第四話 喧嘩
キイン達がフォルツベルグ王国飛龍部隊の飛行訓練の様子を呆然としながら見つめていると、
「失礼致します」
という落ち着いた重い声が、後ろから聞こえてきた。
キインが振り向くと、そこには金の浮彫を施した赤い鎧に身を包んだ儀仗兵が立っている。先程、ギガンティスから降り立った兵士だった。
「グリーランド所属のキイン様、フォルツベルグ王国第一王子、ゴルトベルク様が貴殿との会談を所望されておりますが、御都合は如何でしょうか」
儀仗兵の言葉遣いはいかにも丁寧なものだったが、それと相反して拒否を認めない空気が身体全体から醸し出されていた。
キインは眉を顰めた。権威を笠にきた軍人の態度はキインが最も嫌悪するところであったし、わざわざ一国の王子が自分を呼び出す理由が分からない。
しかし、見学を快く引き受けて貰った恩もあることから、キインは表情を和らげて儀仗兵に言った。
「どのようなご用件なのか見当もつきませんが、承知しました。ところで、飛龍達も一緒でしょうか」
「いえ、キイン様お独りでお願いしたい、とのことでした」
儀仗兵は、やはり有無は言わせないという態度である。キインは案内役のリードマンを、困惑した表情で見た。
リードマンは苦笑しつつ、
「私が彼らの相手をしていますから、大丈夫ですよ」
と請け負う。
キインは小さく溜息をつくと、
(カイン。私はフォルツベルグ王国の王子様と話があるので、ちょっと席を外す。その間、クインとケインを頼む)
と、カインに伝えた。キイン不在の間のまとめ役は、だいたいカインが務めている。最も落ち着いているからだ。
(分かった、父さん)
カインはキインの目を見てそう言うと、すぐに視線を訓練のほうに戻した。
*
儀仗兵に先導されて、キインは表門から入って右側にあった事務棟のような建物に向った。
儀仗兵はリードマンと違い、無駄なことは一言も喋らない。キインは、客人として案内されているというより、囚人として護送されているかのような気分だった。
事務棟に足を踏み入れる。室内は、飛龍達の住居とは打って変わって、狭くて天井の低い廊下が続く、古色蒼然とした趣だった。
部屋から書類の束を持って飛び出してきた飼育員らしき若い男が、儀仗兵に目を丸くして、慌てて廊下の壁に背中を付けて道を開ける。儀仗兵は何事もなかったかのように、その前をゆっくりと歩いてゆく。
すれ違う時にキインは若い飼育員の目をちらりと観察したが、そこにあったのは畏怖だった。しかも、あまり歓迎しているような雰囲気ではない。
儀仗兵とキインは、黙って右と左に部屋の扉が並んだ日当たりの良くない廊下を進み、奥にあった階段を登った。
途中で出会った基地の隊員や飼育員と思われる者達は、儀仗兵の姿を目にするやいなや、最初の飼育員と同じように壁に背中を付けて道を開けた。
基地の牧場めいた様子や、リードマンの率直な態度から、すっかりここが軍の基地であることを失念していたキインは、改めて背筋を伸ばす。
事務棟の奥の階段を四階まで登ると、儀仗兵とキインは再び長い廊下を真っ直ぐに進んだ。一階の廊下とは正反対の向きとなる。
二人の前方には、他の部屋の扉とは明らかに異なる、黒々とした木で出来た扉があった。
近づくにつれて、キインはその扉に浮彫が施されていることに気が付く。
それは、専任飛龍エルドリエに跨った飛龍王クロフォードの雄姿だった。
アドミルが作る浮彫の細工物は周囲を華やかに彩ったが、扉の浮彫は周囲を威圧するような威厳に満ちていた。扉の左側中ほどに金属製のノッカーが取り付けられており、儀仗兵はそれを打ち鳴らしながら、
「グリーランドのキイン様をご案内致しました」
と、中に声をかける。
即座に、
「入りたまえ」
という、青年の明るい声が中から聞こえてきた。
儀仗兵は扉を引き開ける。
室内から明るい陽光が廊下へと漏れ出し、薄暗い廊下に暗順応していたキインの目は幻惑された。
眩い光が次第に青年の姿をとり始める。
陽光をそのまま細い糸と成したかのような明るい金色の長い髪。その下で飛龍に似た緑色の瞳が輝いており、成人したばかりと思われる染みひとつない頬は僅かに赤らんでいた。
「お待ちしておりました。キイン殿!」
青年はキインのほうに駆け寄ると、腰を曲げて彼の両腕をとり、握り締めた。キインも背の高い方ではあるのだが、青年はさらに頭一つ分キインよりも高い。
キインは咄嗟の出来事だったので、驚いて身動き出来なかった。
「貴殿のことはよく知っている。今までに貴殿が発表した論文は全て読んだし、研究内容については研究者達から詳細に説明を受けた。お会いできて光栄だ」
