第77話「死相」

 新年が明けると同時に、全ての見廻みまわり組員が一斉に神社の外へと駆けだす。


 蘭丸らんまる彩子さいこと二人で外に出る。鳥居を抜け、階段を走り下り、それでも尚駆けてゆく蘭丸を彩子が止めた。


「落ち着け蘭丸! 何処どこまで行くつもりだ!」


 師匠の声に引きとめられて、美貌の弟子ははやる足を止めた。斬るべきあやかしを探すためとは言えず、恥ずかしそうに振り向く。


 もちろん妖は斬らねばならないのだが、見廻り組の仕事は人命救助が最優先だ。


 妖に襲われていなくとも、人を見つけたら神社まで連れて行って保護しなくてはならない。


「神社から離れすぎてもダメなんだ」


 彩子が目的を履き違えた蘭丸をさとす。


 特定の誰かを探すわけではない。目的地に向かうわけでもないから、闇雲に走り回っても意味が無いのだ。


 むしろ神社周辺を警戒しながら、妖の気配を探るのが正解なのである。


「だから足よりも目を凝らし、耳を澄ませ。禁を破った人間も、それを喰らおうとする妖も、どうせ神社を目指してやって来る」


 見廻りは二人一組で廻る。人を保護して神社へ避難させる者と、妖を斬る者という役割分担。


 当然、妖刀を持つ彩子が妖討伐を担当する。蘭丸は保護した人間を神社へと連れてゆく。わば護衛が役目だ。


 神社に入ってしまえば妖は人に手が出せないし、手当てのために常駐している巫女さんも居る。


 蘭丸は一度、大きく深呼吸をした。どうにも、妖を斬ることで頭が一杯だったらしい。


「落ち着いたかい?」


「すみません、師匠。平常心を忘れておりました」


「うん。冷静になったのなら、良い」


 それだけ言うと彩子は煙草に火を付けて歩き出した。蘭丸も提灯ちょうちんを持って後に続く。


 それにしても静かな夜だ。眠っている山に降り積もる雪のように、 闇が辺りの音を吸収しているかのような静穏せいおん


 夜の中を音も無く静かに歩く剣客二人。されど空気を切り裂くが如き、その存在は鋭く殺気立っている。


 不思議な感覚であった。蘭丸が彩子の妖事あやかしごとに同行するのは初めてのことである。普段、家で酒ばかり呑んでいる彼女とはまるで別人だ。容赦なく、闇の向こうを斬り付けようという剣呑けんのんさがある。


