弥生篇◆CASE3:猛暑
むわっとした熱気が辺りを包み、絶えることのない日差しがアスファルトを熱す。
こんな中、外へ出る気にもなれず、弥生はソファに寝転がりながら窓の外を眺めていた。
蝉の鳴き声を聴きながら、ぼんやりとする。
〝蝉は、こんな暑いのに元気だなぁ……〟
長い歳月を土の中で過ごし、外界ではたったの一週間で散っていく蝉の命。
あの小さな体で、必死に喚き鳴いて、自分はここに存在していると存在証明しているようにも思える。
『弥生、私が貴方のそばにいる限り、力の覚醒していない貴方を誰にも殺させたりしない』
ぼんやりとしながら、頭に浮かんだのは、夜竜の顔だった。
弥生は顔を歪ませる。
夏は嫌いだった。
正確に言うと、夏休みが。
いつもは喧騒の中忘れていられることを思い出すから。
大好きだった夏は、あの日を境に哀しいものになってしまったから。
そんな想いを紛らわせるように、弥生は目を閉じた。
「弥生」
大好きな声に呼ばれ、弥生は目を覚ました。
「ん……お母さん」
「こんなところで寝てたら、風邪ひいちゃうよ。夏風邪は厄介なんだからね」
そういって、優しい笑みを浮かべる女性――夜見睦月(やみむつき)。腰まである真っ黒のな髪に、真っ白な肌。灰色の大きな瞳が細められている。
幼心にも、弥生は美人の母親を自慢に思っていた。
「お父さん、遅いから」
弥生は寝転がっていたソファに、座りなおした。母親を見上げるその瞳は、彼女と同じ色だ。
睦月は微笑んで、弥生の隣に座った。
「久司さんは、遅くなるから、先に寝なさい」
「……」
むすっとして、不満そうに母を見る弥生。
睦月はふふっと笑って、
「そんな顔しないの。せっかくの男前が台無しよ」
そう言って温かな手で弥生の頭をなでた。
睦月は不思議な雰囲気を持っている。
夜になると特にそうだ。
弥生は時々不安になる。
母親がどこか遠いところへ行ってしまうような、そんな不思議な予感。
この世界に存在していながらも、浮世離れしているような、そんな儚げな存在感。
そんな不安が、母親に抱きつくという単直な行動に現れる。
自分に抱きついた弥生を、睦月は穏やかな表情で受け入れる。
「どうしたの、弥生?また不安なの?」
いつもそう。睦月は弥生が考えていることがすぐにわかる。
睦月は一瞬だけ笑みを消し、そして穏やかに笑った。
「弥生、強くなるのよ」
「お母さん?」
「貴方には、誰も敵わない力がある」
幼い弥生にはその意味がわからず、首をかしげた。
「覚えていて。貴方には誰にも負けない力がある。貴方に守りたいものができたとき、きっとそれが助けてくれるから」
「お母さん、何の話?」
睦月は寂しげに笑う。
「弥生、夜と友達になるのよ。闇を怖がらないで」
「?」
疑問符を顔に浮かべる弥生、しかし睦月は真剣に話しかけていた。
「何も不安に思うことなんてない。弥生には力があるから。だから、強くなりなさい」
「うん、わかった」
難しいことはわからなかったが、睦月の強くなりなさいという言葉に、弥生はうなずいた。
そんな弥生を睦月は抱きしめた。
「いつか……お母さんがいなくなっても、弥生は強く生きるのよ」
「お母さんはいなくならないよ!」
びっくりしたように言う弥生に、睦月は悲しそうな顔をした。
「さあ、もう遅いから。寝なさい」
「ねえ、お母さんはどこにも行かないよね!」
ベッドの中に入っても答えをねだってぐずる弥生は、しばらくしたら疲れたのか眠りについた。
睦月はなんともいえない顔で弥生の寝顔を眺めていた。
「弥生……?」
懐かしい夢にまどろんでいたところに声をかけられ、びくりと体がはねた。
「なんだ、こんなところで寝て」
「父さん……」
弥生が窓の外を見れば、もう真っ暗だった。
「うわっ、こんな時間かよ」
驚いた弥生だったが、久司がなんともいえない顔で弥生を見ているのに気づく。
「え、何?」
何かをはばかるような視線に、弥生は訝しげに父親を見た。
「睦月の……夢でも見ていたのか?」
「っ」
驚きもあらわに弥生は目を見開いた。
