ACT.4-4 新たなる巨乳《ボイン》獣

〈また出たわ! 今度は8番カメラのところよ!〉

 ペタバイトは、放課後の柔浜山を走り回っていた。

 帰宅する学生達を乗せた通学バスが、巨乳ボイン獣の襲撃に合っていたのだ。

 すぐに学園長が告げたカメラの場所へと駆けるが、一足遅かった。

「って、また一時停止だけさせて逃げちゃったか……」

 現場に辿り着いたときには、既に巨乳ボイン獣は山中に消え、バスも再び走り出していた。

 今回の襲撃は『バスを一時停止させる』というなんとも微妙なものだった。

 唐突にバスの前に現れた巨乳ボイン獣が正面からバスを受け止める。

 そして、止まったことを確認するや、山中に消える。

 そんなことが、何度も繰り返されていた。

「ああもう! 一体何がしたいのよ……」

〈地味な嫌がらせで実害はほとんどないけど、気持ち悪いわね……って、また出たわ! 19番よ!〉

「今度こそっ!」

 そう意気込んでみたものの、結果は芳しくない。

 結局、この日は巨乳ボイン獣を捕らえることはできなかった。

〈20番!〉

「はい!」

 その翌日も学園長室のモニタと連携しながら同じように駆け回ったのだが、

「ああっ! もう、また逃げられた……」

 最終バスを一時停止させられ巨乳ボイン獣にはまんまと逃げられた後だった。

 悔しさを胸に、制服姿に戻って学園長室に帰還すると、

「もう! なんなのよ一体っ!」

 巫女服姿の学園長が頭を抱えていた。

 ここ二日でかれこれ十二台の通学バスが巨乳ボイン獣によって一時停止させられていた。

 運行の遅延も微々たるもので実害はほぼないとはいえ、いいように遊ばれているようで甚だしく気分が悪かった。

「嫌がらせというのもあるだろうが、恐らくは新しい巨乳ボイン獣の試運転だろうね。暴走バスを止めてペタバイトは力を示した。今回は暴走していないとはいえ、それになぞらえて対抗する意味合いもあるんだろう」

「なるほどね」

 学園長の苛立った声に、静真は冷静な状況分析を返す。

 件の新しい巨乳ボイン獣は、これまでとは大分姿が違っていた。

 牛柄のスーツは、明らかに巨乳の象徴たるホルスタインへのオマージュだろう。

 だが、それよりも大きな違いがあった。

 以前の巨乳ボイン獣は女性にしては相当の長身で、胸が千沙菜の頭の高さぐらいだった。

 一方で、この巨乳ボイン獣は、せいぜい身長155センチといったところ。

 明らかに中の人が変わっている。

「なら、相手の準備が整わんうちに、さっさとやめさせんと!」

「気持ちは解るが落ち着くんだ。神出鬼没な巨乳ボイン獣にどうやってエンカウントするか、まずはそこからだろう?」

「そ、そうですね……」

 静真の言葉に、ここ二日の体たらくを思い出し、元気が萎んでしまう。

「でも、可及的速やかに対策が必要なのは確かよ」

「それなら大丈夫だ。昨日今日の状況を分析して、一つ作戦を考えてある」

 学園長の言葉に、自信に満ちたバリトンで静真が応じる。

巨乳ボイン獣の出現場所は途中までランダムだが、最後の方は丁度ペタバイトが暴走バスを止めた20番カメラ付近に集中していた。麓から目に付かない下限ともいえる位置だな。撤退を考えてできるだけ低い位置でということかもしれない。それなら、闇雲に追わず、あの付近で待ち伏せればエンカウントできる可能性が高い」

「なら……」

 期待の籠もった千沙菜の言葉に、静真は大きく頷いてみせる。

「ああ、明日は最終バスの時刻まで待機し、待ち伏せるとしよう」

「了解! 次こそは捕まえてやりますっ!」


  ※


 今日のバイトも上々の成果だった。

 合歓子は着替えを終えると、会議室に残って仕事をしていた二丘の元を訪れる。

 他の幹部は既に解散しており、二人きり。

 この話をするには丁度良いと見計らってのことだった。

「あの、少しお話が……時間、宜しいですか?」

「ええ、構いませんよ」

 二丘は仕事を中断してノートPCを閉じ、柔らかいテノールで応じてくれる。

「面接のときにお話ししたわたしの志望動機は覚えてますよね?」

「ええ、中々素敵な動機だと思いますよ」

「それで……もうネオ巨乳ボイン獣としての動作にも慣れましたし、それなりに実績も示したと思うんですけど?」

「なかなかの自信ですね……とはいえ、教授も予想以上のデータを収集できたと喜んでいましたし、あれだけ巨乳の力を見せ付けたので、愛ちゃんもさぞ悔しがって巨乳を意識して理解を深めていることでしょう……」

