第15話「戦争の闇、邂逅の悲劇」

 はまなす寮での夕食を終えた摺木統矢スルギトウヤは、五百雀辰馬イオジャクタツマに連れられるままに夜の外出に出ていた。

 まだまだ雪の目立つ青森市の中心市街地は、カーキ色の軍用車両がひっきりなしに走っている。戒厳令かいげんれいが発令されていないのは、そこまで気が回らないから。何故ならもう、すぐ目と鼻の先にパラレイドはいるのだから。

 明日には全県避難も始まるだろうが、それすらも悲壮な決戦を前に無意味に思えた。

 物々しい夜道を歩いて十五分、統矢の前に巨大な古びた洋館が現れる。


「よぉ、俺だ。ラスカ、いるだろ? 通してくれや、ジィさん」


 最初に出迎えたのは執事と思しき老人で、まるで異国情緒に放り込まれたような錯覚を統矢は覚える。辰馬は慣れているのか全く気にせず、執事が案内するままに邸宅へと入っていった。

 続く統矢は、屋内へと入って思わず息を呑んだ。

 古い建物は清潔感に溢れ、忙しそうにメイドたちが大勢行き来している。

 思わず見惚みとれてキョロキョロしていると、目の前に小柄な金髪のメイドが立った。


「よく来たわね、辰馬! ……統矢も。ついてきて、こっちよ」


 腰に手を当て高圧的な、メイドにあるまじき態度の生意気そうな少女だ。統矢は思わず「げっ」と声を漏らした。

 そこには、相変わらず勝ち気な表情にあか双眸そうぼうを並べた、ラスカ・ランシングの姿があった。

 どういう訳か彼女は、校区内でのツインテールを今はほどいて、メイド服を着ている。


「お前……そういう、趣味か?」

「うっさいわね! 事情があんのよ。それより、例の女でしょ? 今は千雪チユキがついてるけど、やっぱ気を失ってるだけみたい。ほら、こっち!」


 ガシリ! と遠慮無くラスカは統矢の手首を握ってきた。小さな手で、やけに熱い。そのまま強引に引っ張るので、ニヤニヤ笑う辰馬の前で統矢は引きずられてゆく。どういう訳か、手を引き先を歩くラスカの耳が真っ赤だった。

 そうして、他の多くのメイドがすれ違うたびにこうべれる中、三人は屋敷の奥へ進む。


「この部屋よ。ほら、さっさと入る!」

「あ、ああ。……大丈夫だ、俺は落ち着いている。りんなと会っても、俺は平気だ」


 自分に言い聞かせて、ドアのノブをつかむ。

 このドアの向こうに、死んだ筈の幼馴染おさななじみ……更紗さらさりんながいる。りんなとしか思えぬ容姿で眠る、謎のパンツァー・モータロイドと思しき所属不明機アンノウンから出てきたパイロットだ。

 気付けば緊張に胸が高鳴り、呼吸が浅くなってゆく統矢。

 それでも、意を決してドアを開こうとした、その時だった。


「あら、お客様? まあまあまあ……どちら様かしら」


 ふと背後で声がして、三人は同時に振り向いた。

 そこには、一人の婦人が立っていた。戦時下ゆえの質素な身だしなみだが、着こなしに気品がある。年の頃は、まだ三十代後半くらいだ。

 どこか上品な雰囲気をまとっているその女性に、統矢は違和感を感じた。

 その女性は、優雅な表情の中で瞳にうつろな闇を満たしているのだ。

 そして、そのことに気付いた瞬間、ラスカが声をあげた。


「ああ、ママ――! ……奥様。こちらの方は、


 一瞬統矢には理解が及ばなかった。ほかならぬラスカ自身が、なにを言っているのだろうか。それも、今確かに統矢は聴いた。ラスカは、お母さんと言おうとして言葉を無理矢理に飲み込んだのだ。

 そして、まるで本当のメイドのように、かしこまって声色を作っている。


「あら、そうなの。皆さん、いつも娘がお世話になって。ゆっくりしていって頂戴ね。ああ、それと……あなた、ちょっとアルレインを探してくれないかしら? どこにもいないのよ」

「奥様、それは」

「娘の飼ってるアルレインよ。あの子は賢い犬だから、きっとラスカのところにいるのかしら。ラスカが甘やかすもんだから、もう……ふふ」


 実の親子同士の会話ではなかった。

 ラスカの母親は、実の娘を今は本当にメイドだと見ているらしい。そして、それを享受きょうじゅせねばならないことに、どうやらラスカは必死で耐えているようだった。

 ラスカは両の拳をグッと握って、立ち尽くしている。

 彼女の両手に食い込む指の爪の、その音が聴こえてきそうな程だった。

 異様な親子の風景に統矢があっけにとられていると、ポンと辰馬が肩を叩いてくる。彼は目線で無言を促しつつ、統矢に代わってドアのノブを回した。

 ラスカと母親を残したまま、複雑な思いで統矢は部屋の中へと脚を踏み入れる。先程までの躊躇ちゅうちょ戸惑とまどいも、突然のいびつな母子の光景を前に吹き飛んでしまっていた。

