ACT.2-2 もう『ムネナシ』とは呼ばれない

「ハ・ツ・ジュ・ギョーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」


 今日からいよいよ授業の始まる朝。

 教室のドアを潜るなり、千沙菜は両手を振り上げ叫んでいた。


「だから、テンション上がったからって叫ばないでよぉ……悪目立ちしないように大人しくしてなくていいのぉ?」


 そんな千沙菜を、幸運にも同じクラスになった合歓子が窘める。


「うん。もう開き直ったかんね! 始業……式は体調崩しちゃったけど、入学式でみんな見てる前で大見得切っちゃったし」

「諦めるの早いね、ちぃちゃん」

「潔いって言って!」


 守秘義務の関係でペタバイトの正体は隠さないといけないけれど、入学式の一件でもう性格はバレているから飾る必要はないだろう。


 それに、あのとき立ち向かったことは間違いじゃなかったと、すぐに実感する。


「あ、音無さん! おはよう! 始業……じゃなくて、入学式では大変だったね」

「でも、はっきり言ってくれてすっきりしたよ。ありがとう!」


 教室に入ってきた千沙菜を暖かく出迎えてくれたのは、ショートカットに縁なし眼鏡の佐藤さんと、黒髪ロングの高橋さんだ。入学式と始業式で顔を合わせているので、名前を覚えていた。胸の薄い二人は、あの啖呵に感じるものがあったのだろう。


「おお、音無! 始業式では大活躍だったな!」


 次に声をかけて来た特徴の薄い男子生徒は、確か鈴木君だ。


 だが、これはまずい。


「し、シギョウシキッテナンノコト?」


 千沙菜は咄嗟に惚ける。


「あ、ごめん! なんでもないなんでもない」


 と、佐藤さんが話に割り込んできて、鈴木君の耳元でボソボソと何か話している。


(正体隠してるつもりなんだから、気付いてない振りしてあげないと)

(お、おう)


 千沙菜は正体がバレたのではと冷や汗タラリで、そんな佐藤さんと鈴木君の言葉は耳に入っていなかった。


「ス、スマナイ、シギョウシキデダイカツヤクシタノハペタバイトダッタヨナ」


 ぎこちなく取り繕う鈴木君に、


「ソ、ソウヨ、アタシペタバイトナンカジャナイカンネ」


 同じくぎこちなく片言で返しながら、内心で「よかったー、バレてない」と薄胸を撫で下ろす千沙菜であった。


「音無さん、これからも宜しくね!」


 話を締めるように高橋さんが伸ばした手を、千沙菜は握る。


「うん、宜しく!」


 そんなこんなでクラスにもいい感じに受け入れられて、心底嬉しい。


 更に、何より嬉しいことがある。


「うぅ……それと、みんな、ちゃんと『音無おとなし』って呼んでくれて、ありがとう……」


 気付いた事実に思わず涙ぐんでいた。


「「「?」」」


 事情を知る合歓子以外は、千沙菜の涙にポカンとした表情を浮かべている。


 中学時代、不良達に付けられた二つ名が武勇伝と共に知れ渡り過ぎて、クラスメートは勿論、一部の教師や道行く人にまで、不本意な名で呼ばれ続けてきたのだ。


 だが、それも過去の話と実感する。

 武勇伝は、ここまでは届いていない。


――誰も自分を『ムネナシ』と呼ばないって素晴らしい!


