魔性篇◆CASE4:残暑
弥生にとっていろいろと何かが変わった夏休みも終わろうとしていた。
夏の終わりが近づこうとも、暑さは去ることなく停滞している。
「あちーな……」
家を出た弥生は、日差しの眩しさに目を細めた。それでも、これから魂夜堂に向かうのだと思うと、夜竜に会えるのだと思うと、歩調が軽くなった。
魂夜堂が見えるところまで来た弥生は、魂夜堂の前に男が倒れているのに気づいた。
「は……?」
あまりに驚いて一瞬立ちすくんだ弥生だったが、すぐに男に駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか?」
男にはなんの反応もない。弥生はごくりとつばを飲み込んだ。恐る恐る腕に触れれば、氷のように冷たかった。
すぐに手を引っ込めた弥生だったが、背中を嫌な汗が伝った。
〝まさか、死んでるとか……〟
なんともいえない目で男を見るが、ぴくりとも動かない。
〝と、とりあえず夜竜さんを……っ〟
弥生は慌てて魂夜堂に駆け込もうとした。が、
「!!!!!!」
突然冷たい手に腕をつかまれ、飛び上がった。
「だっ、だ、大丈夫っすか……?」
弥生は暴れる心臓をなだめながら、再びしゃがみこんだ。
「……ぃ……」
「え?何?」
何かをつぶやく男。しかしよく聞こえない。弥生は男の顔に耳を近づけた。
「血……」
「へ?うわっ、ちょ?!」
男が弥生の首元に、鋭い牙を突き立てようとしているのに、弥生が気づいた。
「はいそこまで!」
突然割って入った夜竜の声に、男の動きが止まった。
扇子片手に呆れたように近づいてくる夜竜。
「弥生ちゃんの匂いがしたから首を長くして待ってたのに、なかなか入ってこないと思ったら変なのに捕まってたわね」
弥生はすぐさま夜竜のそばに移動する。
男はやはり身動きが取れないようで、顔だけを夜竜達に向けた。その顔に浮かんでいたのはにやにやとした笑顔だった。
「夜竜……血を……」
しかし夜竜は男を呆れたように見下ろし、
「人気モデルが様ぁないわね。動けないくせにその余裕の笑みはやめなさい。みっともないから」
「ま、ぁ……そ・・言うな」
夜竜はくるっと弥生を振り返った。
「弥生ちゃん、こいつ中に運んであげて」
「え、あ、わかった」
「貴方、弥生に噛み付いたりしたら承知しないわよ」
そう言い残して、夜竜はさっさと魂夜堂の中に入ってしまった。
弥生は仕方なく男の氷のように冷たい身体を支えてやった。
「わりぃ……な……」
魂夜堂に入った弥生は男を椅子に座らせた。その様子をただ見ていた夜竜は、呆れたようにため息をついた。
「なんでこんなになるまで放っておくのかしら」
夜竜の言葉にも、男は椅子にもたれながらにやにやしているだけだった。
弥生は男の顔をちらりと見て、
「あれ、この人……」
見覚えがあることに気づいた。
「リキ?」
男はへらっと笑った。
派手な銀の髪に、切れ長のシルバーブルーの瞳。常人離れした美貌。
「そうよ、人気モデルのリキ」
「え、そのリキがなんで……?」
弥生は夜竜を見た。先ほどからの様子から見ると、旧知の仲らしい。
「こいつね、吸血鬼なのよ」
「……えっ!」
「意外に多いわよ、モデル業界とかに。吸血鬼には見目麗しいのが多いからね」
息も絶え絶えのリキを放って、世間話を始める夜竜に、
「やりゅ……う」
リキが訴えるような声を出した。弥生との会話を邪魔され、夜竜は口を尖らせた。
「ふん、仕方ないわね」
ため息をついた夜竜は、おもむろに首元をはだけた。白いうなじが妙になまめかしくて、弥生は赤面する。
夜竜が首元をリキの口に近づけた。リキはにやっと笑うと、その首元に唇を寄せた。
弥生は、眉をしかめてその光景を眺めていた。
「やっぱり……んちゅっ……夜竜の……くちゅ……は、うまい……」
わざとらしく音を立てて、夜竜の首元を舐めまわすようにして夜竜の血を飲むリキ。
ぴちゃっ……くちゅっ……
夜竜はなんでもないような涼しい顔をしているが、弥生は気に入らない。
〝こいつ……ぜってぇ、わざとだ〟
弥生は面白くない。そんな弥生をよそに、夜竜は涼しい顔で、
「まだ終わらないの?」
などと聞いている。
ちゅっ……じゅっるっ……
赤い舌が、夜竜の白い首筋を蹂躙する。
その執拗で、なまめかしい舌使いに弥生はさらに顔をしかめた。
夜竜の、いつもは透き通るように白い肌が、心なしか桃色に染まっているように思える。
ぢゅるっ……はむっ……くちゅ……っ……
「んっ……」
夜竜が小さな声を上げた。弥生は完全に不機嫌な顔をしてそれを眺める。
なんでもないような顔をしていても、夜竜の体からは青白い火の粉のような燐が時折ちらつくのを、弥生は見逃さなかった。
