第15話「鵺、学校へ行く」

 ――闇。

 純粋なる闇。 

 純然たる闇。

 そして、忌むべき闇。


『雨下石 桜子を喰うことにした』


 そんなことを闇が囁いた。


「学校の生徒は危険だから手をつけないんじゃなかったの?」


 小山内 誄は自分のもう一つの『声』に尋ねた。


 雨下石 桜子には用心をしろと言ったのは『声』自身だ。


『お前の連れてくる食事は不味い』


 闇は淡々と言葉を紡いでいく。


『いずれはかすみ 月彦つきひこも喰う……』


 このときだけ、『声』は怯えるように震えた。


 よほど月彦のことが怖いらしい。


 しかし、誄にはそんなことはどうでも良いことだ。


 今の彼女にとっては望まない結婚話のほうが何よりも頭の痛い問題だった。


 朝。といっても、黒い太陽が生み出す薄明かりの下では登校風景も何やら薄らぼやけたものになってしまう。


 清清すがすがしいというよりも、どこか郷愁にも似た感情を煽られてしまうのは、町の其処此処で揺れる灯篭や行灯の橙のせいかもしれない。


 それでも生徒たちは「御機嫌よう」の挨拶も華やかに、洋風の校舎へと静かな歩を進めていく。


 子芥子こけし女学院は所謂いわゆる『お嬢様学校』と云われる私立校である。


 校門から校舎までを導く洒落たガス灯。


 洋風建築の白い三階建ての校舎。


 華美に装飾が施された広い玄関ポーチ。


 そしてバルコニー。


 新校舎には高価で珍しいダイナモが設置されており、電灯が点く。


 生徒たちは明るい光の下で勉学にいそしむことが出来るのだ。


 歴史も古く、由緒在る学び舎は相応に学費も高い。


 だから生徒には良家の子女や裕福な家の娘が多い。


 それでも始業前の朝の風景というものは何処の学園でも大した違いは無いようで、教室内は騒がしい声に溢れていた。


 もっとも、今日は耳ざとい生徒が転入生の話題を持ち込んできたので、普段よりも特別賑やかなのである。


「桜子さんはどんな生徒だと思います?」


 喧騒の中で誰かがノコギリに転入生について話しかけた。


 学園ではノコギリは「桜子」と云う名前で登録されている。


 校内には誰も彼女の本名を知る者はいない。


「きっと無愛想で頭に猫耳の生えた、言葉遣いが粗暴な変人ですことよ」


「はぁ……」


女生徒はよく分からないような表情をノコギリへ向けた後、再び喧騒の中へと戻っていった。


 当然、ノコギリには転入生の素性が分かっている。


 分からないのは兄である亜緒がどんな形で女学校へとやってくるのか。


 兄の女装姿を想像してみるが、笑いが止まらなくなりそうなのですぐに中断した。


 そもそもが父、群青の冗談話から出た言葉だ。


 今頃はきっと『左団扇』で惰眠でも貪っているに違いない。


 そう思うと、少し寂しい気にもなるのだった。


「はいはーい。皆、静かにしてねー。このクラスはいい歳して鬼ごっこでもやっているのかな?」


 いきなりドアを開けて教室に入ってきたのは洋装の青年。


 青色に輝く髪に、眼鏡の奥で気怠そうに揺れる青い瞳。


 どこか惚けたような雰囲気を持つ男性であった。


 一瞬で教室内は水を打ったような静けさに包まれる。 


 殆どの生徒は家族、親類縁者以外の男性に免疫が無いのだから無理も無い。


「今日から臨時でこのクラスの担任を受け持つことになりました。アメンボ アイウエオです。雨先生と呼んでくださいね」


 雨下石 亜緒は教師らしい仕草のつもりなのか、掛け慣れない黒縁の眼鏡に触ってみせた。


 同時に生徒たちの前で大きな欠伸あくびを漏らしてしまい、教室のあちらこちらから小さな笑いが咲いては消える。


 ノコギリはひたすらに恥ずかしい思いを強いられていた。


 アメンボ アイウエオというふざけた偽名もそうだが、やはりクラスメイトの前ではシャンとした姿でいて欲しい。


 誰もノコギリと亜緒の関係性に気付く者はいないだろうが、恥ずかしいものはやはり恥ずかしいのだ。


 そもそも教職免許など持っているのだろうか。


「アメンボ先生、いつもの先生はどうしたんですか?」


 流れるような黒髪の、整った顔立ちの女生徒が手を挙げた。


「えーっと、君は……」


北枕きたまくら 石榴ざくろです」


 利発そうな女生徒はハキハキと名乗った。


「斉藤先生は突然の産休に入りました。それと僕のことは雨先生と呼ぶように。因みに人間心理を担当しますので、よろしくー」


 産休も、亜緒を教師として潜入させたのも、全ては雨下石 群青の差し金だ。


「それじゃあホームルームを始めますよ。っと、その前に今日は皆さんに新しいお友達を紹介します」


 やる気の無い声と態度で鵺を呼ぶ。


「し、雨下石 鵺だ。皆の者、かしこまらず、ラクにして良い」


 少し緊張した声音で鵺は挨拶というには程遠い挨拶をした。


 元来は祀られる対象である。


 同じ高さの目線で人と接したことの無い鵺には、挨拶という概念そのものが理解出来ない。


 再び教室がざわめきだした。