「なんで……」
「お母さん、どこにも行かないよねってつぶやいてた」
久司がため息をついて、弥生の隣に座った。
夢の中ではそこにいたのは、睦月だった。でも、現実には弥生はもう17で、睦月はこの世にはいない。
「睦月が恋しいのか?」
久司の言葉に、弥生はふっと笑って、
「母親を求めるような年じゃあねえよ」
その言葉に偽りはなかった。しかし、久司の心中は複雑なものであったらしい。
「俺が言ったこと、気にしてるのか?」
弥生は横目で父親を見た。久司は自嘲気味に笑って、
「すまんな。突拍子もないこと言って。夏が近づくと、妙にうずくんだ。あんな話信じられるわけないよな……」
「父さん……」
弥生は、強く降り続いていた雨がやんだ頃に交わされた会話を思い出していた。
七月に入ってすぐのこと、珍しく早く帰っていた久司に、魂夜堂から帰ってきた弥生が鉢合わせた。
久司は驚いたように、
「お前、こんな時間に帰ってくるのか?」
「まあ……」
夜も遅い時間に、制服姿で帰ってくれば驚くだろう。
「だが……気をつけろよ、特に夜は……」
「?」
ネクタイを解きながら、久司は言葉を濁した。自分も制服を脱ぎながら、弥生は久司を見た。
久司はどこか悲しそうな表情を浮かべている。
「どうしたんだよ」
久司は、ソファに座りながら、眉をしかめた。
「お前は……信じないかもしれないが」
「ん?」
「世の中、信じているものが全てだとは限らない」
弥生は驚く。
「人が信じていないだけで……存在しているものが、確かにある」
久司は疲れたように、頭を抱えた。そんな父親が、一気に小さくなったように思えた。
弥生の頭の中に浮かんだのは、もちろん魂夜堂のことだった。
「父さん、なんでそんな話……?」
いきなりそんなことを言い出した父親の意図がわからず、弥生は戸惑ったような声を出す。
「すまん……忘れてくれ」
「父さん」
弥生が怒ったような声を出すが、久司は何も言わない。
「……もしかして、母さんに関係あるのか?」
「っ」
弥生の言葉に、久司は驚いたように弥生を見た。
考えなかったわけじゃない。
夜竜が自分の母親について聞いたときから、ずっと考えていた。
突然、自分の世界から消えた母親。
それが、彼女のひいていた闇の一族の血のせいだったとしたら。
「ど……うして……」
「やっぱりそうなのか?」
久司は、あまりの衝撃に言葉を失ったようだった。
「母さんが死んだのには……なにか理由があったのか?」
「お前、何を知ってる……?」
「父さんは何を知ってるんだよ」
苛立ったような声が出た。
「俺には、母さんの血が流れてる」
「……弥生」
「夜見家の血が流れてる」
弥生の言葉に、久司は何かを悟ったようだった。
「お前は、知ってるんだな、何もかも」
「……じゃあ……」
「誰がお前にそれを教えたのかは気になるが……睦月は、夜見家の血を継いでいたから殺されたんだ」
あの日、そう言ったっきり何も言わなかった久司。
きっと、夏が苦手なのは久司も弥生も同じなのだろう。
妻を、母親を、睦月を亡くした夏が。
「父さん、明日は早く帰ってくるのか?」
「……ああ、その予定だが、なんだいきなり」
「会わせたい人がいる」
弥生はそう口に出していた。
弥生の様子に、久司は何か悟ったのか、真面目な瞳で息子を見た。
「それは……」
「俺のことを、わかってくれる人。父さんの悩みを、わかってくれる人だと思う」
「……そうか」
久司は翌日、早めに帰宅することを約束した。
翌日、弥生は魂夜堂に来ていた。
「あら、弥生ちゃん、私服……あ、世間は夏休みだったわね」
いつもと変わらない夜竜の笑顔に、弥生はほっとする。
七夕のあの日、弥生を守ると誓った夜竜。
だけど弥生は、それ以上に夜竜を守りたかった。
いくら夜竜が竜で、弥生が使えない異質な力を使えるとしても、弥生は男だ。
だから、ときどき弱さを見せてくれる夜竜を、守りたかった。
「最近暑いわよね」
汗もかいていない夜竜に言われても、現実感が伴わない。
弥生はいつもの椅子に座ると、
