現在

「誰だよ、こんなとこに新聞を置きっぱなしにしてんのは」

 四月上旬、早朝七時の談話室。東向きの窓から差し込む日差しが、まだまだ夜明け前の冷気の籠る室内を、じんわりと温め始めていた。

 そんな穏やかの空気の中、総白髪を短く刈り込んだ毬栗頭から湯気を上げんばかりにして、榊原信吉(さかきばらしんきち)は怒っていた。それだけで室内温度が三度ぐらい急上昇しそうな勢いである。

「まったく、躾がなってないよ」

 と言いながら新聞を手に取ると、榊原は談話室を横切って新聞ラックのところまで移動した。

 今年で七十になる彼は、背丈が百五十センチ程度と小柄で、しかも痩せているから余計に小さく見える。いつも乱雑に机や椅子が置かれている談話室も、彼が動くには特段の障害とならないようで、すいすいと間を抜けていった。よく見ると、新聞を持った手が全体のバランスからすると少々長い。(ちなみに足はさほどでもない)

 榊原は、新聞をラックに片づけた後、液晶テレビから結構な音量で流されているNHKのニュースを、近くの机に座ってぼんやりと眺めていた斎藤剛毅(さいとうごうき)の頭を、ついでのように小突いた。

「痛てぇな。なにすんだよ猿!」

 斎藤が重みのある低い声を出す。彼は同じく七十歳で、背丈が百八十センチ強あり、無駄な贅肉のない締った身体は肩幅が広く、掌は厚みがあって大きかった。禿頭で、左のこめかみのところに古い傷跡がある。要するに『街で会った時に目を合わせたくない人』そのものだった。

「ついでだ、ついでに犬の頭を撫でただけ」

「なんだとこの――」

「なんだ、やるのかよ」

 見事な餓鬼の小競り合いだった。いつものことなので、談話室にいる他の入居者たちは全く関心を示さない。しかし、ちょうど通りかかって最前から様子を眺めていた澄子は、無視するわけにはいかなかった。

「榊原さん、何やってるんですか」

 と、干す前の洗濯物が詰まったカゴを抱えながら談話室に入った。

「おう、スミちゃん、おはよう」

「おはようじゃないですよ。また榊原さんからちょっかい出したんですか」

「俺は何も。犬を撫でただけ」

「なんだとこの――」

 澄子が入ってきたところで大人しくなった斎藤が、再び沸騰する。

「なんだ、やるのかよ」

 榊原がにやにやしながら受ける。さっきと全く同じ、時間を巻き戻したような光景に、澄子の頭は痛くなった。

「朝っぱらからもめ事はやめてください。それに、榊原さんは何度言ったら分かるんですか! モモヒキ姿で歩き回らないで下さい」

「いやいやスミちゃん。こいつぁモモヒキじゃないよ。だからいいだろ」

「どこから見てもモモヒキじゃないですか」

「違うって、こいつは絹だからパッチ」

 榊原は、ダボシャツにラクダのパッチに腹巻と、一昔前ですら過去の遺物だった格好をしていた。

「じゃあ、モモヒキは何でできてるんですか」

「モモヒキは木綿。関西だと違うけどな」

「関西だとどうなるんですか」

「関西は丈が長くて足首まであんのがパッチ、踝までの短いのはモモヒキだよ」

「じゃあステテコは?」

「あれは夏用で七分丈。モモヒキとパッチは冬だよ」

「それでは、ステテコとモモヒキとパッチはやめて下さい」

「あちゃあ、そう来たか」

「そう来たかじゃありませんよ」

「分かった、分かった、着替えてくるからそうカリカリしなさんな」

 最前カリカリしていたのは榊原自身だったにも関わらず、彼は矢代亜紀の『舟歌』を鼻歌にしながら、自分の部屋に戻って行った。

「まったくもう――」

 澄子が溜息をつくと、入口近くに座っていた柏倉都(かしわくらみやこ)が言った。

「いつもながら驚いたものだねえ、スミちゃん。あの猿がスミちゃんの言うことだけは、やけに素直に聞くんだからねえ」

 こちらは榊原と対象的で、朝も早い時間だというのに化粧も完璧で、癖のある艶やかな黒髪をシュシュで纏めていた。歳は六十五だが、眼と口が大きく、すっきりした顔のラインと併せてとても華やかで、十は若く見える。その上、背が百七十五センチぐらいあり、すっきりと痩せているので、遠目だとさらに十は若く見えた。もう春を意識しているのか、白地に細かい花柄のワンピースに、ベージュのカーディガンを羽織っている。下手をすると若作りしすぎのように見えるが、柏倉にはとても似合っていた。話し方は年齢相応で、物腰の柔らかいものである。 

 その前には、白髪を頭の上でお団子にまとめて、同じく化粧をばっちり終えた沢渡苑子(さわたりそのこ)が座っていた。六十六歳で、背は榊原とあまり変わらない百五十センチ弱である。白いブラウスにベージュのスカート、紺のカーディガンという、学生のようなカジュアルさだったが、沢渡の丸みを帯びた顔や小柄でぽっちゃりとした体型によく似合っていた。細い目と小さい口で、いつも機嫌よくにこにこと笑っているのだが、ほとんど喋らない。ただ、怒らせると怖いことは澄子もよく知っていた。

