相談屋【魂夜堂】

神水紋奈

弥生篇◆CASE1:遭遇


 この物語は、一人の青年が、非日常の世界へと導かれることから始まる。


 制服姿の男子高校生が、夜道を急いでいた。

 彼の名前は夜見弥生(やみやよい)。どこにでもいる普通の男子高校生だ。

 吊り目気味の切れ長の瞳も、中肉中背の体系も、栗色の髪も、全部ひっくるめてどこにでもいる普通の青年だ。


 弥生は柄にもなく、文化祭学級代表を押し付けられ、不機嫌だった。

 今日も、その打ち合わせのせいで帰りが遅くなったのだ。


〝くっそ、みんなして俺に押し付けやがって〟


 心の中で悪態付きながら、角を曲がった。

 そのときだった。


〝ん……?〟


 突然、ひやりと何かに包まれたような気分になり、弥生は急いでいた足を止めた。

 何気なしに辺りを見回すが、特に変わった様子はない。


〝て、あれ?〟


 おかしなところに、弥生はふと気づいた。


 人がいない。


 夜だといっても、仕事帰りのサラリーマンや、食事帰りの家族連れがいても良い時間帯だ。

 それにここは商店街。

 人がいないことがおかしい。


〝なんだこれ……〟


 眉をしかめた弥生だったが、薄気味悪さを感じて、先ほどよりも早いペースで歩き出す。


 みゃぁ……ぅ


「!」


 静か過ぎる中、突然聞こえた猫の声に、弥生は飛び上がるほど驚いた。見れば、真っ白な猫が弥生の歩く先にいる。

 道の真ん中に座って、真っ直ぐに弥生を見ていた。


 弥生は、冷や汗とともに猫を見た。


〝猫が……光ってるだと?!〟


 猫は、黒い吸い込まれそうな瞳でじっと弥生を見ていた。

 街灯の光も弥生に届かない中、猫が発する光が確かに弥生の目に見えた。

 ゆらゆらと燃え上がっては消えるように、青い白い光が猫の身体から見える。


 弥生の家はこの先で、この道を通る以外に選択肢はない。

 しかし弥生は猫のそばを通ることをためらった。


 背中がぞくぞくするような感覚が、弥生を襲う。


 おいで。


 猫がそう言う風に言っているように思えてならない。


 だが、弥生の中の理性がそれを否定する。

 そんな馬鹿なことがあるわけがない、と。

 だが、弥生の中の本能がそれを肯定する。

 血の導きにしたがっておもむくまま、と。


 きなさい、闇の血を引く者。


 猫が、何かを訴えるように弥生を見る。

 弥生はその猫から目が離せなかった。


 みゃああう


 突然、猫が弥生の方に駆け寄ってきて、身体を摺り寄せてきた。

 とっさのことで反応できなかった弥生は、猫を呆然と見下ろした。

 黒い瞳は、真っ直ぐと弥生を捉えている。


〝なんなんだ、この猫……〟


 するとその猫は、弥生を見ながら後退した。

 身を翻して顔を弥生の進む先に向けるが、すぐに弥生を見る。


 みゃう

 おいで。


 猫の鳴き声が、頭の中で人の言葉に変換される。

 そんな奇妙な感覚の、理屈がわからない。


 弥生は、決心した。

 猫の方へと一歩を踏み出す。

 それを確認した猫がてくてくと歩き出した。

 弥生はそれについていった。


 静か過ぎる通り、弥生は誰にもすれ違わなかった。

 まるで異空間にでもいるような感覚。


 猫が、突然駆け出した。


「あ」


 弥生もあわてて駆け出すが、猫の姿は見つけられなかった。


「何処行ったんだ?」


 ふと辺りを見回すが、弥生の知っている場所ではなかった。

 あの通りを真っ直ぐ進めば、弥生の家の近くにくるはずだったのに、弥生は今、全く知らない場所に迷い込んでいた。

 と、目の前にあった店の、重たそうな扉が少しだけ開いているのに気づく。

