弥生篇◆CASE4:初夢


『十二月は、ちょっとあちこち行かなくてはいけないの。使い魔を弥生ちゃんにつけておくからね』


 そう言い残した夜竜がいなくなってから早一ヶ月。何事もなく新しい年を迎えた弥生だったが、昨年はほぼ毎日のように夜竜と一緒にいたせいか、物足りない気がしてならない。


「お前は夜竜さんがどこにいるか知ってるのか?」

「みゃー」


 使い魔だという黒猫は一声鳴いて弥生の膝の上でまるくなった。

 黒猫のやわらかい毛並みをなでながら、弥生はため息をついた。



 紅葉の季節に出会った、夜見家の使い魔。

 準備が必要だと言っていた夜竜の言葉を考えると、夜竜は水面下で動いているのかもしれない。しかし夜見卯月の居場所は夜竜が知っているはずなのに、弥生には何も言っていかなかった。



「弥生?」

「ん、ああ、父さん」

「ああ、じゃない。ぼうっとして……大丈夫か?」


 正月ということで、久司は家にいた。


「考え事してただけだ」


 ため息とともに言う弥生に、久司はくすりと笑いを漏らした。


「なんだよ」


 むっとする弥生。


「すまん。いや、お前は夜竜さんに心を持っていかれているようだから」

「……」


 弥生は、久司の言葉に唖然とした。


「なに、悪いことじゃない。俺だって、睦月に会ったときは、睦月のことしか考えてなかった」


 恥ずかしげもなくそう言う久司に、弥生は呆れてしまう。


「俺が考えてたのは、そういうことじゃないよ」


 弥生は黒猫をなでながら、


「この前、卯月さんの居場所を夜竜さんがつきとめたって話しただろ?」

「ああ」

「会いたいと思うんだ。だけど、場所を教えてもらえなかった」


 弥生の言葉に、久司は肩をすくめて、


「夜竜さんは、お前を守るために教えなかったんじゃないのか?卯月さんが敵となるか味方となるかは、わからないんだろう?」

「……だとしても、俺は夜竜さんに守られてばっかりだ」


 手元の黒猫に目を落として、


「この使い魔だってそう。母さんは、命と引き換えに俺を守った。そして今、俺は夜竜さんに守られてる」

「弥生……」

「なんか、情けないなって思ってさ……」


 久司は弥生の肩を叩く。


「母さんが使ってたような力を、俺も使えるようになったらいいのに……でも、俺には何の力もない」

「……弥生、俺はただの人間だから、なにか良い事が言えるわけじゃないけれども、弥生が出来ることをすればいいんじゃないか?」

「俺ができること?」


 久司は頷いて、


「お前が守られてばかりは嫌だと思うのなら、足手まといにならなければいい。夜竜さんに余計な世話をかけなければいい」

「……でも、父さん、俺は夜竜さんを守りたい」

「弥生……」


 夜竜はまっすぐ父親の目を見た。


「夜竜さんは、いろんなことを俺には言ってないと思うんだ。きっとそれは俺が頼りないからだと思ってる。ただの人間だから、何も出来ないから、言えないでいる気がする」

「弥生、それは考えすぎなんじゃないか?」

「でも、俺は夜竜さんと一緒に生きるって決めたから、そういうのは嫌なんだ」


 弥生の強い声に、久司は口を閉ざした。


「ほんと……難しい」

「あまり、考えすぎるな。もう寝ろ」

「……わかった。おやすみ」

「ああ、おやすみ」


 黒猫を抱きかかえて、弥生は寝室へと向かった。




『お客様がおかけになった番号は、現在電波の届かな……』

「……夜竜さん、いったいどこにいるんだよ……」


 夜竜がいなくなってから、夜竜の携帯はずっと電源が切られている。


「なあ、お前のご主人様はどこにいるんだ?」

「みゃー」


 眠たそうな使い魔の鳴き声に、弥生は笑う。


「お前も知らないのか」

