第5話「人の和の、中へ」
だが、現実には昼休みを挟んだ午前中、
統矢にとって先程の敗北は、
そう、全てはパラレイドと呼ばれる人類の天敵への、復讐と闘争の未来へ続いていた。
「それにしても、五百雀千雪……なんて技量だ。機体性能の差だけじゃない、もっと根本的に腕が違う」
五時間目の授業は、第三体育館での
怪我を理由に武術鍛錬を見学しつつ、相変わらずタブレット片手に座っていた統矢は、畳の上へと視線を投じて目を細める。
そこには、彼の
千雪の身体が、小さな呼気と共に僅かに沈んだ瞬間。
全身をバネに筋肉を躍動させる【
バン! と乾いた受け身の音が響いて、周囲のクラスメイトから「おおー」と感嘆の声があがる。誰もが皆、
襟元を正して開始線で礼をする千雪に、気付けば統矢も
「俺は、あの千雪に……負けたんだな。でも、あの時確かに、感じた。妙な違和感、不気味な程に澄んだ集中力。あれは、なんだったんだ?」
肌で感じる緊張感で、全身がひりつくような感覚の模擬戦。それも
だが、その中で確かに統矢は感じたのだ。
全てがスローモーションに見える中で、自分のあらゆる限界が拡張してゆく感覚を。直感の全てが確信できた、考えた全てが実践できるように感じた……恐ろしい程の、
迷いも疑いもない一瞬は、統矢に不思議な現象を見せつけ、過ぎ去るや敗北を連れてきた。
――あの感覚は、いったい……?
その時、隅で距離をとって眺めていた統矢は、背後に気配を感じて振り向く。
「おーおー、相変わらずだぜ? なにをやらせてもソツがない……かわいくないねえ」
そこには、
統矢の視線に気付いた男は、ニッカリと白い歯を零して笑ってみせた。
「お前さんが、噂の転校生ね……北海道での激戦を生き残った、地獄からの
「あんたは……?」
統矢の問には応えず、男は手元のタブレットを覗き込んでくる。
そこには今、統矢が千雪と修理中の97式【
「破損したラジカルシリンダーは取り替えりゃいいな、転校生? けど、外装の
「スキンテープ……そうか! 破損部を補強材で覆って――」
「そゆこと。スキンテープは戦地でも応急処置に使われる耐熱耐火素材だ。動かすだけなら強度も問題ねえよ。だろ?」
驚いたことに、ちらりと図面を見ただけで男は適切な処置を統矢に告げてきた。
PMRの
それは統矢と千雪の悩みの種だったが、男の提言は画期的とも言えた。
防御力は限りなく低下するが、加工した補強材をあてがい、その上から包帯の要領でスキンテープ――戦場での応急処置に使用される特殊素材のテーピング――を使えばいいのだ。
「あんた、いったい……」
「なぁに、通りすがりのおせっかいさ。加えて言えば、午後の授業をフケてる
「! ……俺の名を、どうして……?」
「整備科のダチがそろってブーたれてたぜ? 普通科のバカが模擬戦で、派手にPMRをブッ壊したってな。ま、元気があっていーじゃない?」
それだけ言うと、男は去っていった。
名前を聞きそびれたまま、その背を見送り統矢は立ち上がる。
そんな彼とは距離を置きつつも、揃って一通り千雪に投げられ終えたクラスメイトたちが周囲に集まってきた。
どういう訳か、彼らが
統矢が改めてクラスメイトたちに向き直ると、誰もが互いを肘で突きながら、男子も女子も声をひそめて
意を決して話しかけてきたのは、確か
「な、なあ転校生……午前中のアレ、凄くね? 俺、五百雀さんにあそこまで肉薄した奴って初めて見るからよ。彼女、
誠司の声を口火に、ぐるりと柔道着姿のクラスメイトたちが周囲を囲む。
誰もが以前とはうって変わって、瞳を輝かせて素直な憧れと賞賛を向けてきた。悪い気分はしないが、それが有益でも必要でもないと感じていると――
「ごめんね、摺木君……その、みんな転校生に親切じゃ、なかったよね?」
「そーそー、なんせ消滅した北海道でガチ戦ってたじゃん?
「でもよ、お前だって悪いんぜ? 五百雀さんとだけ仲良くしてよ」
「午前中は凄かった! ねね、やっぱり北海道でも強かったの? ……だよね、だってあそこは最前線だったんだもの。ちょっと前までは」
不意に親近感も顕に、周囲が騒がしくなる。
そうこうしていると、誠司は照れくさそうに手を差し出してきた。握手を求める手をじっと見て、それから統矢は平坦な視線で周囲を一瞥する。
どうやら連中は、統矢の実力を見て態度を軟化させたようだ。
だが、それも統矢にはどうでもいい……今の彼にあるのは、
「俺に友達はもういらない。お前たち、俺なんかに――」
俺なんか、と自分の価値を全否定する統矢の言葉を、頭の中からの声が
『こーらっ! 統矢? あんた、そゆの駄目なんだからね? もっと周りと仲良くして、周りと支え合いなさいよ。あんた、強いんだから……周りもきっと、守れる強さなんだから』
在りし日の
恐らくずっと忘れない、片時も忘れられない響きがリフレインした。
彼女はいつも、そうやって統矢のあとをついてきた。いつも側にいて、寄り添ってくれていた。持ち前の責任感でみんなを守りたいと意気込み、それが統矢ならできると認めてくれていたのだ。
そんな彼女すら守れなかった、
「いや、そうだな。……俺なんかでも、戦友がいると心強い、かな」
それだけようやく喉の奥から絞り出すと、統矢は差し出された誠司の手を握る。
小さな歓声があがって、あっという間に統矢は男子たちに肩を抱かれてもみくちゃにされた。久しく忘れていた人との接触は、どこか妖精のように現実感の希薄な千雪とは別種の感触を統矢へもたらす。
それはきっと、失って久しく得ることすら忘れていた、人との些細な日常。
ぎこちなく笑ってみようと試みた統矢を、気付けば畳の上の千雪が見守っていた。
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