青年はキインの手を取って、部屋の中央に置かれた長机と十数個並んだ椅子のほうへと導く。今まで、このような手放しの歓迎を受けたことがないキインは、頭の中が痺れた状態で歩みを進めた。
「こちらへどうぞ」
青年に入口左手側の椅子を勧められて、
「あ、有り難うございます。ご丁寧にどうもすみません」
と、思わず普通に礼を言いながら、キインは腰を下ろす。
そこでやっと我に返り、室内の様子を観察する心の余裕を取り戻した。室内の四隅に、赤備えの儀仗兵が二人と黒備えの近衛兵が二人控えており、入口右手側の椅子には初老の男性が腰を下ろしている。
青年は長机をゆったりとした足取りで回り込み、初老男性の隣に腰を下ろした。
「改めて自己紹介致しましょう。私はフォルツベルグ王国王子、ゴルトベルク・フォルツベルグです」
そして、青年――ゴルトベルク王子はゆっくりと頭を下げた。キインは慌ててそれに倣うと、
「ベルン共和国、グリーランド所属、キイン・アルベルト、でございます。本日は、お招き頂きまして、誠に、光栄です」
と、少々つかえながら言った。直後、これまでの経過を思い出して掌と背中から汗が噴き出す。
大陸の覇権を争う三大国の一つであるフォルツベルグ王国の、しかも次期国王候補筆頭である第一王子が、まさか扉の傍まで自分を迎えにきて、更に席まで案内してくれるとは思ってもいなかった。
そして今は、机を挟んだ目の前で満面の笑みを浮かべている。大広間に案内されて玉座の前に平伏す自分を想像していたキインは、完全に主導権を握られてしまっていた。
「私の隣におりますのが、叔父のアイルスボルグ・フォルツベルグです。王国の参謀本部に所属しております」
そう、王子に丁寧な言葉で説明されて、キインはアイルスボルグと目を合せる。
アイルスボルグは少しくすんだ金髪を短く刈り込み、青い瞳をキインに向けていた。そこには何の心の動きも見いだせない。軍人特有の完璧に制御された瞳だった。
「御高名はかねがね王子から聞き及んでおります。本日は宜しくお願い致します」
腹にどしりと響く声でそう言いながら、アイルスボルグ参謀は小さく会釈した。
「宜しくお願い致します」
キインはほぼ自動的に会釈を返す。それを見た王子は、
「そんなに緊張なさらないで下さい。兵がいるのは王国の警備方針ですからやむを得ないとして、今日は私が是非話を聞きたくてお呼びした訳ですから、楽になさって下さい」
「はあ」
ゴルトベルク王子のあまりにもフランクな言葉に、キインの口から思わず気の抜けた言葉が漏れた。それに気が付いてキインは赤面する。
「これは大変御無礼――」
「いいんです。気にしないで下さい」
キインが謝罪しようとしたところを、ゴルトベルク王子が途中で牽制する。
キインは呆気にとられ、そこでやっと本来の思慮深い彼に戻る。
――これは一体何だろう?
フォルツベルグ王族と同席しているという客観的な事実は分かった。
しかし、なぜ自分がそんな丁重な扱いを受けているのか分からない。このような意味不明の状況には、必ず裏に何らかの意図が隠されているはずだ。
キインの表情に訝しげな色合いが加わる。彼は背筋を伸ばして態勢を整えた。
その様子が伝わったのだろう。ゴルトベルク王子は両掌を軽く挙げて言った。
「本当に私が貴殿と話がしたいのでお呼びしたのです。飛龍を親代わりとなって育てた只一人の飼育員であるキイン殿と」
「あの、誠に不躾で申し訳御座いませんが、それにしては随分とその、形式ばらないやり方ですね」
「私の好みです。本当に話がしたい時は、身分の垣根すら取り除かないと上手くいきませんから」
それは確かにそうだ、とキインも思った。
「それで私に聞きたいことというのは、どのようなことでしょうか?」
「勿論、貴殿の専門である飛龍についてです」
*
軍の飛龍部隊を統括するだけのことはあり、ゴルドベルク王子の知識は並大抵ではなかった。
特に、飛龍成体に関する内容についてはキインと同じレベルの深い知識があり、議論ができるほどの幅もあって、決して付け焼き刃のものではないことが分かった。
そして、飛龍成体の軍での運用面に関する内容になると、むしろキインはゴルドベルク王子から教わることのほうが多かった。
野生の飛龍成体との契約方法や、その後の同期に関する王子の話は、飼育員の研究発表からは知ることの出来ない具体的な事例が多く、キインのほうが立場を忘れて質問攻めにしてしまったほどである。
