第14話「身も心も包む、夜」

 皇立兵練予備校青森校区こうりつへいれんよびこうあおもりこうくの学生たちが、親元を離れて暮らす第二の我が家……はまなす寮。天涯孤独てんがいこどくの身となった摺木統矢スルギトウヤは、自分の部屋への道をどう戻ったか覚えていない。

 統矢は混乱の境地でうろたえていた。


「統矢、97式【氷蓮ひょうれん】の脱落した肩アーマーな、修理しといたぜ? ほつれたスキンテープも巻き直したし……おい、統矢!」


 廊下で擦れ違った級友の柿崎誠司カキザキセイジが、手をあげ声をかけてくれる。

 その優しい言葉すら、頭の中をすり抜けた。

 今、統矢の脳裏を支配しているのは、ありえない現実。現実感を喪失しつつある自分が、それでもと信じずにはいられない真実だった。

 あの冬の北海道で死んだ幼馴染、更紗サラサりんなは生きていた。

 謎のパンツァー・モータロイドのコクピットに収まっていたのは、間違いなくりんなだった。

 友人の声を無視するように、薄暗い自室へと統矢は無言で帰宅を果たす。既に日は落ちていたが、外は皇国軍のヘリや輸送機がひっきりなしに飛んでいた。迫る闇夜を振り払うように、サーチライトが無数に空を切り裂いている。

 そして、閑散かんさんとした部屋には統矢を待つ人影があった。


「よぉ、邪魔してるぜ? しっかし、味気ねえ部屋だな」

「あんたは……五百雀辰馬イオジャクタツマ、先輩」


 そこには、青森校区の戦技教導部せんぎきょうどうぶ部長、辰馬の姿があった。彼はぼんやりと見詰める統矢へ、手にしたなにかを放り投げてくる。受け取ればそれは、まだじんわりと温かい缶コーヒーだった。同じものを辰馬は持っていて、プルタブを開ける音が小さく響く。

 一口コーヒーをすすってから、辰馬は部屋の真ん中に座り込んだ。

 荷物の少ない室内は、白い壁だけが闇に沈んでいる。

 明かりをつけるのも忘れて、統矢は立ち尽くしていた。


「さっきのアレな、一応先公センコーにも話をと思ったんだけどよ……この騒ぎだ、職員室が今じゃ作戦本部みたいになっちまってる」

「……ああ」

「軍も出張でばってきてて、校区内は最前線基地に早変わりだ。明日から忙しくなるぜ……飯は食ったか? 統矢」

「いえ、まだ」


 気遣うような辰馬の声音は、普段と変わらぬ飄々ひょうひょうとしたものだった。

 だが、耳へと入り込んでくるその声も、統矢の思考へ触れてくることはない。まるで右の耳から入って、左の耳へと素通りするような感覚。

 それでも茫然自失ぼうぜんじしつの統矢を前に、ちびちびと缶コーヒーを飲みながら辰馬は溜息を零した。


「あの子が、お前の幼馴染……更紗りんな、か?」


 ビクン! と統矢の身体が震えた。

 そう、辰馬に言われるまでもない……自分が見間違える筈がない。

 所属不明機アンノウンのコクピットで眠っていたのは、りんなだった。眠っているだけ、気を失っているだけで生きていたのだ。あの日、血塗ちまみれのコクピットで肉塊にくかいとなっていた姿を、今も統矢ははっきりと覚えているにも関わらず。


「あれは、りんなだった……」


 口に出して呟き、それを自分の中に確認する。

 間違えようがない、毎日飽きもせずに顔を合わせていた幼馴染なのだ。もう、十年以上も一緒に北海道で育って暮らした、世界で一番身近な他人……恐らく無意識に、りんなは自分の一部で、自分はりんなの一部だと感じていたかもしれない。

 自分とまるで間逆なのに、いつもそばに居てくれた半身……己と対となる比翼ひよく

 統矢はふらりと窓際の机に向かって、そっと手を伸べる。開封することなく缶コーヒーを置いた手が、机の上のタブレットを取り上げた。

 振り返りながら操作し、辰馬へと突きつける。

 あの日以来、一度も開いていなかったフォルダの中を表示させながら。


「あれは確かに……間違いなくあいつだった。更紗りんなだった」


 タブレットの中には、つい半年前の写真。戦場となった北海道校区に優先的に配備されていた【氷蓮】の前で、億劫おっくうそうにカメラをにらんでいるのは統矢だ。そして、その腕にぶら下がるように抱きついて笑顔をほころばせているのは、あの日のままのりんなだった。