 新しい先生と転入生。


 しかも教師は男性で、転入生のほうは猫のような耳が頭から生えた、態度の著しく変わった生徒だ。


 その騒々しさの中で、先ほど亜緒に質問をした生徒。北枕 石榴が好奇の視線を鵺に注いでいた。


「はいはい、皆静かにー。鵺は少し変わっているけど、とても良いなので皆さん宜しくお願いしますねー」


 亜緒としては鵺が楽しい学園生活を送ってくれればそれで良い。


「えーっと、鵺の席は――」


 亜緒の言葉が詰まって、瞳の青が大きく見開かれた。


 鵺が座るべき空席には誰かが既に座っている。


 生者ではない。


 この学園の制服である女袴を着た生徒の霊が、虚ろな視線をくうへと泳がせている。


 もちろん他の生徒には視えていない。亜緒と、多分鵺にも視えている。


「これは困ったね……」


 亜緒としてはいわく付きの席に鵺を座らせたくはない。


「大丈夫だ。鵺は気にしない」


 確かに祟るような霊ではなさそうだ。


 祟ったとしても、人の霊が鵺をどうこう出来るものでは無い。


 霊格が落ちたとはいえ、鵺と人では比較にもなりはしない。


 鵺が席に近づき、勢いもよく椅子を引くと女生徒の霊は霧のように何処かへ消えてしまった。


「よろしく。私、小山内 誄です」


 鵺が着席すると隣の席から小さな声が挨拶をしてきた。


 校則通りにキチンと纏めた三つ編みに丸いレンズの眼鏡。平凡な顔立ち。


 その中で唯一、個性らしさを放つ太めの眉が印象的な少女だ。


「鵺だ」


 鵺の挨拶は簡潔だ。簡潔すぎる気もするが。


「鵺さんは、もしかして雨下石 桜子さんの身内の方ですか?」


 まるで規範に則ったような作り笑いを浮かべて、平凡そうな彼女はやはり平凡な声で尋ねた。


「桜子?」


 鵺の頭の中に、直毛のオカッパを揺らしながら高笑いを上げる水色の瞳の女子が思い浮かぶ。


 ノコギリの方を見ると、もの凄い剣幕で鵺を睨んでいる彼女の姿があった。


 余計なことを喋るなということだろう。


「家族ではないが、家族みたいなものだ」


 鵺の捉えどころの無い返答は、誄の頭上に疑問符を浮かばせた。


 亜緒は朝のホームルームを手っ取り早く済ませると、急いで教室を出た。


 女生徒の幽霊のことが気になったのだ。


 それから教室に入ったときから感じていた得体の知れない違和感。


 人の声とは異なる騒々しい何か。


 まるで分別ふんべつの無い鬼ごっこでもしているような、狂騒と恐慌が入り混じった声の渦巻き。


 おそらくは亜緒しか感じ取れなかったであろう雑音ノイズ


 嫌な予感がした。


 取り敢えずは幽霊が何者であるのかを調べる必要があった。


 こういう場合は資料室で良いのだろうか? なにぶん教師など経験したことが無いから勝手が分からない。


 急ぐ亜緒の目の前に突然、気配無く人影が飛び込んできた。


 跳ね返されて尻餅をつくところを大きなてのひらに助けられる。


「廊下を走っては危ないですよ」


 人当たりの良い声に向けて顔を上げると、そこには涼やかな笑顔の美青年が居た。


「霞……月彦?」


 廊下の角でぶつかったのは得体が知れない剣客だった。


「また、お会いしましたね。雨下石 亜緒くん」


 相変わらず春風のような心地良い温かみのある声と、絶やすことのない笑顔が印象的な男だ。


 そして孔雀緑の着流しに差した日本刀。妖刀『月下美人げっかびじん』。


「何故アンタが此処に?」


「ボクはこの学園の教師ですから」


「なんだって?」


「臨時教師ですけどね」


 この男は以前にも臨時で見廻り組などをしていたのではなかったか。


「妖退治だけじゃ、なかなか食っていけなくて」


 月彦の言い分を亜緒は痛いほど良く分かる。


 この商売は何処も景気が良いとはいえないようだ。


 もっとも霞 月彦の場合は、本当に妖を斬っているのかどうかも怪しい人物であるのだが。


「亜緒くんこそ、どうして此処に?」


「僕も今日から臨時の教師なんだ」


「では同僚ですね。それとボクのことは月彦でいいですよ」


 月彦はうやうやしい口調で言った。


「では同僚のよしみで聞きたいことがある」


「何でしょう?」月彦は笑顔のままで首を捻った。


 廊下じゃ何だからということで、亜緒は月彦をバルコニーへ誘った。


「ボク、一時限目の授業をしなければならないんですが」


「自習にでもしてしまえばいい。だいたい、何から何まで人に教えてもらわなければ何も学べないようでは自主性というものが育たないんだぞ」


 亜緒の無茶な言い分に月彦は呆れてから困るばかりだが、表情は常に笑顔なので感情を汲み取ってもらえないのは損な性分しょうぶんである。




 一方、蘭丸は竹箒たけぼうきを持って校舎の外を掃いていた。


「何故に俺は外なんだ……」


 納得いかずも真面目に手を動かす蘭丸であった。

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