しかし、飛龍幼体に関する知識になると、今度はキインの独壇場であった。
現在進行形のことであるため、まずは爬虫類系魔獣幼体についての一般的な話から始めて、それと飛龍幼体との相違を説明する。
一般論についてはゴルドベルク王子も深く勉強していたが、現役飼育員のキインに比べれば浅い。そして、飛龍幼体の成育過程となると、キイン以外には誰も知らない世界である。
ついつい話は深いところまで及んで、気がついたら三時間近い時間が経過しており、既に昼食の時間を過ぎていた。
キインは慌てた。
基地に到着したばかりで王子は疲れているはずであり、軍の公式行事も予定されているはずなのに、自分との会談に長時間費やさせてしまった、というのがその理由の一つである。
もう一つの理由は、三匹の飛龍がグリーランドに来てからその時まで、彼らが寝ている時間以外にこれほど長い間、彼らと離れていたことがなかったからである。
「大変申し訳ございません。気が付きませんでした」
そう言って謝罪しながら腰を上げようとするキインに、ゴルトベルク王子は笑いながら言った。
「話はまだ途中ですよ。貴殿の飛龍達に昼食を取らせるように整備小隊には伝令しますから、我々も食事をしながら話の続きを致しましょう」
ゴルトベルク王子からそこまで熱心に誘われてしまうと、流石にキインも固辞することはできない。彼は再び腰を据えると、食事をしながら王子との会談を継続した。
そして、問題が生じるのはおおよそこのような時である。
食後の飲み物が配られ、場の雰囲気が落ち着いた時、ノッカーが激しく打ち鳴らされた。
「お話の最中、大変申し訳ございません」
リードマンの差し迫った声が外から聞こえてくる。
ゴルトベルク王子が頷き、儀仗兵の一人が扉を開けると、そこには額に玉のような汗を浮かべたリードマンが直立していた。
「申し上げます! 基地の飛龍とキイン殿の飛龍の間にトラブルが発生致しました!!」
キインは思わず腰を浮かせた。
*
そしてその時、カインは高い塔の上にいた。
空軍基地の周辺には、その塔よりも高い建物はない。
それどころか塔からカインの視界に入るところにある人工物は、国境線を示す杭と検問所、周辺に点在している小さな集落、そして遥か彼方にある都市だけである。
その他は草原と丘陵、森や湖沼という自然の造作物だった。
穏やかな風が草原を横切ってゆく。
草花がそよいで、風が今どこにいるのかを滑らかに示していた。
山脈の斜面を滑り落ちてゆく、荒々しくて気紛れな風とは大違いである。
滑走路では先程目を覚ましたばかりのギガンティス――ダイデロスが眠そうな顔をして塔のほうを眺めていた。
(飛び出すタイミングは任せる。いいか、決して無理はするなよ)
カインの後ろで短い腕を組んでいた見分役の飛龍が言った。
カインは彼の名前を知らない。
しかし、彼が先程の食堂での大騒ぎに加わろうとせず、壁際で静かに成り行きを見守っていたことには気が付いていた。
(ご面倒をかけてすみません。でも、言った以上はやります)
カインは落ち着いた声で言った。
(ふむ、そうか――)
腕組みした飛龍は、それきり何も言わない。
塔の下には軍の飛龍達が集まっている。
彼らは塔を見上げて何事かを呟いており、そのざわめきが伝わってきたが、ケインはそれに同期するのを避けた。
ただ、その中にクインとケインのものがあった。
カインの無事を祈るひりひりとした心配。
でも、カインならなんとかなるだろう、という強い信頼。
その二つの思いの間でゆらゆらと揺れている。
ただ、僅かに信頼のほうが勝っていることに気が付き、カインは苦笑した。
(自分でも無謀だと分かっています。それでも後には引けません)
そう独り言のようにカインは言った。
風が一旦止む。周囲は静まり返った。
カインは短く息を吐くと、塔の縁に足をかける。
それと同時に塔の下から、ひときわ強い思いが伝わってきた。
(ケイン、そこで何をしている!!)
父親である。
彼の激しい驚きと焦りが、カインの背筋をぴりぴりと刺激する。
彼の心配が、ケインの首筋の鱗を数枚逆立てた。
しかし、キインの心に怒りはない。
カインがそこにいる理由を真摯に問うている。
理解しようとしている。
(父さん、ごめん。僕はやらなければいけないんだ)
そして、ケインはキインとの同期を意識的に切った。
*
キインは初めての断線に驚く。
彼は目の前にいたクインを見つめると、懇願するように伝えた。
(クイン、教えてくれ。何がどうしてこうなった? お前にはケインを止められないのか?)
