夜竜篇◆CASE1:追憶


 夜竜(やりゅう)は、部屋の中をのぞいた。するとそこには、疲れきったようにソファに崩れている弥生がいた。




 夜竜は数百年の時を生きる竜で、この魂夜堂(こんやどう)の女主人。この魂夜堂は、闇を抱えた迷える人達の心を解放するための相談屋だ。

 そしてこの弥生という男子高校生は、いたって普通の青年だった。しかし、夜竜にその存在を知られ、闇の一族だと言われてから、脅されるようにこの魂夜堂に通うようになった。最初は敬語を使ったりしていたのも、最近は夜竜にも慣れてきたようだ。




「弥生ちゃん?」


 声をかけたが、反応はない。気配を消して近づいた夜竜は、そっと弥生の顔を覗き込んだ。


〝寝てる……〟


 夜竜はふっと微笑んだ。起こすのも悪いので、そのまま静かにソファの隣に座り込んだ。床に直接座ることになるが、夜竜は気にしていないようだった。

 そうすると、弥生の顔が近くで見れた。夜竜は可愛いものを眺めるように、弥生の寝顔を見つめていた。


〝……弥生を見てると、あの人を思い出すわ……〟


 ふと夜竜の表情が、翳る。普段は思い出しもしないような、昔の日々が脳裏に浮かぶ。思い出したくなくても、忘れたくない思い出。二度と帰ってくることのない、追憶の日々。


〝洸(こう)……〟


 夜竜は、追憶の日々に身を沈めるように、目を閉じた。




 くだらないと思っていた。

 つまらないと思っていた。

 短い時しか生きられぬ人間など、どうでもいいと思っていた。

 長い時を生きている自分にとって、所詮人間など、取るに足らない生き物だと思っていた。

 魔性の者達から見れば、力も及ばない小さき卑小な存在。そういう風に思っていた。



 夜竜は蔑むように、自分を見上げる人間達を見下ろしていた。

 そこは夜竜の屋敷の応接間。何人もの村人がそこを尋ねていた。


「夜竜様、お願いします。この村を飢饉からお救いください」

「お願いします、もう食べるものがないんです」


 夜竜は、しらけたように村人達を見ていた。



 ここは、中国大陸にあるとある村。夜竜は力ある術者として、村人達に崇められていた。そんなある日、村を飢饉が襲ったのだ。

 村人達は夜竜にすがった。しかし、夜竜はそれが面白くなかった。


 所詮は今に死んでいく命を、今ここで救ったとして何が変わるのか。


 夜竜はそう思っていた。


「帰りなさい。今、私にできることは何もありません」


 小さい子供をつれた母親が、うつむいた。その母親に手を引かれる子供の腹は、栄養失調で膨らんでいた。空腹を紛らわせるために、水ばかりを飲んでいるのだろう。

 それを見ても、今の夜竜は何も感じなかった。


 貧弱で、卑小な人間が悪い。




 次から次へと屋敷にやってくる村人達に飽き飽きした夜竜は、屋敷の裏の森の広場にいた。そこは夜竜が作った庭で、ここなら村人達も入ってこない。

 能面のような無表情を顔に貼り付け、夜竜は空を見上げていた。どこまでも澄んで、青い空は、大昔と何も変わっていないように見えた。


 人間という卑小な生き物が地上をのさばるようになって、夜竜のような魔性の生き物達は人間の姿に変生して暮らさざるを得なくなった。

 そのことが、プライドの高い夜竜を傷つけていたのかもしれない。どうにもならない流れというものに巻き込まれ、卑小な人間の中に紛れて生きなくてはならないということが、夜竜には耐えられないのかもしれない。そのプライドの高さゆえに、認めたくないのであろうが。