「みゃう」


 早く寝ようとばかり、使い魔が弥生のベッドに飛び乗った。弥生もすぐにベッドに入った。


「おやすみ」

「みゃ」


 布団にもぐりこんで、顔だけ出した使い魔が鼻で鳴く。そのふてぶてしい様子が、どことなくその主に似ているような気がして、弥生は微笑みながら、目を閉じた。




 目を開けると、そこは真っ暗闇の世界だった。


「……?」


 弥生は驚いて辺りを見回す。

 何も見えない。


〝ここは……?〟


 暗闇の中、弥生は困惑した。自分以外、何も見えないのだ。

 目を凝らしても、何も見えない。


 途方にくれた弥生は、適当に歩き出した。

 歩けども歩けども、見えるのは闇ばかり。


〝夢……だよな。当たり前か〟


 ぼやきながらも、妙に意識がはっきりしているので、気味が悪い。

 夢というよりも、意識だけが異空間に飛ばされたようなそんな感覚だ。


〝これ……初夢だよな……〟


 新しい年が明けて初めての夢が、こんなに得体の知れないものということに、弥生はがっくりした。


 ふと、視界の隅に何かが引っかかった。

 弥生はそちらを見て、目を凝らしてみた。不明瞭だが、闇の中に何かがある。


〝なんだ?〟


 弥生は何とはなしにそちらへ歩いてみた。

 近づいてみると、それは全身を映せるほどの姿見だった。


〝鏡……?〟


 弥生は鏡の正面に立って――、硬直した。

 鏡に映っていたのは、弥生の姿ではなかった。そこに映っていたのは、黒い影だった。

 闇が人型を無理矢理模っているかのような、漆黒の影。


〝なんだ……これ……〟


 あまりにも不気味なそれに、弥生が後ずさった。


―― お前に守りたいものはあるか?


「っ」


 突然、声が降ってきた。


 それは、まさしく降ってきたというのに相応しい声で、低く頭に直接響いているかのようだった。

 弥生は鏡を見つめる。漆黒の影が、蠢いている。


―― お前に守りたいものはあるか?


 弥生が何も答えないでいると、再び声が降ってきた。

 漆黒の影は弥生を捕え、弥生は鏡の前から動けなくなっていた。


〝守りたい……もの?〟


 質問について考えたとき、弥生の頭に浮かんだのは夜竜の顔だった。


「……ある」


 冷や汗をかきながらも、硬い声で弥生は答えた。


―― お前にそれを守る力はあるか?


 再び降ってきた声に、弥生は唇をかんだ。そして、首を横に振った。


―― お前にそれを守る力はあるか?


 しかし声は、同じ質問を繰り返す。


「ない」


 むっとしながら、弥生は答えた。

 しばしの沈黙が流れる。


 そして再び声が降ってきた。


―― 守るための力が欲しいか?


「欲しいっ!」


 考える必要もないというふうに、弥生は即答した。

 しかし、鏡の中の影が不気味に肩を揺らした。

 それは、嘲笑っているかのようだった。


―― 力が欲しければ、努力すればよかろう


 その声に、弥生は一気に頭に血が上るのを感じた。


「努力で手に入るもんなら、とっくにやってる!」


 鏡を掴んで、大声で叫ぶ。それは、溜まっていた鬱憤を晴らすかのような、そんな今まで感じたこともないような激情だった。


〝ああ、これは夢なんだ……〟


 もう一人の冷静な弥生が、感情を高ぶらせる弥生と同じ空間に同居している。


「俺はただの人間で、何の力もないのに!特殊能力が持てるわけでもないんだろ!努力で手に入るなら、努力してる!」


 影に八つ当たりして、どうなるでもない。

 それでもやめられなかった。弥生は、力任せに鏡を殴りつけた。


 ぴしっ……


 鏡に、ひびが入った。


―― お前には、本当に力がないのか?


