第14話「いつか王子様が」

 小山内おさない るいは夢見がちな少女だった。


 幼少の頃からの空想癖が抜けないまま、今年でよわい十六になった。


 浮世離れした危うさを両親は心配したが、それでも誄は親の言いつけに逆らったりはしなかったし、問題を起こすような娘ではなかったから、模範的な息女としての信頼を家の内外から得ていた。


 ただ、本ばかりに夢中で友達を作ろうとしないところは案じられていたが。


 誄は現実事よりも小説の中で綴られる恋物語に憧れた。


 その手の本を貪るように読み耽るのが、彼女の誰も犯すことの出来ない日常だ。


 夢のような浪漫と奇跡は誄の胸を躍らせ、それは彼女の世界のほぼ全てとなった。


 いつか自分にも王子様が現れて運命の恋に落ちるかもしれない。


 もしかしたら、きっと――。


 そんな期待と願望が彼女の中で狂い咲き、頬をあかく染めるのだった。


 姿見すがたみを見ると地味な顔をした少女が頼りなげな表情で誄を見ている。


 校則通りにキチンと纏めた三つ編み。


 膨よかな輪郭の中に収まった平凡な顔立ち。


 その中で唯一、個性らしさを放つ太めの眉。


 黒い縁の丸眼鏡の奥で、穏やかに揺れる瞳が痩せた体の線を映している。


 シャツとスカートの部屋着はシンプルで洒落っ気が無く、だから誄には似合っていた。


 笑顔を作ってみる。


 それは多数の人へ暖かさを届けることは無いかもしれない。


 しかし、何処かの誰かには確実に響く優しい音色を持っていた。


 王子様はこんな自分を見つけてくれるだろうか?


 『灰かぶり姫』のように気づいてくれるだろうか?


「魔法使いのお婆さん、どう思う?」


 返事は無い。


「どちらかというと、魔法のランプかしらねぇ。アナタは……」


 誄の精神の深い処でザワザワと何者かがわらった。


 誄のどうでもいい戯言を揶揄やゆしたのだ。


『刀を差した教師には近づくなよ』


「またそれ? 私、月彦つきひこ先生嫌いだから大丈夫だよ」


 耳鳴りの向こうで、誄だけにしか聞こえることの無い声。


『それと、雨下石 桜子という生徒にも用心するのだ』


 何故ここで委員長の名前が出てくるのか。もちろん誄には理解できない。


『黒髪ならば気にすることも無い……か』


 独り言を呟いてから声は再び黙り込んだ。


 誄は自分の中にいつの間にか棲み付いた『声』を邪魔だとは思わなかった。


 言うことの殆どに疑問が付いて回ったが、煩わしい現実を自分から遠ざけてくれるのは有り難かったからだ。



 夕餉ゆうげの支度が整ったと家政婦が部屋のドアをノックした。


 小山内家は昔ながらの華族の血筋であるが、財政は逼迫ひっぱくしていた。


 それでも屋敷に数人の使用人を雇い、高価な晩御飯がテーブルに並ぶのは単純に体面のためである。


 華族の身分を返上していないだけ小山内家はまだマシといえたが、贅沢など出来る余裕など無いのが現状であった。


「誄さん、最近学校はどうですか?」


 食事の席で母親の話題といえば学校の話ばかりだ。もっといえば、成績の話だ。


「父様は今夜も遅いのかしら」


 よく焼けた肉にナイフを入れながら、分かりきったことを口にして話題を逸らす。


 最近の小山内家の母娘おやこのやり取りは、こんな意図的なすれ違いが多い。


 誄の父は議員だが、その報酬は多大な出費を凌ぐほどの額ではない。


 美術品や骨董を売って何とか凌いでいる。


 いっそ華族という身分を返上したいと父が言ったときも、母の節子せつこが頑なに拒否をして話は流れた。


「最近、ご近所で行方不明者が多発しているようですから誄さんも気をつけて」


 母親の言葉は淡々として抑揚が無い。


 まるで事務的な通知のようだと誄は思う。


 そして、そんなことは言われるまでも無く誄にも分かっていることだ。


「なら学校なんか休んで家に居たほうが安全だと思いますけど……」


「これ以上成績を落とすようなことをしてどうするのです! 誄さんに多くは望みません。無事に卒業さえしてくれれば、それで良いのです」


 母の声が荒れる。


 最近になって急に口答えが目立つようになってきた誄に対して、節子は激昂することが増えた。


「すみません。誄さん。しかし、母は誄さんのことを思っているからこそ怒るのですよ?」


 そんな母の謝罪は、誄にとって親としての面目を保つための薄っぺらい自己正当化としか映らない。


 誄は考える。母はいつからこんな気性の激しい人になってしまったのか。


 昔は厳しいながらも優しい母であった。あったはずだ。


 やはり華族であることの世間体、それに伴う多大な出費。


 そして何よりも借金という現実が母をここまで変えてしまったのだろう。


 財政難のために華族という身分を返上する家が後を絶たないこの時代、小山内家も習うべきなのだ。


 誄は過度な身分というものを、何か人を狂わすバケモノのようだと感じた。


「そうそう。誄さんに大事な話があるのを忘れていました」


 節子の話題の切り出し方は不自然で突然だった。


 今夜のいつにも増して贅沢な食事は、まるでこの話のために用意されたような周到さを感じて、誄は嫌な予感に居心地が悪かった。


「実は誄さんに結婚の話が来ているのですよ」


 言葉が出なかった。出せなかったというほうが正しい。


 結婚なんてまだ先のことだと思っていたから、母の言葉は自分とは関係の無い他人事のように誄のどこにも引っ掛かることなく耳の外側を滑っていった。


「相手方は若いのにやり手の実業家でね」


 相手の顔写真一枚も無いまま、節子の話は進んでいく。


「今すぐというわけではないのよ? 誄さんが卒業してからのお話なのだけれど、とても良い話でしょう?」


 節子はバツの悪い笑顔を娘に向けた。


 どう聞いても、これは金策の話だ。


 小山内家を華族として存続させるための結婚。


「取り敢えずは会ってみてから考えても良いし、おいおいは――」


 誄は席を立つと、乱れた足取りで自室へと駆け込んだ。


 鍵を閉める。


 荒い息遣いの中で、初めて母を怖いと思った。


「それでも、私の両親には手を出さないで!」


 誄は精神の奥底でいやらしく嗤う声に向けて釘を刺した。

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