「夜竜さん、今夜は時間ある?」
「あら、何?魂夜堂だけに今夜どう、って?」
弥生は呆れたような視線を夜竜に向けた。
夜竜はけろっとして、
「何よ。わかってるわよ、面白くないってことくらい」
弥生はほんの少し夜竜の頬が赤くなっていることには、触れないでおくことにした。
「昨日は弥生が来てくれなくて寂しかったわよ」
「あー……ごめん」
弥生は言葉を濁した。
そんな煮え切らない弥生の様子に、夜竜は、
「どうしたの?何があったの?」
何かあったの、ではなく、何があったのと聞くあたり、夜竜はやはり鋭い。
「昨日、母さんの夢を見た」
「…………」
夜竜は、静かな声で語る弥生を見つめた。
「俺、夏は苦手なんだ。母さんが、夏に死んだから」
「そう、なの」
弥生は、取り乱すわけでもなく、穏やかに続けた。
「俺はまだ小さかったから、よくわからなかった。ある日突然、母さんが死んだって聞かされた」
夜竜は何を言うでもなく、弥生の話に耳を傾ける。
「それまでは、ずっと元気だったのに、いきなり病気になって死んだんだ」
「……病気?」
弥生はうなずいた。
「母さんは突然起きられなくなった。体の自由を奪われたみたいに、どんどん衰弱していった……って、父さんが言ってた」
夜竜はそれを聞いて、考える顔になる。
「なあ、夜竜さん、俺、昨日母さんの夢を見た」
夜竜は視線だけで先を促した。
「昔の記憶だったけど……母さんは、何かを知ってるみたいだった。そして、俺に言っていた。俺には力があるからと」
弥生の言葉に、夜竜は笑みをこぼす。
「弥生が闇の一族の血を引いていることは、ほぼ間違いがないわね」
「自分でも信じられないけど」
「でも、私にもどうやって力を覚醒させられるかはわからないわ」
弥生は、ふと母親の言葉を思い出す。
「守りたいものができたとき、力が助けてくれるって、母さんが言ってた」
「守りたいもの?」
「よくはわからないけど、俺は受け止めてみようと思う。自分に闇の一族の血が流れているということ。本当は違うかもしれないけどさ」
夜竜は、そっと弥生の手を握った。
「弥生、凄く男らしくなったじゃない。惚れちゃいそう」
「ずっと惚れてるくせに」
「あら、生意気」
夜竜はふふっと笑った。
「それでさ、夜竜さん、今夜、うちにこない?」
「え?」
弥生の言葉は、夜竜には予想外だったようだ。驚きに、漆黒の瞳が彩られる。
「父さんと、話してみないか?」
「…………」
夜竜は遠慮がちに俯く。
「弥生は、私が人間ではないとわかってて、それを言ってるの?」
「そのつもり」
夜竜は言いにくそうに、
「弥生は私を受け入れてくれているけど、私は普通の人間がそんなに優しくないってわかっている」
「夜竜さん……」
「弥生のお父様がそうだといっているわけじゃない。でも、その方は奥方を闇に棲まう者に殺されたと思っていらっしゃるのでしょう?そうだとしたら……」
そこで夜竜はいったん言葉を切り、
「私が貴方と一緒にいることを快く思われないんじゃないかしら」
それは、いつも傲慢な夜竜が信じられないほどの弱気な発言だった。
弥生は、そんな夜竜を安心させるように笑った。
「父さんなら、何か知ってるかもしれない」
「でも……」
「俺が一緒にいるんだから、大丈夫」
夜竜は、弥生の言葉にうなずいた。
夜になって、昼間の熱気が逃げようとも、まだまだ暑さが抜けきらない。
そんな夜道を夜竜と連れ立って、弥生は帰路についていた。
家の前につくと、夜竜は不自然に足を止めた。
「夜竜さん?」
「ここが、弥生のおうち?」
「ああ」
夜竜は険しく顔を歪めた。
「どうしたの?」
「爪跡が視える」
「え?」
夜竜は哀しそうに眉尻を下げた。
「随分古いものだけど、空間にひずみを残すほどの大きな爪跡……」
弥生は驚いて夜竜を見た。
「弥生が無事で、本当によかった」
「……さ、中に入ろう」
弥生は夜竜を家の中に招き入れた。
玄関に一歩踏み入れたときから、夜竜は興味深げに辺りを見回している。
「そんなに珍しい?」
