第7話「パンツァー・ゲイム」

 ずらりとパンツァー・モータロイドが並ぶPMRパメラ格納庫ハンガーは、活況かっきょうに満ちていた。

 蒸せるようなオイルの臭いに入り交じる、火薬と硝煙しょうえんの臭い。

 耳をつんざくメカニカルノイズで、濁った空気は震えていた。


「なんだ、このお祭り騒ぎは。脳天気なもんだな。……俺も、そうか」


 摺木統矢スルギトウヤひとりごちて、一人だけ違う制服の詰め襟を脱ぐ。基本的にPMRへの搭乗時、ヘッドギアを被る程度で専用のスーツ等は存在しない。普段から制服やジャージで誰もが実技教練じつぎきょうれんを受けてるし、人類同盟じんるいどうめいの正規軍でも同じだ。

 PMRにとってパイロットは、コストは高いが無限に代替の可能な部品でしかなかった。

 統矢は今、そうして愛機の一部になるべく緊張感を漲らせる。

 青森校区戦技教導部あおもりこうくせんぎきょうどうぶの一年生、ラスカ・ランシングからの挑戦を受けて、統矢はパンツァー・ゲイムで雌雄しゆうを決することとなった。

 ――パンツァー・ゲイム。

 それは、戦争が常態化した日常の世界で、唯一にして絶対の娯楽。レギュレーション無制限の、PMR同士による競技としての模擬戦だ。


「よぉ、統矢! あのラスカとパンツァー・ゲイムだってな」

「聞いたわよ、摺木君。私たち、応援してるから」

「あの新入生、戦技教導部だからって随分、ね……校内でも評判がアレなのよ。鼻っ柱折ってやって! 摺木君ならきっと……ううん、絶対勝てるから!」


 今、待機状態の97式【氷蓮ひょうれん】の前には、同級生たちの人だかりがあった。

 皆、パンツァー・ゲイムの噂を知って集まっているのだ。まだまだ寒い春の放課後、奇妙な熱気と興奮が場を支配していた。統矢の同級生たちは、各々にペンやブラシ、スプレー缶を持って【氷蓮】の周りにいてくれる。

 全身をスキンテープで包帯のように覆った、辛うじて動く中破状態のPMR。

 彼ら彼女らは、その真っ白な機体のアチコチになにやら熱心に書き込んでる。


「……なにしてるんだよ、なあ。あっ! お前ら、勝手に!」

「いやいや、コレはお前が直したんだろ? 大したもんだよ、やっぱ」

「いつか足りない部品も調達できて、完全に修復されるといいなと思って」

「ま、ご祝儀しゅうぎ代わりというか、縁起物? みたいなもんさ」


 同級生たちは有無を言わさず、片膝を突いて屈む【氷蓮】のいたるところにメッセージを書き込んでいた。なにを呑気なと思うが、やはり悪い気はしない統矢。

 頑張れとかファイトだとか、気楽に勝手に好き放題書き込まれてしまった。

 だが、搭乗前に見上げる愛機への温かな落書きが、今は不思議とありがたい。

 脱いだ上着を無造作に放り投げて、コクピットを見上げた統矢は、けて熱した排気と共に甲高い金切り声を聴いて振り返った。


『ハン! せいぜい気張りなさいよね。そのガラクタのポンコツ、今度こそアタシのアルレインがスクラップにしてやるんだから!』


 耳にキンキンと響く、勝気で威勢のいい声。

 統矢たちの前に今、全校生徒たちギャラリーの視線を集める真紅スカーレットのPMRが立っていた。89式【幻雷げんらい】のカスタム機だが、その姿はあまりに異様……授業で使う【幻雷】とは違い、殆ど装甲がない。徹底して軽量化されたネイキッドなラスカの機体が、捨て台詞と共に雪景色の外へと出てゆく。その後姿は、駆動系を支える人工筋肉であるラジカルシリンダーが露出した部分すら見受けられた。

 統矢の今の敵、対戦相手……戦技教導部の期待の新人ラスカが駆るPMRだ。


「余程自信があるらしいな。いさぎよいチューニングだが、それより……アルレイン?」

「ラスカちゃんの愛機の名さ。彼女はアルレインの愛称でかわいがってるって有名だぜ? あれは89式【幻雷】の改型かいがた四号機。ラスカちゃんだけのスペシャルリミテッドさ」


 統矢の呟きにすぐさま、隣で声が返ってきた。

 気付けばペンキの缶を持った柿崎誠司カキザキセイジが立っていた。彼は鼻の下を指でこすって、気さくに笑いながら統矢に説明してくれる。


「授業用の【幻雷】とは別に、戦技教導部の連中は自分用にカスタマイズした機体を持ってるのさ。改型って呼ばれる、極限チューンのパンツァー・ゲイム用……ラスカちゃんの四号機は攻撃と回避に特化した駆逐型くちくがたで、普通の【幻雷】よりぐっと軽い。手強いぜ、統矢?」