「っ! 誰だっ」


夜竜は突如縄張りに入ってきた気配に振り返った。思わずに術を使って、その相手の動きを封じた。

 その人物は動かせない身体に、驚きをもって夜竜を見た。


「誰だ」


 夜竜の、敵意を見せる鋭い声。夜竜はまじまじとその人物を観察した。黒い衣装を身にまとった、黒髪の若い男。初めて見る顔だった。


「ここは私の領土だ」

「それじゃあ、あんたが夜竜?」


 身体は動かせずとも、言葉は話せる。身体の自由を封じたというのに、軽々しく声をかけられ、夜竜は顔をしかめた。怒りとともに、身体の回りを青白い燐光が舞う。


「あんたがこの飢饉を起こしてるって、本当か」


 男は、怒っているようだった。夜竜はそれを鼻で笑い、


「なぜ私がそんなことをしなくてはならないんだ」

「お前が人間じゃないっていうのは、本当らしい」


 かみ合わない会話だが、身体を動けなくした術のことを言っているらしい。


「そうだとしたら、なんだ」

「飢饉をさっさとなくせ」


 男の言葉を、夜竜は鼻で笑った。


「人の命など、私にとってはどうでもいい。死のうが、生きようが、私には関係ないんだ」


 夜竜の髪が、さわさわと風に乗ってたわめいている。夜竜の、吸い込まれそうな漆黒の瞳を、男がまっすぐと見つめていた。

 と、男は突然身体の自由を取り戻してバランスを崩した。夜竜が術を解いたのだ。


「帰れ。私は、お前と話すことなどない」

「お前じゃない。洸(こう)だ」


 男が――洸が言う。夜竜は気分を害したように洸を見る。


「帰りなさい」

「お前は、かわいそうなやつだな」

「…………」


 夜竜は沈黙を持って、洸を見た。洸は、哀れみの目を夜竜に向けていた。しばしの沈黙が二人を包んだ。が、それを破ったのは夜竜だった。


「自分の縄張りを持っているのに、他人の領土を奪うために争うような生き物を、私は救いたいとは思わない」


 夜竜は淡々と続けた。


「ささいなことで他人を蔑むような生き物に、私は好意を寄せたりはしない。人間など、卑小な生き物だ」


 洸が嘲るように夜竜を見た。


「あんたも、その人間と似たようなもんだ」

「何だと?」

「そういう風に人間を蔑んでるあんたは、人間と同じことをやってる」


 夜竜は目を見開いた。白い肌が朱に染まる。ごうと、風が吹き乱れる。


「馬鹿なことを……っ!」


 洸の言葉は、夜竜の逆鱗に触れた。鋭い牙をむき出しにして、髪の毛も逆立っている。


「人ごときの分際で、高尚な竜を馬鹿にするか!」


 ごくりと洸がのどを鳴らし、冷や汗が洸の額を濡らした。


「お前など、一噛みで食い殺せるんだぞ」


 ばしんっ


 派手な音が響いた。それは、洸が夜竜をひっぱたいた音だった。夜竜が信じられないものを見るように、洸を見た。


「お前など、怖くない!」


 夜竜はしばらく呆然とした後、身を翻してその場から去った。




『そういう風に人間を蔑んでるあんたは、人間と同じことをやってる』


 夜竜の頭から、洸の言葉が離れなかった。屋敷を閉めきり、村人を通れなくした夜竜は、自室に閉じこもった。

 窓から、空ばかり眺めていた。


「夜竜様」


 使い魔が、おどおどと扉越しに声をかけてきた。


「なんだ?」

「洸と名乗る人間が、夜竜様に会いたいと申しております」

「人払いをしているだろう」

「ですが、どうしてもとしつこくて……」


 私の手には負えません、と続ける使い魔に、夜竜は舌打ちして洸を応接間に通すように伝えた。

 応接間に向かった夜竜は、そこにいた洸と数日振りに再会した。

 洸は、傍目にもやつれて見えた。


「何の用だ」

「妹が死んだ」


 夜竜はため息をついて、


「それが、私に何の関係がある?」

「お前が飢饉を起こしているんだろう!」


 夜竜は呆れたように、


「前にも言ったが、私は人間が死のうが生きようが、関係ないんだ。飢饉など起こすために術を使って、私に何の得がある」


 疲れたようにも聞こえる夜竜の言葉に、洸はまじまじと夜竜を見つめ、


「本当に、飢饉を起こしているわけじゃないんだな?」

「くどい」


 夜竜はため息をついた。


「自然には、私も勝てない。できて、せいぜい雨を呼ぶことくらいだ」