「いや、ここが弥生が大きくなった場所かと思うと」
弥生は思わず微笑む。
「まだ父さんは帰ってこないと思うから」
「……」
夜竜ははっと顔を上げた。
「結界……?」
「え?」
「もう古くて、弱まってるけど、結界が張ってある」
弥生が驚きに目を見張った。
「ただの人間や、ちょっとした異能力者にできるものじゃないわ」
そのとき、玄関が開く音がした。びくりと夜竜が体を震わせる。
リビングに顔を出した久司が、夜竜を見て驚いた顔をする。
夜竜は深々と久司に頭を下げた。
「こちらが……?」
「夜竜と申します。夜分遅くにお邪魔しております」
「これは、ご丁寧に……夜見久司です」
久司は弥生を手招きした。
「お前、こんな綺麗なお嬢さんを連れてくるなんて、先に言ってくれればよかったのに!」
「おい……」
小声でささやいていても、耳のいい夜竜には丸聞こえだろう。
夜竜はそんな親子のやり取りをよそに、ぴんと背筋を正して、真剣な面持ちで久司を見ていた。それは、どこか緊張しているようにも見えた。
「あのな、父さん……夜竜さんは、実は……」
そこまで言って、弥生はなんて説明すれば言いかわからず口を閉ざした。
「はじめまして。お父様は、私が人間ではないと言ったら信じてくださる?」
夜竜の言葉に、久司の顔色が変わった。
「これは人に化けた姿。私は、竜なのです」
「……それは……」
「私は弥生が闇の一族の血を引いていると感じたから、彼に近づきました」
馬鹿正直にそういう夜竜に、弥生は呆れた。
〝もっと言いようがあるだろうに……〟
「……貴女は、弥生をどうするつもりですか?」
無表情に近い、真面目な顔で久司は尋ねた。
どんな葛藤があったのかはわからないが、すんなりと夜竜が人ではないという事実を受け止めた父親に、弥生は少なからず驚いた。
「永い時をともに過ごすパートナーにするつもりです」
迷いのない夜竜の言葉。久司はその言葉の真意を見定めるかのように、品定めするかのように夜竜を見ていた。
「貴女は、どうして弥生がなんとかの一族だと思われるんですか?」
「匂いが、只者じゃなかったから」
「弥生がその一族だとして、どうして貴女は弥生を求めるんですか?」
尋問にも似た久司の強い口調。しかし夜竜はいつもの調子で答えている。見ている弥生のほうがはらはらさせられる。
「私達と、人間では、寿命が全く違います。私はかつて、一人の人間を愛しました」
弥生が驚いて夜竜を見た。
「それまで私は人間ではないことに驕り、卑小な人間を蔑んでいた。だけど、そんな私を変えてくれた人間を愛しました。ほんの短い間だったけれど、一緒にいられて幸せだった。でも今度は、一生をともにできる相手と一緒に過ごしたい」
夜竜は弥生を見つめた。優しい目。浮世離れした美しい相貌に秘められた熱い想い。
「それなら、貴女は弥生が闇の一族でなかったらどうでもいいと?」
「どうでもいいと言っている訳じゃありません。弥生が闇の一族であったことは、私達が出会うきっかけだっただけです。私は弥生自身を求めているの」
真剣な夜竜の瞳に、久司は思うところがあったらしい。
ふうとため息をついた。
「貴女の言葉に嘘はないようだ」
「中途半端な気持ちで、貴方に会いにきたりはしないわ」
夜竜もいつもの調子に戻った。久司が肩の力を抜いた。
「貴女が言うように、夜見家が闇の一族かどうかというのは、本当は俺も知らない。夜見家に生まれたのは睦月であって、俺はその夫だ」
「でも、弥生は奥様の血を引いている」
久司はぽりぽりと頬を掻きながら、
「これは俺が睦月から聞いた話だが、夜見家は代々不思議な力を使えた一族らしい」
「それは、いつの頃から?」
「平安の時代には陰陽師として知られていたらしい」
その言葉に、弥生が反応した。
「え、まじで?」
「あくまで、聞いた話だ」
「なんで俺に言わないんだよ」
「タイミングを失っただけだ」
夜竜はふっと笑ってそんな二人のやり取りを眺めている。
「千年前のこととなると、私が生を受けた頃には姿を消していた闇の一族が、人間の世に現れていてもおかしくはないわね」
