第三話 見学

 あたかも、無線の周波数が少しずつ同期してゆくような感覚だった。

 それは、真夜中に降り積もる雪のしんしんとした耳鳴りのような音から始まり、

 次第に、遠くの方から潮の香りと共に聞こえてくる波の響きとなり、

 徐々に近づいてくる真夏の雨のような高まりをみせ、

 最期には激しい暴風雨となった。


(ケイン、それは僕の毛布だから持っていっちゃ駄目だよ)

(ちょっとの間、貸してくれてもいいじゃない、カイン)

(いやだよ。だって最期に元に戻さないじゃないか)

(分ったよ。じゃあ、クインのを――と思ったら、ない)

(もう隠しました)

 いつものように三匹の元気な声が、キインの頭の中に響いてくる。

 施設に保護されてから二年が経過し、彼らは既にキインと同じぐらいの背丈まで成長していた。それでもまだ幼体である。

 話し言葉の習得は、心理的な親との同期が功を奏したのか人間の子供より遥かに早く、半年経過した時点で何とか会話が成立し始めた。

 文字を読むことをどうやって教えればよいのかキインには分からなかったのだが、この点についてはケインを抱き上げて以来、彼らのファン第一号となっていた女性研究者、エリザが手助けを買って出てくれた。

 飛龍は好意を持った相手であれば、感情的な同期をしなくても言葉のやり取りだけはできるようになる。そして、キイン以外ではエリザが彼らと話が出来る第一号となった。その縁である。

 一年前から、朝目を覚ましてから午前中にかけてはエリザによる言葉の勉強会が開催されており、三匹は次第に簡単な本であればなんとか自力で読むことができるようになっていった。

 ただ、彼らの手には鋭い爪が生えており、本をめくって読むには極めて不適切な形状であった。そこで、エリザは絵本の端にいちいち紐を貼り付けて、彼らの爪でもページを捲ることが出来るようにした。

 これに大喜びしたのはクインである。彼は一番の読書好きで、暇さえあればエリザが作った彼ら専用の本を眺めていた。

 カインは三回読めば内容が頭に入ってしまうらしく、それ以上は興味を示さなかったし、ケインは読めと言わない限り、本に興味を示さなかった。これも三者三様である。

 そして、午後にはキインによる飛行訓練が日課となる。

 彼らの羽は半年ほどで立派な翼となり、その時点で彼らの身体を空中に浮かび上がらせるだけの力を持っていた。しかし、それから半年経過しても、彼らは満足に飛ぶことが出来なかった。

 そこで、キインは施設長の許可を得て、この一年、毎日彼らを山の斜面まで連れて行った。そして、自ら大きく腕を振りながら斜面を駆け下りることで、彼らに空を飛ぶ糸口だけでも教えようと試みた。

 最初のうち、草原をただ転げ回るだけだった彼らは、次第に翼を広げて空気を受け止める要領を掴み始め、滑空できるようになり、どんどんとその距離を伸ばしていった。

 しかし、そこから先のことがキインには教えられない。困っていると、またしても救世主が現れた。

 同僚のシラクが、

「俺の古い知り合いが、フォルツベルグ王国の飛龍部隊に飼育員として勤務しているから、そこを見学させてもらってはどうかね」

 と言ってくれたのである。キインは即座にその話に飛びついた。


 *


 グリーランドは、南北に走るゴルアート山脈の東斜面に沿って立地する小国ベルン共和国の公的施設である。

 ベルンの更に東側に位置するのが三大国家の一つ、フォルツベルグ王国であり、ベルンは古来よりその圧力を受けてきた。それでもベルンが独立国家として生き長らえているのには、二つの理由があった。

 まず一つ目が、各国の金庫番としての位置を占めている点である。

 ベルン国内には膨大な埋蔵量を誇る鉱山があり、産出する金や銀などの貴金属を各国に輸出してきた。その際の支払基準がそのまま各国通貨の交換レートとして定着し、いまや国家自体が巨大な両替商となっていた。

 更に、大小の国家が乱立し、戦争によって通貨の価値が激しく上下動する大陸の現状を逆手に取り、資産を価値の安定している貴金属としてベルンが管理する仕組みを作り上げた。