「もう、いいでしょ?」
「まだ物足りない」
「もう駄目」
夜竜はばしりと扇子でリキをはたいた。
弥生はしらけた目でそれを見ていた。それに気づいたリキが、口元を拭いながら弥生を見た。
「なんだ、坊主、羨ましいのか?」
「ぼうっ……!」
大して見た目の年齢が変わらない相手から坊主呼ばわりされるのは気に食わない。
そんな弥生をよそに、リキはくっくと笑いながら、
「お前は女気がなさそうだもんなぁ。良いこと教えてやるよ。夜竜は首が感じ……」
「リキ」
夜竜の口から出た声は、恐ろしく低かった。
「弥生を侮辱するのなら、出て行きなさい」
夜竜の身体から激しく燐が飛ぶ。
「弥生を侮辱することは、私を侮辱するのと同じことよ」
鋭く歪められた眼光に貫かれたリキは、一瞬真顔になり、すぐにやれやれと肩をすくめた。
「結構本気なんだな、たかが人間に」
たかが人間、扱いに夜竜が顔をしかめる。しかしリキはふっと笑い、
「ま、たかが人間に現を抜かしてる俺が言うことじゃないよな」
リキの言葉に、夜竜が目を丸くした。それは、怒りを忘れるほど意外な言葉であったらしい。
「貴方が、人間を?」
「まあ」
夜竜はますます驚いたように、リキを見て、
「いったいどういう風の吹き回しなの?」
と尋ねた。
口を挟むとややこしくなると思った弥生は、黙ってそのやり取りを聞いている。
「貴方にとって、人間は性欲処理と食料調達の餌かと思ってたわ」
夜竜の口から出るあられもない言葉に、弥生は嘆息した。もうちょっと言葉を選んでもらいたい。
それを見咎めた夜竜が心外だとでも言うように、
「あら、本当のことよ」
「本当のことさ」
リキ本人までもそう言った。
「軽い人間は、俺の見た目だけで寄ってくる。一晩慰めてやって、軽く血を頂いて終わりだ」
弥生は呆れたように、
「首筋に傷があったら、気づかれて終わりなんじゃ?」
「んなへまはしねぇよ。俺らの唾液にゃあ、夢みたいに気持ちよくなれる成分と治癒力があるからな」
弥生はちらりと夜竜の首筋を見た。傷は残っていなかったが、それは夜竜の治癒力のためだけでなく、吸血鬼の唾液の治癒力のおかげであるらしい。
「で?貴方の氷のハートを手に入れてしまったアンラッキガールは誰なの?」
「ラッキーガールって言えよ、そこはお世辞でも」
夜竜はふっと鼻で笑って、
「美辞麗句は苦手なのよ。で?」
と言い放った。リキは苦笑して、
「カメラマンのアシスタントしてる奴」
と答えた。
リキは恥ずかしそうに、それでいて偉そうにふんぞり返りながら、
「なんか、潔癖な感じしたからさ、そいつ。顔合わせて、からかってるうちに、他の奴らと違う反応が可愛くて。そいつのこと考えたら、他の女と寝るわけにもいかねぇし、おかげで血液不足になった」
「馬鹿じゃないの」
夜竜が見もふたもなく切り捨てた。リキはさすがに傷ついたような顔になり、
「おい、俺の純情馬鹿にすんなよ」
「純情?貴方のどこに、そんな可愛らしい要素があるの?」
「お前な……どんだけ口悪いんだよ」
口ではそう言いながら、リキは笑っていた。
「こっちは貴方の今までの諸行を知ってるのよ?これくらいの反応が普通でしょう?」
「まあ、そうだろうな」
「で、レアはなんて?」
「お前と似たようなこと言われた」
突然出てきた知らない名前に、弥生は夜竜を見た。
「レアも吸血鬼で、怜愛(れいあ)ってモデルよ。リキの幼馴染みみたいなものよ」
「怜愛?!」
そのモデルも知っていた。プラチナブロンドの髪に、金の瞳の美女だ。
弥生の反応を見て、夜竜は顔をしかめた。
「何?弥生ってば、ああいう派手な見た目の子が好きなの?」
「えっ!?」
夜竜は口を尖らせて自分の髪を弄ぶと、
「髪の毛の色でも変えようかしら?」
「夜竜さんはそのまんまでいいから!」
いかんせん、夜竜が冗談で言っているのか区別がつかない。
そんな二人の様子を眺めていたリキが、微笑んだ。
「お前らが羨ましいよ」
夜竜がリキを見て笑った。
「貴方はどうしたいの?」
「ん?」
「その彼女とどうなりたいの?」
夜竜の言葉に、リキは寂しげな表情を見せた。
「自分でもわかんねぇってのが、正直なところだな」
「ふうん?」
「まさか、俺の正体を言えるわけでもない。付き合うとして、毎回血をもらうわけにもいかねぇ。まさか付き合い続けて、結婚なんかの話になったら受けられねぇ」
リキはため息をついた。
「第一、俺なんか受け入れてもらえねぇよ」
そんなリキの様子に夜竜は目を丸くして、
「あら、自信家の貴方らしくない」
「俺はお前の足元にもおよばねぇよ」
夜竜もふと真顔になって、
