弥生篇◆CASE2:七夕


 梅雨があけ、日を追うにつれて暑さが増していた。


「あっちー……」


 ぼやきながら弥生は魂夜堂の扉をくぐった。


「いらっしゃい、弥生ちゃん」

「あちー!」


 異常な暑さが魂夜堂の中に満ちていて、弥生は叫んだ。


「なんだよ、これ!夜竜さん!この暑さは尋常じゃない!」


 訴えた弥生だが、夜竜のほうはきょとんと弥生を見ていた。

 いつもの古い机の上には、見慣れないランプのようなものが置いてあった。


「暑い暑いって……うるさいわね」


 夜竜は涼しい顔で、汗一つかいていない。今まで夜竜が汗をかいているところなど見たことはないが。


「夜竜さんは平気かもしれないけど、俺はただの人間なんだからな。こんなんだったら、俺はここには来ない!」

「暑さくらいで大げさね」


 夜竜はむっと口を尖らせ、ランプをいじり始めた。

 ガラスの中に、赤い光が閉じ込められたようなものに、つたのデザインが施されている。

 なにやら夜竜がいじると、それは徐々に光を失い、しまいには青白い光をまとった。


「これでいいかしら」

「へ?」


 ぼーっと夜竜の手元を見ていた弥生だったが、ふと、気温が下がっていることに気づく。


「え、もしかして、そいつのせい?」

「ん?」

「そのランプって……」


 夜竜は宝物を自慢する子供のように顔を輝かせ、


「いいでしょう?闇市で見つけてきたの」

「どういうものなんです?」

「灼熱から絶対零度まで自由自在、ってところかしら?」


 冗談ではない。

 弥生は困ったように、


「後生ですから、俺がいるときにやらないでください」

「馬鹿ね。私は弥生が蒸発したり、凍り付いて砕けちゃったりなんて望んでると思ってるの?」

「夜竜さんならやりかねません」


 弥生の言葉に、夜竜は気分を害したようだ。


「私、そんなに信用ないのかしら?」

「いや、そういうわけじゃないですけど!」


 しゅんとしたように言う夜竜に、弥生はうろたえた。


 最近、夜竜は子供のようだ。

 出会ったころは神々しいまでの傲慢さだったのに、最近では弥生の言葉で一喜一憂する。

 そうやって、弥生の反応を楽しんでる部分もあるのだろうが。


「でも、なんでそんなの買ったんです?」

「あら、話をそらそうとしているわね」

「素朴な疑問です。夜竜さんにそんなのは必要ないでしょう?」


 弥生の言葉に、夜竜はふふんと鼻を鳴らし、


「確かに私には必要ないけれど、他の人の手に渡ると危険でしょ?」


 夜竜はそう言って、ランプをなでた。ランプが、くすぐったそうに身を揺らした。


「……それ、生きてるんですか?」


 弥生の質問に、夜竜が顔を曇らせた。


「火の精霊と雪の精霊を無理やり改造したんでしょう。むごいことするわ」

「誰が作ったんです?」

「知らない。でも、サディストの変態以外の何者でもないわよ」


〝貴女も十分サディストだ……〟


「弥生、何か言った?」

「いえ、気のせいでしょう」


 相変わらず夜竜は勘が鋭い。


「こういうのはね、悪用されると困るの。せっかく平和に生きてるのに、兵器とかにされたら困るでしょ?」

「兵器ですか……」

「そう。闇に棲まう者達が、今まで弥生が会ってきたみたいないい人とは限らないから」


 夜竜はふと真顔になって、弥生の頬に触れた。


「この世が人間であふれて、そのことを快く思ってない者達も大勢いるのよ」

「なんとなくわかるよ」


 弥生はうなずいた。


「私は、彼らの気持ちもすごくよくわかるの。でもね、不快を心に秘めながらも、静かに暮らしているのならまだしも、機会があれば人間を傷つけようとするやからもいる」

「…………」

「原因不明の急死や、容疑者不明の変死事件、現代科学では証明できない様々な事象は、きっとそういったやからが起こしているんだと思う」


 弥生が顔をしかめた。人間は脆弱だから、夜竜達のような〝力〟を持つ者達に狙われたらひとたまりもない。

 夜竜は弥生に微笑みかけた。


「でも、大丈夫。私がいる限り、弥生は誰にも傷つけさせない」


 弥生は苦笑して、


「夜竜さんが、そんじょそこらのやつらより強いのはわかるんだけど、女の人に守られるってのもな……」


 そんな弥生のぼやきに、夜竜は目を見張った。


「あら、それじゃあ弥生が私を守ってくれるのかしら?」

「夜竜さんに騎士(ナイト)は必要ないんじゃ?」


 夜竜は笑って、


「そうかもね」


 おもむろに立ち上がった夜竜はランプを、奥の戸棚に片付けた。

 何気なしに夜竜を目で追った弥生は、部屋の隅にあるものに気がついた。


「竹?」


 いつもどおりごったとした店内に、竹がひっそりと置いてあった。

 近くには色とりどりの短冊も置いてある。