 ベルンに口座を開設して資産を預けることが大商人の証しとなる。ベルン発行の手形は、確実な決済手段として定着していた。

 それに加えて、戦費が必要になった時の貸し付けを通じて、各国の予算を掌握する。いまやベルンに借財のない国家は存在しないほどである。

 仮にいずれかの国がベルンを脅かしたとする。そうすると、他の国家が黙ってはいないから、四方八方からの総攻撃を覚悟しなければならない。金融による安全保障がベルンの特徴であった。

 そしてもう一つが、そうやって蓄えた富を、惜しげもなく学術研究の分野に投資した点である。

 国内に、大陸最高水準の学校や研究機関が分野毎に林立し、潤沢な研究資金と刺激的な研究環境が優秀な人材を引き付ける。ベルンから日々、最先端の技術が生み出されていた。

 突出したものは突出した力となる。ベルンは大陸統一の野心を持たず、中立に徹して自国で生み出された技術を気前よく各国に提供していたが、何をどこに提供するかを決めるのはベルンであった。

 機嫌を損ねてその恩恵から除外されることを恐れ、各国ともベルンには手出しが出来ない。技術力による安全保障だった。


 *


 グリーランドはベルン王国の北のはずれの町、アルツヘルムにある。

 アルツヘルムは学術研究の中心地であり、人口が三百万人を超える大都市だ。住民の八割が公的機関に勤務する研究者であり、残り二割が研究者の生活を支える商工業者である。

 フォルツベルグ王国の飛龍部隊の基地があるのは、ベルンの南端の国境線近くであったから、そこまで行くにはベルンを横断しなければならない。

 人間の足で歩いて一週間近くかかり、飛龍の場合はその二倍近い時間が必要だ。飛龍達が飛べれば簡単なのだが、それを学びに行く訳だから話にならない。

 その点についてキインが頭を悩ませていると、出入りの飼料業者が、

「俺が近くまで乗せていこうか? それなら三日で移動できるし、帰りもどこかの業者を紹介してやるよ」

 と言ってくれたため、解決することができた。

 人のお世話になりっぱなしでキインは恐縮したが、業者は笑ってこう言った。

「いやあ、あの飛龍達を見ていると、何かしてやりたくなるんだよなあ」

 飛龍にも人徳のようなものがあるのかもしれない。

 シラクが先方の了解を取り付けている間に、キインは旅の間の食料その他を準備した。


 フォルツベルグの飛龍部隊から「見学を許可する」旨の回答が帰ってきたのは、シラクがキインに助言してから七日後のことである。

 すっかり準備を整えていたキインは、三匹と共に翌日の午前中には飼料業者の荷車に乗り込んだ。

 実はキイン自身、あまりアルツヘルムから外に出たことがない。爬虫類の飼育方法に関する研究発表のために何度か他国に出かけたことがあるだけで、その時の移動は徒歩か船だった。

 飼料業者の荷車を引くのはキラという四足歩行する大型魔獣で、人間が歩行する速度の二倍強の速さで五日間駆け続けることができる。

 しかも、キラは特定の場所を特定の臭い袋を嗅がせて登録しておけば、次に行く時にはその時の臭い袋を嗅がせることで、目的地を指定することができる。

 勝手に自分でそこに向かうので、人間が御する必要はない。慣れれば荷車の上で寝ていることもできる。

 ただ、荷台は常に揺れているため、乗り慣れないキインはすぐに具合が悪くなった。

「ああ、普通はそうなるね。じゃあ、夜は予定通り宿に泊まることにしようか」

 と、飼料業者が笑いながら言ったので、

「すまない」

 と、キインは短く謝罪する。長い会話ができないほど荷車に酔っていた。

 飛龍達は大喜びである。

 もともと空を飛ぶ生き物のためバランスを調整する器官が発達しており、少々の揺れではびくともしない。

(これ、すっごく楽しいね、カイン)

(確かにそうだけど、少しは大人しくしなよ、ケイン)

(だって、座っているだけでこんなに速く進むんだよ。景色だっていろいろと変わるし。クインだってさっきからきょろきょろしてるじゃないか)