「スミちゃんに惚れてるんじゃないの」

 柏倉は大きな目を細める。

「そんなこと、ある訳ないじゃないですか――」

 と、ここで澄子は次の言葉を止めた。

「父親と娘よりも歳が離れているんですから」

 頭に浮かんだこの言葉を、口に出すべきではないと澄子は自制した。

 ここは、家族から離れて生活することを選んだ老人たちが住む施設だ。そこで家族を思わせる言葉は極力口に出すまいと、澄子は心に誓っていた。

 なぜなら、自分が児童養護施設に収容されていた(彼女は常にこう表現する)時代、勤務している職員の何が一番嫌だったかというと、無意識に発せられる「うちの子供は――」という愚痴だったからだ。職員に悪意がないのは分かっている。分かっているからこそ、その言葉の裏側にある親としての自然な愛情の深さがどうにも堪らないのだ。

 柏倉は、急に黙った澄子を穏やかな視線で見つめると、

「まあ、これは冗談。信吉は『苑子ちゃん命』だから」

 と言った。言われた当人である沢渡は、柏倉の言葉をまったく動じることなくニコニコと受け流している。

「スミちゃん、済まねえ」

 斎藤が、いつもの強面に似合わない眉を八の字にした謝罪の表情を浮かべて、片手拝みをしながら言った。澄子は苦笑しながら答える。

「いえ、斎藤さんが悪い訳ではありませんから」

 そうなのだ。斎藤が榊原にちょっかいを出すことはない。いつも榊原が斎藤に出しているのだから、斎藤が謝らなければいけない理由はない。

 それに、今日もあのまま澄子が黙っていたとしても、深刻な事態にはなりようがなかった。

 榊原と斎藤は同じ時期に入所してきたのだが、当時から始終小競り合いを繰り返しており、最初のうちは澄子もイジメの一つかと心配していた。しかし、考えてみればわざわざ榊原が斎藤を狙う意味が分からない。組み合わせだけでみれば、榊原の命の心配をしたほうがよさそうな塩梅だ。

 暫く見ていると、二人が決して本気ではないこと、そして、むしろ本来はとても信頼し合っている関係であることを、澄子は承知した。

 なぜなら二人の間に見える『糸』は、山登りで使用されるような丈夫なロープである。

 それが、お互いの腰のあたりをしっかりと結びつけている。小競り合いは二人の間のコミュニケーション手段にすぎない。

「それでは私は失礼します」

 澄子は、大量の洗濯物を抱えて談話室を出る。柏倉は澄子の後姿を見送りながら、

「スミちゃん、あんなに肩肘張らなくてもいいのにね」

 と、沢渡に向かって柔らかい声で言った。

 沢渡は、机の上にあるマイボトルを取り、上にあるボタンを押して栓を空けると、目の前のカップに中身を注いだ。

 紅茶――今日のお茶は香りから察するにルピシアの『ベルエポック』だろう。

 カップを口に運んで一口飲み干すと、小さく息を吐いて、

「私達にだって家族なんかいやしないんだからね。だいたい、十五年も住み込みで働いているんだから、これだけ入居者がいるのに誰の親族も訪問してこない点に、いい加減気が付いていいんじゃないかと思うんだけど。あの子は他人の家族関係には鈍すぎるからね。それに、重い荷物を全部一人で背負って気張り過ぎなんだよ。もう少し自分が楽することを覚えてくれないと、見ている周りが気を遣ってしまうから、肩が凝って仕方がない。そのことにも、そろそろ本人が気付かなくちゃいけないね。それもこれも、あの馬鹿男が煮え切らない態度なのがいけないんだよ」

 と、沢渡は目尻に笑い皺を刻んだまま、一気に辛辣な言葉を吐き出した。

 柏倉は目を見張る。

(これは珍しい。苑子が怒っていない時に長く喋った)


 *


 特別養護老人ホーム『みやび園』は、東京都豊島区巣鴨にある小規模な老人介護施設である。

 JR山手線の巣鴨駅を降りて、日の出から日の入りまで老人で溢れかえる巣鴨地蔵通りを、庚申塚方面に歩くと、都電荒川線の踏切が現われる。

 その踏切を過ぎると商店街があるので、その中ほどで小道を左に曲がる。

 この道は先が突き当たりになるので、そこを左折する。

 その先、五十メートルほど行ったところの左手側に見える、渋い茶色のタイルが全面に貼られた四階建ての建物がそれだ。

 道路に面した建物西側に正面玄関があって、一階には玄関に近いほうから談話室、食堂が南側に、事務室、園長室、住み込み従業員室が北側に並んでいる。

 園長室と住み込み従業員室の間に階段とエレベータがあり、それを上ると南側の談話室上にクリーニング室、食堂上に男女に分かれた入浴室、北側の事務室と園長室の上に多目的室がある。

 三階および四階は入居者の個室であり、間取りの二DKながら大きさの異なる部屋が、一つの階に五室ずつある。南側が三室、西側は階段とエレベータに空間を取られるので一室少ない二室。

 合計で十室の定員に対して、現在の入居者は一応七名である。(「一応」の意味は後程分かる)

 どこの団体が運営しているのかは、玄関の表札を見ても分からない。そもそもどうやったら入居できるのかも分からない。通りがかりの人が入居のパンフレットを求めて事務室を訪ねると、事務員は申し訳なさそうに、次のように言う。