クインは感情を押し殺したような思いと、言葉を伝えてくる。
(事情は後でちゃんと説明します。それに、こうなったらケインは絶対に後には引きません。見守るしかないです)
(そんな――)
キインは呆然として頭上を仰いだ。
*
再び風が動き出す。
遥か彼方の草原がざわめき、波が塔に向かって押し寄せてくるのが見えた。
低いところを流れる向かい風。
塔にあたったものは向きを上にかえるはずだ。
それに併せて飛び出せば、経験のない自分でもなんとかなるかもしれない。
ケインは塔の縁に爪を立てる。
風は草花の上を滞りなく滑ってくる。
滑走路に入って土を巻き上げ、塔に迫る。
ケインは大きく翼を広げる。
塔を打つ風の振動。
ケインは塔から勢いよく飛び出して、今までで一番強く羽ばたいた。
下からくる風と自身の羽ばたきで、身体は空中に浮かぶ。
(――できる!)
カインは自信を持って羽ばたく。
身体が前に向かって送り出される。
わずかに沈み込んだところで、次のはばたき。
身体はさらに前方の、さきほどよりも上に送り出される。
今度は沈み込む前に羽ばたく。
身体は滑らかな斜面を登るように前へと送り出された。
空気が柔らかな布のように自分の身体を下から支え始める。
羽ばたくたびにその布地の厚みは増していった。
(――いける!)
カインの自信は確信に変わる。
自分の目の前に世界が大きく広がっているような感じがした。
*
クインとケインは、周囲の飛龍が漏らした溜息を感じ取った。
カインの羽ばたきは、軍の飛龍達にも劣らないほどに力強い。
*
キインはカインを目で追った。
いつもの彼よりも力強い羽ばたきで、身体は空中に浮かび、送り出されてゆく。
まるで、キインが一週間前に見た夢のような光景だった。
*
塔の上にいた飛龍はカインの羽ばたきを見つめ、低く唸った。
それは、初めての跳躍に成功したことに対するものではない。
羽ばたきの力強さに対してである。とても幼体とは思えない。
同時に、彼はあることに気が付いた。
カインの進行方向右に、不穏な空気が湧き上がっている。
少し離れたところにある丘陵によって進路を塞がれた風が、ここまで迷い込んできたのだ。
*
カインは突然の横風にバランスを崩す。
翼を動かすが、最早姿勢が安定することはない。
本来、突然の横風に遭遇した時は、翼を動かさずに流されつつやり過ごすのがセオリーだが、カインはそれを知らなかった。
彼は失速し、急激に高度を下げる。
*
塔の上の飛龍は強く思った。
(ダイデロス!!)
同時に、彼は塔の上で翼を大きく広げる。
*
滑走路のダイデロスは、大儀そうに翼を一振りした。
周囲にある全てのものが、強風に巻き込まれる。
*
キインは咄嗟に塔にしがみ付きながら空を見ていた。
カインはダイデロスの羽ばたきによって、空高く吹き飛ばされてゆく。
その後を追って塔の上からも飛龍が舞い上がる。
*
カインは出鱈目に身体を吹き飛ばされながらも、意識をなんとか繋ぎ止めていた。
翼を閉じたら負けだと思う。
下からの突風に乗るために翼を大きく広げて向きを忙しく調整するが、上手く行かない。
視界が回転して上と下の区別すらつかなくなる。
最早これまでかと覚悟しかけた時、翼の根元に強烈な痛みを感じて身体が横に揺さぶられた。
*
(少々手荒なやり方だが悪く思うなよ)
カインの後を追った飛龍は、カインの翼の根元に後ろ足の爪を喰い込ませる。
そして一緒に身体を回転させながら、自身の翼の動きでカインの動きを止めた。
(本当に、すみません……)
喰い込んだ爪の痛みに耐えながら、カインは礼を言う。
助けた飛龍は大きく息を吐くと、
(無茶をするなと言ったはずだぞ。勇気と無茶は違う。悔しい思いはちゃんと身の丈にあったやり方で晴らせ。実力を示したいのならば、それは今じゃない。なぜならお前は未熟だからだ。俺ならこれから先の飛龍競技会で、自分を笑ったやつらを叩き潰すことが出来るようになるまで待つ)
と、落ち着いた渋い想いを伝えた。
(ありがとう、ございます。貴方の、お名前は……)
カインは薄れゆく意識のすれすれで、飛龍の名前を聞いた。
(俺の名はガランだ。忘れるなよ、小僧)
その日の午後、カインの傷の応急処置が終わったところでキイン達は帰路につくことにした。
当初の予定では数日間滞在した後でベルンに戻ることになっていたが、あれだけの騒動を起こしてしまうとさすがに基地には居づらい。
なにしろダイデロスの翼の一振りはかなりの数の窓を破壊し、吹き飛ばされて軽傷を負った人間と飛龍は両手の指を超えた。重傷者が出なかったのは不幸中の幸い、と思えるほどの被害である。
往路の飼料業者の知り合いがフォルツベルグ空軍に出入りしており、ちょうどベルン方面へ戻る予定になっていたため、有り難いことにグリーランドまでキラ車に乗せていこうと言ってくれた。
