アニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン

 

 ・・・・・・こちらはアディールから数リーグ離れた郊外。

 銃士隊隊長アニエス・シュヴァリエ・ド・ミランは、フォルサテ軍の部隊長として指示を飛ばし、前線にエルフの援軍を招くものかと猛攻に必死に耐えていた。

やって来たエルフの援軍はすぐに戦闘を行わず様子を見ることにしたようで、数日間は膠着状態が続いていた。

 だが、先程白い光が空に昇っていったかと思うと、エルフたちは突然死に物狂いの突撃を決行してきたのだ。

 結果、当然のように辺りの精霊の力は不足する。一人当たりのエルフが扱える先住魔法は単調なものになり、弱小化していく。

 しかし何しろ数が多い。海路、空路は完全に断たれたわけではないのに、彼等はわざわざ陸路に兵を集中させてきた。何百、何千と事前に張っていたエア・シールドやバリケードは瞬く間に次々と破壊され、あっという間に両軍の衝突は始まった。

「総員守りを固めよ! 決して一人になるな! 必ず誰かに自分の背中を預けろ!」

 これが魔法の力か。

 対するエルフの先住魔法を鋼鉄の大盾で防ぎながら、アニエスは歯噛みする。

 一撃一撃を受けるたびに、馬に蹴られたような衝撃が盾を持つ腕を襲う。

 これでも弱いというのならば、万全の状態で放たれる魔法はこの盾と自分を紙のように貫き通すのだろう。ふざけた威力だ。

 しかし過去の“聖戦”と比べると、この戦はまだマシだ。こんな化け物を相手に、自分たちの祖先は無謀な突撃を行っていたのだから。

 攻撃魔法を詠唱した直後のエルフの騎士に狙いを定め、アニエスは鉛弾を打ち込む。 エルフは即座に結界を張ろうとしたが、為す術もなくそのまま腹を打ち抜かれた。精霊の行使権が少ないが為に、重複して呪文を唱えることができないのだ。

苦しまぎれにエルフが放った最後の魔法を、アニエスは再び盾で受け止める。今度のはさらに強力だった。

 吹き飛ばされそうになるのを必死に堪えた結果、盾を持つ腕から異様な音が複数回漏れた。痛みを理性でねじ伏せながら損傷を確認する。片腕はもう、動かせなかった。

 大盾を放り、アニエスは戦況を確認する。

 持ち前の知的な思考を失い、単純な突撃を行っているエルフたちは確実に数が減ってきている。だが、押し切られるのも時間の問題だ。足元に転がる兵士とエルフの割合が、もうそれほど長くは持たないという事実を示していた。