「は?」


―― 闇の血を引く者よ


 その言葉に、弥生ははっとする。

 ひびの入った鏡の向こうで、漆黒の影が弥生を見つめていた。


―― 我は知ってるぞ。お前が何者か。そして、お前も知っているだろう。我が、お前が、何者か


「……闇の、一族……」


 弥生は呆然と呟いた。そして、徐々に鏡に入ったひびが広がっていっているのに気づいて、息を呑んだ。


―― お前は、忘れているだけだ。力の使い方を


「おっ、お前が知ってるなら、教えろよ!」


―― 思い出せ。お前は、力の使い方を、知っている


 ぱあんっ


「っ」


 耳を劈くような音を放って、鏡がはじけて消えた。




 その瞬間、弥生は目を覚ました。


「……はぁ……はぁ……」


 心臓が、全力疾走の後のように暴れている。


「みゃ?」


 突然飛び起きた弥生を、使い魔が不思議そうに見上げた。


「今のは……」


 時計を見れば、三日の午前三時半だった。


「丑三つ時かよ……」


 初夢が奇妙な夢で、しかも丑三つ時に起きるとは、不吉だ。

 しかし、妙にリアルな夢だと、弥生は思った。

 いつもならぼんやりとしか思い出せない夢なのに、今回の夢ははっきりと思い出せる。


「……俺は、使い方を知っている……?」


 弥生が切望している力の使い方。それを知る術はあるだろうかと、考えてみるが、答えはひとつしかなかった。


「夜見、卯月……」


 おそらく、全てを知っているであろう人物。夜見家がなんであるかを、知っているであろう人。


「みゃああああああぅっ」


 突然、使い魔が毛を逆立てて戦闘体勢に入った。


「ど、どうした?」


 弥生は使い魔が見ているほうを見て、はっと息を呑んだ。

 窓の外に、カラスがいた。


「まさか……夜見卯月……?」


 毛を逆立て、唸り続ける使い魔をなだめ、弥生は恐る恐る窓を開けた。


「夜分ニ、失礼スル」

「……夜見、卯月さん?」

「ソウダ。ソシテ、オ前ハ夜見弥生トイッタナ」


 使い魔を通しての声には、敵意は感じられなかった。


「オ前ト共ニイタ竜ノ結界ガ強ク、今マデ警戒シテイタ」


 カラスが首をひねる。


「先ホド、強イ闇ノ力ヲ感ジタガ、オ前デハナカッタノカ?」


 弥生は首をかしげた。カラスとじっと見つめあう。


「ソウカ、オ前ハ力ヲ使エナイノカ」

「……ああ」

「睦月ハ、何モ教エナカッタノカ?」


 その言葉に、弥生は唇をかんだ。幼い弥生を残して、早くに亡くなった睦月――。

 その様子に何かを悟ったのか、カラスはそれについては触れなかった。


「オ前ハ、私ニ会イタイカ?」

「え?」


 思わぬ言葉に、弥生は身を乗り出した。


「会えるんですか?」

「オ前ガ、望ムノナラ。同ジ夜見家ノ者、敵対スル気ハナイ。今ノトコロハ」

「……今のところ?」


 カラスがくっくっと喉を鳴らした。


「全テハ、オ前ト共ニイル竜ノ出方次第」

「……夜竜さんの……」

「コレヲ」


 カラスが右足を弥生の方へ伸ばした。そこには白い紙が結び付けてあった。弥生はそれを受け取る。


「ソレガ、私ノ住家ダ。私ハ動ケナイ。モシモ会イタイノナラ、オ前カラ出向クトイイ」

「まっ……」


 そのままカラスは飛び去ってしまった。


「…………」


 紙を広げてみると、そこには住所らしきものが書かれていた。

 弥生はしばらく考えて、夜竜の携帯に電話を掛けてみた。


『お客様の……』


 電子アナウンスが聞こえてきた瞬間、弥生の心は決まった。


〝夜見卯月に、会いに行こう。俺一人で〟




 初夢に出てきた闇が言った。弥生は力の使い方を知っていると。

 だから弥生は信じたくなったのだ。


 自分に、夜竜を守れるだけの力があるということを――。




 初夢は、一年の吉凶を決めるという。

 果たして、この夢が弥生にとって吉とでるか凶とでるかは、当の弥生にもわからなかった。

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