そうでなければ国境線近くの宿場まで徒歩で移動し、そこで往路の飼育業者が手配してくれた者を待たなければならなかったところである。
迎えにくる予定だった業者への連絡はフォルツベルグ空軍のほうでやるから、とリードマンに言われて、キインは申し訳なさで一杯になりながら頭を下げた。
カインが治療を受けている間中、キインは基地の関係者一同に頭を下げて回った。
これまでの彼の人生で頭を下げたのと同じぐらいの数、頭を下げた。
基地の飼育員達は、喧嘩に至るまでの事情を何となく察していたのだろう。皆、カインの傷のことを心配して、数日間は滞在するように勧めてくれた。
また、ゴルトベルク王子からは、
「喧嘩で、片方だけが一方的に悪いということは稀ですからね。こちらの落ち度もあるでしょうから、気になさらないで下さい」
という有り難い言葉を頂いたものの、今回の見学はキインのほうから頼み込んで実現したことである。それで基地内を騒がせたことが申し訳なかった。
帰る時に見送りに出てきたリードマンからも、詳しい事情はこれから調査するという言葉と共に、
「また来てください。次は飛龍達にちゃんと言い聞かせておきますから」
と言われたが、これも暫くは実現できそうにない。
荷台の上の空気は重かった。
カインは翼の根元を包帯でぐるぐる巻きにされており、さらに荷台の振動で傷が痛むことを懸念した軍医が鎮痛剤を処方してくれた。その影響もあって、カインはぼんやりとしている。
クインとケインはずっと黙ったままのキインに遠慮して、同じく黙っていた。
キインが腹を立てていないことは同期をしているから三匹にも分かる。しかし、彼が何を考えているのかが分からない。
飛龍との生活が長くなり、キインもその程度のことは意識しなくてもできるようになっていた。
乗せてくれた飼料業者は物が良く分かった老人で、彼らの様子が尋常でないことを察するや、静かに見守ってくれた。
荷車はごとごとと音を立てて、日の傾いた山道を進んでゆく。今夜はもう少し先にある街で宿泊することになっていたので、飼料業者は御者席で鼻歌を歌っていた。
(カイン)
キインの思いが伝わり、クインとケインはぴくりと身動ぎをする。
(はい)
と、カインは答える。
キインはカインのほうを向くと、眉間に深い皺を寄せたままで言った。
(私なりに考えてみたがどうにもよく分からない。これがケインなら嫌味を言われて喧嘩になったと納得も出来よう。しかし、成り行きを見ていたリードマンによれば、お前が率先して喧嘩を買ったという)
(……)
(私は怒っている訳ではない。ケインにしても、相当の理由がなければ喧嘩をすることはないと分かっている)
(えーと、僕は褒められたのかな)
(そうですよ。褒められたんです)
ケインが不思議そうに考えたので、クインは優しくその思考を承認した。キインも愛おしそうにその姿を眺める。そして改めてカインのほうを向いて尋ねた。
(ましてやお前のことだ。よほどの理由があったと思うのだが、それが分からない。私との同期を断ってまで空を飛ばなければいけなかった理由を、そろそろ教えてもらえないだろうか)
カインは下から上へ瞼を閉じると、静かに考えた。
(分かりました。最初から思い出します)
*
ここで物語は少々時間を遡る。
キインが王子と会談するために立ち去った後、三匹の飛龍は軍の訓練風景を熱心に観察していた。
助走を行なわない高い塔からの飛翔。
滑走路を使った地表面からの離陸。
そして滑走路を使っての滑らかな着陸。
これらは訓練の最初に行われる基本的なもので、いわば準備体操である。
それ自体、三匹には初めて見る光景であり、軍の飛龍達の一挙手一投足から目が離せなくなっていた。
(塔から飛び出した直後に、翼を大きく速く振る。それは見れば分かるけど、ここからだと振る時の角度が全く分からないね、カイン)
(そうだね、クイン。振るだけならば今の僕達でも何とかなるかもしれない。けれど、効果的な振り方があるように思う。それに、飛び出す前に風の動きを読んで飛び出しているんじゃないかな。規則正しく飛び出したかと思えば、途中で急に止まったりしているから。クインは風を読んでそれに乗るのが上手だったね。それにケインは翼の角度を変えて方向転換するのが上手だけど、何か分かるかい)
(ここからだと上空の風の動きしか分かりませんね。周囲の草の動きを見れば、遠くから来る次の風の動きも分かるのですが)
(僕もよく見えない。多分、大きく広げて振り下ろすほうは単純な動きだと思うんだけど、そこからまた上に振り上げる時に、飛ぶ力を消さないように傾きを変えているはず。下からじゃそれが見えない)
(そうか)
(地面からの離陸もそうだよね。ただ振っているだけじゃなさそうだ。翼を強く動かす方法ならカインが一番上手だよね。何か分かる?)