「大変申し訳ございませんが、今、募集をしていないんですよねえ」

 これは事実。しかし真実の一面しか説明していなかった。


 *


「えいやっ」

 澄子は洗濯物を二階のクリーニングルームに運んだ。そしてそれを、榊原に対する憤りを吹っ切るように、掛け声と共に勢いよく洗濯機に放り込む。脱水が終わるまでにかかる時間は四十五分ぐらいなので、その間に朝食を終えてしまおうと、澄子は自分達の部屋へ戻る。

 住み込み従業員用の居室は、施設一階の一番東端に位置している。間取りは二DKだったが、六畳の和室と六畳の洋室が振り分けになっており、ダイニングキッチンは十二畳のフローリングだから、親子二人の暮らしには十分すぎるほどのスペースが確保されている。

 澄子が扉を開けると、キッチンには身支度を終えた娘の美樹(みき)が立っていた。

 身長は百六十五センチで、本人は贅肉を気にしているが、澄子の目から見ると太くも細くもない健康そうな体型をしている。長めのショートカットの前髪を右から左に流してヘアピンで留めていた。

(あのヘアピンは、確か沢渡さんからの頂きものだったな)

 元々小さめの顔のところに大きめの目をしているので、余計に目立って見える。

「あ、あ、お母さんおはよう」

 美樹は変に上ずった声で朝の挨拶をした。

「ごめん、今日は急ぐので先に食べちゃった」

「いいのよ、むしろ準備してくれて有り難う」

 慌てて言い訳する美樹に、澄子は心から感謝した。


 聡が海外で事故死した時点では乳飲み子だった美樹も、今では高校一年生である。

 澄子は、自分自身が親の愛情を受けずに育ってきたことや、父親のいない母子家庭であることを常々気にしており、子供にその影響が出たらどうしようと悩んでさえいたのだが、その心配をよそに美樹は思いやりのある子供に育ってくれた。

 自分のことは言われなくても自分でやっているし、余力があれば先回りをして、澄子の手助けをしてくれる。ただ、そうやって手助けしたことを褒められるのが苦手らしく、変な言い訳で隠そうとするのが微笑ましい。

(そういう、気を遣いすぎて変に不器用になるところが、自分に似ている)

 今のところマイナス要因にはなっていないようなので、澄子はほっとしていた。


 美樹は澄子のお椀に、キャベツと葱と油揚の味噌汁をよそう。

 葱は、入居者の松戸恭二(まつどきょうじ)が庭に作った菜園で、昨日採れたばかりのものである。葱の露地物を収穫できる時期とずれているが、松戸は丁寧にビニールをかけた畝で、手間をかけて育てたらしい。各自の部屋で自炊することは可能ながら、松戸は施設の食堂を常時利用していたから、野菜の栽培は全くの趣味だった。

 売っている野菜に比べると大らかに曲がっていて、形は悪かったが味は驚くほど濃い。

 油揚げは、巣鴨地蔵通り商店街にある岩山豆腐店の「紙袋に入れられた揚げたての一枚」を、朝の散歩から戻った榊原が置いて行ったという。

 澄子は狼狽した。

(それなら、あんなに怒るんじゃなかった)

 散歩の時には普通の格好をしていただろうから、帰ってからわざわざダボシャツとパッチ姿になったのだろう。榊原にはそういう妙な拘りがある。 

 大きめの皿に並んだ鰯のの味醂干しは、食堂からの御裾分けだろう。朝と晩に外注の業者から料理人が派遣されてくることになっており、男が朝食、昼食、夕食を一人で準備していた。最初、澄子は、

(一日中ここで調理しているのか。大変だな)

 と思っていたのだが、実は二人いることを後で知って驚いた。

 まったく顔が同じだったからだ。

 要するに一卵性双生児らしいのだが、食堂の表示を見ると朝と昼の担当が『鳥取』で、夕の担当が『島根』という名前になっている。いろいろと深い事情がありそうだが、本人達も極めて無口で自分たちのことは全く語らないものだから、澄子も聞きそびれていた。

 その横の壺に入っている梅干は、やはり入居者の一人である桐山信吾(きりやましんご)から貰った御土産品で、肉厚の紀州産だった。半年前になるが、次第に味が落ち着いていく感がある。

「頂きます」

 澄子は、真っ直ぐに背筋を伸ばして手を合わせて挨拶してから、食事を始める。その律義さが彼女の出自について極めて雄弁に物語っているのだが、当の本人は気が付いていない。美樹はそれを見る度に、母親が潜り抜けてきた数々の修羅場のことを思って、胸が一杯になる。

 少しだけ目を曇らせてそれを見届けると、美樹は鞄を取り上げた。

「お母さん、行ってきます」

「いってらっしゃい」

 澄子は入口に向かって座っていたので、美樹が扉を開けて外に出る姿が見えていた。そして、すぐ後に左手側から扉を開け閉めする音が聞こえてきた。つまり、美樹は部屋を出た左側にある、施設の東側の非常口を抜けて、裏門から外に出るらしい。

 澄子は味噌汁を啜りながら、首を捻る。

(あの子、いつから正面玄関を使わなくなったんだろう)


 *


 朝食を終えた澄子は、脱水まで完了しているはずの洗濯物を取りに、二階に向かった。

 園長室横の階段を登って二階フロアに到達し、クリーニングルームのほうを向くと、その手前にある浴室のところで車椅子が右往左往していた。白髪を短く刈り込んだ職人のような風貌の男が、浴室入口の段差に車椅子の前輪を引っ掛けてしまったようで、しきりに後輪を前後させていたが、外れないようだ。