 しかし、撤退を命じるわけにはいかない。アディールには前もってあらゆる精霊たちに契約が施されており、エルフの力は数倍に膨れあがる。

 ここで自分たちが退いたらフォルサテ軍に、我々に勝ち目はない。

三人のエルフに目をつけられ、アニエスは再び銃を構える。恐らく自分が羽織っているシュヴァリエの百合紋で、士官と見受けられたのだろう。

鋭い眼光を宿らせ、自分を見て女だと侮る様子も欠片もない。

 手練れであることは予想できた。戦士としての勘が、アニエスに明確に死を悟らせた。

 退路は何とか確保できる。だが、ここで逃げたら自分は魔法に屈したことになる。

 自らの命と下らない誇り。両者を天秤にかけ、アニエスは後者を取った。

リッシュモンを殺してメイジは無敵ではないと証明し、彼女は腕を磨いた。

 だが誰よりも復讐するべき怨敵に軍人の在り方を問われ、自分は誰に刃を向けたら良いのかわからなくなった。

 晴れない憤りを訓練にぶつけ、アニエスはさらに自らを鍛え上げた。

 油断があったから、リッシュモンは討つことができた。もし次にあのような陰謀を働く者が手練れならば、自分はなおさら強くなっておかなければならない。

 メイジは、魔法は絶対ではない。努力を重ね続ければ、必ず打ち破ることができる。

 先程までは、確かにそう信じていた。だが先程先住魔法を受けたとき、アニエスは本能的に太刀打ちできないことを悟ってしまった。

 そして何より許せないことが、一瞬とはいえ恐怖を覚えてしまったことだった。

 そんなことは絶対に、認める訳にはいかない。認めたならば、今まで自分がやってきた努力を全て否定することになる。

 そんなことをするくらいだったら、死んだ方がまだマシというものだ。

 元より復讐を糧として生きてきた自分だ。叶えたい夢も、愛する人も・・・・・・何一つない。

 ・・・・・・死に場所には、丁度良いか・・・・・・

 アニエスは覚悟を決め、エルフたちに向き直る。

 すると背後から魔法の矢が飛んできて、一人のエルフの足を地面に縫いつけた。

「水精霊騎士隊、レイナール! ただいま助太刀に参りました!!」

「・・・・・・水精霊騎士隊?」

 アニエスは疑問を浮かべた。おかしい。彼等は陛下へ懇願したとおり、アディール内でより強力になったエルフたちと戦闘を行っているはずだ。

「ならば敵前逃亡したのか! サイト殿がいないいま、貴様は隊長なのだぞ!」

「いえ、いまはギムリが隊を率いています」

「そういうことではない!」

 アニエスは激高した。既に先住魔法を唱えているエルフたちは視界に入らなかった。

「自分から懇願したうえに、陛下のご信頼を裏切るとは!! 恥を知れ!!」

「分かっていますよそんなことは!」 

 飛んでくる“木矢”や“風刃”を、レイナールはとっさに展開した炎の壁で焼き尽くす。 “炎壁”(フレイム・ウォール)。

 感情の高ぶりは呪文を強力にする。レイナールは知らぬ間に、スクウェアクラスにしか扱えない呪文を唱えていた。

「でもしょうがないじゃないですか! あの白い光が空に昇ってから、どのエルフも焦って勝負をつけようとしている! そんな中フォルサテ軍が危ないと聞いたら、いてもたってもいられませんよ! 言いましょうか!! ぼくは貴方を守りに来たんです!!!」

「守る? 貴様が、わたしをか?」

「ええ、大体何ですかその腕のアザは! ボロボロじゃないですか!! そんな腕で戦おうとしてたんですか! こんな所で死ぬことこそ、貴方を腹心として傍らに置いてくださった陛下に対する最大の侮辱ではないのですか!!」

 レイナールの言葉を戯れ言と斬り捨てることは、アニエスには出来なかった。

 顔を羞恥で染めながらも、目の前の少年の瞳はどこまでも真剣だった。

 だからこそ、アニエスの心の底から自身への激しい怒りは湧きあがった。

 思い出すのは炎に包まれた自分の故郷。

 あの時のように、また守られるのか。

 自分のために誰かが傷ついていくのを見て、何も出来ない己の無力を悟るだけなのか。

 それが嫌で嫌でたまらなくて、自分は軍に入ったのではないのか。

 ひたすら心と体を鍛え、強くなろうとしたのではないのか。

 それをたかが片腕が使い物にならなくなったという程度で、なんだこのていたらくは。

 エルフたちは蛮人の少年に魔法を遮られたことに驚いたようで、いったん距離を取って魔法の詠唱を始めた。三人の戦士たちの中心で膨大な魔力が渦を巻き、圧縮され蓄積していくのが遠くから見て取れた。防ぎきれない必殺の一撃を食らわせようと考えたのだろう。

自分を押し退け前に出るレイナールの背中は、かすかに震えていた。

 その姿が幼い頃、自分を庇い燃え尽きようとしながらも、炎に耐えるための水の魔法を自分にかけたヴィットーリアの姿と重なった。

 「・・・・・・違う」

 あの時とは違う。

 もう誰かに守られるほど、わたしは弱い女ではない!