(恐らく、塔から飛び出す時は根元から翼の先までを硬直させて強く打ちつけているのに対して、地面から離陸している時は鞭のようにしなやかに動かしているのだと思う。でも、細かい動きが見えない)
(地面を蹴る足の動きや身体の傾け方なんかも影響しそうだけど、砂埃が邪魔で分かり難いなあ)
(ケインは走るのが苦手ですからね)
(そうなんだよね)
さまざまな疑問が三匹の頭に湧き上がる。
リードマンが彼らの傍らに付き添っていたが、残念ながら彼は飛龍と契約していないので直接話すことができない。
飛龍と契約を交わして同期することができるようになった操龍士とは話をすることが出来るのだが、練習中に話しかけるのも気が引ける。
三匹はうずうずしながら、練習の邪魔にならないように見つめ続けていた。
*
空を自由自在に飛翔する飛龍とそれを操る操龍士は、軍組織の中でも花形である。その数と質が戦場での優劣を左右するから、待遇も良い。
従って、操龍士になりたいと考える者は多かったが、前述の通り飛龍から選ばれた者だけが彼らと同期する契約ができる。
そのために、まず飛龍の生息地に行き、いかに自分が操龍士になりたいかを語る。すぐに相手が見つかることもあれば、なかなか見つからずに数か月の間、崖の前で演説することもある。
その点はゴルトベルク王子も例外ではなく、飛龍の生息地を自ら訪問してガランと契約したのだが、その時の演説は少々風変りだった。
彼は演説台代わりの岩の先端に立ち、こう言い切ったのだ。
「クロフォード・フォルツベルグを継ぐ者、ゴルトベルク・フォルツベルグである。並みの飛龍はいらぬ。自らが最高の飛龍だという自負がある者のみ、契約に応じよ!」
まさかの上から目線である。あまりのことに飛龍達は騒然としたが、その中から一匹が前に進み出て、王子に従っていた仲介業者に伝えた。仲介業者は引退した操龍士が殆どである。
(そこまで言うからには、御身も最高の操龍士たる自信があるのだろうな)
こちらも負けず劣らずの高飛車な態度に出る。
その言葉を聞いた王子は、にやりと笑った。
王子と飛龍は正面からお互いの瞳を見つめあう。
そして、王子は不敵な笑いを浮かべると、声高らかに宣言した。
「私は飛龍王という小さな器の中には収まらぬ。大陸全土の覇王となるつもりだから、私と共に歩む飛龍はエルドリエを超える全天の覇王でなくてはならぬ!」
しばし間が空き、王子の脳裡に飛龍の思念が浮かんだ。
(俺の名はガラン。御身の言葉、しかと受け取った。失望させるなよ)
以降、ガランはゴルトベルク王子の専任飛龍として、飛龍競技会で連覇を続けることになる。
さて、王子とガランが契約した時の様子からも分かる通り、操龍士と飛龍の契約はあくまでも飛龍の側からの一方的な承認によって成立する。
操龍士のほうに拒否権はなく、契約解除も飛龍の側から一方的に行うことが出来た。操龍士が気に入らなければ、飛龍は何度でも契約解除と新規契約を繰り返すことが可能なのだ。
一方、契約解除された操龍士のほうは新たな契約先の飛龍を探すことが難しくなる。なぜなら、気位の高い飛龍は誰かがお払い箱に放り込んだ「お古」を良しとしないからだ。
従って、解雇された操龍士は、空軍の通信係か飛龍飼育員、あるいは契約仲介業者に転職した。契約解除後であっても、彼らは飛龍の思念を受信可能だったからだ。
以下、少々具体的に説明する。
契約によって飛龍と直接同期することに成功した操龍士の脳内には、飛龍のネットワークに同期するための神経節が形成される。
その神経節を利用することで、契約当事者の操龍士と専任飛龍だけでなく、契約外の飛龍や操龍士同士の思念を繋げることも可能になる。
キインの場合は契約によって操龍士になった訳ではないが、三匹が「親」と認識したことで神経節が形成された。しかし、そのために時間がかかっており、正式な契約であれば一ヶ月前後で神経節が出来上がる。 そして、契約解除後も神経節はそのまま維持された。一般的に「同期」と呼ばれる行為は、この神経節を介しての接続を指している。