 ――これが、妖刀使いみぎわ 彩子さいこ


 蘭丸が息を呑むと、何処からか馬の鳴き声が耳に入って来た。


 空耳かとも思ったが、程なくしてひずめが道を叩く音が近づいて来る。


 やがて姿を見せる異形。


 青白く光る馬には首が無い。しかし、いななきは聞こえる。その前には逃げ走るわらし。追われている。


 ――妖! と、蘭丸が思った瞬間には彩子が刀を鞘走らせ、走る馬の足を全て斬っていた。


 妖刀『電光石火』の一閃は、馬など比較にもならないほどに速い。


 間髪入れずに蘭丸が倒れた馬にトドメの一撃を加える。


「斬ったわね。私の可愛いお馬さんを」


 どうやら馬に乗っていたモノが居たらしい。白い着物を着た女性。その顔はやつれ、手には錫杖しゃくじょうを握り、彼女の体も青白く光っている。


夜行やぎょうか。蘭丸は子供を連れて神社へ行け!」


 夜行さん。大晦日に現れる首切れ馬に乗って、町を徘徊する妖。


「師匠は?」


「コイツを斬る!」


「承知!」


 蘭丸は童女どうじょを背負うと、一目散に神社を目指した。


「お前をってから、あの男も殺す」


 夜行が錫杖を鳴らした。


「ふん。音よりも速く斬るから、花のように潔く死ね!」


 彩子も抜刀の構えを取る。


 風が渦を巻いて、辺りの木々を揺らした。



 * * * * * * * * * * * * *



 蘭丸は神社への道のりを急ぐ。子供を保護してから、すぐに彩子の元へと戻りたかった。


 彩子が負けるとは思わないが、妖が夜行だけとは限らない。微力ながらも助太刀できればという思いが、彼の足を急がせるのだ。


「クク……」


 背中の童女が笑った。不快な息が蘭丸の首を撫でる。


「お兄ちゃん、助けてくれて……ありがとうね」


 童女の腕が巻きついて、蘭丸の首を締め上げてゆく。


 気絶させてから、ゆっくりと喰らうつもりなのだ。あるいは血を啜るつもりなのか。その両方かもしれない。


「化けるのが上手いな」


「――!」


 童女の体が一瞬、凍ったように痙攣けいれんした。首から肩口にかけて、刀が深々と突き刺さっている。


 刃長六十・三センチというニッカリ青江だからこそ出来た芸当である。蘭丸の持つ刀が標準的な打刀の長さであったなら、危なかったかもしれない。


 蘭丸は妖を背中から乱暴に落とすと、念のために首を斬り落とした。


 すると童女は老婆へと姿を変えた。


「なるほど、初めから人など居なかったわけだな」


 見廻り組が二人一組で行動することを知っての罠。戦力の分散を狙った行動。


 妖は本能のまま動いているわけではないらしい。知能が高いわけではないが、全くの考え無しというわけでもなさそうである。


 厄介なのは、化ける奴らだ。


 もし蘭丸に化けて現れたら、千分の一くらいの確率で彩子は油断をするかもしれない。


 蘭丸は急いで来た道を引き返す。心配はしていないが、万が一ということもある。





 蘭丸は夜を走った。辻行燈つじあんどんの灯りから灯りへ、風のように滑る。その姿はさながら闇を払う疾風迅雷だ。


 やがて蘭丸が走る向こう側から、人影らしきものが近づいて来るのが見えた。


 辺りは暗いので良く分からないが、雨でも無いのに傘を差しているようだ。禁を破った参拝者? とは思えない。


 かもす雰囲気が妙なのだ。


 蘭丸は立ち止まって居合いの構えを取った。


 ――間合いに入り次第、問答無用で斬る!