(僕はケインが転げ落ちたりしないか心配なだけだよ)

 そんな飛龍達の会話を聞きながら、キインは荷車酔いに耐える。

 そして、頭の片隅では別なことを考えていた。


 ベルンからフォルツベルグに何かを連絡する場合、一般的に使われる手段は手紙である。

 無線技術は基本研究が完了して応用開発の段階に移行していたものの、軍用または学術研究用に使われるようになったばかりであり、民間利用はこれからであった。

 グリーランドからフォルツベルグまでは普通郵便で三日かかる。飛龍便という特別な手段はあるが、ベルンにはその施設がないので行きは不可。フォルツベルグからの戻りも普通郵便で届いた。

 往復だから、どんなに早くても六日を切ることはない。今回は前例のない「飛龍による飛龍の飛行見学」だったから、先方の調整が難航して時間がかかるものと予想していた。

 ところが予想に反して七日間で返事が戻ってきた。ということは、手紙が届いて承認が降りるまでに一日程度しかかからななかったことになる。軍のような組織では異例の早さだった。

 まるで、こうなることを待ち構えていたかのような段取りの良さである。その点が気になって仕方がない。

 ――飛龍部隊も「人間に育てられた飛龍」という存在に注目しているのだろうか。

 キインはそう考えてみたが、しかし、それであれば先方から見学の申し込みがあってもおかしくはない。

 ――そこまでの興味はないということか。

 キインの思考は車酔いで堂々巡りする。

 裏で邪悪な意図が働いていることなぞ、彼は思いもよらなかった。


 *


 キインら一行は、三日目の朝にベルンとフォルツベルグの国境線を越えた。

 国境線の先には小高い丘があり、視界を塞いでいる。

「フォルツベルグの飛龍基地は丘のすぐ先にあるよ」

 と飼料業者が言ったので、キインと三匹は前方を見据えた。

 花が咲き乱れる丘を越える。

 視界が開けた先には青々とした草原が広がっており、荷車を引くキラと同じような大型魔獣がのんびりと草を食んでいた。

 その更に向こうには高い石造りの塔と幾重にも重なる細長い建物がある。建物の前には三百メートルほどの整地された滑走路があり、周囲は木の杭で囲われていた。

 そこが飛龍基地で、平らなところが滑走路だという知識がなければ、ただの牧場にしか見えない。

(父さん、軍の飛龍基地というのはどこもこんな感じなの?)

 ケインがキインに訊ねる。

(いや、普通はもっと厳めしい感じの施設じゃないかと思う。私もそんなに見たことはないが)

 キインは基地の建物を見つめながら答える。

 そして、何となく全員が黙り込んだ。

 荷車はなだらかな坂道をゆっくりと下り、基地へ近づいてゆく。次第に近づく建物は、前知識があってもやはり牧場の飼育小屋にしか見えなかった。


 最初にそれに気が付いたのはクインである。

(父さん、向こうから飛龍が飛んで来るよ!)

 クインにしては興奮した声だったので、全員がクインの見ていた方角を向く。

 そこには確かに、悠然と飛ぶ飛龍がいた。

 その周囲には十数個の小さな黒い点があり、揃って基地に向かってくる。

 中央の飛龍は視界の中でどんどん大きくなってゆく。

 そして、周囲の黒い点もまた飛龍だった。

「ワイバーン・ギガンティスか!」

 キインは思わず声に出した。

 飛龍の中でも破格の大きさを誇るワイバーン・ギガンティスは、姿こそ通常の飛龍と同じだが、成体の大きさが頭から尾の先までで三十メートル、両翼の端から端までが百メートルを超える。

 通常の飛龍成体は頭から尾の先までが三メートル、翼の幅が十メートルだから、十倍近い。その大きさゆえ、食料の確保が比較的容易な海の近くに生息域が限られており、個体数も極めて稀少な種族である。