契約による操龍士と専任飛龍のより密接な同期は、必要に応じて「直接同期」と区別して呼ばれていた。
一般的な同期であっても、契約当事者だけでなく特定の集団で思念の交換が出来るわけであるから、空軍が作戦行動を取る上で極めて有効である。
逆に、そこに接続されたら作戦行動が筒抜けになるから、異なる国家の空軍に所属する飛龍は、当然のことながら自軍内を対象としたローカルネットワークを構成していた。
飛龍の側からは「双方向、発信のみ、受信のみ、送受信拒否」と、接続時のステータスを自由に変更することができるので、このようなことが出来る。
しかも、個体毎に変更することが可能であるため、カインが行ったように「キインの声は聞こえないが、ガランの声は聞こえる」という選択受発信も可能だった。
ただ、各自でばらばらに調整してしまうと収拾がつかなくなる。
そのため、空軍の場合はローカルネットワークを最初に設定する初期管理者と、その初期管理者から管理者権限を委譲された二次管理者の飛龍が、必ず複数存在していた。
彼らはその場の必要性に応じて、自在に接続ステータスを切り替える。
対象者を管理しやすくするためにネットワークは部隊単位になっており、大規模な作戦行動の場合には他の部隊のネットワークとの相互乗り入れが必要になる。その相互認証も彼らの役目である。
ローカルネットワークへの参加だけであれば、飛龍の思念が受信可能な者であれば誰でも構わない。相互認証を伴わないゲスト登録も可能だ。
野生の飛龍達はこのような機能を駆使して、仲間内での会話の仕方を自然に覚えてゆくのだが、人の手で育てられた三匹はそのことを全く知らなかった。
やっとカインが「送受信拒否」という接続ステータスの存在を認識し始めた程度であった。
そのため、彼らは自分達が「双方向」というステータスを割り振られて、コルム基地飛龍部隊のローカルネットワークにゲストとして結び付けられていたことに気がついていなかった。
基地の飛龍達の思念の中には操龍士たちの思念も混じっていたから、気がつかないほうがおかしいとも言える。それに基地の飛龍はあくまでも善意で接続を許可したのだ。
また、ローカルネットワーク上の同期には「対象を無差別に行われるもの」と「対象を限定して行われるもの」の二種類があり、これも野生の飛龍であれば自然に切り換える癖が身についている。
ところが三匹は生まれてからずっと同期している状態であったから、対象を調整する方法を知らなかった。そんな必要はなかったからだ。
つまり、三匹は「空軍の訓練中」という規律が重んじられる場で、誰に憚るでもなく大きな声でおしゃべりをしていたことになる。
これは異なる文化の中で育った人が出会った時に、お互いの文化に対する無理解から軋轢が生じる時と似ていた。
コミュニケーション方法の違いについて腹を割って話をすれば決して理解できないことではないものの、訓練中の飛龍達にそのようなことを斟酌している余裕があるはずもない。
彼らにとって三匹の思念は迷惑な雑音でしかなかった。
リードマンが操龍士からの転職組であれば良かったのだが、彼は生粋の飼育員である。三匹の様子を見守ってはいたものの、背後でそんな齟齬が生じていることに気がつかなかった。
「人に育てられた飛龍は礼儀も知らないのだな」
そんな雰囲気が部隊の飛龍達の中に次第に蓄積されてゆき、最終的にそれは臨界点を超えた。
*
事件が発生する前には、事態をあえて悪化させるために整列したかのように、個々の出来事が順番で進行する。
その時も、せめて近衛軍所属の冷静な飛龍が穏やかに指摘していれば大事にはならなかった。しかし、国境警備にあたる最前線基地所属の飛龍であるから気性が荒い。
(餓鬼ども、五月蝿いんだよ!)
