第14話「身も心も包む、夜」
統矢は混乱の境地でうろたえていた。
「統矢、97式【
廊下で擦れ違った級友の
その優しい言葉すら、頭の中をすり抜けた。
今、統矢の脳裏を支配しているのは、ありえない現実。現実感を喪失しつつある自分が、それでもと信じずにはいられない真実だった。
あの冬の北海道で死んだ幼馴染、
謎のパンツァー・モータロイドのコクピットに収まっていたのは、間違いなくりんなだった。
友人の声を無視するように、薄暗い自室へと統矢は無言で帰宅を果たす。既に日は落ちていたが、外は皇国軍のヘリや輸送機がひっきりなしに飛んでいた。迫る闇夜を振り払うように、サーチライトが無数に空を切り裂いている。
そして、
「よぉ、邪魔してるぜ? しっかし、味気ねえ部屋だな」
「あんたは……
そこには、青森校区の
一口コーヒーをすすってから、辰馬は部屋の真ん中に座り込んだ。
荷物の少ない室内は、白い壁だけが闇に沈んでいる。
明かりをつけるのも忘れて、統矢は立ち尽くしていた。
「さっきのアレな、一応
「……ああ」
「軍も
「いえ、まだ」
気遣うような辰馬の声音は、普段と変わらぬ
だが、耳へと入り込んでくるその声も、統矢の思考へ触れてくることはない。まるで右の耳から入って、左の耳へと素通りするような感覚。
それでも
「あの子が、お前の幼馴染……更紗りんな、か?」
ビクン! と統矢の身体が震えた。
そう、辰馬に言われるまでもない……自分が見間違える筈がない。
「あれは、りんなだった……」
口に出して呟き、それを自分の中に確認する。
間違えようがない、毎日飽きもせずに顔を合わせていた幼馴染なのだ。もう、十年以上も一緒に北海道で育って暮らした、世界で一番身近な他人……恐らく無意識に、りんなは自分の一部で、自分はりんなの一部だと感じていたかもしれない。
自分とまるで間逆なのに、いつもそばに居てくれた半身……己と対となる
統矢はふらりと窓際の机に向かって、そっと手を伸べる。開封することなく缶コーヒーを置いた手が、机の上のタブレットを取り上げた。
振り返りながら操作し、辰馬へと突きつける。
あの日以来、一度も開いていなかったフォルダの中を表示させながら。
「あれは確かに……間違いなくあいつだった。更紗りんなだった」
タブレットの中には、つい半年前の写真。戦場となった北海道校区に優先的に配備されていた【氷蓮】の前で、
写真で見るりんなの笑顔は、それが永遠に失われた今でも
今時めずらしい個人所有のタブレットを見詰めて、「ふむ」と辰馬も唸った。
「確かに。さっきの
「どうして……何故りんなが? それも、生きてたなんて」
「他人の空似ってことは……ないな。お前さんが見間違う筈もねえ」
辰馬の言葉に統矢は無言で
自分の視界へとタブレットをひっくり返せば、タップする先々にりんなの笑顔がちりばめられている。こうして過去の写真を見れば見るほど、眠れる謎の少女がりんなとしか思えなくなる。
そう思い込みたい自分もいて、それが現実との整合性の狭間で迷っているのだ。
辰馬は立ち上がると、俯く統矢の肩をポンと叩いてくる。
「統矢、とりあえず飯だ。飯をちゃんと食え。そしたら会いに行こうぜ? その、りんなちゃんによ」
「会いに……行く?」
「そうだ。俺らは寮生だが、ラスカは実家暮らしでな。りんなちゃんは目覚めるまでそっちで面倒見てもらってる。校区内は軍人も入り込んでごたついてるからな」
辰馬の賢明な判断力に感謝しつつも、ぼんやりと心ここにあらずといった状態で統矢は頷いた。あの少女が……もう一人のりんなが、目覚める? そう、気を失って眠っているだけで、なんのダメージも見受けられなかった。呼吸も脈拍も正常で、外傷は全くない。
その彼女が目覚めた時、統矢はなんて言えばいいのだろうか?
――果たして彼女は、本当に統矢の知る更紗りんななのだろうか。
「統矢、お前さ……りんなちゃんってのは、コレか?」
おどけて肩を組んできた辰馬が、右手の小指を立てて見せる。
自分の女だとも、恋人だとも言えない統矢だったが、辛うじて言葉を絞り出した。
「
「そっか……そうだな。なあ、統矢! 俺の妹は、千雪はどうだ?」
「へ?
「フェンリルと恐れられた、我らが青森校区戦技教導部の
「千雪は、その……親切な、奴です、けど。でも、俺は」
突然の質問に意味がわからなかったが、頬が自然と熱くなる。りんなのことしか考えられなくなっていた頭の中に、長い黒髪の少女が浮かび上がった。
何故か親身になってくれるクラス委員長、五百雀千雪……恐らく、この青森で初めて統矢が心を開いた人間。その開け放たれた心にもう、彼女は自分だけの場所を占めているような気がした。それを察したのか、辰馬が普段のしまらない笑みに表情を崩す。
「そっ、そそ、そういう五百雀先輩こそどうなんですか。……その、副部長さん。
「辰馬でいいぜ、んー? はは、どうかねえ? 秘密だ、秘密。公然の秘密ってやつだな。それより」
グッと肩を抱く腕に力を込めて、辰馬が額を寄せてくる。すぐに真剣な表情になった彼は、統矢に力のこもった言葉を投げかけてきた。
「統矢、お前も戦技教導部に来い。フェンリルの一員として戦うんだ」
「俺が……?」
「今なら89式【
「俺は、俺は……」
答は決まっていた。そして、定まった答の前では形式や立場など
既に青森は最前線、辛うじて動きを止めたパラレイドは……セラフ級のゼラキエルはすぐにでも動き出すだろう。そうなれば、青森校区の生徒たちは
「俺は……戦いますよ。今度こそりんなを守る、守り切る。その上で奴を……奴らパラレイドを
「オッケーだ、歓迎するぜ?」
「でも、俺はあの機体に……【氷蓮】に乗り続ける。りんなの機体で俺は戦う」
離れた辰馬は肩を竦めたが、統矢の気持ちは変わらなかった。
青森での決戦が始まる前夜、まだまだ冬の寒気が居座る四月の末だった。凍れるように寒い夜の帳は今、展開を続ける軍の動きで騒がしい。その不気味な鳴動は統矢を、再び戦場へと誘うように響き続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます