第22話「寂しい遊びの始まり」

 明けて翌日の子芥子こけし女学院。


 校内に鬼が棲むと分かっても、亜緒たちの日常は何も変わるところはない。


 寧ろ、より身近に感じるくらいである。


「兄、雨先生。あの……」


 昼休みの廊下でノコギリが亜緒を呼び止めた。危うく兄様と呼びそうになる。


「雨下石 桜子さん。どうしたんですか?」


 他人行儀な兄の前で、妹は恥じらってみせた。


 袴姿で頬を染めるノコギリを一頻り眺めると、亜緒は弁当箱の包みを取り出して渡す。


「ほら。ちゃんと作ってきたから」


 包みを受け取ると、ノコギリは花が咲いたような笑顔を残して教室へと戻っていった。


 後姿を見送ってから、亜緒は静かな足取りで階段を上り始める。


 一つ上の三階は使われていない空き教室がほとんどだ。


 そのうちの一室に昼休み返上で待ち合わせをしている人物がいるのだった。


 教室の扉を開けると、中で霞 月彦は笑顔で佇んでいた。


「待ち合わせの時間よりも十三分ほど早いね」


「ボクは人を待たせるのが嫌いなんですよ」


 ――食事のときも思ったが、神経質な一面が彼にはあるのかもしれない。


「で、ボクを呼び出した理由は?」


「明日、鬼退治をする。もちろん、雨天決行さ」


「なるほど」


「それで今回の件に君が参加するのか、しないのか。その辺を確認したくてね」


 暫し間が空く。


 月彦は窓の外の薄闇を眺めているような素振りで何とはなしに口を開く。


「蘭丸くんは?」


「鬼を斬ると息巻いているよ」


「妹さんはどうです?」


「雪辱に燃えている」


「鵺さんは?」


「興味が無いから不参加だとさ」


「蘭丸くんと雨下石のお嬢さん、そして亜緒くん。既に充分すぎるほどの役者が揃っていますね。ボクの出る幕なんて無いかも……」


 この鬼退治は無報酬だ。


 妖退治を生業なりわいとしている月彦の立場からすれば、動く理由は無いのかもしれない。


「妖も人も斬らないボクが、果たして何かの役に立てるのでしょうか? なんて考えてしまうんです」


 月彦の言葉からは消極的な意思が声になって現れている。どうやら、乗り気ではないようだ。


「おいおい。自分の職場に鬼が隠れているとか、気分悪くないのかい?」


「ボクは臨時の教師ですから。そろそろ任期も終わる頃ですし」


 まるで他人事のような口調だ。


 事実他人事かもしれないが、妖刀使いならここは参加してしかるべきところである。


 相変わらず、何を考えているのか掴み難い青年だ。


「妖も人も斬らない……か。それは斬りたくないという意味では無いよな?」


 亜緒の意味深な口調を前にしても月彦の笑顔は壊れない。


 表情にはいつも通りの柔らかい笑みが乗っている。


「斬らないのではなく、斬れない。否、斬る必要が無いと言ったほうが正確な表現かな」


 月彦から一瞬だけ笑顔が消えた。すぐ元に戻った表情には少し高揚の色が増えた。


「初対面のとき、君に『妖も人も斬っていない』なんて言ってしまった僕がいけなかったな。あれは大いなる間違いだった」


 『月下美人げっかびじん』には人も妖も斬った名残が無かった。それは確かだ。


「あのときは本当にそう思ったんだ。でも、それは妙だと後になって気づいた」


 それでも月彦が刀を抜かない証明にはならないのだ。


 月彦以前の『月下美人』の所有者たちは妖を斬らなかったのか?