 影が静かな歩みを止めた。緩慢かんまんな動作で日傘を上げると、行燈のだいだいに照らされて見覚えのある顔が覗く。


「久しぶり、音無し。物騒なのは相変わらずね」


 整った輪郭りんかくの中で輝く単眼の瞳。真っ直ぐに伸びた長い黒髪が、控えめな仕草に乗ってゆらゆらと揺れる。


「そして美しいのも相変わらず……」


 闇子やみこが嬉しそうに大きな瞳を歪めた。


「闇子……なのか?」


 流石さすが愕然がくぜんとなった。蘭丸は彩子が彼女を斬り殺した際、すぐそばに居たのだ。


「こんばんは。いえ、新年明けましてオメデトウと言うべきかしら」


「生きていたのか」


 その呟きは闇子に向けられたものか、自分に対してのものか。蘭丸自身、判断がつかなかった。


「また一緒に居られるわね」


 抑揚よくようの無い声が夜に滑り落ちる。


「悪いが今は急いでいる。積もる話はいずれ」


 蘭丸は過ぎ去った時間を蹴って走り出そうとしたが、足が動かない。闇子が蘭丸の影を踏みつけているせいだ。


ないのも相変わらずね。せっかく久しぶりの再開なのに」


「……そういえば、君には変わった能力があったな」


 闇子は影を利用した様々な怪異現象を操った。


「覚えていてくれて嬉しいわ」


 僅かな灯りの隙間から、彼女の細く白い首に刻まれた傷痕が見えた。


「君は随分と雰囲気が変わったようだ」


「三年も経てば、いろいろとね。貴方あなただって、もう音無しの頃とは違うのでしょう?」


 闇子が意味ありげに薄く笑った。三年ぶりだというのに、何もかも知っているような口振りである。


「とにかく、今は急いでいる」


 蘭丸が刀の切っ先を足元に向けて短く振ると、影が跳ね上がった。


「――!」


 闇子の足が軽い火傷のようにうずいて、思わず地面に座り込む。一度だけまばたきをした後、蘭丸はもう闇の向こうへと消えてしまっていた。


 闇子は凍った霧のような息を一つ吐くと立ち上がり、蘭丸とは反対方向へと歩き始めた。


 その表情には危険な笑みが浮かんでいる。



 * * * * * * * * * * * * *



 蘭丸が彩子のところへ着くと、夜行さんの姿は無かった。彩子と斬り結んだ挙句に敗れたのだろうことは、想像にかたくない。


「師匠、傷が」


 よく見ると着物の左肩の部分が裂けて、血が滲んでいる。


「かすり傷だ」


 目にも留まらぬ速さを誇る妖刀『電光石火』を相手に、かすり傷とはいえ負わせたのは凄い。手強い相手だったのだろう。


 彩子は持っていた救急キットを使って、器用に傷口に包帯を巻いた。本来は保護した人が怪我をしていた場合の応急処置に使う物だが、もちろん自分に使ってもよい。


「蘭丸、一度神社へ戻るぞ」


 妖を倒したら、その遭遇した場所と妖の特徴を記すために神社へと戻る必要があるのだという。


 情報を共有することで、誰が何処へ向かったのかが分かる仕組みになっている。


 夜が明けて全員が集合した時、その場に居ない者が亡くなった者というわけだ。


 全員欠けずに揃うのはまれらしい。


「闇子?」


 道すがら、蘭丸は途中で出会った昔馴染みのホムンクルスのことを話題に乗せた。


 彼女が生きていたことを、彩子には知らせるべきだと思ったのだ。


「以前、俺と一緒にいた単眼の……もしかして覚えていないんですか」


 何か考え込むような素振りで、彩子が煙草に火をつけた。りんの燃える匂いが周りに散る。一息吸って、紫煙が闇に溶けた。


「ああ、私が斬ったアレか」


 忘れ物でも思い出したふうに、彩子はポンと手を打った。


「しかし、変じゃないか。私に首をねられて、生きていられるはずがない。別人じゃないのか?」


「間違いなく本人でした。首にかなり目立つ傷痕があったから、誰かにくっ付けてもらったのかもしれない」


 蘭丸は自分の中の常識と云うものを疑いながら言葉を紡いでいた。


 果たしてホムンクルスと云うものは、そんな単純な処置で命を繋げることが可能なのだろうか。これでは人形と大差が無い。


「もし本当に本人ならば、彼女の傍にはよほど腕の良い錬金術師が居るのだろうな」


 彩子の興味は闇子本人よりも、彼女を創った人物にあるようだ。確かに不死に近い生命体を生み出す技術は驚異である。


 それから闇にささやかな灯りをともしながら、二人は暗い道を歩いた。先程の喧騒が嘘のように静かで、空気までもが眠っているような夜だった。


 その真ん中で、二人は唯一の余所者よそものであった。やはり夜は異界なのだ。


 お互いに何も言わず、ただ夜明けを求めて歩く。


 蘭丸は闇子のことを考えていた。三年の時をて現れた友人。自分が現在、音無しではなく渚 蘭丸と名乗っていることを知ったら、彼女は怒るだろう。それとも怨むだろうか。あるいは殺してしまいたくなるかもしれない。


