の騒ぎです?」
魂夜堂の中は人、いや人の形をしている者達でごったがえしている。いつもの用途のわからない荷物でごたごたと占領されている場所も、どうやったのかテーブルが置いてあり、あちこちに飾り付けがされていた。薄暗い中、南瓜のランタンが不気味な青白い光を放っている。
「やーねー!今日は31日じゃない!」
紅亜がうふふと笑う。あ、と弥生は声を上げた。
「ハロウィン?」
「そう!ハロウィーン!」
よく見れば、普段そんな格好をすればどん引きされるに違いないであろうという格好の人が大勢いた。
弥生は紅亜の背中の羽を眺め、
「……もしかして、自前ですか?」
「そうよー!可愛いでしょ、あたしの羽ちゃん!」
そう言ってぱたぱたと動かして見せた。
「今日は本当の自分の姿でいても、仮装で済まされる日なのよ」
「なるほど」
「人間達の前夜祭とかには興味もないし、よくも知らないけどね」
「ハロウィンというのは、カトリックの万聖節の前日祭。ケルト人の収穫感謝祭ともいわれているわね。精霊や魔女が家を訪ねてくる日だそうよ」
「夜竜さん」
いつもは結っている黒い髪が腰まで流れている。きらきら煌くそれはさながら漆黒の星をちりばめた銀河のようだった。その夜竜が着ていたのは胸元が大胆に開いた漆黒のドレス。白い肌とのコントラストがまばゆいほどだった。
「どう?魔女っぽく見えるかしら?」
真っ赤な唇を三日月の形にして笑う夜竜は、本当に美しくて、弥生はぼけっと口をあけてそれを眺めていた。
それを見た紅亜がにやっと笑って、
「夜竜、良かったね。弥生君気に入ってくれたみたいよ」
しかし夜竜はおもしろくなさそうに弥生を見た。
「何も言ってくれないの?」
はっと我に返った弥生は、
「すっごい綺麗です……!」
喉に引っかかって、掠れた声を出した。
「ふふ、良かった」
その笑顔に、弥生の心臓が打ち抜かれたということは言うまでもない。
「しかし、凄い人だな……どうやって入ったんです?」
「ふふ、秘密」
夜竜は制服姿の弥生を上から下まで眺めて、
「浮いてるわよね」
「……気にしてること言わないでください」
「ちょっと、こっち来て」
突然夜竜に手をつかまれ、弥生はどきりとする。しかしそんな弥生の様子はお構いなしに、夜竜は奥まった部屋へと弥生を連れてきた。
そこはごたごたと服やらわけのわからないものやらが押し込めてあった。
その荷物を踏みつけて、奥の方にあったキャビネットから、夜竜は一着の服を取り出した。それを持って弥生の下まで帰ってくると、それを当てて微笑んだ。
「これなんか良いじゃない?悪魔式の正装よ」
「……これ、俺が着るわけ?」
「私もいつもと違う弥生の晴れ姿を見てみたいもの。それに、弥生ちゃんは私のパートナーでしょ?」
その強烈な威力を誇る笑顔を振舞われてしまえば、弥生には頷く以外の選択肢など残されはしないのだった。
「あっらぁ、弥生君、様になってるわよー!」
黒に銀の装飾がされた、外套までついている服。それを着て、茶色の髪の毛をぴんぴんと無造作にはねさせている弥生。
紅亜には好評だが、
「なんでこの服、こんなに重いんですか……?」
金具やら外套やらが相当な重量を持たせているらしく、弥生はげっそりとしていた。
「だらしないわね、少年!そんな顔してないでさっさと貴方のご主人様のエスコートしなさい」
「なんですそれ」
「お、弥生じゃん」
声をかけられ振り返ると、シルクハットに赤い外套で体を包んだリキが、濃い紫のドレスを着た金髪の美女と一緒にいた。そして、弥生はその顔を知っていた。
「怜愛?」
「リキ!この子は?」
彼女が弥生の顔を覗き込んだ。
「噂の夜竜の心を射止めた人間」
「えーっ!?それじゃあ君が闇の一族の末裔?」
怜愛はにっこりと笑って、
「私のことは、レアって呼んで!君は弥生?」
「あ、どうも……」
「きゃあああっ、なんか可愛い!夜竜、ちょっと味見しちゃ駄目?」