 否、斬っただろう。斬ったはずだ。


 妖刀ならば、必ず斬っている。斬っていなければならない。


 何故ならば――。


「妖を斬らない妖刀など、存在しないのだから」


 月彦の笑い声が小さく教室の静寂を削ってゆく。


 いつも笑顔の青年ではあるが、亜緒は彼の笑い声を初めて聞いた。


 嫌味な含みは無い。むしろ楽しそうな響きを持って耳に残る。


「回りくどいのは好きでは無いんですよ。実際のところ、どこまで見抜いてるんです?」


「君の持つ刀は五振りの中でも一番残酷で容赦が無い。事実、君だって――」


「分かりました。明日の鬼退治、僕も参加しましょう」


 急変に不意を突かれて、亜緒は呆れた。


「随分と容易く意見を変えるんだな」


 軽そうに見えるが、月彦は強情なタイプだと思っていたのだ。


「その代わりといっては何ですが、二つほど質問させてください」


 珍しく多少のかしこまりを持って月彦は言葉を続けた。


「僕の『月下美人』の能力がどうして貴方に分かってしまったのか。一応、細心の注意を払っていたつもりなのですが」


「その刀が綺麗過ぎたからさ。妖刀に限らず刀ってものは、もっと禍々まがまがしいもんだ」


「なるほど」


 月彦は早々と納得した。以前、誰かに同じ指摘をされたことがあるのかもしれない。


「妖や人を斬ってもその痕跡が何も無いということは、残滓ざんしさえ残らない斬り方をするということだ。それはつまり……ここまで言えば所有者の君には充分だろう?」


「そういえば、慧眼は『物事の本質を見抜く』のでしたね。ボクとしたことが迂闊でした」


「コレに頼りすぎるのも問題だけどね」


 大事なのは慧眼が見せる物事の意味をどう捉えるかなのだ。


 事実、亜緒は『月下美人』の本質を見誤ったのだから。


「質問はもう一つあるんだったな」


「鬼憑きの目星です。亜緒くんのことだから、見当は付いているのでしょう?」


 当然の質問である。普通はこちらを先に聞きそうなものだ。


 月彦にとっては鬼よりも、自分の妖刀の秘密を当てられたことのほうが重要らしい。


「北枕 石榴と小山内 誄。この二人のどちらかだ」


「なぜ二人の生徒に絞ったんです?」


 鬼が学院に入り込んだのなら全校生徒、教師も含めると学校関係者全員が容疑者と云える。


「『鬼は内』の儀式を実際に行ったのは、僕のクラスの生徒だからだ。そして北枕 石榴は実行の中心人物で、小山内 誄は次の鬼だった。呼び込まれた鬼が憑くなら二人のどちらかだろうから」