「お手伝いしますね、兵頭さん」

 足腰がしっかりした老人が殆どの多いみやび園で、唯一、兵頭信一郎(ひょうどうしんいちろう)だけが車椅子を利用している。園には看護師が勤務しており、彼によれば兵頭は「アルツハイマーを患っており、身体が思うように動かせなくなっている」ということだった。いつもは、仲の良い松戸恭二(まつどきょうじ)がそばについているのだが、彼は菜園の手入れに行っているようで、姿が見えなかった。

 兵頭のほうに歩み寄った澄子は、次第に鼻を突く臭いが強くなるのを感じた。

「ああ」

 差し迫った状況を正しく理解すると、彼女は兵頭に向かってにっこり笑って言った。

「兵頭さん、大変でしたね」

「あ――」

 言葉も十分に発することができない兵頭は、両の目に涙を溜めながら澄子のほうを見る。

「私に任せて頂けますか」

 澄子はあくまでも『たいしたことではない』という姿勢を貫いた。

 そう、老人介護において下の世話をいちいち問題にしていたら、やっていられない。澄子は一般的な老人ホームの実情は知らなかったが、児童養護施設において年少者の世話を手伝っていた経験もあり、子供たちが「おもらし」をした時の悲しそうな姿を見慣れていたから、老人も同じだろうと考えていた。

 後ろについてみると、兵頭のズボンは股間を中心として濡れていた。

 車椅子を押して男性の浴室に入ると、丁寧に服を脱がせる。下だけでなく上も濡れて、すっかり染み込んでいたので、すべて洗濯に回すためにプラスチックの脱衣駕籠に放り込む。そして、兵頭が浴室壁面につけられた手摺りを掴むことができるように、車椅子を寄せた。

「あ、あ」

 兵頭は手を震わせながらも、自分自身で手摺りを掴むべく試みる。こういう時は、転んで怪我をすることのないよう控えておく程度にして、手を貸さないほうがよい。自分でやりたいという思いを妨げてはいけない。

 やっと手摺りに掴まって体を起こした兵頭は、おぼつかない足取りでシャワーのほうに向かった。

 その背中を注視しながら、澄子はぼんやりと考えた。兵頭の体躯は、痩せてはいるものの骨格は太くしっかりとしていた。昔の名残だろうか、筋肉自体は機能を失っていないことが分かるほど、まだまだついている。問題なのはそれを制御する脳の働きだった。

(自分の夫も、年を取ったらああなったのだろうか――)

 久しく考えることのなかった亡き夫の面影に、澄子は狼狽した。忘れたいとは決して思わないが、とはいっても、思い出せばやはり胸がきりきりと痛む。

 そこに、菜園から戻ってきた松戸が現われた。

「ああ、居た居た。面倒かけたね、スミちゃん」

 松戸は、櫛を通したことがあるのだろうかと疑問に思われるような長めの白髪をかきあげる。同じく白い口髭に、かなり度の強い眼鏡をかけているので、昔の漫画に出てくる「マッドサイエンティスト」そのままだったが、実際は常識人で温厚かつ誠実だった。

「兵頭さん、どうよ」

「あ――」

「そうかい、大丈夫かい。着替えを持ってくるからしっかり身体を洗っておいてくれ」

「あ――」

「いいから、いいから」

 澄子にはすべて同じ「あ――」に聞こえるのだが、松戸にはそのニュアンスの違いが聞き分けられるらしく、会話が成り立っている。これが松戸の思い込みで、兵頭は全然別なことを言っているとしたら悲劇だが、松戸と共にいる時の兵頭の安心した顔を見ていると、どうやらそんなことはないらしい。

 そして、今二人の間を繋いでいる糸は、電話線のような黒くて太い通信ケーブルだった。これならば情報伝達に抜かりはないだろう。

「後はやっとくから。洗濯だけお願いできるかな」

「あ、はい。分かりました」

 老人たちはあまり澄子に洗濯をお願いすることはないのだが、こういった急ぎの場合には稀に頼まれることがある。汚れ物は先に手洗いが必要なので面倒ではあるものの、澄子は常に快く引き受けるようにしていた。なぜなら、そういう時に頼られるのが嬉しくて仕方がなかったのだ。

 この、みやび園の住人達は基本的に皆、自立しており手がかからない。他の園は知らないが、ここまで手のかからない老人が集まっているところは少ないだろう。

 だからこそ、細かいことでも頼りにされると嬉しくなる。自分が「ここにいてもよい、なくてはならない」存在であることを確認できる。

 それは、児童養護施設では満たされなかった『古傷』を優しく埋めてくれるものだった。


 住み込みをしている澄子は忘れがちになるのだが、『みやび園』の正式な開園時間は午前九時である。

 だから、朝八時を過ぎると通いの職員たちが順次出勤してくる。

 まず最初にやってくるのが、フィリピン出身で日本の『介護福祉士』の資格を取得した、キャサリーン・サントスとマリア・クルーズだ。

「オハヨー、スミチャン」

「おはよー、すみちゃん」

 二人は豊島区内のマンションをルームシェアしているから、出勤するのも一緒だった。

 キャサリーンは、多民族国家フィリピンの主要民族であるタガログ族と、植民地時代の統治民族であったスペイン人の混血、フィリピンで言われるところの『メスティーソ』だ。

 一見すると、東南アジア出身というよりはスペイン出身ではないかと思われるほど、背が高く目鼻立ちがはっきりとした容姿をしている。明るく陽気な性格で、その点もスペイン的であったが、英語中心の環境で育ったためにスペイン語は解さない。