夜竜はふふっと笑って、夜竜の腕にしなだれかかった。
「駄目。弥生は私の。レア、例の人とはどうなったの?」
夜竜の問いに、レアは肩をすくめた。
「うーん、やっぱり人間相手ですからね。前にもいろいろあったみたいよ」
〝あれ?〟
弥生は首をかしげた。
「レアさんは、リキの恋愛のことでここにきたんじゃなかったんですか?」
その言葉に、夜竜が眉をしかめた。
「それが、聞いてよ弥生。私の勘違いだったの。レアはレアで人間に恋してたんですって」
「へぇ……」
「私がわざわざリキの恋愛相談しに夜竜に会いに来るわけないじゃない」
レアがきゃはははと笑う。弥生はリキを見て、
「で、リキはどうなったんだ?」
リキは意味深に笑って、
「まぁ、悪いようにはなってねぇよ。ありがとな」
照れたように笑うリキを見て、弥生は微笑んだ。
「それじゃあ、私達もいろいろ回ってくるわね!」
「ええ、またね」
夜竜は弥生の腕を取り、歩き出した。
人ごみを歩いて程なくして、二つの影が近づいてきた。
「夜竜お姉さま!」
「あら、乙姫」
「今日は、お招きに預かり、ありがとうございます」
群青色の着物に身を包んだ乙姫のとなりには、いかめしい顔の青い中国服を着た男性がいた。
「あら、海神(わだつみ)じゃない」
「夜竜、久しぶりだな」
低いだみ声で言う海神。
「この国での暮らしはどうだ?」
「幸せよ」
「そうか」
そこに、乙姫が口を挟んだ。
「お姉さま、この前ファラが来ましたよ」
その名前を聞いた瞬間、夜竜の顔が険しく歪められた。
「乙姫、楽しい時間に水を差さないでちょうだい」
「あ、ごめんなさい」
しゅんとしてしまった乙姫の後ろから、黒髪童顔の小柄な少女がやってきて、
「こらーっ、楽しい席でそんな暗い顔しないのぉ」
そう言って空中に浮き上がった。笑いながらみなの頭上を飛び回り、お菓子を振りまいている。
「今のは……?」
「シルフ。風の精霊よ」
弥生はあっけにとられて彼女が消えた方を見た。
「おうっ、乙姫さんに海神さんじゃないか!向こうに料理がたくさんあるぜ!」
「あら、古雨(ふるう)さん、こんにちは」
「古雨……?」
弥生がいぶかしげな顔をして、声のした方を振り返った。
その男と目が合った瞬間、双方の目が見開かれた。
「夜見……!?」
「前田先生?!」
弥生の前にいたのは、弥生の学校の教師だった。
「夜見、お前なんでこんなところに……」
真っ青な顔で弥生を見る古雨。しかしそれは弥生のせりふでもあった。
「せ、先生こそ……」
そこに夜竜の楽しそうな声が割って入った。
「あら、貴方の学校って、弥生の学校のことだったの?」
「夜竜さん?」
学校の教師として働いている前田古雨。しかし、この魂夜堂にいるということはただの人間であるわけがない。
「弥生、この人はね、狼人間なのよ」
「えええええええっ」
弥生が驚きすぎて、大声を出す。が、幸いみなが楽しんでいる中、弥生の声はあまり目立たなかったようだ。
「ちょ、本当ですか?!」
古雨は困ったように頬をかいて、
「参ったな。本当のことだと言って、信じてもらえるのかな?」
「ふふ、古雨、私の選んだ子よ、弥生は」
「……ということは、夜見も只者じゃあないってことだな」
古雨はまじまじと弥生を見る。
「しかし、生徒にばれることになるとは」
「安心して。弥生だって普通じゃないんだから」
乙姫が首をかしげた。
「古雨さんは、弥生さんのことをご存じなかったのですか?」
「ああ、夜見は直接の担当ではないし」
「乙姫、話がややこしくなりそうだから、私達は向こうに行かないか?」
海神が娘にそう言った。
「あ、それでは失礼します」
「それじゃあ」
その場には夜竜と弥生、そして古雨だけになった。
「古雨は鼻が良いでしょう?弥生の匂いには気づかなかったの?」
「いや、薬で能力は鈍らせているから」
「あら、そうだったわね」
弥生は困惑したように、
「大体、前田先生は体育のときに会うくらいだし」