 夜竜は首を横に振り、


「私は確かに竜だ。人間じゃない。人間には使えない術も使える。だからといって、それに無闇に頼ろうとする人間が嫌いだ」


 ふと、夜竜は天井を仰ぐ。


「だが、お前の言葉をずっと考えていたんだ。確かに、私は人間を嫌うあまり、盲目になっていたのかもしれない」


 洸は何も言わずに夜竜の言葉を聞いていた。夜竜は表情を和らげた。


「私は空を飛ぶのが好きだったのよ」


 ため息とともに、夜竜の口調が変わる。


「大昔は、自由に空を飛べたのに。今はもう、そうはいかない。人の姿で生きることを強いられている」


 夜竜の黒い瞳が、きらりと濡れて光る。その美しさに、洸は見とれていた。


「お前なんかに、こんなことを言っている自分も信じられない。だけどね、私はとても悔しいの。貧弱な人間なんかに、私達の居場所を奪われてしまったと、そういう風に思ってる。気高き竜の一族が、人間に劣ったように思えたから」

「どうして、そんな話を俺にする?」


 洸の言葉に、夜竜は肩をすくめて、


「お前が私を恐れなかったからよ」

「……お前ではない、洸だ」

「洸、ね。覚えておくわ。妹さんは、可哀想だったわね」


 洸は、悲しそうに笑って、


「俺だって、何もできなかった。金さえあれば、なんでもできると思っていた。だけど、妹が栄養失調で弱っていっても、金があっても駄目だった。買う食べ物がないんだから」


 自嘲気味に話す洸の話を、夜竜は静かに聞いていた。


「だから、貴女に頼ろうと思った。村人が噂をする、魔女に」

「魔女、ね」


 洸の身なりは、相当良い。そのことから見て、貴族なのだろう。


「金ならいくらでもあるのに、妹は助けられなかったんだ……」


 かける言葉が、みつからなかった。脆弱な人間だから、仕方なかったんだと、そうは思えなかった。


「村の被害は、どれくらいなの?」

「酷い」


 洸が首を横に振る。


「雨が降れば、状況はかわるかもしれないが」

「雨が降ればいいの?」


 洸が驚いたように夜竜を見た。


「本当に降るかどうかは、運だけど、雨乞いくらいならしてあげるわ」

「どうして?いまさら……」

「考えたからよ」


 夜竜は寂しそうに、


「どうあがいても、私は人間とともに生きていくしか道は残っていない。そうだとしたら、すねてひがんでいるなんて、子供の所業でしょう。気高き竜のすることではないわ。私には人間に使えない術が使える。それで、弱い人間を助けてあげるのが、仁ってものよね」


 言いながら、夜竜は衣服を脱ぎ始めた。それに洸は仰天する。


「ななななっ、何をしている!」

「服を脱いでいるのよ」


 あっさりと言われ、さっさと全裸になった夜竜に、洸は目のやりどころに困り、真っ赤に染まる。

 そんな洸は眼中にない様子で、夜竜は丁寧に着ていたものを畳んで椅子の上に置くと、窓を開け放った。そこから身を乗り出した。瞬間、眩い青の光がほとばしり、洸は目を瞑る。そして、開いたときには、そこには夜竜の姿はもうなかった。


「っ?」


 開け放たれたままの窓から、洸は身を乗り出す。下を見るが、夜竜の姿はない。


『上よ』

「な?」


 頭に響くように、夜竜の声が聞こえた。反射的に空を見上げた洸は、絶句した。そこには、この世のものとは思えないほど美しい、黒い竜がいた。

 その竜は、楽しむように空を昇っていく。細長い肢体に、はためく翼が見える。

 竜は、しばらく空をぐるぐる回っていた。十数分後、雷雲が集まり、空が暗くなった。それを見届けた竜が、ゆっくりと降下する。その動きに合わせるように、大粒の雨が大地に降り注いだ。

 唖然とそれを見つめていた洸は、見上げっぱなしの首が固まっているのにも気づかぬ様だった。

 一方竜は、雨と戯れるようにあちこちを飛び回り、漆黒の鱗を冷たく輝かせていた。

 しばらくして、竜は屋敷の方へと降りてきた。再び閃光に目を閉じた洸が目を開くと、目の前には雨に濡れた夜竜が、窓のふちに腰を下ろしていた。


「成功して、よかった」


 全裸の身体を隠そうともせず、夜竜は洸に微笑みかける。真っ赤な唇から、鋭い牙が覗く。雨に濡れて身体に張り付く黒い髪が、白い肌と相まって、洸の目には女神のように映った。