 介護福祉士の資格取得に必要な日本語検定二級には合格していたが、まだまだ話し言葉はたどたどしかった。

 マリアのほうは生粋のタガログ族で、キャサリーンとは対照的に物静かで真面目な性格である。

(どうしてここまでちぐはぐな二人が、共同生活を営めているんだろう)

 と、澄子は不思議でならなかったが、どうやらマリアの側の「非常に柔軟性に富んだ思考」の賜物らしい。二人の間に見える糸は「犬の散歩に使われるリード」だった。マリアが、大騒ぎをしたがるキャサリーンをうまく押さえつつ、その社交性を利用して世界を着実に広げていることが窺い知れる。

 マリアは語学が堪能である。彼女は一九八七年に公用語として採用された人造言語であるフィリピン語とその元となったタガログ語、そしてもう一方の公用語である英語を理解でき、スペイン語による簡単な会話も可能であった。さらに、フィリピン在住中に日本語検定一級まで取得しており、難しい漢字以外は流暢に読み、書き、話せるようになっていた。

 だから日本語表記は、キャサリーンはまだ「カタカナ」で、マリアは「かなと漢字」だ。


 *


 東南アジア出身で日本で就労している者は、とかく誤解を受けがちである。実際問題、就労ができない日本滞在資格(例えば「研修」)で来日して、風俗業を中心に不法就労している例は多数あったが、彼女たちはフィリピンと日本の正式な国家間合意に基づき、日本の介護福祉士試験を受験するために来日した外国人の一期生である。

 二〇一○年以降、経済連携協定(EPA)に基づいて、日本政府はインドネシア人及びフィリピン人が三年間の現場研修を経て、介護福祉士試験を受験することができるようにした。これは、介護や看護の現場に人手を必要とする日本と、日本の介護や看護のシステムを参考にしたい東南アジア諸国の利害が一致したことで実現したものである。

 介護福祉士試験は、介護に関する専門的知識や技術に関する『筆記試験』であるから、これまでは「日本語で出題される」ことが大きな壁となって、外国人の受験は結果的に制限されてしまっていた。協定の締結

後、厚生労働省は漢字にふりがなを振ったり、英語を併記したりすることでそのハードルを下げ、外国人も受験可能なように制度を改めた。

 しかし、以前から実施されていた外国人の看護師試験合格率は、三パーセント以下である。介護福祉士試験にしても、日本人を含めた全体の合格率は六十四パーセント弱で、外国人の合格率は四十パーセント弱だった。

 内容的に『狭き門』であることには変わりないし、しかも外国人研修生の場合は「来日から四年以内に資格を取得しなければ、日本で働き続けることはできない」という厳しさである。

 キャサリーンもマリアも、受け入れ開始と同時に申し込みを行なって、二○一一年から『みやび園』で研修を行い、二○一四年に介護福祉士を受験して合格した。現在は、入国管理上も正式な「就労」として、日本に滞在している。

 この研修・就労制度は、フィリピンの四年制大学を卒業してフィリピンの介護士資格を取得しているか、またはフィリピンの看護学校(四年制)を卒業している者でないと応募ができない。その時点で既にハードルが高かったが、さらに日本で研修を受けるというのだから、並大抵の覚悟では申し込みができない。

 だから、二人とも極めて意欲は高く、勤勉であった。日本にやってきた当初は、さすがに右も左も分からないために混乱が生じていたが、半年もするとすっかり環境に馴染んでいた。

 この点は、入居者のお陰でもある。

 ここ『みやび園』の入居者は、驚いたことに全員が英語を流暢に話すことが出来た。もっとも英語からかけ離れていると思われる榊原ですら、キャサリーンやマリアと最初から雑談に興じていた。二人を指導する立場の澄子が、言葉が通じなくて説明にあたふたしていると、入居者が通訳してくれたほどである。


 *


(それにしても――)

 澄子にはよく分からない点がある。

(どうしてここで外国人研修生の受け入れを行なったのだろう?)

 語学的な意味では最適な環境だったと思うが、規模が小さく、入居者の受け入れに消極的で、経営が成り立っているかどうか不明の、謎の老人介護施設である。入居者もおおむね健康で、自分で出来ることは自分でやってしまうので、人手はさほど必要ない。

 だから、何故わざわざ外国人研修生を受け入れたのか、その理由が分からないのだ。


 続いて、午前八時半にアルバイトの川上潤一(かわかみじゅんいち)と利根川(とねがわ)あかねがやってくる。二人は近隣にある大学の学生さんで、川上が三年生、利根川が一年生である。


 川上が初めて『みやび園』にやってきたのは、五年前だった。

 夏の最中(さなか)、とても蒸し暑い晩のことである。夕食後に「煙草を買いに行く」と言って出かけた榊原が、川上を連れて園に戻ってきた。彼らが入口の自動ドアを潜った時、澄子はちょうど食堂の入口のところに立っていたので、その姿を目の当たりにした。

 川上の様子は酷かった。

 全身が不自然に痩せており、血色が悪く、能面のような表情のない顔をしていた。服は薄汚れており、素一週間は着替えをしていないように見えた。まだ離れていたにもかかわらず、汗とその他の物が入り混じった臭気が漂ってきた。

 児童養護施設に居ても(あるいはそれゆえに)虐待や育児放棄の被害にあった子供の姿を、直接目にする機会はなかったが、

(仮にあったとしたら『このような姿』だったのではないか――)