「それで、夜見と夜竜の関係は……?」
夜竜は弥生の腕を取って見せ、
「弥生ちゃんは、私の大切なパートナーよ」
「人間の夜見が?」
信じられないように弥生を見る古雨。弥生も弥生で、未だに古雨が狼人間であるとにわかには信じられないようだった。
「弥生は人間でも、ただの人間じゃあないの」
「まぁ、お前がそう言うのならそうなのかもしれないが」
「かもしれないんじゃなくて、そうなの」
にっこり笑って訂正する夜竜。古雨ははぁっとため息をついて、どかっと椅子に腰を下ろした。
「しかし、生徒にばれるとはな……」
古雨はお菓子を食べながら、
「ずっと夢だった」
「え」
「教師になるのが」
弥生は古雨を見る。
「お前は、俺を怖がらないのか?」
「え」
「狼男だぞ、人を襲うとか」
弥生は苦笑して、
「俺、夜竜さんと一緒にいるし。先生を怖がるくらいなら、夜竜さんのことだって怖がるに決まってるじゃないですか」
古雨は信じられないものを見るように、弥生を見た。
「お前は、変わってるな」
「そうですかね」
古雨はため息をつく。
「子供の頃、俺は自分が普通じゃないとは知らなかった」
「え……」
夜竜が使い魔を飛ばすと、椅子を用意させた。夜竜に促され、弥生も夜竜も座った。
蝙蝠の形をした使い魔が料理を乗せてそこに運んできた。
「もちろん、自分が狼人間だという種族なのは知っていた。だが、見た目だって人間となんら変わらない。ただ、嗅覚が鋭くて力が強いことなんて、子供の俺には理解できなかった」
弥生は緑色のあぶくがあがる不思議な飲み物を飲みながら、話を聞く。
「小学生になって、同級生に怪我をさせた」
古雨は顔を歪める。
「それで、俺は普通じゃないとレッテルを貼られた。誰もが俺を怖がって、近づいてこなかった。過ごしにくかったよ、本当の能力を隠して、できるだけ目立たないように暮らすのは」
古雨は月の飾り物を指差して、
「満月が近くなると、人を襲いたくなる。それを、薬でどうにか乗り越えていた。そんな俺が普通の生活を続けられるわけがなく、同級生にもなじめなかった。変わった子供だった俺と、他の生徒と分け隔てなく接してくれたのが、その頃の教師だった」
照れくさそうに言った。
「俺の場合、満月にさえ気をつければ普通に暮らせる。だから、教師になりたいと思ったんだよ。だが、俺の異常性がばれたら、ただではすまないとは思ってる」
古雨は自分の手を見て、
「簡単に人を傷つけられる手だ。鋭い牙も、爪も……」
「あら」
夜竜が口を挟んだ。不思議そうに首をかしげて、
「貴方は人を傷つけたいという意思があるの?」
古雨は首を横に振る。
「でも、望まなくても俺にはそれだけの身体能力があるだろう?」
「あら、だったら何?」
夜竜は口元に笑みを浮かべ、
「私達は、確かに人間より強力な力を使えるし、私達に比べたら人間達の力は卑小なのかもしれない。だけどね、力があるからといって、私達が人に対してそれを使うとは限らないじゃない。人間は、武器を持っていると使うに決まっているという心理があるらしいけれど」
夜竜は弥生の髪をなでながら、
「古雨、貴方は自分を制することができる。それで十分でしょう?貴方の力を制御できる。怖いのはね、自制が効かない人よ。理由もなしに、自分の中に生まれた狂気を人に向ける。そんな人達の方が、貴方よりよっぽど危険よ」
微笑さえ浮かべながらそう言う夜竜を、古雨はあっけにとられたように眺めていた。
「世の中には狂気があふれている。普通の人にも、私や弥生にだって、負の感情が生まれることがあるはずよ。重要なのは、それを制御できるかできないかだわ」
夜竜は持っていた食器を、使い魔に渡した。
「誰かを殺したいと思うのと、それを実行するのとでは大違いなの」
「それは、そうだろうよ」
「それに、古雨は誰かを殺せる力を持ってるけれど、それを使う気はないんでしょう?」
古雨は胸を張って、