 【魂夜堂】と、木の看板が出ている、薄気味悪い店だった。


「……魂夜堂?」


 すると、その扉がまるで意思でも持っているように開いた。

 まるで、弥生を迎え入れるように。


〝な、なんだこれ……〟


 みゃう


 猫の声が、中から聞こえた。

 はっとして弥生は中を覗き込んだ。


「いらっしゃい」

「っ」


 突然、身体が何かに引っ張られるように店の中へと引きずられ、ばたんと勢いよく扉が閉まった。

 唖然とする弥生の目の前にいたのは、白い猫を抱いた、この世のものとは思えない美女だった。


 紫に光って見える漆黒の長髪、吸い込まれそうな真っ黒な瞳、透き通るような白い肌、桜色の頬に、赤い唇。鈴の鳴るような綺麗な声で、くすくすと笑っている。


「やっと見つけたわよ、闇の血を引く者」


 女の腕の中にいた白い猫がふわりと光って、消えた。

 目の前の超常現象に、弥生の思考回路が追いつかない。


「貴方、名前は?」


 面白そうに、嬉しそうに、尋ねてくる女。

 しかし弥生は警戒心もあらわに、


「お前、誰だ?」


 弥生の言葉に、俄然美女の雰囲気が変わった。


「あら、お口がなってないわね」


 からかうように言う女の口元から、尋常ではないほど鋭い牙が覗く。

 青白い光が、女を取り巻いて見えた。


 弥生はじりっと、後ずさる。


 女は不思議そうに弥生を見ると、


「あれ、力は開花していないのかしら?」


 女の首をかしげる姿が、あまりにも愛らしく、弥生の心臓がどきりと跳ねた。


「まあ、いいわ。私の名前は夜竜。この魂夜堂の主人よ。貴方は?」

「夜見、弥生」


 弥生はとりあえず名乗った。

 夜竜と名乗った女は、心底満足したように弥生を見た。


「やみ、ね。初めまして、弥生」


 にっこりと、絶世の美女に微笑まれ、弥生の心が一瞬でノックアウトされそうになる。


「さて、そこに座って」


 弥生は、戸惑いながらも夜竜の指差したソファに座った。

 夜竜は夜竜で、正面の今にも壊れそうな古ぼけた椅子に腰掛けた。


「さて、何から説明しようかしら」


 豪奢な扇子を取り出して、さわさわと自身を仰ぐ夜竜。


「私のことからで良いわね。私ね、人間じゃないの」

「は?」


 私、本当は女じゃないのと言われたほうが肯けたかもしれない。

 あっさりと言われた言葉は、弥生の脳みそが受理してくれなかった。

 弥生の間抜け顔を見て、夜竜がふふふと笑う。


「その顔は信じていないわね?」

「え?いや、まぁ……」


〝頭のおかしい姉ちゃんだな……早く帰りてぇなぁ〟


「私、頭はいかれてないわよ」


 心の中を読まれたかのようなタイミングで言われ、弥生はどきっとする。


「信じられない?」


 弥生は、仕方なく正直に頷いた。

 それでも夜竜は気分を害した様子ではなく、ふふふと笑う。


「私の耳、尖ってない?」


 弥生はちらりと夜竜の耳を見た。


〝尖ってる……〟


「私の牙、見えないかしら?」


 夜竜はあーんと口を開けた。


〝牙が生えてる……〟


「竜の姿に戻っても良いんだけど」

「竜!?」


 いきなりメジャーな幻獣の名前を出されて、弥生は驚いた。

 夜竜はにこにこと笑って、


「そうよ、私は竜。この姿は、ただ化けてるだけなの」


 そんなことを言われても、にわかには信じがたい。


「仕方ないわね。ちょっと、奥の部屋に行きましょう」


 ぱちんと夜竜が指を鳴らすと、突然景色が変わった。


「へ?」


 そこは、広々とした書斎のような場所だった。天井も高い。