 クラスメートに正しい名前を呼ばれるだけで、感動を覚える千沙菜であった。



 昼休み。

 千沙菜と合歓子は佐藤さん高橋さん鈴木君の三人も交えて学食に来ていた。


 千沙菜はミンチカツ定食、合歓子は焼肉定食と天ぷらうどんとフルーツの盛り合わせを選ぶと、上手いこと席が空いていたので五人揃って席に着く。


「ねむちゃん……相変わらずだしそれでもセーブしてるとは思うけど、そんだけ食べて太らないのは羨ましいよ」

「えー? これぐらい全然大丈夫だよぉ。それに、食べ過ぎてもおっきくなるのはおっぱいだけだよぉ」

「くぁぁぁあ、まぁた、乳奉行な発言を!」


 千沙菜は箸をおくと、隣の合歓子の胸に手をやる。


「ぐあああぁ、なに、この重さ!」


 言いながら持ち上げる合歓子の胸に、千沙菜はGのグラヴィティを感じる。


「ほ、本当、凄い!」

「うう、少しでも分けて欲しいなぁ」


 千沙菜と同類の貧乳同盟に属する佐藤さんと高橋さんが、羨ましそうに重量級の乳房を見る。


「眼福眼福……うが!」

「あんたはちょっとはデリカシーを持ちなさい!」


 そんな中、鼻の下を伸ばしていた鈴木君に、佐藤さんが目つぶしをかます。


「食堂で暴れないでよぉ……ズズズ……」


 どさくさで千沙菜の手から逃れた合歓子は、暢気にうどんを啜っていた。


「ねむちゃんがいて、新しい友達もできて、こうしてみんなでご飯を食べる! くぅぅ、なんかいいねぇ、ジョシコーセーライフだねぇ」


 騒動が一段落したところで、千沙菜は新生活の幸せを噛み締める。


「うん、わたしもこうやってちぃちゃんと、そしてその他大勢と一緒で嬉しいよぉ」


 合歓子も、若干失礼な表現を交えつつ千沙菜の言葉に応じる。


「あれ? 音無さんと井伊野さんって凄い仲良しさんだけど、同中じゃないの?」


 何か違和感を抱いたように、高橋さんが尋ねてくる。『その他大勢』呼ばわりはスルーしてくれたようだ。


「そうなんだよぉ。おうちは近いんだけど、間に学区の境があったから、同じ学校に通うのはこれが始めてなんだぁ。ちぃちゃんは、成績がギリギリだったんだけど、わたしが一生懸命教えて上げて、晴れて二人で通えることになったんだよぉ」

「ああ、だからあんなに大げさに感動してるのね……」


 佐藤さんが未だに幸せを噛み締めっぱなしの千沙菜を呆れたように見ながら、納得したように頷いていた。


「ううん。なんでも大げさなのはちぃちゃんの性格だよぉ」


 そんな合歓子の元も子もない言葉も、感動に震える千沙菜には届いていなかった。


 こうして、和やかに昼食の時間は過ぎて食後。


 まだ昼休みが残っていたので、せっかくだからと学食と併設されている購買部を覗いてみることになった。


「な、何これ?」


 千沙菜はそこに並ぶラインナップに驚愕する。


 レジカウンターに、教科書やノート、筆記用具、学校指定の体操服やら制服やらが並んでいるのはいい。各所に監視カメラが設置されているのも、ものものしいがこのご時世、防犯としては別に不思議ではないだろう。


 だが、コンビニのような造りの店内各所に配された商品棚のラインナップが問題だった。


「うわぁ、このコスメ、品切れ続出とかいう新作じゃない!」


 佐藤さんが、化粧品の箱を手に取って、


「おぃ、このマンガ、オークションで高値で売ってた奴だぞ!」


 鈴木君が、並んでいたマンガ本の一冊を手に取って、


「ああ、初回限定版がまだ売ってるなんて……」


 高橋さんが、ちょっと耽美で綺麗な男子の絵が沢山描かれたパッケージを手に取って、


「「「この学園に来てよかった!」」」


 さっきの千沙菜のようにそれぞれに感動に震えていた。


「って、なんでこんなもんがあるのよ、この購買部っ!」


 千沙菜は、思わず声に出してツッコむ。


「買い物に行くにも、放課後に町に下りるだけで一時間かかっちゃうからね。人気商品の発売日なんかだと、確実に出遅れちゃうでしょ? それだったら、学生達が購買でできるだけ買い物を済ませられるようにって入荷希望商品のアンケートとって、その結果を反映し続けたらこうなったのよ」


 近くで商品整理をしていた若い女性店員が、千沙菜の言葉に答えてくれた。


「へぇ、でも、それだったらこの強力なラインナップをパンフレットとかに載せたら学園の売りになるんじゃ?」


 みんなが驚いているのは、購買のラインナップを全く知らなかったからだ。


「ああ、未だにマンガやゲームにいい顔しない保護者の方はいるからね。そういった人に難癖付けられないように資料では伏せてるのよ」

「大人の汚さを見た!」


 ツッコミながら、そういえばこんな山の中なのに潤沢にアニメ・ゲーム・マンガ・ライトノベルを充実させている人間がいたことを思い出す。


「因みに、マンガやゲームを買いに来る主なお客さんは、確か三年生の……そうそう、文倉君よ。そもそも、執拗に『これこそが日本が世界に誇る文化だ』と主張してアンケートを書きまくってたのも彼だから」

「やっぱりか!」

「ねぇねぇ、ちぃちゃん、これもあったよぉ!」


 と、話が一段落したところで合歓子が声をかけてくる。


 彼女が右手で掲げ持つのは、某ジブリアニメのBD。

 途端、千沙菜の表情がすっと消える。


 それは、かつての千沙菜の呼称の元ネタになったキャラが出てくるアニメだった。


「ねむちゃん、流石に怒るよ、あたしも……」


 静かに凄むと、合歓子に詰め寄る。


「ええ? でも、可愛いと思うんだけどなぁ、あの呼び方も……」


 千沙菜の感情を知ってか知らずか、暢気に言葉を続ける合歓子に、千沙菜は容赦なく全力の拳を振るう。合歓子はそれをパシッと片手で受け止めて、


「わぁ、ごめんごめん。わかったよぉ、もう言わないから」


 身を翻すと、合歓子はBDを元の棚に戻していた。


「冗談でも笑えないかんねっ! 次やったら絶交よっ!」

「うんうん、わかったよぉ」


 キツイ千沙菜の言葉に、合歓子はのほほんと答えていた。

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