第二話 辻斬り 二

 舟が揺れ、巳之助とお園は慌てて舟縁を掴む。

 宗太は足を踏ん張って耐え、清二に向かって言った。

「お前、一人で抜け駆けしやがったな!」

「何のことだか分らない」

「あれだけ俺にも手伝わせろと言ったのに!」

「何のことだか分らない」

 激昂する宗太と、冷静になる清二の間で、巳之助とお園ははらはらしていたが、

「もういい!」

 と、宗太が腹を立てて黙り込んだので、その時はそれで終わった。


 その後しばらくの間、宗太は清二と口を利かなかったが、それも自然に解れてゆき、今では普通に会話するようになっている。しかし、会話の端々に宗太の割り切れない思いが溢れることがあり、巳之助とお園をどきりとさせた。

 お佐紀が比企を目撃したのとほぼ同じ時期のことである。

「なあ、近頃なんだか役人の姿が多くないか?」

 と、宗太が猪牙舟の櫓をゆっくり漕いでいた清二に訊ねた。

 秋の大川は大層穏やかである。

 少し前まで夕涼みの屋形船で川面は混み合っていたが、それが過ぎてしまえばいつもの静けさが戻ってきた。

 そして、夏の暑い盛りに焼け付くような江戸の通りを、お役目上居住まいを正して歩き回っていた役人達は、この時期になると気が緩んでどっと疲れが出る。

 そのため目につかなくなるのが普通だったが、その年に限って余計に目につくようになった気がしたのだ。

「宗太の言う通り、やけにお役人の姿が目につくな」

 清二が川の端を見回してみると、数人の巻き羽織姿が見えた。太陽が傾き始めたこの時間にしては多い。

 清二が首を傾げると、

「お前、また勝手に何かやらかしたんじゃないだろうな?」

 と、宗太が清二をからかった。 

「馬鹿言え。何で俺が役人に追われなきゃならないんだよ」

 清二は済ました顔で受け流す。

 それを見ていた巳之助は、小さく溜息をついた。

 ――宗太のやつ、まだ根に持っているよ。


 *


 江戸時代の産業構造を説明する際、「労働集約型」という言葉が使われることがある。

 かなり強引な説明で恐縮ながら、ある作業にかかるコストを見た時に、人件費の占める割合が高いものを「労働集約型」と呼び、設備費の占める割合が高いものを「資本集約型」と呼ぶ。

 労働集約型のほうが人の手に頼る部分が多いため、非効率的で労働生産性が低いと言われており、労働生産性が低いということは、労働時間は長い割に成果が出ない「貧乏暇なし」を意味する。

 そして、現在日本でも労働集約型の問題は繰り返し指摘されており、日本経済のマイナス面として根深い問題になっている。

 だからといって資本集約型への転換を図ろうとしても、実際問題難しい。日本は資源を持たないため、コスト的に資源を輸入して設備を動かすよりも、人手をかけるほうが安い場合がある。

 ところが、明らかに設備投資したほうが安い場合であっても、日本人は何故か人の手でやり遂げようとする。人海戦術や根性論が職場からなかなか姿を消さないのが、その良い例だ。

 それは日本人の心性が、人海戦術を「よし」としているからではないか――そんな説がある。

 今日、サービス残業は悪であり法令違反であるが、以前はどれだけ遅くまで仕事をしていたのかが評価の対象であった。それを時間外手当という金額に置き換えることは、むしろ忌避すべきことであった。

 この職業的倫理観の発端を、江戸時代に求める考え方がある。

 一六〇〇年代の前半より、日本の人口は急増した。増加した人口を支えるためには食料の増産が必要だが、狭い国土の中で耕地面積を増やすことには限界がある。そこで、農業にかける労働時間を長くすることで対応しなければならなかった。

 それを続けるうちに、次第に日本人は「長い時間働くことが美徳」という道徳観を作り上げた、というのだ。

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