第二話 魔王の帰還
それでも私は満足していた。
リーマンショック寸前に、持ち株をすべて利益確定のために売却し、リーマンショック後の底値になった時期を見計らって、家を購入した。
さもなければ、会社員の収入だけで購入できるような物件ではない。周囲も、似たような方法で資金を手にしたか、親の遺産あるいは生前贈与をつぎ込んだ家族だらけである。決して本人達の実力だけで裕福になった訳ではない。
少しだけ資金源に恵まれた庶民が、ぎりぎりのラインで購入した夢の城だ。
駐車場の奥にある玄関ドアを開くと、狭い空間に見事に無駄なく押し込まれた、三和土とトイレ、バスがある。設計者はパズルが得意に違いない。
娘が脱ぎ散らかしたスニーカーが、あっちとこっちに分かれていたので、揃えておいた。何度言っても直らない悪い癖だ。今まで何十万回、同じことを言ったことだろう。そろそろ反抗期の入口に入る歳だから、久し振りに口喧嘩でもしようか。
溜息をつきつつ、自分の靴を脱ぐ。安売り靴店で購入したプレーントウ、それでも一万円也。少し傷が目立ってきたような気がして、眉を潜める。
奥にある急な階段の上から、テレビの音だけが聞こえていた。
そこでやっと私は、ちょっと違和感を覚える。
いつもであれば、三歳の息子の笑い声か、九歳になる娘の全力疾走のような早口か、おっとりとした妻ののんびりとした話し声が、階段の上からは聞こえてくるはずである。
それで私はピンときた。
今ではだいぶん感覚が錆び付いていたが、これでも私は昔『魔王』と呼ばれて恐れられた男である。その私に待ち伏せを仕掛けるとは、大胆な勇者だ。
私は鞄を開いて、中から持ち歩いている緊急用の装備を取り出した。
一階の狭い廊下を慎重に進む。
前方に明かりが明滅していた。
しかしこれはトラップではない。
ただ蛍光灯が古くなっただけだ。
階段の下から顔を少し覗かせて、上の様子を確認する。
すると――
「ふふふ、よくぞここまで来た。お前の勇気は誉めてやるが――ここまでだな」
小学生の娘が階段の一番上で高笑いをしていた。
私は脱力する。
「お前、これじゃあ立場と台詞が逆だろ? どこの世界に魔王を待ち伏せして高笑いする勇者がいるんだよ」
「いいでしょう、これ一回やってみたかったんだから、このシチュエーション、結構楽しいね、この見下すような位置」
勇者の魔王願望というのはいかがなものだろうか。
そう思いつつ、このままだと話が先に進まないので、あえて筋書きに乗る。
「現れたな、勇者。これ以上、お前の好きにはさせない!」
私は右手に持っていた装備を一振りした。
金属音とともに装備が伸びる。
「それはまさか、伝説の決戦兵器『アンヴュー・レイラ』! 全部カタカナで、ヴはウに点々!」
「これでもう、上からの物理攻撃は無効化された。私はお前の野望を必ず止めてみせる」
私はそう言いながら階段に足を踏み出す。
しかし、娘は不敵な眼をこちらに向けて言い放った。
「ふっふっふ。私が何も持たずにお前との決戦に臨むとでも思っていたか!」
後ろ手に隠していた最終兵器が姿を現した。
赤と黄色の原色に塗り分けられた鎚。
「そ、それはまさか破壊兵器ゴールドハンマー! 全部カタカナ!」
「パパ、それ駄目。もう一回やり直し」
「へ?」
私は急なダメ出しに足を止める。
娘はふくれっ面をしていた。
「見た目そのまま。しかも古臭くでなんだか格好悪い。手を抜かないでよ」
へいへい。
よくクライアントにも言われますよ。
君のネーミングセンスはなんだか古臭いし、直接的だねって。
「じゃあ、これでどうだよ。それはまさか究極破壊兵器『弩離怨(ドリオン)』か? 全部漢字で、弩は超弩級のど、離ははなれる、怨はうらみ!」
娘は鼻から盛大に息を吐いた。
「ふむん、何だか田舎の暴走族みたいな感じだけど、まあいいわ。では、覚悟するのだな、魔王」
「それはこちらの台詞だ。勇者」
そう言いながら私は階段を駆け上がった。
娘の余裕の表情が眼に入る。
背中の産毛が逆立った。
これは何かある。
しかし――もう止まることはできない。
「勇者、覚悟しろ!」
私は――
ええと、何だっけ。
そうそう。
決戦兵器『アンヴュー・レイラ』を振りかざす。
それと同時に、娘の究極破壊兵器『弩離怨(ドリオン)』が持ち上げられ、驚いたことに――
光を放ち、同時に伸びる。
「え、何それ? どの最上級装備の発動だよ?」
突然のエフェクトに驚いた隙に、『弩離怨(ドリオン)』が私の頭を直撃した。
ぴこーん!
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