 と、そう思った途端、澄子の身体が急に竦(すく)んだ。

 入口では大柄な川上を持ち上げるのに、榊原が苦労している。それを見て、頭では「手助けしなくちゃ」と理解しているにも関わらず、澄子は手も足も動かせない。

 その澄子の様子を見て取った榊原は、

「スミちゃん悪い! 手伝いいらないから、そこに座ってな!」

 と簡潔に謝罪と指示を行なって、川上を引きずるようにして食堂まで運んだ。そして、夕食の後片付けをしていた島根さんに、

「悪い、こいつに何か食わせてやってくれ!」

 と叫ぶように言った。

 現代東京のど真ん中であるから、行き倒れ寸前の若者は極めて珍しい。

 しかし、彼は何日間も食事を取っていなかったようで、島根が目の前に手早く並べた食事を勢いよく平らげていった。美味しそうな香りと凄まじい悪臭をかき混ぜながら、彼は食べた。澄子は、彼の姿を傍(からわ)らに腰を下ろして眺めていたのだが、皿の中身が減るにつれて川上の『中身』が増えていくように感じていた。川上は次第に「一本筋の通った清々しさ」を発散し始める。

 食事は重要である。食べないと人相は悪くなるし、腹が足りると表情は柔らかくなるものだ。

 途中で、自分が置かれた状況にやっと気が付いたかのように、川上は、

「――すみません、助けて頂いて有り難うございました」

 というと、ぽろぽろと大粒の涙を零しながら、ご飯を食べ続けた。

 その夜一体何が彼にあったのか、詳細はいまだに分からない。

 川上も榊原も、その夜のことは何も語らなかったし、聞くのも憚(はばか)られたので聞いていない。

 ただ、翌日になると「川上がアルバイトとして園で働く」ことが決まっていた。特に募集している様子もなかったのに、である。


 利根川の場合はもっと極端だった。

 四年前の寒い冬の夕方のことである。『みやび園』の入口に一人の女性が姿を現わした。

 利根川だった。

(なお、この日、澄子は用事で外出していたために現場は見ていない。従って、以下は後で利根川本人に直接聞いた話による)

 金髪を乱して、暴走族やヤンキー御用達の所謂(いわゆる)『特攻服』に身を包み、金属バットを右手に持っている。特攻服自体は黒い生地で、そこに『南無阿弥陀仏』の文字が金糸で刺繍されていた。仲間の姿はない。

 彼女はロビーに足を踏み入れるや否や、

「川上、いるなら面出せや!」

 と大声で叫んだ。


 しかし、誰も姿を見せない。


「川上ぃ、いるんだろ、顔出せよ!」

 続けて大声を出すが、やはり誰も出てこない。恐れおののいて誰も姿を見せないのだと考えた利根川は、さらに奥へと進んだ。

「川上ぃ、どこいるんだよ!」

 食堂の入口まで進む。と、中に老婆が一人座っているのが見えた。

 沢渡である。彼女は、ゆったりとした仕草で美味しそうにお茶を飲んでいた。

 耳が遠くて聞こえないのだろうと思った利根川は、沢渡に顔を近づけると、

「おい、バアさん、ここに川上って男はいないか!」

 と、大きな声で言った。

 沢渡が利根川を見つめる。あまりにも穏やかな表情に、利根川は一瞬、菩薩像を思い出したという。


 そこから先の出来事を、利根川は今でも一切語らない。

 何が起こったのか、その場で見ていた者もいない。

 川上が柏倉の買い物に付き合い、嵩(かさ)張る買い物袋を『みやび園』に持ち帰って、食堂を覗(のぞ)いた時には、すっかり毒気を抜かれた利根川が沢渡の膝に頭を埋(うず)めて、ぽろぽろと涙を流していた。厚化粧がすっかり流されて、涙はひたすら純粋に、ぽろぽろと流れていたという。

 その後、利根川もそのままアルバイトとして『みやび園』に採用された。

 二人の間には何か確執があったはずなのだが、現在は「頼りになる先輩と可愛げのある後輩が、仲よく仕事に汗を流している」ようにしか見えない。

  

 その後、介護福祉士である正社員の滋賀と高知が、九時十分前に現れる。

 そして、最後の最後、九時の五秒前に現れるのが、園長の山形だった。


 介護福祉士の滋賀と高知、そして園長の山形は、とてもちぐはぐな印象の男達だった。


 志賀は五年前、高知は四年前に『みやび園』にやってきた。正式職員である彼らの着任は、さすがに川上や利根川と違って、二か月前に正式通知として回ってきた。

 現在の年齢は、いずれも三十代後半と思われる。一緒に働いているのに年齢が推定というのも変な話なのだが、澄子は彼らの生年月日を知らなかった。かといって、彼らと話すのが苦手な訳ではない。

 施設育ちの澄子には「本人が自分から言い出さない限り、個人的なことは極力聞かない」癖がついていたので、彼女から尋ねたことがない。そして、彼らも自分自身のことは殆ど語らなかった。

 また、二人とも着任時には介護福祉士の有資格者であったから、澄子はてっきり他の施設での勤務経験を有しているものと思っていた。しかし、過去に勤務した施設のことを彼らが口にしたことはない。

 そして、仕事振りは真面目で丁寧なのだが、澄子はそれが何だか「本で読んだ通りの手順を杓子定規に実行している」だけのように感じることがあった。

 例えば、市販のテキストには載っていないけれど、介護の現場では先輩から後輩に代々受け継がれている「豆知識」のようなものがある。どこの業種のどんな現場にも、似たような常識はあるはずだ。