「気づいた?」

「そうか、七夕だ」


 弥生も幼い頃、短冊に願い事を書いたものだ。

 夜竜は短冊を手に取りながら、


「中国ではね、乞巧奠(きこうでん)というお祭りをするの。庭に綺麗に飾ったやぐらを建てたのよ」

「へぇ」

「ある人が、私にそれを教えてくれたの」


 懐かしそうに微笑む夜竜。


「もしかして……こう、って人ですか?」


 弥生の言葉に、夜竜ははじかれたように弥生を見た。

 漆黒の吸い込まれそうな瞳が、驚きに色づいている。


「なんで……?」


 夜竜のあまりの反応に、弥生はばつが悪そうな顔をした。


「ごめん。でも、前に夜竜さんが寝言でつぶやいてたから……」


 夜竜は寂しげに微笑んだ。


「さんずいに、光と書いて洸って読むの」

「その人は……」

「人間よ。ずっとずっと昔に生きていた人」


 愁いを帯びた夜竜の表情に、触れてはいけない過去に触れてしまったのかと、弥生は不安になる。


「弥生ってば、そんな顔しないで」


 夜竜が笑って、弥生の頬をなでた。


「洸はね、私にとって、とっても大切な人だったの」

「っ」


 弥生は息を呑んだ。

 ずきんと、心が痛む。

 何かを懐かしむように遠くを見つめる夜竜の瞳には、弥生は映ってはいなかった。


「……好きだったんですね」

「ええ。とても」


 ごまかすことのない、まっすぐな夜竜の言葉。

 それに、弥生はなぜか傷ついた。



 今まで、夜竜は弥生のことを求めていた。

 しかし弥生は心のどこかで、夜竜が弥生を欲するのは、弥生が闇の一族だと信じているからだと思っていた。

 夜竜が求めているのは闇の弥生であって、夜見弥生ではないのだと、そう思っていた。


 しかし、夜竜は洸という人物を好きだったという。

 隠すこともなく、ただの人間だった洸を大切な人だという。



 夜竜はうつむいた弥生を見つめた。


「弥生」

「なんです?」

「私の一番は、弥生よ。洸じゃない」


 弥生は夜竜を見た。


「……闇の一族なら誰でもよかったんだろ?」


 言ってしまってから、弥生は後悔した。

 もしも、夜竜がそれを認めてしまったら――……。


「弥生が闇の一族じゃなかったら、私達は出会っていなかった」

「…………」


 夜竜はとても穏やかな表情で、弥生を見つめていた。


「そして、弥生が弥生でなかったら、私はこんなにも貴方を求めたりしなかった」


 夜竜が弥生の手を握る。


「私達は、種族も違えば、生きる時間も違う。だけど……」


 夜竜の漆黒の瞳にとらわれた弥生は、身動きが取れなくなった。

 夜竜はこの世のものとは思えないくらい美しい笑顔で、


「こうやって一緒にいられる。それで充分なの。だって、弥生は私を置いて逝ったりしないでしょう?」

「ごめん、夜竜さん」


 弥生は謝っていた。

 くだらない嫉妬だった。

 自分があまりにも子供っぽい嫉妬心を覚えたために、夜竜にこんなことまで言わせてしまった。


「別に謝らなくて良いわよ。やきもち焼いたんでしょ?」

「そうかもしれない」


 夜竜はうれしそうに目を細めて、


「一緒に短冊を書きましょう」

「願い事?」

「そう、織姫と彦星に願いを叶えてもらいましょう」


 と、そこで弥生は妙にその言葉が気になった。


「まさかとは思いますが、織姫や彦星とも友達なんですか?」


 弥生の言葉に、夜竜は呆れたように、


「あのね、いくら私でも、星とはお友達にはなれないわ。私だって地球上に生きている立派な生物なんですから」


 弥生は、ここまで「地球上に生きている立派な生物」という胡散臭い言葉はないと思った。


「そっか、織姫も彦星も、本当にはいないのか……」


 少し期待しただけに、弥生は残念に思う。

 そんな弥生に、


「意外ね、弥生は織姫や彦星に会ってみたかったの?」

「会えるのなら、会ってみたかったですね」

「本当に、意外だわ。弥生ちゃんってばロマンチストだったのね」


 そう言って笑った夜竜が、青い短冊を手に取ると、筆を握った。


「願い事か……」


 弥生も黄色い短冊を手に取りながら、つぶやく。


「夜竜さんの願い事って、なんなんです?」

「あら、そんなの決まってるじゃない」


 弥生が夜竜の手元を覗き込もうとすると、ぱしんと扇子ではたかれた。


「痛いなぁ」

「今は見ちゃだめ」


 べえっと舌を出す夜竜が、妙に可愛い。

 ふと笑って、弥生もボールペンを握る。


「織姫と彦星は、一年に一度しか会えないんですよね」

「そうらしいわね。いきなりどうしたの?」

「酷い遠距離恋愛だな、と思って」


 弥生の言葉に、夜竜は笑った。


「もしも、彼らが悠久の時を生きているとしたら、彼らにとって一年なんてあっという間なんじゃないかしら」