「久しぶりに、元の姿に戻れたわ」


 夜竜が腕を一振りすると、濡れていた身体がすぐに乾いていく。完全に乾いたのを確認した後、夜竜は服を纏った。


「洸?」


 窓際に硬直したまま、一言も発しない洸の顔を夜竜は覗き込んだ。洸の顔が真っ赤に染まる。


「どうしたの?」

「お、乙女の恥じらいというもの持て!お、男の前で服を脱ぐものがあるか!」


 夜竜は面白そうに笑って、


「洸は人間だもの。それに、見せて減るものではないでしょう」

「そういう問題ではない!」


 うろたえる洸に、夜竜は優しく笑いかけて、


「ありがとう」

「え?」

「洸のおかげで目が覚めた」


 呆けた声を出す洸を見ながら、夜竜は微笑む。それを見た洸の心臓が、激しく脈打つ。


「私は、馬鹿だったな。些細なことに囚われて、意固地になっていた。本当にありがとう」

「俺は、何もしていない」

「これから、私は人助けになることをしようと思う」

「ん?」


 ころころと表情を変える夜竜に、洸が戸惑う。


「長い時を生きてきた。たくさんの経験をしてきた。それを、迷える者達のために使おうと思う」


 何が夜竜を変えたのか、洸にはわからない。だが、初めてまともに人間とぶつかったことは、夜竜の中で大きな出来事だった。


「考えるきっかけをくれてありがとう。自分のおろかさに、気づけたわ」

「おろかなどと、そんな……雨を降らせてくれてありがとう」

「いいの。久しぶりに空を飛べて、嬉しかったから」


 本当に嬉しそうに笑う夜竜に、再び洸の心臓が暴れだす。


「雨が降ったからといって、食物がすぐ手に入るわけではないし、飢饉が収まるかどうかはわからないけれど、これが今私にできる精一杯よ」


 夜竜は洸を見て、


「妹さんを救えなかった分、貴方は村人達を守ってあげなさい」


 洸がはっとする。


「見たところ、貴方は貴族だわ。だとしたら、いつもはお屋敷で村人達の献上品でのうのうと暮らしていたのでしょう?」


 まさにその通りだった。


「私も人のことを言えた立場ではないけれど、貴方も、人助けできるといいわね」


 そう言い残した夜竜が部屋を出て行こうとした。


「待て!」


 呼び止められて、夜竜が振り返る。洸はためらった後、


「また、話がしたい」


 夜竜は微笑んで、


「私はいつでもここにいるから、尋ねていらっしゃい」


 そう言い残して、夜竜は自室に戻った。しばらく呆然としていた洸だったが、そのまま自分の居場所へと帰っていった。




 夜竜が呼んだ雨は、幸いにも恵みの雨となり、畑の食物も再び育つようになった。

 それでも村人達の食料は絶対的に足りず、洸は隣町や近隣の村に交渉し、食べ物を村に運んだり、医者を呼んだりして、村人達に無償の奉仕をした。

 その間にも、洸は何度も夜竜の屋敷を訪ね、夜竜の話し相手になった。


 そうして二人の時を共有しているうちに、夜竜も洸に心を許した。

 一緒にいることが、当たり前になった。支えあうことが、当たり前になった。

 笑いあい、同じ時間を過ごすことが、二人にとってかけがえのないものだった。


 しかし、夜竜は竜、洸はただの人間。

 別れは、夜竜にとってはあっという間にやってきた。



 洸が五十を迎えた頃、病に倒れた。



 床に伏せる洸を、泣きそうな顔の夜竜が見つめている。それを見た洸は、力なく笑った。


「そんな泣きそうな顔をするな」


 片や、二十半ばほどの美女。片や、病に伏した中年の男。それでも、二人の間には強い絆があった。


「俺がいなくなっても、夜竜は生きていくんだな。出会った頃と、ちっとも変わらない」

「洸……」


〝嫌だ……いかないで……〟


 洸の手をぎゅっと握る夜竜。彼女に微笑む洸。


「夜竜、いつか、空を思い切り飛べるようになると、いいな」


 夜竜がはっとして洸を見る。竜の姿となって飛翔したのは、あの日一度きり。空が好きだという夜竜の言葉を、洸は忘れていなかったらしい。


「洸、私……」

「もう、お別れだ……夜竜、とても長い時間を、一緒に過ごしてくれて、ありがとう……」