 次から次へと起きる摩訶不思議な出来事に、弥生の脳みそはショート寸前だった。


「証拠、特別に見せてあげるわね」


 夜竜が意味ありげに笑う。そして、突然服を脱ぎ始めた。

 絶世の美女の、突然のストリップショーに弥生の意識が朦朧となる。


「なっ、何やってんの!?」

「服を脱いでいるの」


 脱いだ服を丁寧に折りたたみ、夜竜は全裸になった。


「…………」


 ぽけっと夜竜を見る弥生。

 全裸になった夜竜だが、不思議といやらしさというものがない。

 芸術の教科書に出てくるような、女神の彫刻を見ているような気分だった。


「3・2・1」


 おどけたようにカウントダウンをした夜竜の身体が突如発光した。

 眩さに目を閉じた弥生が、再び目を開くと、そこには黒い竜がいた。


「っ?!!!」


 驚いたというものではない。

 しこたまたまげて、口から心臓が飛び出そうになった。


 そこにいたのは、黒い竜だ。

 ちょこんと座って、弥生を見ている。


『どう、信じた?』


 小型車ほどの大きさ。

 紫色に光って見える鱗。

 蛇のように長い胴体。

 鋭い鉤爪。

 黒い吸い込まれそうな瞳。

 どこか子犬のような動き。

 小首をかしげて弥生を見る。

 その動きが、ぴったりと夜竜に重なった。


「夜竜……さん?」


 竜は、夜竜は、こくりと頷いた。


〝なんて……綺麗なんだろう……〟


 その、幻の獣のあまりの美しさに見とれる弥生。


『もうそろそろいいかしら?』

「あっ、はい」


 思わず敬語になる。

 黒い竜は再び発光して、人の姿になった。


「これで信じてもらえたわよね?」


 服を着ながら尋ねる夜竜に、弥生は首が千切れるほど激しく立てに振った。


「さ、戻りましょう」


 指の一鳴りで、再び元の部屋に戻ってくる。

 弥生は、唖然茫然の体であった。


「弥生が今見たように、私は竜なんだけど、魔性の生き物達って、本当にいるのよ。人間達に混ざって暮らしてるの。たとえば、吸血鬼とか、狼人間とか」


 衝撃の告白に、弥生はもうぐうの音も出ない。

 そんな弥生の様子を気にするでもなく、夜竜は続ける。


「私達にとって、とても大切な伝承があるの」


 夜竜はじっと弥生を見つめる。


「それは、闇の一族についての伝承」

「闇の一族?」


〝そういえば、さっき闇の血を引く者、って……〟


「そう、闇の一族。強大な力を持つ故に、姿を隠すことを余儀なくされた哀れな一族」


 夜竜は、少しだけ寂しそうな顔をした。


「闇の一族は、ずっと人間に近い存在だったから、人間に紛れてしまったの。それを、私は見つけた」


 にこりと弥生に笑いかける夜竜。


「ちょ、俺がそうだとか、言わないですよね!」

「あら、貴方は闇の一族よ」


 あっさりと、そういう風に言われ、弥生を眩暈が襲う。


「貴方の名前、夜見でしょう?」

「偶然です!」

「あら、だって弥生、良い匂いするもの。闇の香り。普通の人間で、あるわけがない」

「俺はいたって普通のまともな人間です!」


 夜竜は面白そうに、


「弥生って、面白いわね」


 すっと弥生に手を伸ばし、突然抱きしめた。


「!」


 夜竜は弥生の耳元でささやくように、


「私の目に、狂いはないわ。弥生は私のパートナーになるの。一生を共にする、ね」


 あまりの出来事に、弥生は身動きが取れない。


「逃げ出したりしたら、容赦しないわよ」


 今日この日から、美しい竜・夜竜の奴隷、夜見弥生が誕生したのだった。

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