 どうであっても事は穏便には収まらず、一波乱あるだろう。その時、蘭丸は闇子を斬ろうと決めた。


 闇子が悪いわけではない。悪いのは自分だと分かっていながらも、斬る。


 ――何だ。俺だって、充分に変わってしまったのではないか。


 蘭丸は空を見上げた。漆黒の天には何も映っていない。悲しみも喜びも、切なさすらも。


 やがて神社へと着いた。鳥居を潜ると、二人はすぐ違和感に気づいた。静か過ぎるのだ。人の気配がまるで無い。


 今夜の神社には宮司ぐうじや巫女が徹夜で常駐しているはずで、これは明らかに異常事態である。


「蘭丸は部屋と云う部屋を調べろ。私は外を調べる!」


 素早く蘭丸が社務所しゃむしょへ入っていくのを確認すると、彩子は腰の妖刀を鞘ごと抜いた。臨戦態勢の構えである。


 参道にも建物の周りにも誰も居ない。しかし、行燈や屋内の明かりは灯ったままだ。まるで、急に人だけが姿を消してしまったような感覚だ。


 妖の仕業かとも思った。しかし、神社に入ってこれる妖はいない。


 九尾の狐や酒呑童子しゅてんどうじなどの大妖ならば可能だが、どちらも雨下石家が封印している。


「それにしても血の跡がまるで無いというのも妙だ……喰われたわけではないのか」


 建物の損壊も、争った形跡すら無い。彩子の経験上、こんな現象は初めてだった。


「クールな妖刀使いのお姉さん。もう神社に人は誰も居ませんよ?」


 軽い声に振り返ると其処そこには青い髪と瞳の少年、それと人とは思えない美貌を持った妙齢の女性が立っていた。


「貴方は確か雨下石しずくいし家の次期当主……」


「なんだ。僕が何者か知っているのか」


 亜緒あおは「つまらん」と言いながら、そっぽを向いた。


「帰るぞ、ぬえ。もう充分面白いものは見れた」


 着物姿の美女が黙ったまま、亜緒の後ろに続く。


「待たれよ! 此処ここで何があったのか、知っているなら教えて欲しい!」


「ん? 単眼の妙な女の人が皆、消しちゃったよ。宮司も巫女も見廻り組もね」


「闇子か!」


「へぇ。あれが噂の『闇子さん』か」


 爛爛らんらんと青い瞳を輝かせながら、亜緒は嬉しそうに振り返った。


「知っているのか?」


ちまたじゃ有名な都市伝説だ。何でも闇子と二回視線が合うと、永遠の闇の中に引き擦り込まれるとか何とか」


 そんな良くある噂話さ。と、亜緒は巫山戯ふざけたような口調で言うのだった。


「しかし、何故こんなことを……」


 それは彩子の独り言だったのかもしれない。


「さぁ? どこか機嫌でも悪かったんじゃない?」


「貴方は雨下石家の人間でありながら、その蛮行を黙って見ていたのか?」


 責めている。責められている。


「僕は勝てない勝負はしない主義なのさ」


 そもそも鳥居を潜って神社に入ってくる時点で、ただの妖ではないのだ。無闇に突っ込む莫迦ばかをやるほど、亜緒は愚かではない。


「僕の力で調伏ちょうぶくできる相手なら、躊躇ちゅうちょ無しにやっているよ。今回は勝てそうも無かったから、見送った」


「それにしても――」


其処そこの女、もう良いであろう」


 鵺が彩子の言葉をさえぎって口を開いた。しかし、視線は彩子に向けられてはいない。


「先程から聞いていれば、雨下石家次期当主に対して過分かぶんなもの言いが過ぎるぞ」


 鵺にとって人など、雨下石家の一部の人間以外はマトモに相手をするに値しない生き物なのだ。


「いいんだ。何も出来なかったのは本当だ。それに今夜は、いろいろと珍しいものが観れて気分が良いんだ」


 次期当主様は、冷たい空気に涼しげな声を響かせてご機嫌だった。


 一方、鵺のほうは不満気だ。亜緒が一介の妖刀使い如きと、気安く口を利いているのが面白くないらしい。


ぬしにはもっと自分の置かれた立場というものを自覚してもらわねば困るぞ」


 呆れた口調で鵺が亜緒の鮮やかに揺れる青い髪の毛を指で触れた。


「あ、そうそう。妖刀使いの君、ええと……」


「渚 彩子だ」


「ああ、うん。そうなんだけど、貴女あなたには死相が出ている。あまりに無茶な戦いは避けたほうがいい」


 不吉な言葉を境内けいだいに残して、亜緒と鵺は夜のとばりへと消えた。

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