 従って契約は困難であり、殆ど通常戦闘に用いられることはない。戦場で目にすることがあっても、専ら王族や貴族達の本陣移動用だった。


 まだ相当な距離があるはずなのに、ギガンティスの姿ははっきりと見えていた。

 巨大な翼を真っ直ぐに伸ばし、手と足を心もち前方に伸ばしている。

 その口が大きく開かれると同時に、キインの鼓膜が圧迫された。

 降下する先の様子を、念のために反響定位で確認したのだろう。

 全体的に見れば優雅な滑空だが、翼の先端部分が忙しく傾きを変えているのが分かる。

 飛行を安定させるための微調整だ。

 ギガンティスの周囲に従っていた飛龍達が、先行して基地へと降下してゆく。

 彼らは首の根元と翼の間に鞍を据えて、そこに操龍士を乗せていた。

 飛龍達は等間隔で、同じような姿勢で、滞りなく着陸してゆく。

 真っ直ぐ横に伸ばしていた翼を、着地と同時に前方を上に傾けて急制動。

 短い脚を動かして滑走し、膝を柔らかく保って振動を吸収する。

 五十メートルほど走って減速した後、速やかに右と左に分かれて整列。

 ギガンティスを迎える体勢をとる。

 その間の空間にギガンティスは悠々と降りてゆく。

 あまりの大きさに、下にある空気が押し潰されていくような圧迫感がある。

 そして、ただの気のせいなのだが、キインには周囲の風が強まった気がした。

 ギガンティスは悠然と足を地面につける。

 強い振動を感じるのではないかとキインは身構えたが、何も感じなかった。

 そのままギガンティスは百メートルほど滑らかに走り、静かに停止すると即座に巨体を地面につけた。

(……凄い!)

 ケインの溜息交じりの声がキインの頭に響く。

 彼らは同期しなくても同じ思いを共有していた。全員、本格的な飛龍の飛翔を見たのはこれが初めてであり、そのあまりの鮮やかさに度肝を抜かれていた。

 山の傾斜を使って離陸し、滑空することができるようになった三匹は、走りながら着地することを試みているところだった。

 しかし、途中で足が縺れて転倒することがしばしばである。乗っている操龍士に衝撃を感じさせないほど滑らかに着地する、技能も余裕もない。

「まだ幼体だから仕方がないか」

 キインはそう考えていたが、巨大なギガンティスの滑らかな着地を見て考えが変わった。大小は関係がない。老若も関係がない。やはり、基本的なやり方というのがあり、それを三匹は知らないのだ。

 基地に降り立った飛龍の姿に心を奪われている三匹を横目で見ながら、キインは小さく溜息をつく。彼らが同期できない程度の幅に自分の心を抑えこむことに、キインはすっかり慣れていた。

 ――やはり、人間では限界があるのだな。

 そう考えると哀しくなる。その思いが自分で経験から設定した強度を超える前に、キインは思考の向きを変えた。


 ギガンティスが地に伏せたことで、その背中に負われていた輿がキイン達の視界に入っていた。

 操龍士が身体を固定するのに使う武骨な鞍ではない。雨や風が凌げるだけの小屋でもない。輿は腕の良い大工と細工師が丹精込めて作り上げた、最上級の芸術品である。

 ギガンティスの翼と翼の間に設えられているために、どうしても幅に制限があって細長い形状をしていたが、もともと巨大な背中だから窮屈には見えなかった。

 ――しかし、翼の動きと連動して背筋が動くはずだから、それによる振動はどうしているのだろう?

 とキインは疑問に思ったが、まだ距離があるので細かいことは分からなかった。

 輿の扉が開く。

 最初に、赤の鎧に金の浮彫を施した五人の兵士が姿を現した。

 刀剣で武装していたが、そんな派手な格好では戦場で目立って仕方がないから、恐らくは威厳を醸し出すために随行している儀仗兵だろう。

 先に飛龍で降下した黒備えの一団が、身辺警護にあたる近衛兵に違いない。

 それに続いて、白い布地に金糸や銀糸で豪華な刺繍を施した男が二人、姿を現した。

 初老の男性と青年のように見える。キインの位置からだと遠目になるので、白い服を着た二人の顔立ちははっきりしなかったが、いずれにしてもフォルツベルグの王族と思われる。