 統矢は、以前の実技教練での敗北を思い出す。五百雀千雪イオジャクチユキも確かに、空色の【幻雷】を使っていた。近接格闘戦用に特化した、原型がわからなくなる程に改造された機体……フェンリルの拳姫けんき、【閃風メイヴ】と恐れられる一騎当千のPMRだ。

 だが、北海道校区にも戦技教導部はあったし、当然にも思える。


「なるほどな、あれが全国総合競戦演習ぜんこくそうごうきょうせんえんしゅうでベスト4……フェンリルの一角って訳か」

「そゆこと。どうする、統矢? いかに最新鋭の97式【氷蓮】とはいえ、やっと動けるようなレベルじゃ厳しいぞ。あっちは軽量化のために装甲を削ぎ落としてるが、こっちはそもそも付けられる装甲がないんだからな」

「……勝つさ。振りかかる火の粉を振り払うのはやぶさかじゃない。それに……たかがパンツァー・ゲイムで手間取るようなら、パラレイドとは戦えない」


 統矢の迷いのない声に、誠司は肩を竦めてみせた。

 そう、統矢がここで立ち止まる訳にはいかない……理不尽に突きつけられた勝負でも、目の前に立ち塞がる全ては突破する。障壁があったら、避けもしないし潜ったり超えたりしない。ただ、真正面からブチ破るのみだ。

 統矢は周囲の同級生たちを下がらせると、愛機のコクピットへとよじ登る。

 すでに常温Gx炉じょうおんジンキ・リアクターはハーフドライブで機体を暖めており、すぐにも戦闘が可能だ。コクピットのシートに収まりハーネスで身体を固定して、手早く統矢は最終チェックを済ませる。

 人機一体、改めて統矢は【氷蓮】の一部となり、同時に【氷蓮】が統矢の拡張した肉体も同然に駆動を始めた。立ち上がらせようとしてコクピットのハッチを閉じる、その前に統矢へ清水のように清廉せいれんな声が投げかけられる。


「統矢君」

「……千雪か」

「気をつけてください。ラスカさんは新入生ですが、中等部での実績があって強敵です」

「弱い敵なんていないさ。常に強敵、そして激戦ばかりだ」

「それが、実戦の空気……戦争なんですね?」

「ああ」


 千雪はコクピットのハッチに立って統矢を覗き込んでくる。そんな彼女とのそっけない会話も、気付けば随分と当たり前な日常になって久しい。

 何故、千雪はここまで自分を気にかけてくれるのだろう?

 クラス委員だからというのは、どうやら本当の理由ではないように思える。千雪は統矢の作業を手伝い、部活動の資材を提供してくれた。自ら手を機械油で共に汚して修理に勤しみ、応急処置が完了した時など笑顔すら見せてくれた。

 その疑問を口にしようとした統矢だったが、不意に言葉が詰まった。

 千雪はコクピットに上体を押し込み身を乗り出すと、そっと統矢の頬に手で触れてきたのだ。


「統矢君、ラスカさんの四号機は、アルレインは機動力と運動性に特化した一撃離脱型の超攻撃的セッティングです。スピードに惑わされれば、負けてしまいます」

「あ、ああ。なあ、千雪……手が」

「この子は、【氷蓮】は装甲の大半を失ってるため、防御力が低下してますが……反面、重量は軽くなってます。足回りの設定は統矢君が私と調整したので、信じてください」

「お、おう」

「統矢君、勝ってくださいね。私は、信じてます。私たちで直したこの子を信じる、統矢君を信じてます。ジャッジとして、パンツァー・ゲイムには私が立ち会いますので」


 それだけ言うと、不意に千雪は唇で統矢の頬に触れてきた。

 僅か一秒にも見たぬ瞬間の刹那せつな、乙女の祈りがくちづけとなって統矢の顔を朱に染める。


「おまじない、です。統矢君……頑張ってください」

「千雪……お前、どうして俺に、俺なんかに」

「PMRを大事にする人に、悪い人はいません。それに、私……クラス委員ですから」

「それだけか?」

「今は、まだ。それだけで十分です」


 千雪は生真面目に作った怜悧れいりな表情を崩すこと無く、頬を染めることすらなく統矢から離れる。そうして彼女がハッチから飛び降りたので、統矢は操縦桿を握ってGx感応流素ジンキ・ファンクションへ自分の意志を流し込んだ。

 同時にコクピットのハッチを閉じて、密室を作ってからようやく頬に手を当てる。

 千雪が唇で触れてきた肌が、酷く熱く火照っていた。


「なんなんだよ、千雪。お前は……いや、今は勝負に専心する。生意気な金髪娘に、教えてやるさ……地獄から戻った俺と【氷蓮】の力をな」


 統矢の覇気に応えるように、駆動音を高鳴らせながら【氷蓮】は立ち上がる。武器はまだなく、機体のコンディションは辛うじて動くだけ。だが、統矢に負けるつもりはない。整然と並ぶ授業用の【幻雷】から、統矢は被せられた灰色の防護シートを剥ぎ取った。満身創痍の機体を隠すように、それをマントとして羽織らせると……雪の止んだ外へと、統矢は愛機を押し出す。

 積雪で真っ白な校庭には今、真っ赤な細身の【幻雷】改型四号機が待っていた。

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