「鬼が複数の可能性もあるのでは? 二人にそれぞれ憑いているとか」


「鬼が単体、一人であるのは自殺者犠牲者が一人だからだ。もし鬼が二体なら犠牲者も二人いなければならない」


 それが呪いというものなのだ。


「有名なうしこく参りも、二人同時には呪えないんだぜ?」


「人を呪わば穴二つというわけですか。三つとは云いませんものね」


 自殺者生贄となった者が一人なら、呼び出された鬼も単体でなければならない。


「なるほど。しかし、どちらかはシロ。人間なんでしょう?」


 月彦は確実に一人まで絞って欲しいと亜緒に言いたいのだ。


「もしかしたら鬼は別に居て、二人とも人だったという可能性も充分有り得る」


 二人の容疑者は、あくまで亜緒の推測に過ぎない。乱暴に云ってしまえば「勘」である。


 雨下石家の蔵に眠る照魔鏡でも使えれば確実なのだが、群青が持ち出しを許可しないことは聞くまでも無く分かっていた。


「だから今回は推測に頼るしかない。放っておけば犠牲者が増えるばかりだ」


「雨下石家の御嫡男の勘に頼ってみますか」


 笑顔の剣士は緊張感無く鬼退治への参加を表明した。





 蘭丸は学院の庭に在るガゼボの中で弁当を広げていた。


 金環日食のような太陽が輝くこの世界でも、昼は人の顔を判別できるくらいは充分に明るい。


 どちらかというと、家の中のほうが灯りを必要とするくらいに夜が居座っている。


 長い黒髪に墨黒色の着流しを着た蘭丸は、さながら影のようだ。


 弁当に箸をつけながら、闇を斬る影は思う。


 今朝、鬼退治は明日行うと亜緒から聞かされた。


 今日ではダメなのかと問うと、いろいろと準備が必要なのだという。


 鬼の宿主さえ分かれば、蘭丸は今すぐにでも斬りに行ってしまうだろう。


 待つのはしょうに合わない。そういう男だ。


「蘭丸さん」


 背後で声がした。


 蘭丸からは気配が丸分かりである。


 声の主が昨日の女生徒であることにも気づいている。


 それは見えていることと同義なほどに明白だった。


「またサボリかな?」


「今はお昼休みですよ」


 誄が小さな口を尖らせながら、差し向かいに座る非礼を伝える。


「お昼、御一緒しても宜しいですか?」


「好きにしたらいい。此処は俺の特等席というわけじゃないしな」


 むしろ蘭丸は部外者に近い。


 少女は紙袋からコッペパンを一つ取り出すと、指で千切って口に放り始めた。


「それだけか?」


「あ、はい。だから教室では食べづらくて……」


 少女は頬を赤らめながら食事を続ける。


 結婚の話が無くなって、小山内家は借金を返すアテも無くなってしまった。


 経済的に余裕が無いのが現状で、もしかしたら学院を卒業することなく辞めることになるかもしれない。


 それでも誄は幸福を感じていた。


 元々親の見栄のために入学させられた学院である。


 借金だって家族三人で頑張れば、いつかは返せる日も来るだろう。


「もし失礼でなければ……」


 蘭丸が誄の目の前に弁当の包みを置いた。


「友人に作ったもので悪いが、どういうわけか取りに来なかった」


 いくら女性といっても、コッペパン一つというのは少食というレベルではない。


 育ち盛りの時期でもあるから栄養的にも問題があるだろう。


 同情では無く、蘭丸は少女の健康面を見兼ねた。それ以上の深い意味は無い。


「いいんですか?」


「気にしなくていい。どのみち、このままでは無駄になってしまう」


 蘭丸の許可を貰って弁当箱を開けると御飯に並んで卵焼き、ハンバーグ、野菜の煮物などが彩りも鮮やかに詰められている。


 少女には量が多いかもしれない。


「お揃いですね」


「同じものだからな」


 蘭丸は静かに箸を動かす。少女と違い、口調は素っ気無い。


「もしかして蘭丸さんの手作りなんですか?」


「もしかしなくてもそうだ」


 自炊が一番経済的だ。


 『左団扇』は相変わらず贅沢とは無縁の毎日で、節約の日々である。


「昨日は警察の方なんて勘違いしてしまって、私……」


「気にしなくてもいい」


 蘭丸にとっては本当にどうでも良いことだった。


 例えば辻斬りに間違われたとしても一向に構わない。


「蘭丸さんって不思議な方ですよね。私、どうして蘭丸さんに結婚のことを話してしまったのか自分でも良く分からないんです」


 蘭丸は返答に困る。


 誄は自分の中に棲むお喋りな闇が、蘭丸の前だと大人しくなるのが心地良かった。


 普段から隠れているくせに、それでも奥へ奥へと逃げるように沈んでいくのが愉快だった。


「蘭丸さんは結婚とかしないんですか?」


「自分には結婚なんて一生無縁だな」


「蘭丸さん、素敵なのに」


 蘭丸には「素敵」とはどういうものかが分からない。


 容姿か、収入か、優しさか、包容力か。


 いずれにしても人それぞれの主観というものなのだろうし、あまり意味の無いもののようにも思っている。


「私、こんなだから蘭丸さんに憧れているんですね。きっと」


 少女の平凡な笑顔は、平凡なだけに素敵だと蘭丸は思う。


 飾らないソレは、余計なものが無い故に魅力なのだと。


 もちろん、口には出さない。


「蘭丸さんは神様って信じてます?」


「まさか。そんなのがいるなら、俺は多分この世の何処にも居なくて済んだろう」


 誄には蘭丸の返答の意味が分からなかったし、蘭丸も少女の質問の意図が分からなかった。


 それでも二人は笑顔を交換することが出来た。


 もっとも蘭丸のほうは、辛うじてではあるが。




 教室ではノコギリの弁当が生徒たちの間で静かな注目を集めていた。


 期待を込めて亜緒から渡された弁当を開けると、中身はビッシリと詰められた白い御飯の中心に梅干しが一つ埋まっているだけ。


 所謂いわゆる『日の丸弁当』だ。


 鵺の弁当を見ると、普通にオカズも入っている。


 手抜きというより、嫌がらせとしか思えなかった。期待していた分、落胆も大きい。


「兄様、あとで殺す!」


 ノコギリは『左団扇』の料理事情を知らないのだった。

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