 その後ろからも赤備えの儀仗兵が五人出てきた。

 普通の飛龍と違い、首の根元に鞍が据えられていなかったので、十人の儀仗兵のうちの一人が操龍士らしい。

 総勢十二人はゆっくりとした足取りで、キイン達から見て向こう側になるギガンティスの左翼の上を歩き出した。その途中で青年が急に立ち止まる。彼は振り向くと、キイン達がいる方向を見つめた。

 ――キラ車の接近に気が付いて興味を示したのだろうか。

 キインはそう考えたが、それは部分的には正しかった。

 確かに青年はキラ車の接近に気がついて振り向き、荷台の上にいる三匹を眺めていた。しかし、キインには見えていなかったが、彼の口元は楽しそうに綻んでいたのだ。


 キイン達は基地の手前でキラ車から降りた。

「本当に助かりました」

 と頭を下げるキインに、飼育業者は笑いながら言った。

「こっちこそ礼を言うよ。あんたらと一緒に旅が出来て楽しかった。いつもならば一人の寂しい道中だからな。飛龍と話が出来なかったのは残念だけど、見ているだけで飽きなかったよ」

 彼は三匹を名残惜しそうに見つめる。

「また何処かに行く用事があったら、俺に声をかけてくれよ」

 そう言い残し、彼は右手を振りながら去っていった。


 キインと三匹は基地の周りを囲む道を進んだ。

 木の杭の間には鉄線が渡されていたが、遠くからは見えないほど細く有刺ですらない。それで外からの侵入を阻むことができるとは思えなかった。

 前方に入口の門があり、そこには軍服を着た門番が二人立っている。しかし、彼らが武装している様子はなかった。さらに、彼らの後ろに初老の男性が立っており、灰色の上下から飼育員と分かる。

「やあ、連絡を頂いた見学者の方ですね」

 こちらから何かを言う前に、年配の飼育員が気さくに話しかけてきた。

「はい。ベルン共和国の魔獣研究保護施設『グリーランド』から来ましたキインです。本日は宜しくお願いします」

「シラク君から連絡は受けておりますよ。フォルツベルグ王国空軍コルム基地へようこそ。私は第三飛龍部隊第二整備小隊長のリードマンです」

 所属名称はいかにも軍らしいが、目の前で微笑んでいる日焼けした男の姿はキインの仕事姿と何ら変わらない。

「やあ、彼らが人間に育てられた飛龍達ですね。そう思って見るからか、穏やかな表情をしていますね」

 そう言って、リードマンは興味深そうに三匹を見つめた。その何気ない言葉にキインは動揺する。

 感情の大波はなんとか抑え込んだものの、漣のような乱れが生じたのだろう。察しの良いクインがキインを見つめていたので、キインは何とかクインに微笑んだ。

 ――ただの被害妄想だ。

 リードマンに悪意がないことは、その表情を見れば分かる。むしろ、軍所属の高飛車な飛龍達を見慣れているからこその好意的な感想だろう。しかし、キインにはそれが「野生を失った魔獣」と聞こえた。

 先日、ゴドフェル親方から言われた「本当の親になって最後まで面倒をみる覚悟」という問いを思い出す。親方はキインの返答を求めてそう言ったわけではなく、キインの自覚を促すためにそう言ったのだ。

 ――まだまだ自分には自覚が足りない。

 キインは背筋を伸ばすと、リードマンに向かって言った。

「彼らは順にカイン、クイン、ケインです」

 キインが頭を下げると三匹も同じようにお辞儀をした。それがまたリードマンのツボに嵌ったらしい。

「いやあ、実に礼儀正しい飛龍ですね。基地の飛龍達は、私が世話をしている時に目があっても『人間風情が何を見ているんだ』ってな感じで、全然挨拶なんかしてくれませんよ」