「え? 愛ちゃん?」

「あ、いえ、今のは忘れて下さい……とにかく、貴女の実績は認めましょう」

 明かな誤魔化しだが、今はそれを追求するより大事なことがある。

「それじゃぁ、まどろっこしいことは止めて、一気にいきませんかぁ?」

 己が実績への言質を取った今が好機とみて、合歓子は自らの考えた作戦を告げる。

「……なるほど、そういうのも悪くないですね。それならいい場所がありますよ」

 作戦を聞いた二丘はすんなり受け入れ、更には色々と提案までしてくれた。

 そうしてしばし意見を出し合い、段取りを詰めていく。

「ありがとうございました。思っていたよりずっと上手くいきそうです」

「それは何よりです。いい結果を期待していますよ」

「任せておいてください……では、今日はこれで失礼します」

「ええ、お疲れ様でした」

 二丘の協力のお陰で想定以上に上手く事が運びそうだ。

 満足げに合歓子は一礼して株式会社ドッピアの会議室を後にしたのだった。



 襲撃が始まって三日目。

 最終バスの時刻。

 千沙菜はペタバイトとなって、静真の読みに従い山中で待ち伏せていた。

 そろそろ最終バスがポイントに到着しようかという頃、ペタバイトが待機するのとは道路を挟んで逆側の山中の木々がざわめく。

「出たわ! 文倉先輩の読み通り!」

〈ああ、こちらでも確認した〉

 ほどなく、道路上に現れる巨乳ボイン獣。

「そこまでよ! いいようにバスを弄んでくれてたけど、今日が年貢の納め時だかんね!」

 千沙菜も山中から飛び出すと、声高らかに叫ぶ。

「やっと捕まえてくれた☆ 貧乳さんは性能が低いからえらく時間がかかったね♪」

 巨乳ボイン獣は驚きもせず、どこか作為を感じさせるアニメ声で応える。

「ふん、そんな型通りの挑発には乗らないかんね!」

「そうね、そうこなくちゃ面白くないわ☆」

 そこで、山の上から最終バスが降りてくるのが見えた。

「でも、まだやることやってないから、ちょっと待ってね♪」

 バスを見るや、巨乳ボイン獣はペタバイトを無視してそちらへ駆けていく。

「させるか!」

 追うが、巨乳ボイン獣と速度はほぼ互角。追い付けない。

「そんなところにいたら、危ないよ☆」

 巨乳ボイン獣はそのまま正面からバスに突撃し、体勢を低くする。

 直後、バスの前面が宙に浮く。

「ま、まさか……」

 千沙菜の目の前で、バスは2メートルほどの高さまで持ち上がり、その下を巨乳ボイン獣が両手を頭上に掲げ、Uターンしてこちらへと駆けてくる。

 バスは見えない小山を超えるかのように、ペタバイトの頭上も超える。

 不用意に刺激すればバスが大変なことになる。

 すれ違う巨乳ボイン獣に手出しできない。

 そんな千沙菜の横を悠々と通り過ぎたところで、巨乳ボイン獣はゆっくりと腕をバスの進行方向に向かって下ろす。その動きに合わせ、バスはまるで何事もなかったかのように綺麗に着地すると、そのまま走り去った。

 衝撃も何もない。

 まるで、ゆるやかな坂道を上り下りするかのような滑らかな動きだった。

「危ないから、ちょっと乗り越えて貰ったんだよ☆」

 事もなげに、巨乳ボイン獣はわざとらしいアニメ声で言う。

 千沙菜はその言葉に我に返ると共に、気を引き締める。


――こいつ、できる!


 今のは、バスを持ち上げたのではない。

 のだ。

 それも、合気道の投げのように、相手の力を利用する形で。バスの前面を持ち上げると共に、その跳ね上がる力をコントロールして緩やかに着地させたのだ。

 千沙菜が暴走バスを強引に止めた力業ではなく、技量による所業だ。

 握った拳に、汗が滲む。

「さぁ、相手になるわよ、ペタバイト☆」

 そんな千沙菜に、悠々と巨乳ボイン獣は挑んでくる。

 骨のある相手との尋常な戦いなんて、もう、何年もしていない。

 強敵の登場に、知らず、気持ちが高揚してくる。

「ううん、そんな上等な名前より、こっちの方がいいかな☆」

 だが、そんな盛り上がった心はあっという間に打ち砕かれる。

「見たまんまの『ムネナシ』ちゃん♪」

 その名で呼ばれた途端、千沙菜の頭は真っ白になった。

 過去のものとなったはずの様々な感情が、心の奥底から甦ってくる。

「あ、あたしをジブリのキャラみたいに呼ぶなぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 気付くと、湧き上がる激情に任せて全力で叫んでいた。