「まあ、貴方の気持ちもわからないでもないけれど」
夜竜は、弥生の手を握った。弥生が驚いたように夜竜を見た。
「奇跡のような確率よ、人間がそのままの私達を受け入れてくれることは」
「だろうな」
リキも嘆息した。
「でも、貴方はどうしたいの?」
「…………」
「柄にもなく女達を切ったり、私にその話をするくらいなんだもの。その子のことが好きで好きで仕方がないんでしょう?」
リキは肩をすくめた。
「柄じゃないってことは百も承知だ。けど、どうしようもねぇとも思ってる」
最初はいけ好かない男だと思ったが、こうやってうなだれるリキを見て、弥生は印象を改めた。
「本当にそれでいいわけ?」
「あ?」
いきなり口を挟んだ弥生に、リキが弥生を見た。
夜竜は目を細めて弥生を見て、微笑んだ。
「何も言わずに諦めるわけ?」
「お前な、お前みたいな奇特な人間はそうそういねぇんだよ」
「それなら人間として付き合えば?」
弥生の言葉に、リキは眉をしかめた。
「それができたら苦労しねぇだろうが。俺は人間じゃないんだぞ?長く一緒にいればぼろがでる」
「あんたに惚れさせればいいじゃんか」
「は?」
弥生はにやっと笑って、
「あんた、自信家なんだろ?あんたが人間じゃないってばれたときに、彼女が離れられないくらいお前のこと好きになってればいいじゃないか」
「……お前……」
リキは顔を歪め、
「お前な、ばれたときあいつが離れていったら、俺は相当傷つくぞ」
「傷つけばいいじゃねぇか」
「…………」
弥生のあまりの言葉に、リキが言葉を失った。
「傷つかない恋愛なんて、ないだろ?」
夜竜は何も言わずに、ただ微笑んでいた。
「あんたの場合、種族とか、もっと難しいことが問題になってるかもしれないけど、何もしないで諦めるくらいなら、傷ついたほうがましだ」
リキはじっと弥生の顔を見ていたが、しばらくしてふっと顔をほころばせた。
「簡単に言ってくれるぜ、こいつはよ」
「あら、弥生ちゃんは私が選んだ男よ」
「そうだな。これくらいの男じゃないと、夜竜とは付き合えないよな」
リキは笑う。
「少しずつ、前に進んでみるか。柄にもないけどな」
「良いじゃない。その子のことが好きなんでしょう?血が欲しければ、紅亜(こうあ)にいくらでも融通してもらえるように頼んでおくわよ」
「わかった」
リキはそういうと立ち上がった。そして、弥生に右手を差し出した。
「名乗り遅れたけど、俺はリキュラド=クリドアラ。お前は?」
「夜見弥生」
弥生は微笑んで、その手をとった。
先ほどは氷のように冷たかった手が、血の通ったように暖かくなっていた。
「あいつが恋、ねぇ。似合わない」
リキが帰った後、うふふと笑いながらそう言う夜竜は嬉しそうだった。
「随分嬉しそうだけど?」
「実は、この前レアが来たのよ」
「ん?」
「吸血鬼が人間に恋をして、幸せになれるのかって聞いてきてね」
夜竜はふふっと笑い、
「レアが誰かに恋をしたのかと思ったら、まさかのリキのことだったとは」
「そんなに意外なんだ」
「意外よ。あんなに冷めた男が人間に恋をしたなんて」
弥生は眉尻を下げた。
「でも、上手くいくといいのにな」
弥生は、前に夜竜が言っていたことを思い出していた。
『人は、信じられないようなことが目の前で起こっても、信じないことが多いのよ。自分の目を信じないで、気のせいで済ませてしまう。そうやって、存在を否定されてしまうことが多いから、私達は必死に『普通』を装って、人として生きている』
きっとリキは、そうやって自分の存在を受け入れられないことを怖がっている。
それは弥生には想像もできないほどの苦悩なのだろう。それなのに、あんなふうに軽々しく傷ついてしまえばいいと言ってしまった自分にため息をついた。
「上手くいくと思うわよ」
「え?」
夜竜はうふふと笑って、
「だって、その子、リキ達が人間じゃないってうすうす気づいているみたいなんだもの」
「……えっ?!」
「私が聞いたとき、レアはそう言ってたわ。相手はレア達の正体に気づいてるんじゃないかって言ってたから」
弥生は夜竜の言葉に、目をぱちくりさせ、
「変わってる人もいるんですね」
「でも、本当に幸せになれるといいわね」
夜竜が笑って、弥生に寄りかかった。頭を弥生の肩に乗せる。
その心地よい重みを感じながら、弥生は微笑んだ。
「さっき」
「何?」
「夜竜さん髪の毛染めるとか言ってたけど」
夜竜は上目で弥生を見た。
「俺はそのまんまの夜竜さんが好きだよ」
「あら、生意気」
ふふっと、夜竜は嬉しそうに笑った。
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