 と頻りに感心した。


 そんな雑談を交わしている間に、兵士は入場手続きを完了した。許可を得たキイン達は、リードマンに導かれて門を潜り、基地内に入る。

 門の右手側には事務棟らしき四階建の建物があり、正面には飛龍の住処らしい二階建の細長い建物がある。その屋根の向こう側には塔が見えた。

 そして、左手側は滑走路になっており、背中から輿を外されたギガンティスが伸びをするかのように、翼をゆっくりとした動きで大きく広げていた。

 さすがに百メートルの翼は迫力がある。もし、ここでギガンティスが本気で翼を振ったとしたら、キイン達は吹き飛ばされるだろう。

 その前に煌びやかな輿が据えられていたが、それを見てキインはやっと先程の疑問の答えを得た。

 輿は、金属製の堅牢な骨組みの中に客室部分が上側の四隅で吊り下げられた構造になっていたのだ。さらに、骨組みとギガンティスの接触面にも衝撃吸収用の緩衝材が敷き詰められていた。

 二重の耐震構造とは、キラ車で車酔いになったキインとは大違いの待遇である。

 そこでやっとキインは、自分が迂闊だったことに気がついた。

「王族の方が基地を訪問される日なのでしょう? そんな忙しい時に呑気に見学だなんて、大変申し訳ございません。出直しましょうか?」

 キインは慌ててリードマンに謝罪する。しかし、リードマンは苦笑しながら言った。

「そのことなら全然気にしなくていいですよ、シラクからの依頼が先に届いたのですから。それに、王子の訪問は昨日、急に決まったことなんです。それに、私のような飼育員に王族との接点なんかありません」

「そうかもしれませんが、掃除とか式典準備とか、細々とした作業で大変なのでは?」

「本格的な視察であればそうです。しかし、今回はあくまでもお忍びということなので。ギガンティスに乗ってきたのだから、お忍びも何もあったもんじゃありませんがね」

 そう言ってリードマンは楽しそうに笑った。

 ――随分と率直な男だな。

 そう感じたキインは、最前からの疑問点をリードマンに投げかけてみる。

「それにしても、ここは軍の基地らしくないですね。周囲は杭と針金で囲われているだけですし、建物は牧場にしか見えません。門番は非武装ですし、王族の訪問があっても雰囲気は普段と変わらない」

 最期の部分はキインの想像だったが、当っていたのだろう。リードマンはにやりと笑って、

「他国の飛龍部隊がどうなのか知りませんが、フォルツベルグ王国空軍の飛龍部隊はゴルトベルク第一王子の直轄組織なんです。そして、王子は形式的な軍隊組織と硬直した指示命令系統がお嫌いでしてね」

 と言った。続けて胸に拳をあてながら、

「今後、飛龍部隊の兵を以下の通り区分することにする。指示に従えない者、指示を勝手に解釈して誤った行動をとる者、これは兵ではないので至急除隊処分とする。指示通りにしか動けない者は一般兵だ。指示を理解して、それを最大限の効果に繋げるために自ら行動する者は、模範兵と呼ぶことにしよう。そして、指示を理解してその通りに行動はするが、状況の変化に従って柔軟に判断を変えて、適切な行動を取ることができる者、これを優良兵として賞賛したい。最後に、指示を出すだけで何もしない者が、将校だ」

 と、リードマンは一気に言い切った。

「勿論、最期の部分は冗談ですがね。これは、飛龍部隊が王子直轄となった時の王子の就任演説の一部です。七年前ですから、王子は十二歳でした」

「十二歳――そんな子供に部隊の統括を任せるというのは、いくらなんでも……」

 キインはその後の言葉を濁す。

 リードマンは苦笑しながら言った。

「普通はそう思いますよね。我々もそう思いましたよ。『ふざけるな、子供のおもちゃ扱いかよ』と憤慨した同僚もおりました。ところが、王子は軍をおもちゃ扱いするどころか、破壊して自分の理想とする体制に作り替えてしまいました。その所信表明演説があまりにも衝撃的だったので、部隊全員が今でも全文を暗唱できます」

 リードマンは滑走路の上で首と尻尾を丸めて、身体に翼を巻き付けた状態になって寝ているギガンティスのほうに目を向けると、

「先程、あの『ダイデロス』――ギガンティスの固有名称ですが、あれに乗ってやってきたのが王子ですよ」

「着陸するところを拝見しました。一糸乱れぬ見事なものでした」

「それは勿論です。王子に随行している近衛兵は、すべて飛龍競技会の上位入賞龍ですからね」

「飛龍競技会……ですか?」

 キインは爬虫類系魔獣の飼育全般が専門であり、飛龍が専門という訳ではない。論文や学術書には目を通しているので、飛龍の解剖学的特徴についての知識は相当なものだが実用面には疎かった。