久司は夜竜を見て、
「夜見家自体が表に出たわけではないが、安部晴明の栄光の陰にも夜見家がからんでると、睦月から聞いた」
「まじかよ」
弥生は寝耳に水のその言葉に、唖然とする。
夜竜は何か思うところがあったらしく、
「せっかく人間に紛れたのに、力を公にしたら意味がないものね。人間と交配するうちに力が弱まったのかしら?」
久司は首を横に振った。夜竜が首をかしげる。
「詳しいことは本当にわからないが、申し子の誕生のために、夜見家の先祖は自分達の力を魂に閉じ込めたとか、精神世界に封じ込めたとか……」
この言葉には弥生だけでなく、夜竜の顔にも疑問符が浮かぶ。
「申し子……救世主とか、そういうことなのかしら。闇の一族が魔王としての復活を視野に入れていたとしたら、その申し子とやらは魔王ということになるのかしら……」
独り言のようにつぶやく夜竜。
久司は困ったように、
「卯月さんに聞いてみたらどうだろう」
「誰だよ、それ」
夜竜が視線だけを久司に向け、弥生が尋ねる。
「睦月のいとこに当たる人らしい。ただ、どこにいるかはわからないんだが」
「曖昧ね」
夜竜の正直な言葉に、久司も苦笑する。
「貴女の言う闇の一族が、本当に夜見家のことなのかは正直わからないが」
「これだけの史実を考慮すると、そうとしか考えられない」
夜竜の言葉に、久司は考える顔になり、
「ということは……もしかすると、弥生の命は危ないのか?」
「今まで弥生が無事だったのは、お母様の結界のおかげだったようね。でも、その結界も古くなっているわ」
「睦月の……」
夜竜はふと久司を見て、
「大きな爪跡が視える。奥様は、強大な力に必死に立ち向かったのだと思うわ。幼い弥生を守るために結界を張って……でも、体が耐えられなかったようね」
「……」
久司が唇をかみ締める。
「俺は、あいつを守ってやれなかった」
「……父さん……」
弥生がそっと、父親の肩をたたいた。
「弥生は、私が守る」
「夜竜さん……」
久司が夜竜を見た。
「私に任せて」
「息子を、よろしく」
夜竜はにこりと笑って、
「弥生を、人ではないものにしてしまったら……ごめんなさいね」
「ああ」
夜竜の言葉に、久司は笑った。
「送っていくって」
「いいわよ。夜は私の土俵よ」
玄関まで出て、靴を履こうとする弥生を夜竜がとめた。
「お父様と一緒にいてあげなさい」
「でも……」
夜竜の笑みに、弥生は黙る。
「すっきりした?」
「え?」
「いろいろ、わかったでしょ」
弥生はうなずいた。
「まあ、そうかもしれない」
「ここまでわかったら、焦る必要もないわね」
「ああ」
夜竜が弥生の手に触れた。
「私の知り合いを総動員して、夜見卯月を探し出すわ」
弥生は笑って、
「なんか、夜竜さんがそんなこというと、ちょっと怖いな」
「なによ、まだ慣れないの?」
目が合って、二人して笑う。
「お母様が命を張って守ってくれた命ね」
「……そうだな」
夜竜はそっと弥生の頬に触れる。
「貴方のお母様のおかげで、私は弥生に逢えた」
弥生も、灰色の瞳を細めた。夜竜は誰をも魅了する笑顔で微笑んだ。
「まだわからないことがいろいろあるけれど、でも、これからもよろしくね」
「こちらこそ」
夜竜は、夜見家を後にした。
暗闇を、白い月が照らす。
夜竜は一人、夜道を歩いていたが、ふとその足を止めた。
「……何してるの?」
振り返って尋ねるが、答える声はない。
夜竜は虚空をじっと見つめていた。
夜竜の身体から、青白い燐が炎のように立ち上がる。
「そう、だんまりを決め込むつもりなのね。人を勝手につけるなんて趣味の悪い」
何を言っても、虚空からは何も返ってこない。
ふん、と夜竜は鼻を鳴らした。
「貴方のそんなところが大嫌いなのよ、ファラ」
そう言い残して、夜竜は再び魂夜堂へと向かう道へと歩き始めた。
夜竜の身体から立ち上がる燐が、風に乗って消えていった。
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