食堂で食事をしている時に一匹が堪りかねて荒っぽい言葉で注意すると、その周りにいた飛龍達も、
(こちらが訓練中の時ぐらいは静かにするのが礼儀ってもんだろ)
(それなのにああでもないこうでもないと、ずっと喋りっぱなしだ。気が散って訓練に集中できないじゃないか)
ここまでは三匹も思い当たる点があったので、恐縮しっ放しだった。険悪な空気になっていることに気がついたリードマンは、何が話されているのか分からないので仲裁できずにいた。
そして、決定的な一言がある飛龍の口から出る。
(これだから人間に育てられた飛龍というのは駄目なんだよ)
それから一斉に、彼らの生育環境へと話が及ぶ。
(飛龍の礼儀を知らないのは人間に育てられたからだ)
(そもそも飛び方が分からないので見学しに来ました、というのが笑わせる。人間じゃあ教えられないからな)
(それに飼われているということなんだろう? 人に甘やかされたお坊ちゃんたちには野生環境の厳しさが分からないんだよ)
それも三匹は必死に耐えた。ここで喧嘩してしまってはキインに対して申し訳がないからである。
しかし、それにも限界がある。
(あの飼育員じゃあ仕方ないよな。せめて操龍士のなれの果てでもいいから、よく知っている人間に育てられればよかったんだよ)
(何!?)
ケインがその言葉に真っ先に反応した。しかし、それをカインが眼で制する。
そしてカインは立ち上がると言った。
(今の言葉は聞き捨てならない。私達のことはともかく、父さんのことを悪く言われるのは我慢がならない)
(はぁ、父さんだってよ)
食堂内に高周波が飛び交う。飛龍達の笑い声だ。リードマンは鼓膜に圧力を感じて思わず耳を塞いだ。
(人間のことを父さんだってよ。笑わせるぜ)
(まったくだ、飛龍の誇りすらないとわね。よほど優しいお父さんなのだろうよ)
(すると何か? あいつが手をばたばたさせてお前たちに飛び方を教えたのか?)
(はい、こうするんですよ。分かりましたか、ってな)
笑い声がさらに高まり、食堂の片隅で窓ガラスが割れた。
三匹の我慢にも亀裂が入る。カインは押し殺した思念を放った。
(今、父さんのことを笑ったな。それだけは絶対に許せない)
(ほう、だったらどうするんだい。力でねじ伏せるのか? 数が違い過ぎるからそれは俺達もさすがに気が引けるなあ)
軍の飛龍達は三匹を取り囲むように集まってくる。
不穏な空気を感じたリードマンは慌てて立ち上がったが、どうしたらよいのか分からない。
空気だけが重く密度を増す中で、カインは言った。
(じゃあ、僕が飛んでみせる。飛龍として見事にな。それが出来たら僕達の父さんに謝れ)
三匹は軍の飛龍達を引きつれて塔に向かう。
険悪な空気を感じ取ったリードマンはキインを呼ぶために走り出す。
その後の展開は、キインが目撃した通りだった。
*
キインは愕然とした。
(……つまり、お前は私が馬鹿にされたことに腹を立てて、汚名を晴らそうとしたって訳か?)
カインは薬でぼんやりとした表情をしながら、それでも頭を下げてこう言った。
(そうなんですが――それがこの有様ですから話になりません。本当にすみませんでした)
クインとケインも頭を下げる。彼らの思念には申し訳なさと一緒に、別なものが混じっていた。
――でも、僕達も兄さんと同じ気持ちでした。
キインの肩から力が抜ける。
(事情はよく分かったよ。カイン、もうこの件はいいからゆっくり休みなさい)
(はい、父さん)
カインは荷台の上に身体を横たえる。クインとケインはそのすぐ傍でカインを心配そうに見つめていた。
キインは空を仰ぐ。夕暮れが近い空は真っ赤に染まっており、耳には飼料業者ののんびりとした歌声が流れ込んでいた。
しかし、キインはそれら外界の刺激を完全に遮断し、感情のレベルを絞り込んだ。
そうしないと中から思いが溢れそうになる。
(俺は馬鹿だ)
キインは絞り込んだ感情の中で、そう呟いた。
(俺が親として十分かどうかはもはや問題ではない。彼らは俺のことを親だと認識している。信頼している。それこそが重要なんだ)
自分は人間だが、それは関係はない。彼らの親として出来ることをするだけだ。
自分は飛べないが、それも関係ない。親を超えて子供は育つものだ。障害にならなければよい。
自分は飛龍ではないが、それは一番関係がない。この子たちは俺の子供だ。それだけのことだ。
空の赤が夜の黒に領域を明け渡してゆく。
しかし、キインの心の中には僅かな灯火が輝き、それは次第に大きくなっていった。
周囲が闇に沈む前に、遠くにある街の明かりが見えてきた。
次第に人々の生活が生みだす喧騒が周りを漂い始める。
ゆっくりとキラ車が進む中、カインはキインに向って強い思いを伝えた。
(でも、父さん。僕は必ず飛龍競技会で彼らを破るよ)
キインは黙って頷いた。
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