 リードマンもそれに気づき、赤い顔になる。

「あ、御存知なかったですか? そうか、軍関係者以外にはあまり馴染みのない大会ですからね」


 飛龍競技会は各国の持ち回りで年一回開催される、飛龍の飛行能力を競うための競技会である。国内予選を勝ち抜いた飛龍達が開催国に集結して、次の三つの種目で優劣を争った。

 一つ目が、短距離での飛行速度を競う「フルー」。

 二つ目が、長距離での飛行持続力を競う「ルウェーロ」。

 そして三つ目が、コースに設置された障害を飛び抜ける応用力を競う「ガルティエロ」。

 普通は種目毎に異なる出場飛龍を選抜するが、一匹の飛龍が全競技に出場することも、勿論可能である。

 そのため、種目開催日の間には二日の予備日が設けられており、開会式と閉会式の日も含めた全日程は九日間に及んだ。

 日頃の鍛錬の成果が問われる場であり、しかも軍関係者にとってはその結果が組織内での今後の昇進を左右かねないほど重要な意味を持っている。

 特に、大陸の覇権を虎視眈々と狙う三大国の競争心は、並大抵ではない。

「フォルツベルグ王国空軍は、公式三種目の中でも特にフルーの強化に力を入れていましてね。ゴルトベルク王子の専任飛龍であるガランは、今年の大会で前龍未踏の三年連続フルー優勝を成し遂げました」

 リードマンは自分の自慢でもするかのように、胸を張ってそう言った。

「爬虫類系魔獣の飼育員を長年やってきたにも拘らず、飛龍競技会の存在をいままで知りませんでした。お恥ずかしい限りです」

 キインが素直にそう言うと、リードマンは笑いながら言った。

「まあ、一般の人にとってはどうでもよいマイナーな大会ですからね。それにベルン共和国は政治的に中立で、自国防衛に必要な最小限の軍事力しか保有しない主義だと聞いています。その信念を貫くために、主に先手必勝の手段である飛龍部隊を持たないのでしょう? しかも、国土の殆どが乱気流の激しい山脈の斜面にあるじゃないですか」

 それから彼は、三匹のほうを見て言った。

「さぞかし、君達も飛びにくかろう? 飛龍便でも割増料金が必要になるほどだ」

 三匹は、同期できないリードマンと言葉を交わすことはできないものの、話の内容はちゃんと理解できる。

(ああ、だから真っ直ぐに飛ぼうと思っても直ぐに横に逸れちゃうんだ)

 とケインが言葉を発すると、

(ケインのはわざとだろう? 真っ直ぐ速く飛ぶことよりも、翼の動きや傾きでどれだけ挙動が変わるのか試しているだけじゃないか)

 と真面目なカインがそれにつっこみを入れる。それをクインが、

(でも、ケインが飛ぶところを見ていると飛ぶのが楽しくて仕方がないように感じる)

 と、穏やかにフォローした。

 キインはそのやりとりに目を細めつつ、リードマンに素朴な疑問を投げかけた。

「すると、その大会にはベルン代表飛龍は参加していないのですか?」

「いえ、ベルン代表も毎年出場していますよ。ただ、どこかの金持ちが道楽で作った、退役飛龍を金で雇っただけの寄せ集めチームですから、結果はぱっとしませんがね」

 そう言いながらリードマンは苦笑した。

 彼に案内されて、キイン達は手前にあった牧場の飼育小屋のような建物の中に入る。

 外観から二階建と思っていた施設の内部構造は、飛龍達の身体や特性にあわせて天井が高く取られた平屋だった。

 飛龍がすれ違う時に窮屈にならないように廊下は広めに取られており、それでも混雑する時には上空を飛び過ぎることができるほどに余裕がある。

 背が高く横幅も大きい観音開きの扉が片側の壁に整然と並んでいた。

「中を見ますか?」

「もちろん。是非拝見させて下さい」

 リードマンの誘いの言葉にキインは即座に応じる。観音開きの扉が開かれると、中は広々とした空間になっていた。

「凄いですね。私の自宅がまるごと収まりそうだ」

 とキインが目を丸くしたので、リードマンは苦笑する。

「厳しい自然環境の中育った飛龍にとって、居住環境の良し悪しは重要ではないと思いますが、これはゴルトベルク王子の発案でしてね。狭い環境で飼育されると飛龍の器量が狭くなる、だそうです」