 幸せだった、とかすれた声で囁いた洸は、そのまま息を引き取った。


 夜竜は、その日、一人で泣いた。




 永い時間は、夜竜の心を癒した。

 夜竜が、人間に紛れた闇の一族を求めて、日本という国に渡り、魂夜堂という相談屋を開いたのは、洸との別れから数十年後の話。


 そこで出会う、かけがえのない青年。


〝弥生は、私を置いて逝かないで……〟




「っ?!」


 弥生が目を覚ますと、目の前に夜竜の顔があり、赤面する。夜竜は眠っているようだった。眠っている彼女を見るのは初めてで、困ったようにぽりぽりと頭をかく弥生。


〝起こすのも悪いな〟


 動くと起こしてしまいそうなので、弥生は仕方なくそのまま夜竜を眺めていた。

 黒い髪に、白い肌。桃色の頬に、赤い唇。本当に綺麗な顔で、口さえ開かなければと、弥生はつくづく思う。


〝こうやって寝てると可愛いのにな〟


「ん……こう……」

「?」


 夜竜の唇が言葉を紡ぐ。


〝こう?〟


 弥生はまじまじと夜竜を見た。夜竜の顔が、切なげに歪んでいる。夜竜の、そんな顔は初めて見る。


「こう……逝かないで……」

「!」


 夜竜の目じりから、涙が流れた。弥生は息を呑んだ。心臓が、痛い。


〝こう、って誰かの名前か?〟


 おそらくは、死んだ夜竜の大切な人。夢に出て、涙を流すほど、大切な人。

 そのことに、弥生の胸の奥の何かが悲鳴を上げる。

 ずきんと、心が痛む。

 弥生は、そっと夜竜の涙をぬぐった。


「っ」


 と、夜竜がぱちりと目を開いた。ばっちりと弥生と目が合う。


「お、おはようございます」


 動揺する弥生とは対照的に、夜竜は哀しそうに顔を歪めて、そっとその白い腕を伸ばした。


「!?」


 夜竜がそっと弥生の首に手を回す。いつも強気な夜竜の、そんな行動に、弥生の心臓は暴れてなりやまない。


「ど、どうしたんだよ、夜竜さん?」

「弥生は、どこにも行かないで」

「え?」


 ぎゅっと、夜竜の抱きしめる手に力が入る。


「弥生は、闇の一族だから、私を置いていかないでしょ?」


 夜竜の言葉に、弥生は困る。


 弥生が闇の一族だと繰り返す夜竜だが、弥生に特別な力があるわけでもない。

 だから、正直戸惑っていた。

 弥生が夜竜と一緒にいなければならない理由が見つからないから。


「夜竜さん……」

「約束して。弥生は、どこにもいかないって」


 だけど、そういう風に言われたら――、


「俺は、どこにも行かないよ」


 そう答えてしまう弥生は、随分夜竜に毒されているらしい。

 寿命も随分違う二人が、いつまでも一緒にいるとは思えないのに、心のどこかで、一緒にいることが当たり前のように思えてしまう弥生は、やはりどこか人とは違うのかもしれない。


 すると、


「弥生ちゃんのくせに、生意気ね」

「は?」


 夜竜はべぇっと赤い舌を出した。先ほどの哀しそうな表情はどこへやら、勝気に笑っている。


「弥生が私の傍から離れたくても、私が離すわけがないでしょう?」

「ちょっ、さっきまで夢で泣いてた人が何言ってんだよ」


 弥生の言葉に、夜竜の表情が一瞬翳ったことに、弥生は気づかない。


「弥生は、一生私の奴隷よ」

「そんなのは嫌に決まってるでしょう!」


 弥生の苦労は、どこまでも尽きそうにない。




 洸、私ね、大切なパートナーを見つけたのよ。

 その子は、まだ子供なんだけど、闇の血を引いているの。

 本人は気づいていないみたいなんだけどね。

 洸、貴方は、私がその子を選んだといったら、怒るの? 嫉妬する?

 でも、私を置いて逝った貴方が悪いんだからね。

 その子は弥生っていうんだけど、弥生が闇の力を開花させたら、私達は一生一緒にいられると思うの。

 弥生は私を置いて逝ったりはしないと思うの。

 それは、私の願いなのかもしれないけど、本当にそうなると良いと思ってる。

 いつか、貴方の元へと行くとき、私の隣にはきっと弥生がいるわ。

 でも、怒らないでね。

 私はもう、弥生のものなんだから。



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