 すぐに視界に入ってきたのは、振り向く五百雀千雪イオジャクチユキだった。

 そして、彼女が付き添っているベッドの上に、上体を起こす少女の姿があった。


「統矢君。兄様も。ついさっき、彼女が意識を取り戻したんですが」


 相変わらず澄んだ無表情の千雪だが、心なしかその顔に浮かぶ凛とした面影がかげっている。それが困惑だと気付いたが、もう統矢は自分で自分を止められなかった。

 ベッドの上で、少女がこちらを向いて大きく目を見開く。

 短く切り揃えた、おかっぱの髪の毛。くりくりと瞬きを繰り返す瞳も、すらりと通りのよい鼻立ちも、全てが記憶の通り。

 慌ててベッドへと駆け寄る統矢には、間違いなく幼馴染に見えた。


「りんな! 俺だ、統矢だ。わかるか、俺が? なあ、りんな……生きてたんだな、りんな」


 千雪の側をすり抜け、統矢はしがみつくようにベッドの上の少女に迫った。その細く華奢な肩に両の手を置き、気付けば力を込めて握り締めていた。

 それで少女が表情を僅かに歪めたので、慌てて統矢は手を離す。

 だが、見下ろす少女の顔は、その一挙手一投足は、確かに記憶の中の更紗さらさりんなと同じだった。

 その彼女が、僅かに乱れた寝間着パジャマ襟元えりもとを直しながら口を開く。


「あ、あの」


 声も、りんなだ。

 間違いなく、統矢の側で十年以上一緒だった声だった。

 それで統矢は、高鳴る鼓動が早鐘のように耳元で響くのを聴く。まるで全身が心臓になったようで、周囲で言葉を交わす辰馬と千雪の声も頭に入ってこない。

 なにかを言おうとして見詰めてくる少女を、ただ統矢もまた真っ直ぐ見詰め返した。

 だが、残酷な言葉が統矢を空気の震えで引き裂いた。


「あなたは……誰? わたしを、知ってる方、ですか?」


 頭をハンマーで殴られたような衝撃に、思わず統矢はよろける。

 自ら復讐装置アヴェンジャーとなって戦いに邁進した、その原動力が統矢の淡い期待を裏切った瞬間だった。だが、それでもなにかしら事情があるのではと、統矢は都合のいい理由を自分に言い聞かせる。

 そう、彼女の乗るPMRパメラ次元転移ディストーション・リープしてきたのだ。

 なにか事情が……まだ統矢たちが知らぬ背景があるのでは?

 祈るような気持ちでそう願いながら、統矢が次の言葉を選んでいると、


「統矢君、落ち着いてください」


 不意にひんやり冷たい手が、統矢の手を握ってきた。

 それで初めて、統矢は自分の手が震えているのを知った。

 あまりの衝撃に狼狽うろたえて、統矢は身震いに戦慄わなないていたのだ。


「千雪……な、なあ、りんなは……どうして俺を。どうして」

「大丈夫です、統矢君。落ち着いて聞いてください……彼女は、どうやら記憶に障害があるようです。記憶喪失……私と言葉を交わした限りでは、彼女はなにも知らず覚えていません」

「記憶、喪失?」


 それで統矢は、改めて少女を見やる。

 萎縮して落ち着かない様子で手と手の指同士を遊ばせる彼女は、統矢の視線から逃げるように目を逸らした。

 自然と、先ほどのラスカと母親のやり取りが頭をよぎる。

 人間は強い心理的な外傷を受けると、自らを守るために記憶を閉ざしてしまうことがある。他にも外的要因等、さまざまな理由で記憶障害は起こる……その程度の認識は統矢にもあった。だが、それが自分の親しい人間……それも、渇望してやまぬ喪失感の根源に振りかかるとは、想像だにしなかったのだ。


「そ、それじゃあ、俺のことも……?」

「はい。あのPMRに何故乗ってたのかも、あのPMRがなんなのかも……彼女は覚えていないそうです」

「そんな……そんなことって、あるのかよ! それじゃあ」

「落ち着いてください、統矢君。どんな形であれ、彼女は生きてるんです。気を確かに、気持ちをお強く……大丈夫です、大丈夫ですから」


 まるで幼子をあやすような口調と声音で、千雪は握る手に力を込めてくれた。

 だがもう、統矢はその手を握り返すことができない。

 そんな二人を交互に見ながら、おずおずとベッドの上の少女は口を開いた。


「あ、あの……皆さんはやはり、わたしのことを? 特に、そっちの男の子は」

「俺は……俺は、お前の幼馴染だ。ずっと北海道で育った……そう、お前は、更紗りんな。りんななんだ……いつもお節介で姉気取りの世話焼きで、いつも……いつも側にいてくれた」

「更紗、りんな……っ! う、あ、ああ……頭が」


 不意に少女は両手で頭を抱えるや、そのまま身体を折り曲げて顔を伏せてしまう。

 だが、苦しげに呻く声の中に、統矢は衝撃の言葉を拾った。


「頭が、割れそう……ん、でも。……そう、そうなんだ。わたしは、更紗……わたしの名は、


 ――更紗れんふぁ。

 確かに彼女は、統矢のよく知る姓を名乗って、聞いたこともない名を添える。

 立ち尽くす統矢から周囲の音が遠のき目の前が暗くなった。

 理解不能な事態の中で、手を握ってくれる千雪の手だけが、その柔らかな感触だけが確かに感じられた。だが、それすらも手の中を滑り落ちてゆくような、そんな錯覚に統矢は沈んでいった。

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