 キインはリードマンが口にした何気ない一言に、思わず赤面した。

 限られた空間を有効に活用しなければならない魔獣研究保護施設『グリーランド』では、こんな余裕のある居住環境は望むべくもない。

 養護施設である地下迷宮には空いている空間があったが、途中までの通路のところどころが狭くなっているため、飛龍では出入りが難しかった。それに人型ではない飛龍には使用許可が下りないだろう。

 今は飼育施設の狭い空間の中に、三匹揃って押し込まれている状態であり、キインは内心申し訳なく思っていた。

 広すぎる室内には、窓際に寝台、中央に大きな机と幅の大きい椅子が置かれているだけで、その他に家具はなかった。

 部屋の奥に、入口と似た背が高く幅の広い観音開きの扉があるが、恐らくあそこはトイレだろう。

 個室に風呂がないのは、飛龍には人間と違って入浴の習慣がないからで、飛龍にとっての入浴は身体が汚れた時や身体が痒い時に川に飛び込む程度のものである。

 リードマンが言った通り、飛龍が生きていくために必要なものはそんなに多くないし、その中に快適な居住環境は含まれない。現に三匹は先程から、興味がなさそうに立っていた。

「これはシラクから依頼のあった今回の見学の趣旨とは違いますから、早速訓練の様子を見て頂きましょうか」


 横幅が長い飛龍住居棟には、建物の真ん中に通り抜け用の通路がある。そこを通ってキイン達は高い塔の下にある広場へと進んだ。近くから見ると塔は一層背が高く見える。

 そして、円筒形をした塔の横幅は思った以上に広かった。下にある開口部から、斜面が左回りに設けられているのが見える。そのまま斜面はらせん状に上まで続いているのだろう。

 キイン達が下から塔の最上部を見上げていると――


 細長くて黒い影が躍り出た。飛龍である。


 塔から飛び出すと同時に、畳んでいた翼を最大面積となるように展開する。

 続いて、大きく速く十回ほど羽ばたいて速度を上げ、揚力を発生させる。

 その後は、首、翼、尾を真っ直ぐ広げたまま、滑走路に向かって滑空。

 その動きが等間隔で次から次へと繰り返されるところが見事だった。

 途中で上昇気流を上手く捉え、次第に高度を上げてゆく者がいる。

 微妙な差ではあるものの、上昇に成功した飛龍のほうが動きが優雅に見えた。

「野生の飛龍は切り立った崖や密集した木々の上に生息していますから、高いところから空中に身を躍らせて飛翔を開始することには慣れています。しかし、戦場は森だけとは限らない。下の滑走路をご覧下さい」

 そう言ってリードマンは、全員の視線を滑走路へ誘導した。キイン達は視線を落とす。

 するとそこには飛龍が五匹、翼を広げてもぶつからないように間隔を空けて横一列に並んでおり、更にその前方には、右手に持った青い旗を高々と頭上に掲げた人間がいた。


 青い旗が振り下ろされる。


 と同時に、五匹の飛龍は翼を力強く翼を羽ばたかせながら走り出した。

 後方に盛大に砂埃が舞い上がり、飛龍の羽ばたきにあわせて濃くなってゆく。

 五十メートル以上離れていたキイン達の足元まで砂埃は到達し、それにタイミングを合わせたかのように前方の砂埃の中から、飛龍が姿を現した。

 重力を振り切っての離陸。

 飛龍は足が短いため、滑走だけでは離陸に必要な揚力が得られない。

 そのため、勢いよく翼を動かさなければならない。

 それでやっと平地から離陸できるようになる。

 高い塔からの飛翔は優雅さを、平地からの離陸は力強さを感じさせた。

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