 弥生がはっとして夜竜を見た。

 何百年もの時を生きてきた夜竜。


「会える一日だって、あっという間かもしれないけれど」

「それじゃあ、夜竜さんにとっても、俺と一緒にいる時間って、あっという間?」


 弥生の問いに、夜竜は首を横に振った。


「そんな罰当たりなことは言わないわよ」


 夜竜は、とても優しい、愛しい者を見る目で弥生を見つめ、


「一日でも、いえ、一瞬でも、私にとって弥生と一緒に過ごせる時間はかけがえのないものよ」

「でも……なんで?」


 弥生は納得がいかないように、


「俺は、そんな価値のある男じゃないのに」

「価値観なんて、人それぞれじゃない。弥生は自分を見くびっているようだけど、私にとって弥生は、一緒に時間をすごす価値のある人物なの」

「夜竜さんこそ、買いかぶりすぎ」


 夜竜は笑って、


「そんなことないわよ。私、人を見る目には自信があるもの」


 弥生は夜竜を見た。


「私はね、感謝しているの。弥生がこうして、貴方の貴重な時間を私と過ごしてくれているということに」

「そんな、俺のほうこそ……」

「私が生きてきた時間に比べたら、貴方の時間はずっと限られているでしょう?でも、貴方はその貴重な時間を私のために割いてくれている。これを当たり前だと思っちゃいけないと思うの」


 夜竜は書き終えた短冊をもてあそびながら、


「織姫と彦星は、お互いに、待つだけの価値があるって知っているのね。一年にたった一日だけ、その日だけしか会えなくても、それでも織姫には彦星が、彦星には織姫が必要なんだわ。どちらかが片方だけというわけでなくて、お互いがお互いを求めているのだから、彼らは幸せよ。一緒にいる時間は問題じゃない。お互いを信じて、想い合う事が重要なのね」


 そう言って微笑む夜竜に、弥生は妙にしんみりとした。


「夜竜さん」

「何?」


 不安ともいえない些細な感情。

 だけど、これを夜竜に伝えなくてはいけないと思った。


「俺を貴女に出逢わせてくれてありがとう、っていうのは、変かな?」


 夜竜が驚いたように弥生を見た。


「俺、やっぱり自分が闇の一族だって特別なものだとは思えないけど、だけど最近は、夜竜さんとこうやって一緒にいられる時間がずっと続けば良いと思ってる。だから、俺が本当に闇の一族の血を引いていて、夜竜さんを置いて先に逝くなんて事がないといいって思ってるんだ」

「弥生……」


 照れたように言う弥生に、夜竜の目から一筋の涙がこぼれた。


「夜竜さん、泣かないでくださいよ!」

「弥生、ありがとう……」


 夜竜がぽんと弥生の胸に頭を乗せた。


「すごく、嬉しい」


 夜竜の細い肩を、弥生は恐る恐る抱きしめた。


「私は、織姫が羨ましかった」

「え?」

「だって、彦星は彼女を置いていくことなく、毎年現れてくれるから」


 夜竜はうつむいているので、弥生には夜竜の表情は見えなかった。


「でも、もうそんな必要ない」


 夜竜は顔を上げ、満面の笑みで弥生の頬を両手で包み込んだ。


「私には、弥生がいるから」

「信じさせてください」

「うん?」


 弥生は妙に真剣に、男らしい表情になって、


「俺が、闇の一族だって、信じさせてください」

「弥生は闇の一族よ」


 弥生の顔が少しだけ曇った。


「夜竜さん、前に言ったよな、闇の一族は命を狙われることがあったって」

「ええ。だから人間の中に身を隠したのよ」


 弥生は少しためらって、しかし意を決したように、


「俺の母親は、もしかしたら……闇に棲まう者の誰かに殺されたのかもしれない」

「……え?」


 夜竜の表情が引き締まる。


「詳しいことはわからないけど……でも、父さんが何か知ってるみたいなんだ」

「弥生のお母様を殺した、不届き者がいるということ?」


 夜竜の雰囲気が、俄然変わった。


「弥生、私が貴方のそばにいる限り、力の覚醒していない貴方を誰にも殺させたりしない」


 弥生は気づいていた。


 母親が命を狙われ、そして殺されたのだとしたら。

 そしてそれが、彼女が引いていた闇の一族の血のせいだとしたら。


 弥生の命も危ないということに。




 その夜、弥生と夜竜は竹に短冊を結びつけた。



『平和な日々が続きますように』

『一年健康で過ごせますように』


『一つでも多くの闇を救えますように』

『しっかり生きられますように』


『弥生と一緒にいられますように』

『夜竜さんと一緒にいられますように』



 色とりどりの短冊が、風もないのに揺れていた。


 それを眺めながら、夜竜が弥生の手を握る。

 弥生も、その手を握り返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る