 貧乳ありのままの自分を受け入れたつもりだった。

 だが、久しく忘れていた不本意な呼称に、千沙菜の心は掻き乱される。

 かつてのコンプレックスが、再びその心を支配する。

 ただ、勢いに任せて巨乳ボイン獣へと踊りかかる。

 その反応に、巨乳ボイン獣の牛柄覆面から露出している口元がニヤリと歪む。

「たーんじゅん☆」

 不用意な踏み込みに足をかけて転かされ、ペタバイトは顔から地面に落ちた。

「まぁったくなってないわね、『ムネナシ』ちゃん☆」

「だ、だから、変な名前で呼ぶなと言ってんの!」

 ガバッと勢いを付けて立ち上がり、ギリギリと歯噛みしながら叫ぶ。

 ダメだ。

 感情がコントロールできない。

 ムキにならずにはいられない。

「やっぱり、大きさの方が大事ってことよ☆ 最近、貧乳を『ありのままの自分』だとかいうのが一部で流行ってるけど、そんなの嘘嘘♪ 巨乳こそが正義!」

 言って、その場でこれ見よがしにジャンプ。


 ポヨヨーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。


 縦横斜。そのホルスタイン級の乳房は、立体的に余韻をもって舞い踊る。

「ふ、ふん。それがどうしたってのよ? あたしはちゃんと貧乳ありのままの自分を受け入れてるかんね!」

「そうかしら? だったらなんでさっきはあんなに逆上したのかしらね☆ 長年のコンプレックスはそんな簡単に払拭できないんじゃなくて、『ムネナシ』ちゃん?」

「ぐっ……」

 その呼称に、千沙菜は再び心を掻き乱される。

 『貧乳』は自分でももう認めて平気だった。

 だが、『ムネナシ』と呼ばれると、心がざわつくのが抑えられない。

「ほら、こんなに隙だらけ☆」

「え!」

 気が付くと、巨乳ボイン獣が目の前にいた。しかも、その両手は千沙菜の胸に触れている。

 PETAスーツの胸元を飾る貧乳ペタの象徴、Pマーク越しに。

「ホンっとに『ムネナシ』ね☆」

「……ば、バカにすんな!」

 逆上して拳を握るが、そのときには巨乳ボイン獣はその場を離れて間合いの外だった。

「流石は『ムネナシ』ちゃん。掲示板みたいに綺麗に貼れるね♪」

「あたしをその名で呼ぶなと……って、あれ」

 言われて見ると、左胸の辺りに10センチ四方の小さな紙が貼られていた。

「うん、今貼り付けたんだよ☆ ところで、もしもわたしがいつもの貴女と同じように、その胸のPマークを引き裂いてたら、どうなってたかしら? 貼り付ける余裕があったという意味、理解できてるかな? かな?」

 呆然とする千沙菜に、巨乳ボイン獣は耳障りなアニメ声で言葉を続ける。

 できるのに、やらなかった――それは、手加減。

「そ、そんな……」

「これでトドメを刺しちゃうのも、不意打ちで面白くないよね♪ やっぱり、決着はガチで付けないと☆ だから、改めて挑戦するんだよ♪ 日時と場所はその紙に書いておいたわ。その挑戦に応じないと、そうね……学園、破壊しちゃおっか? わたしならできるってわかるでしょ? そうしたら、怒りで新たな力が目覚めて楽しめるかも♪」

 言葉通り心底楽しそうに言って、踵を返す。

 背中を見せるのは、侮辱。

 だが、千沙菜は動けなかった。

「それじゃぁ、またね、『ムネナシ』ちゃん☆」

 振り向きもせずアニメ声でそんな言葉を残し、巨乳ボイン獣は山の中に消えていった。

 千沙菜は、悔しさを胸に現場から直ちに学園へと取って返した。

 制服に着替えると、学園長室に集まっていた静真、学園長、知香に胸に貼られた紙を見せ、事情を説明する。

「果たし状、ね。日時と場所は、明日の夜、山上の空き地……って、TKB団幹部が直接全員立ち会うからこっちの関係者も全員来いですって? 本気で全ての決着を付けるつもりみたいね」

「そうみたいですね。こっちも気を引き締めんと。でも、これってどこなんです?」

「ここよ」

 モニタの一つに、森に囲まれた、だだっ広い空間が映しだされる。

「神社の敷地の一部だったんだけど、学園からまだ登ったところだし、学園の敷地にするには微妙なんでそのままになってるのよ。まぁ、変なのが入り込まないように監視カメラは設置してあるんだけどね」

「って、どんだけでっかな神社だったんですか……」

「この山全体が神域だったから、頂上付近のこの辺り全体が敷地よ」

「改めて、凄い資産家だって思い知った気分……」

「でも、どうしてここを知ってたのかしら? まぁ、下見されててもおかしくはないけど、今は何もないから、神社があった頃に来たことでもないと知らないと思うんだけど……まぁ、考えても仕方ないわね。ここなら、確かに好都合よ。麓からは森で死角になってるから、学園の生徒がいない時間帯なら少々派手にやっても目立たないだろうし」

「望むところよ! さっきのは不意打ちみたいなもんだったかんね。真っ向勝負なら貧乳が巨乳なんかに負けないって、見せ付けてやりますっ!」

 なまじ武術の心得があるだけに、先の巨乳ボイン獣との力の差は明確に理解している。

 だが、それでも引くわけにはいかない。

 薄胸を張り、姿勢を正し、力を込めて宣言する。

 空元気だとは自分でも解っていたが、空元気でも元気。

 気持ちで負けてどうするのか?

 かくして、貧乳と巨乳の最終決戦へと、千沙菜は気合いを入れ直すのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る