「当たり前だ。俺は教師という仕事に誇りを持ってる」
「それなら、弥生にばれたからといって何の問題もないでしょう?」
「まあ、そうだな」
弥生は古雨を見て、笑った。
「先生、俺が驚いたのは、夜竜さんの知り合いが俺の学校にいたことだ。先生が狼男だったことに、じゃない。夜竜さんが言ってた。闇に棲まう者はどこにでもいるって」
「ああ、人間達が気づかないだけで、あっちこっちにいる。俺達は」
「俺は、先生に傷つけられるとは思わない」
しばらくその真意をはかるように弥生の顔を見ていた古雨だったが、弥生の笑みに、古雨も笑みを返した。
「お前、学校じゃそんなに目立たないけど、意外に大物だったんだな」
「なんですか、それ」
夜竜はふふっと笑って、
「当たり前じゃない、私が選んだ人間よ」
「そうだな」
古雨は夜竜と握手を交わした。
夜も更け、一人また一人と帰っていく。
「楽しかった?」
夜竜が甘えるように弥生に尋ねた。弥生は微笑んで、
「はい。いろんな人に会えたから。夜竜さんは顔が広いですね」
「うふふ、今に弥生も有名になるわ」
そこにリキとレアが、紅亜に肩を貸しながら近づいてきた。
「おい、夜竜!この酔っ払いどうにかしろよ!」
紅亜は髪に負けず劣らず赤くなった肌をさらしながら、
「やっぽーっ!うっひょーい、きゃははははっ」
と、わけのわからない笑い声をあげている。
「……私には無理よ」
「お前に無理なこととかあるかよ!」
「きゃはははっはあはぁっおもしろーい!」
げんなりと紅亜を見ているレアとリキ。弥生は笑いながらその様子を見ている。それを見咎めたリキが、
「おい、弥生。お前笑ってないで手伝えよ」
「いや、俺の手には余るから」
「俺が運ぶよ」
そこに、古雨がやってきて、紅亜を担ぎ上げた。レアが笑って、
「さすが古雨君!」
「あら、古雨が送ってくれるの?」
夜竜が尋ねる。一方の紅亜は子猫のように古雨に擦り寄っていた。
「ああ、これじゃ一人では心配だろ?だれかれ構わず襲いそうだ」
「ふふ、そうね。自制がちっとも効いてないわ」
「それじゃあな。今日は招いてくれてありがとよ」
「ばいばい、先生!」
「おう」
古雨が紅亜を背負って魂夜堂を後にした。
レアとリキが同時に安堵のため息をついた。そのとき、電子音が鳴る。レアが携帯を取り出した。
「あ……」
それを確認したレアの頬が、ほんのり赤くなったのを弥生は見逃さなかった。
「なに?例の人?」
「あー、うん。私でてくるね」
レアはその場から離れた。その様子を、リキが何かを考えながら見ている。それをからかうように、
「貴方はお誘いの電話かけないの?夜はこれからよ」
「がらじゃねぇよ」
笑いながら夜竜に答えながらも、リキはまんざらでもないようだった。弥生も笑って、
「電話しろよ。待ってるかもよ」
「……そうだな」
リキも笑ってその場を後にした。
それを見送った夜竜が、満足そうな声を出した。
「良かった」
「ん?」
「みんな、楽しそうだった」
「そうですね」
夜竜は自分の胸に手を当て、目をとじた。
「昔から、みんないろいろと苦労してた。人間になじんで暮らせるのか、どうやって生きていけばいいのか、そんな悩みを抱えながら手探りで生きてきた」
「……」
「でも、今はみんな心から笑うことができる。正体を明かせなくても、夢を持って生きることができている」
弥生はそっと、夜竜の肩を抱いた。
「俺は、夜竜さんに出会えて本当に良かった」
「あら」
「夜竜さんに出会わなかったら、俺は知らないものに目を閉じたままだった。けど、今は違う」
夜竜が弥生の首に手を回した。
「知らないことを知れるってことは、良いことですよね」
「ふふ、弥生の癖に生意気ね」
二人以外誰もいなくなった魂夜堂の中、ランタンの光だけが二人を眺めていた。
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