 敵を見据えるレイナールの隣に、アニエスは並び立つ。

「下がっててください。まだ腕が・・・・・・」

「貴様、そんなことをわたしに言えるだけの腕はもちろん持っているのだろうな?」  レイナールは答えない。ただその横顔を苦痛に歪める。

「まったく、こんな青二才に守るなんて言われるとは、アニエス・シュヴァリエ・ド・ミランも落ちぶれたものだ」

「・・・・・・」

「・・・・・・だんまりか。悔しくないのか」

「…え?」

「仮にも守るべき対象にこれだけ詰られて、悔しいとすら思わないのか!!」

「え? ええ??」

「ああもう、ナヨナヨしおって情けない!! 貴様に誇りやプライドはないのか!」

「???」

「貴様は本当に頭が固いな!」 

 混乱するレイナール。銃士隊の隊長は、そんな愚直すぎる少年を一括する。 

「貴様も騎士の端くれなら、さっさとわたしを守りきって自分の力を証明して、わたしの言葉を撤回させてみろと言っているのだ!」

そこでレイナールはやっと、アニエスの言わんとしていることを理解した。

 涙が出そうになった。自分は、この人の傍にいていいのだ。

「なにをぐずぐずしている! 行くぞ!」

「・・・・・・はい!」

 言葉と共に、二人は走り出す。詠唱中もじりじりとエルフたちは後退しており、彼我の距離は数十メイル。そう遠くはない。

 いきなり向かってくるメイジの少年と女騎士に、エルフたちはさして驚き、恐怖を感じている様子はなかった。よほど自分たちの詠唱に自信があるのだろう。微動だにしない。

 エルフたちが魔法を解き放つ。膨大な魔力が直径数十メイルほどの青白い火球へと形を変え、土煙を舞わしながら自分たち目掛けて襲いかかってくる。速い。しかも回避するには、あまりにも攻撃範囲が広すぎた。飛んで逃げようが走って逃げようが背中から焼かれるだけだし、先程のように炎の壁を展開しても炎に包まれれば意味をなさない。

 迫り来る圧倒的な死。しかし、レイナールは恐怖を感じなかった。それどころか思考は冴え渡り、何を次にやればいいかが手に取るようにわかった。

「失礼します!」

 レイナールは唐突に足を止め、アニエスを引き寄せて杖を構える。

直後、火球は二人を呑み込んだ。

生きている筈はない。あの火球の熱量は蛮人のメイジの作るような火球とは桁が違う。

 だからエルフの戦士たちは、振り返ることなくその場をあとにする。あれをまともに食らったら、たとえ竜だろうと骨どころか、炭すら残らず燃え尽きるからだ。

だがその時、背後に鈍痛を感じて一人のエルフが崩れ落ちた。

 突然の出来事に、残った二人は反射的に結界を張る。

 直後、魔法の矢が次々と結界に突き刺さり、エルフたちの眼前で何とか静止する。

 恐る恐る振り向くと、焼き尽くした筈のメイジと女騎士がたたずんでいた。

 有り得ない。あれをかわせるはずがない。ましてや下賤な蛮人などもってのほかだ。

 そこで、戦士たちはあることに気付いた。彼らが濡れていることと、その背後にぽっかりと空いた穴の存在に。 

 レイナールは“錬金”でとっさに足元の土を水に変えて飛び込み、“エア・シールド”で水と土の狭間と頭上に空気の壁を作ったのだ。火球が引き起こした膨大な地熱は空気の壁に阻まれ、余熱も水が吸収して難を逃れたのだった。

 それだけではない。“遠見”の魔法もレイナールは重ねて使い、出るタイミングを見計らっていた。

 それだけ呪文を重ねて使えば、単純な魔法も高度な技術と莫大な魔力を要する。当然、レイナールには精神力はもうほとんど残っていなかった。

 結界を展開させっぱなしで再び距離を取るエルフたちに睨みを効かせながらも、レイナールは背後のアニエスが持つ拳銃に視線を送る。どうやら通じたようで、アニエスは握った拳銃を軽く振る。やはり火薬は濡れてしまったらしかった。

 飛び道具はもう使えず、敵は強固な守りに包まれている。かといって背後を見せれば間違いなく終わる。このまま放置していても、自分たちは援軍の手にかかるだろう。

「アニエスさん、剣は振れそうですか」

「馬鹿にするな、問題ない。・・・・・・それがどうした」

「この会話が終わったと同時に左のエルフに同時に突っ込み、ふたりで結界に斬りつけます。僕が結界に傷を入れるので、アニエスさんは結界ごとエルフを叩き斬ってください」

「分かった。・・・・・・それにしても貴様のその口元の緩みは何だ? だらしがないぞ?」 

 絶体絶命の状況だというのに、言われて気付いた。レイナールは笑みを浮かべていた。

 彼女と肩を並べて立っている今が、何よりも誇らしく、幸せだった。それがレイナールの心に余裕を与え、思考を更に研ぎ澄まさせていく。

 今だったら、何でも出来るような気がした。

「なに、うれしくてたまらないだけです! ・・・・・・それでは行きますよ!」

 言葉と同時に、銃士隊隊長と一人のメイジは戦いの中へ飛び込んでいく。

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