 現場経験があればそれを知らないはずはないのだが、それが分からずに途方にくれていることがある。

 それで、二人ともみやび園が初めての介護施設勤務であると澄子は推測した。

 かと思えば、救急時の応急処置に関する研修会では、慣れた手つきで素早く気道の確保から心臓マッサージ、果てはAED操作までを終わらせ、指導に来た消防署員を驚かせたりする。

 それで、救急救命に関わる仕事をしたことがあると澄子は推測した。

 介護ではない、救急救命が必要な業務というと、医療、警察、消防あたりが当て嵌まる。しかし、そのような救急救命の現場で数々の修羅場を潜り抜けてきたような緊張感も感じない。

 手順は知っているが頻繁に使ったことはない、という風情である。どこまでもちぐはぐな印象の二人だった。

 また、一年ぐらい同じ職場で一緒に働いていれば、澄子には二人の関係が線になって見えてくる。ところが、この専門職三人に食堂の二人を加えた五人だけは、まったく相互の関係性が見えなかった。

 勿論、関係性を把握できるほどの接点がなければ、情報が少ないために見えなくて当然である。そうでなければ、おちおち街中を歩くことも出来ない。

 しかし、五人とも普通に澄子と仕事上の接点があり、それぞれに会話しているところも見かける。従って情報が少ない訳ではないと澄子は思うのだが、それでも関係が見えなかった。

 ただ「何事にも例外はあるのだろう」と、澄子はそのことを深く考えたことはない。


 ちぐはぐという点は、山形も同様である。

 彼は十年前に前任の園長と交代でやってきた。入居者を除けば勤続十五年の澄子の次に勤務期間が長い。

 前任園長の群馬はすっかり腰が曲がった老人で、園の定年退職制度がどうなっているのか疑問に思うほど高齢だった。本人が園に入居していてもおかしくないほどである。

 非常に穏和な人物で、介護の仕事に関する実務的な知識を澄子に丁寧に教えてくれたのは、彼だった。

 群馬が急に澄子を呼んで、園長を辞めることになったと告げた時には、彼女も一緒にやめてしまおうかと思ったほどである。

 それを素直に群馬に言ったところ、

「介護施設は人の入れ替わりが激しいのでね。誰かがどっしりと腰を据えていないと、すぐに駄目になってしまうのですよ」

 と、穏やかな口調で諭された。澄子はそのことを、今でも感謝していた。

 さて、澄子が群馬に後任の山形について質問した時、群馬は困ったような顔をした。

「どんな人物か、ですか? うーん、表現が難しいなあ」

 澄子は、

「あの、よく知らない方でしたら、それでよいのですが」

 と慌てて付け加えたものの、群馬は非常に律儀な性格であるから、最も適切な言葉を選ぼうとする。

 一分間ほど頭を捻った末に、ようやく彼はこう言った。

「じっくり時間をかけないと、その良さが分からない人間ですよ」


 群馬の言葉の二か月後にやってきた山形の姿を見て、澄子は困惑した。

 見事な白髪頭なのに、肌の様子からすると四十代前半らしい。表情や言動は常に穏やかで優しいのだが、眼は笑っていなかった。ぼそぼそと小声で話すものの、話の内容はよく伝わってくる。

 背が高く痩身であるにもかかわらず、どことなく動きが鈍かった。まるで、数人がモザイク状に絡まりあっているかのように、一人の中に異なる要素が混在していたのだ。

 職場に現れた時の彼の第一声は、

「新しく園長を務めることになりました山形です。どうぞ宜しく」

 だけで、少しは所信表明があってもよさそうなものなのに、その後が全く続かなかった。

 前任者と似ているのは「基本的に穏和だ」という点ぐらいで、その他の点はかなり違っている。群馬は開放的で分かりやすい性格だったが、山形は極めて実体が分かり難い男だった。

「群馬さんが言ったように、じっくり時間をかければ本当に山形さんの良さを理解することができるのかな……」

 十年前に澄子はそう考えて心細くなった。そして、十年たった今でも依然として山形の実態は分からなかった。


 *


 全員が予定通りの時間に出勤した後、午前九時に簡単なミーティングがある。前日からの引き継ぎ事項や夜間の対応報告、事務連絡などが行なわれて、それから『みやび園』の業務が開始される。

 住み込み従業員であり、夜間のトラブル対応も引き受けている澄子は、逆にここからが自由時間だ。

 彼女の正式な勤務時間は、日勤の職員がいない午後六時から午後十時までの四時間と、午前五時から午前九時までの四時間である。

 さらに、間に挟まっている午後十時から午前五時までの七時間は、消防や警察で行われているような待機時間の仮眠扱いではなく、正式な休憩時間になっていた。

 従って施設外で過ごしても問題はないのだが、この時間に何かトラブルが発生した場合は駆けつけて一次対応に当たることになっている。

 ただ、施設に入居している老人達が深夜にトラブルを引き起こすことは殆どなく、あっても急病か、榊原と斎藤の小競り合い、痴呆症が進んだ兵頭のフォローぐらいだった。

 川上や利根川のような外部からの闖入者は、かなりレアである。ないことはないが、澄子も知らないうちに入居者が処理してしまうことが多かった。

 澄子は他の施設の実情をよく知らない。介護に関する外部研修で同席した人から聞く限りでは、かなりひどいらしい。

 人手不足で超過勤務は当たり前。人件費が限られているので時間外勤務や休日出勤はアングラで行われ、急な宿直や呼び出しは日常茶飯事だと聞いた。

『みやび園』の場合、深夜の休憩時間にトラブル対応があれば、当然のように時間外勤務および深夜業勤務の対象となる。

 簡単な対応だからと思って申告しないでいると、勤務実績の締め切り後に、

「ちゃんと出して頂けないと困りますよ」

 と、事務の担当者から苦情を言われ、澄子は恐縮しながら勤務実績の修正をすることになる。だから、面倒とは思いながらも細かい出来事もきちんと報告するようにしていた。

 土日祝日や、澄子が美樹の学校行事の関係でどうしても休暇を取らなければならない場合には、日勤者が三交代で施設に常駐することになっている。

 利根川の乱入のように、休憩中や買い物で外出している時などに手薄になることはあっても、常に職員の誰か施設にいるような仕組みだった。

 それが申し訳なくて、澄子はなかなか休暇を取る気になれなかったが、美樹が小さい時には群馬が、

「相澤さん。そろそろ休暇を取らないといけませんよ」

 と言って、配慮してくれた。後任の山形からも、

「相澤さん、休暇の取得率が悪いですよ。私の管理責任が問われますから何とかして下さい」

 と、ぶっきらぼうに言われた。言い方はかなり異なるが、それでも彼なりに配慮してくれているらしい。

 ホワイトすぎて逆に戸惑う職場である。


 他にも環境に対して、澄子が大変感謝している点がある。

 親の顔も知らない澄子は、子供の世話だけならば施設時代の経験から何とか出来ても、家族関係の正常なあり方が全く分からなかった。更に、夫の急死によって母子家庭となってしまったために、配偶者の常識に頼ることが出来なくなってしまった。

 にもかかわらず、美樹があんなに素直な娘に育ってくれたのは、この環境がかなり貢献していると澄子は考えている。

 美樹がまだ小さくて目が離せない時期、入居者達は入れ替わりで細かく面倒を見てくれた。

 なにしろ大量の元気なお爺ちゃんとお婆ちゃんが同居している環境であるから、目と手には事欠かない。しかも道理の分かった人が多く、面倒は見てくれるものの口は一切出さない。一方で澄子が悩んでいると、簡単なアドバイスをしてくれるのだ。


 美樹が小学一年生になった時、澄子は学校の授業参観に出て衝撃を受けたことがある。

 その日は平日で、澄子は群馬から「午前の仕事は早めに上がって下さい」と言われ、そそくさと身支度を整えると学校へと向かった。

 流石に入学式の時は、母子家庭ということに神経質になっていたものの、人ごみに紛れてさほど目立たなかった。そして、授業参観については、自分の頃は母親の姿しかなかったので、女性であれば養護施設の担当者でも目立ちはしなかった。

 ところが、どうやら時代は変わってしまったらしい。

 小学校の門に近づくにつれて、澄子は次第に不安になっていった。平日の午前中なのに、男女のカップルが多い。しかも、揃って小学校の門から中へと吸い込まれてゆく。つまり、世間は父親が会社を休んで学校行事に積極的に参加することを、認め始めていたのだ。 

 

 翌日午前九時の業務終了後。

 澄子は柏倉にお茶に誘われた。沢渡も同席しているそのお茶会で、柏倉は澄子に、

「スミちゃん。昨日、授業参観で何かあったの」

 と優しく訊ねられた。

 柏倉にそう言われると、何故か澄子は非常に素直になる。

 もともと澄子は、自分の中にすべてを押し隠そうとする性格であり、そうでなければ養護施設で生活することは難しかった。従って、初対面の人間と打ち解けるのは苦手であったし、親密な関係まで至るのは更に苦手であったから、学校時代から続いている友人も数少ない。

 それなのに、柏倉に対しては初めて会った時から、話辛いと思ったことは一度もなかった。そして、柏倉から聞かれたことには素直に答えた。

 無論、柏倉も無理に個人的なことを聞こうとはせず、澄子が「誰かに聞きたいけどどうしよう」と考えていることだけを訊ねてくる。その時もそうだった。

 澄子は前日の授業参観の出来事を、ところどころつかえながら柏倉に語った。柏倉は相槌を打ちながら何も言わずに穏やかに聞いてくれる。最後までなんとか話し終えた時、隣でずっと黙ってにこにこしていた沢渡がぽつりと言った。

「で、美樹ちゃんは何と言ったんだい」

 いつもの顔に似合わないぶっきらぼうな言い方である。それに対して澄子は、

「それが、家に帰る途中、嬉しそうに『今日は有り難う』と何度も言われました」

「じゃあいいじゃないか。親なんかどうでもいいんだよ」

 乱暴な物言いだったが、澄子は胸のつかえがすとんと落ちる気がした。

 沢渡の物言いで澄子は気分を害したことがない。他の人が言ったら傷つくようなことでも、沢渡ならば何故か許せた。その時も、沢渡の言わんとするところがすぐに理解できた。

「そう、ですよね。美樹がどう思うかですよね。私が堂々と楽しそうにしていれば、美樹はそれで嬉しいんですよね。体面なんか関係ないんですよね」

 そう言って喜ぶ澄子と、隣でいつものように笑っている沢渡を交互に眺めながら、柏倉は笑いをこらえながら考えていた。

 ――苑子、いま絶対照れてる。

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