その平面を力に変えて~かつて『ムネナシ』と呼ばれた少女は己が薄胸により最強の力を得る~
ktr
プロローグ
一年前~英国某大学坂月生命工学研究室 決別する師弟
「どうして……どうしてこうなるのですか?」
若き助手は困惑していた。
「どうして、だと? 聡明な君らしくもない。資料の通りだ。『
「確かに、そうかもしれませんが……これでは……これでは、大きければ大きいほど、効果が高まる――ということに、なりませんか?」
教授の示した理論を理解するにつれ、込み上げてくる感情があった。
「結果的にそうなるが、何か問題があるのかね? 先ずは現状の限定された効果対象にとって、最も効果を上げることを考えておるのだ。大きさと効果が比例することに、特に不自然さはなかろう?」
その答えが、助手の中の譲れない何かを刺激し、淀み渦巻いていた感情が遂に決壊した。
「『
助手は資料を作業机に叩き付け、勢いのまま強く異を唱える。
「……ふむ、我輩の理論を否定するのであれば、君の理論を示したまえ。そこまで言うからには、既に君にも何かしら構想があるのだろう?」
助手の剣幕に若干の当惑を示しながらも、教授は冷静に促す。
理論には理論で対抗せよ。
一人の研究者として、助手を扱えばこその提言だろう。
ならば、応えねばならない。
「ええ、勿論あります。これが、僕の構想中の理論です!」
鞄からタブレットPCを取り出し、スリープを解除して教授に示す。その高精細の液晶画面には、様々な数式や図が並ぶ資料が表示されていた。
「なるほど。単位面積当たりの『
「ええ、これなら大きさ至上主義とはなりません!」
弟子は自信を持って言い切る。
「だがこれでは――小さければ小さいほど効果が高まるのではないかね?」
「そうなりますが……それも日本の心を重んじればこそです」
「日本の心、だと?」
虚を突かれたように、教授が怪訝な声を上げる。
「はい。いよいよ『
その返答に、教授は渋い表情を浮かべる。
「なるほどな。確かに筋は通っているようだが……そもそも、手術糸による感染症で母を亡くした我輩が究極的に安全な手術糸を求め着想した『
「ええ、日本での研究に行き詰まり、新たな視点を得るためオカルトに可能性を見出して、十年前にその本場である英国へと渡ってきたのでしたね……」
「その通りだ。結果、期待通りのインスピレーションを得ることに成功し、八年前には自分の研究室を手に入れ、研究開発を続けてきた。他ならぬこの英国でな。そのお陰で、十全な強度を持ち、感染症の心配もなく、且つ、人体に吸収されて抜糸も要らない。その上、生体の回復力を高めて縫合部の癒着を劇的に早めるという効果まである理想的な手術糸として『
「はい」
「なれば、『
「……」
そう言われてしまっては、助手に返す言葉はなかった。
「それに、この英国では数年で平均サイズが二つも大きくなったという統計情報があるぐらいだ。その事実を一体どう考えるというのだ?」
「それは、人工的なサイズアップも含んでの統計結果だったはずです!」
半ば反射的に、助手は異を唱える。
「だからどうした? 人工的であろうと、それは統計に影響するだけの大きくしようという意志があったという証左に他ならん。数字が示しているのだよ、世間が大きさを求めているということを。それに、これは日本も同じ。常に故郷の情報を収拾することに余念のない君のことだ。当然、日本にもそういう大きさを求めた製品や施術が存在することは知っておろう?」
「そ、それは、そうですが……」
教授の言葉に理を感じ、助手はそれ以上反論できずに声を詰まらせる。
だが、それでも受け入れる訳にはいかない。
これは、論理ではなく矜持の問題。
助手は唇を噛み、ずっと感じつつも目を逸らしていた疑惑を言葉にしようとする。
「先ほどから思っていたのですが、教授は……まさか……」
「君こそ……そう、なのか?」
決定的な言葉を避けてはいたが、教授も何かを察しているように苦しげに応じる。
重い沈黙が降りた。
ここまでのやりとりで薄々は気付いていたのだ。
研究者たる者、
確認しなければ、確定はしない。
心の底から違っていて欲しいと思う。
だがそれでも、確認せずにはいられないのが、科学者の性でもある。
もうここまでくれば証明されたも同然。
無言で対峙したところで、事態は変わらない。
やがて、深く息を吸い、意を決したようにその沈黙を破ったのは教授の方だった。
それまでの紳士的な口調をかなぐり捨て、声を張り上げその信条を宣言する。
「大きいことはいいことだ! これは我輩の理念。曲げる訳にはいかんっ!」
助手が思い描いた仮説が、証明された瞬間だった。
確定、してしまったのだ。
教授が、助手とは相容れない側の人間だということが。
「ぐ……ま、まさか……教授がそちら側の人間だったなんて……」
「何を言っておる。大多数の男なら当然の嗜好ではないか」
愕然とする弟子に、師匠は毅然と応じると、重々しく言葉を続ける。
「残念だ……君が、そんなマイノリティ嗜好の持ち主だったとは……」
教授の嘆きの言葉が区切りとなって、研究室に再び沈黙が降りた。
助手は懊悩の表情を浮かべ、顔を伏せる。
そうして、どれだけの時間が過ぎたであろうか。
「こうなっては……僕は、もう……教授に付いていくことは……………できません」
顔を上げ教授と視線を合わせ、若き助手は絞り出すように決別の言葉を口にする。
譲れない想いが、そこには秘められていた。
「本当に、残念だ。君は我輩の後継者たる素質を持つと思っていたのだがな。日本へ凱旋する今となって、君を失うのは正直、痛手だ」
「ええ、僕も教授と並んで日本へ凱旋したかった……」
幼くして英国に渡り、そこで両親を失った助手にとって、教授は父のような存在でもあった。更に、英国にあって日本人の比率の高いその研究室の面々は、彼に故郷を忘れさせずにいてくれた、大切な家族のような存在だったのだ。
――だが、それらと決別してでも譲れないものがある!
「遺憾ではあるが、もう我輩と君とは袂を分かつ以外に道はない。これは男として、否、『漢』として譲れぬ信条。それを曲げては研究者としても失格であろう。なればこそ、ここでの決別は運命付けられたものと割り切る他あるまい」
「……はい。その通りです。僕が、僕の道を歩むときが訪れたということですね」
厳しい別れの現実を受け入れ、助手は吹っ切った表情で研究室の扉に向かう。
ドアノブを回す。
それは、己にとって新たな運命の輪を回すに等しい。
ここを出れば、もう一人で歩いていかねばならないのだ。
そこに教授はいない。
だが、それは自ら選んだ道。
研究者として、そして何より『漢』として決して曲げることのできない、道。
最後に振り返り、教授の目を真っ向から見据えて声高らかに宣言する。
「僕はきっと示してみます! この独自の『
教授も、全力でそれに応じた。
「ふふ、ならば我輩も師として示さねばならんな。我が理論『BOIN』をもって
かくして、女性の乳房に対する見解の違いから師弟の絆は断たれ、弟子は一人の研究者として己の道を歩み始めることとなったのだった。
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