 写真で見るりんなの笑顔は、それが永遠に失われた今でもまぶしい。

 今時めずらしい個人所有のタブレットを見詰めて、「ふむ」と辰馬も唸った。


「確かに。さっきのPMRパメラから出てきたカワイコチャンだな、こりゃ」

「どうして……何故りんなが? それも、生きてたなんて」

「他人の空似ってことは……ないな。お前さんが見間違う筈もねえ」


 辰馬の言葉に統矢は無言で首肯しゅこうを返す。

 自分の視界へとタブレットをひっくり返せば、タップする先々にりんなの笑顔がちりばめられている。こうして過去の写真を見れば見るほど、眠れる謎の少女がりんなとしか思えなくなる。

 そう思い込みたい自分もいて、それが現実との整合性の狭間で迷っているのだ。

 辰馬は立ち上がると、俯く統矢の肩をポンと叩いてくる。


「統矢、とりあえず飯だ。飯をちゃんと食え。そしたら会いに行こうぜ? その、りんなちゃんによ」

「会いに……行く?」

「そうだ。俺らは寮生だが、ラスカは実家暮らしでな。りんなちゃんは目覚めるまでそっちで面倒見てもらってる。校区内は軍人も入り込んでごたついてるからな」


 辰馬の賢明な判断力に感謝しつつも、ぼんやりと心ここにあらずといった状態で統矢は頷いた。あの少女が……もう一人のりんなが、目覚める? そう、気を失って眠っているだけで、なんのダメージも見受けられなかった。呼吸も脈拍も正常で、外傷は全くない。

 その彼女が目覚めた時、統矢はなんて言えばいいのだろうか?

 ――果たして彼女は、


「統矢、お前さ……りんなちゃんってのは、コレか?」


 おどけて肩を組んできた辰馬が、右手の小指を立てて見せる。

 自分の女だとも、恋人だとも言えない統矢だったが、辛うじて言葉を絞り出した。


わりのないもの……かけがえのない奴、だった。と、思う」

「そっか……そうだな。なあ、統矢! 俺の妹は、千雪はどうだ?」

「へ? 五百雀千雪イオジャクチユキ……? そ、それは、その」

「フェンリルと恐れられた、我らが青森校区戦技教導部の拳姫けんき……誰が呼んだか、通り名コールサインは【閃風メイヴ】だ。容姿端麗、学業優秀、スポーツ万能とかわいくねぇ愚妹ぐまいさ」

「千雪は、その……親切な、奴です、けど。でも、俺は」


 突然の質問に意味がわからなかったが、頬が自然と熱くなる。りんなのことしか考えられなくなっていた頭の中に、長い黒髪の少女が浮かび上がった。

 何故か親身になってくれるクラス委員長、五百雀千雪……恐らく、この青森で初めて統矢が心を開いた人間。その開け放たれた心にもう、彼女は自分だけの場所を占めているような気がした。それを察したのか、辰馬が普段のしまらない笑みに表情を崩す。


「そっ、そそ、そういう五百雀先輩こそどうなんですか。……その、副部長さん。御巫桔梗ミカナギキキョウ先輩とは」

「辰馬でいいぜ、んー? はは、どうかねえ? 秘密だ、秘密。公然の秘密ってやつだな。それより」


 グッと肩を抱く腕に力を込めて、辰馬が額を寄せてくる。すぐに真剣な表情になった彼は、統矢に力のこもった言葉を投げかけてきた。


「統矢、お前も戦技教導部に来い。フェンリルの一員として戦うんだ」

「俺が……?」

「今なら89式【幻雷げんらい】の改型伍号機かいがたごごうきが空いてる。予備機よびきだがお前にくれてやる。好きにチューンして使え。どうだ?」

「俺は、俺は……」


 答は決まっていた。そして、定まった答の前では形式や立場など瑣末さまつなことに過ぎない。

 既に青森は最前線、辛うじて動きを止めたパラレイドは……セラフ級のゼラキエルはすぐにでも動き出すだろう。そうなれば、青森校区の生徒たちは幼年兵ようねんへいとして戦わなければいけない。その戦闘に立つ最精鋭さいせいえいが、戦技教導部だ。


「俺は……戦いますよ。今度こそりんなを守る、守り切る。その上で奴を……奴らパラレイドを殲滅せんめつする。例えりんなが戻ってきたとしても、りんなを失った俺の気持ちは、まだ!」

「オッケーだ、歓迎するぜ?」

「でも、俺はあの機体に……【氷蓮】に乗り続ける。りんなの機体で俺は戦う」


 離れた辰馬は肩を竦めたが、統矢の気持ちは変わらなかった。

 青森での決戦が始まる前夜、まだまだ冬の寒気が居座る四月の末だった。凍れるように寒い夜の帳は今、展開を続ける軍の動きで騒がしい。その不気味な鳴動は統矢を、再び戦場へと誘うように響き続けていた。

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