第二.五話 ユダ

 室内は男の名声に比べて極めて質素だった。

 木製の簡単な机と椅子。

 ベッドが窓際に置かれているが、寝るためではなく横になって気分を落ち着けるためのものである。

 鎧や剣などの装備品を収めるクローゼットが一つ。

 回復薬や妖精灯籠などの細かな備品を収める棚が二つ。

 外見は旧式の書類ファイルに見える、大容量ストレージを詰め込んだ棚が同じく三つ。

 これだけが他の探索者と異なり、非常に多い。サーバ内に基本領域以外のストレージを個人的に確保するためにはかなりの費用がかかるので、探索で得た収入の殆どをそこに集中投入したのだろう。

 それ以外には何もなかった。観葉植物や装飾品の類は一切置かれていない。

 部屋の主は簡素な椅子に座り、机に両肘をついて顔の前で拳を組み、前に立つ来訪者を見つめている。

 来訪者は落ち着いた声で言った。

「あまり褒められたことではないな。お前のやっているのは、システムの裏口を利用した犯罪行為に他ならない」

「分かっているよ、そんなことは」

 部屋の主は罅割れた声で言った。

「しかし、他にどうしたらよいのか、俺には全然見当もつかないんだ」

 部屋の主は三十代前半の金髪男性である。

 もともとは陽気な性格だったのだが、ここ数年、周囲に笑顔を見せたことはなかった。眉間には深い皺が一本刻み込まれており、彼の苦悩を雄弁に物語っていた。

「素直に名乗り出てしまえばよいではないか」

「その勇気が湧いてこない」

「お前のその気持ちは分からないでもないが、だからといってこのままずっと黙って監視を続けるつもりか? 倫理規定に抵触しているから、露見すればアカウントごと削除されるぞ」

「それも分かっている」

 部屋の主は、両拳を額に押し当てて黙り込む。

 来訪者は溜息をついた。

「自虐的な方法では何も解決しない。お前の名前だってそうだ。わざわざ『ユダ』を名のったところで相手には全く伝わらない。そもそもお前は裏切った訳ではなく、自ら進んで馬鹿げた行為を行ったのだ」

 来訪者の言葉は辛辣である。しかし、その声の奥には部屋の主を心配する気持ちが溢れており、そのことは部屋の主も充分に分かっていた。

「それも分かっているよ」

 部屋の主の声は急に弱々しくなる。

「ならば、いい加減にしたまえ。このままでは一生消えない染みが心の中に残り、じくじくと周囲を腐らせてゆくだけだ。今ならば消し去ることは出来なくとも、これ以上拡大することがないように出来る」

「消えるとは思っていないし、消したいと望んでもいない。ただ、俺のせいで不幸になった人を助けたいとは思う。許してもらうことはできなくても。しかし、どうやったらそれができるんだ?」

 部屋の主の声には、僅かな希望であってもそれにすがって何とか現状を変えたい、という思いが隠れている。

 ――であれば、大丈夫だろう。

 来訪者は潜めていた眉を緩めると、言った。

「お前に伝えておきたいことがある。俺も守秘義務を犯すことになるから、一蓮托生だ」

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