第一章 榊原信吉

第一話 集団 一

 老人が集まる街――東京都豊島区巣鴨。


 そこを横断する大動脈の白山通りを、九人の男が板橋方面に駆け抜けてゆく。

 時刻は二十三時を回ったところ。老人の姿は既にないが、それでもさすがに都心であるから、少なからず帰宅途中のサラリーマンなどが往来はある。

 その間を縫って、時には弾き飛ばしながら、彼らは駆けてゆく。年齢は十代の後半から二十代の前半まで。追う側四人と追われる側五人に分かれていた。

 ただ、それは各々が集団として前後に分離していたから分かることで、混ぜてしまえばどちらがどちらの構成員なのか見当もつかない。

 もっと言えば、そのまま池袋の街に放り込んでしまえば、帰属する集団があることすら分からなくなるほど、どこにでもいる格好をしていた。

 しかし、追う側の男が口にしている言葉は穏やかではない。

「待てよ、お前らぁ! 待たないと殺すぞぉ!」

 そう叫んでいるのは、高校の教室の片隅で周囲への無関心を保護色のようにまとっていそうな男である。普段は腐った魚のような彼の目は、病に罹った犬のように血走っていた。

 彼は、自分が何を言っているのか分からないほどに興奮していたが、何を言っているのか分からないのはいつものことである。それに、彼の言葉を聞いて素直に待つ者はいない。

「待てよ、こらぁ!」

 男は興奮し過ぎて、何か言葉を発せずにはいられなくなっていた。

 彼の仲間達も同様で、口々に何かをわめいている。それは、アフリカのザンビアあたりの方言と言われれば素直に信じてしまいそうなほど、意味を成してはいなかった。


 一方、追われる側の男達は言葉も出ないほど必死に走っていた。こちらも、普段ならば短距離走にすら縁がないほど華奢な体つきをしている。

 違いは「高校の教室では休憩時間に窓際に立って無駄話をしていそうな」雰囲気をさせているところだろうか。服装そのものに大差はない。

 そして、彼らの一番後ろを走る男だけが冷静な顔をしていた。

「佐々木、篠塚は高岩寺左折。三山と神崎はそのまま直進」

 彼が落ち着いた声で指示を出すと、前方の男達がよろよろとした走りをしながらも、頭をはっきりと下げた。了解した合図。

 白山通りから高岩寺――いわゆる『とげぬき地蔵』の横を抜ける路地まで来ると、集団は躊躇いを見せずに高岩寺側に二人、白山通り側に三人の、二手に分かれた。

「お前ら、きたねえぞぉ!」

 病に罹った犬のような男が叫ぶ。彼らは一瞬、路地の入口でどちらを追うべきか躊躇した。その間に高岩寺側の二人が、その先の路地を右折して姿を消す。

 男は前方へと顔を向けた。白山通りを走ってゆく三つの背中――心持ち速度が落ちたようにも見える。

「岸田、どうすんだよ!」

 追っ手の一人が病に罹った犬のような男に向かって叫ぶ。

「こっちを追うぞ!」 

 岸田と呼ばれた男は、脊髄反射で直進の指示を出した。より弱い獲物を襲うのが獣の習性であるから、それはそれで誤りではない。しかし、獲物の側に知性がある場合には逆効果となる。

 前を走る三人は追いかける五人を引き付けると、中央卸売市場付近で追いつかれる寸前に加速した。

「お前ら、きたねえぞぉ!」

 岸田が最前と同じ調子で叫ぶが、これは引っかかったほうが悪い。

 先程、高岩寺方面に左折した男達は比較的走りを苦手とする二人で、直進したのが陸上経験のある三人である。それは走る姿を後ろから注意深く見ていれば明らかだった。

 みるみる間隔が開いてゆく。

 前をゆく三人は巣鴨四丁目交差点で白山通りを横断し、その先の住宅街へと走り込んだ。

 追う四人は信号が変わる寸前に無理矢理白山通りを渡りきったが、住宅街の入口前で追いかけるのを辞めた。岸田が顔を真っ赤にして吐き捨てるように言う。

「ちくしょう、また染井霊園に逃げ込まれた!」

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