第5話「三拍子の所作」
亜緒は現子の斬撃を
にも拘らず、斬撃がことごとく弾かれて届かない。
まるで亜緒の前に頑丈な見えない壁でも存在しているようだ。
何か術の類だろうか。
現子は闇子から亜緒は術士であると聞いていた。
亜緒は一枚の札を指先でヒラヒラと揺らしながら意味深な笑みまで浮かべている。
やはり何か仕掛けているのだろうか。
それにしても変だ。妙だと現子は感じた。
目の前に存在するのが何であれ、『宵闇』の刀身に触れたものは闇に還る。
それが術の類であったとしても。
現子はどこか遠くで雷鳴を聞いた気がした。
向き合う亜緒と現子の間で、長髪の美しき剣客が刀に手を掛けて構えている。
「そういうことね」
カラクリを理解する。
分かってみれば至極単純だった。
――
彼が現子の斬撃を刀で返していたのだ。
文字通りの目にも留まらぬ早技で。
術など初めから存在しない。
存在したのは超高速の居合いの達人。
わざわざ札をチラつかせて亜緒がそれらしく見せていたのは、蘭丸への注意を逸らすための賢しい小細工。
しかし、小細工が看破されても状況は何も変わらない。
現子がどれだけ『宵闇』を振るおうとも、蘭丸の『電光石火』が全ての斬撃を弾いてしまう。
蘭丸の持つ刀と居合いの腕こそが、見えない壁そのものであるわけだ。
遠くに聞こえる雷鳴にも似た音は蘭丸が刀を抜く鞘走りの音であり、蘭丸の居合いの斬速は音よりも速い。
「これじゃ、どうしようもないじゃん」
現子は困惑する。
されど、この場にあって一番驚いていたのは蘭丸だった。
現子の斬撃を受け、弾いている本人でしか分からないこと。
それは現子の刀の扱いに無駄な動きが殆ど皆無であることだ。
彼女が生前に何処かで剣術の手解きを受けていたとしても、その師がどれほどの達人であったとしても、握り、足捌き、間合い、身のこなし等々、到底十年そこそこで身につく動きではない。
同じ獲物で勝負したら、敗北するのは自分だと思うほどに現子の動きは完成されたそれであった。
「闇子さん。何とかしてくださいよお」
現子が刀に向けて一言喋ると、蘭丸の影が突然彼自身を飲み込んでその場から消してしまった。
影も形も残らない。
「蘭丸!」
亜緒が焦る。
「僕の完全防御システムが!」
「さて、ここからが本番だよー」
現子は『宵闇』を構えなおした。
気がつくと蘭丸は闇子と一緒に闇の中に居た。
「私の領域へようこそ」
そこは暗闇というわけではなく光があるわけでもないが、周囲が識別できるほどの暗さだった。
蘭丸のために明暗の調節が成されている。
此処は一つの生活空間として存在していた。
「何か仕掛けてくるとは思っていたが、俺を『
「そうね。蘭丸がいると
闇の空間の一部に、亜緒と現子の現在が映し出されている。
刀を持つ現子が攻め、亜緒は斬撃を躱す展開だ。
「現子さんが有利なのは仕方ないわよね。貴方の相方は接近戦タイプではないし」
「闇子。刀の他に何か能力のようなものを、あの少女に与えたな」
「私が与えたのは獲物だけよ。構え、間合いの取り方、踏み込みの早さ、体捌きから足捌きなんかの基本動作は教えてやるよう『宵闇』に言いつけたけど。そのくらいしないと互角の殺し合いが楽しめないでしょう?」
一つだけの瞳が楽しげに歪む。
『宵闇』という刀も、また随分と変わっているらしい。
それにしても、亜緒が一方的に不利である。
現子から髪の毛一本ほどの僅かな斬り傷でも受けてしまえばそれで終わりだ。
「私、前から気に入らなかったのよ。貴方の青い髪の相方が」
映像を観ながら静かにゆっくりと言葉を吐き捨てる。
「自分が如何に恵まれているか知ろうともしないで、当たり前のように貴方の傍にいる……」
「私怨か……」
「生き延びるチャンスは与えているつもりよ」
ただ殺すだけなら闇子自身が直接手を下せば一瞬で済む。
それをしないということは、それが出来ない理由があるのかもしれない。
「君が殺したいのは僕ではなくて、宗一郎くんのはずだろう? 目的を見誤るのは良くないよ」
「宗くんも殺すけどね。事情があって、その前に青いお兄さんを殺さなければならないのよ」
優先順位の問題らしい。
「それじゃあ、かくれんぼだ」
亜緒が畳の縁を強く叩くと、畳がまるで意思を持ったかのような勢いで跳ね上がり亜緒の姿を隠す。
現子が『宵闇』で畳を突くと、畳は闇となって何処かへ消えた。
畳を目眩ましに使って亜緒は次の間へと消えた。
現子が追いかけて襖を開けると、次の間へと続く襖を閉める亜緒の細い指先だけが見えた。
追いかけて襖を開けると、またその先の襖を閉めてゆく亜緒の指先だけが見える。
追いかけても、追いかけても、いくら追い続けても現子は追いつくことは出来ず、襖を閉めて去りゆく亜緒の指先を確認するだけ。
襖を閉め続ける亜緒と、開け続ける現子。
さながら永遠に続く鬼ごっこのようだ。
「かくれんぼじゃないじゃん! それにどうして私が鬼なわけ?」
『左団扇』は妖退治の看板を掲げているが、家の構造は普通によくある民家である。
一階に座敷部屋は二つしか存在しない。
こんなにも長く続く座敷はあるはずがないのだ。
妙なのは現子も分かっているのである。
それでも逃げる亜緒を追いかけるしかない。
まるで狐に化かされているような感覚。
いい加減ウンザリして現子は襖を『宵闇』で薙いだ。
次に現れたのは今までのものとは違う。絵が描かれた襖だった。
刃物を持った鬼女が、童子を追いかけている絵が描かれている。
「悪趣味……」
一刀両断する。
襖の奥の座敷には、重ねられた座布団の上で青い髪の青年が
「見―ぃっけ♪」
「やぁ。見つかってしまったか」
「随分と余裕してるじゃん」
「そうでもないさ。じつはかなりビビッているんだ。やっぱり凄いね。その刀」
連鎖空間を一振りで絶ち斬る力。
「覚悟は出来ているってワケね」
「冥土の土産ならぬ闇の土産に、どうして君は殺されたかったのか理由を聞かせてくれないか?」
部屋を沈黙が支配する。
深く青い瞳が現子の心を探ろうと覗き込んでいる。
「そんなことを聞いてどうするの?」
「どうもしない。単に興味があるだけさ」
沈黙が支配する部屋で、亜緒は三拍子の所作で動いていた。
呼吸から言葉を紡ぐ流れ、瞬き、指や眼球の動きに至るまで、亜緒のすべての言動は三拍子の中で行われ、現子の脳内は視覚と聴覚から無意識に入ってくる三拍子に支配されてゆく。
人の心臓の鼓動は三拍子といわれている。
人は皆、母親の胎内で三拍子を聴いているわけだ。
現子は無意識に安らぎと落ち着きを亜緒から感じて、頭の中がぼうっとしてゆく。
「ただの自殺願望だったら、自ら死んでもいいはずだ」
「愛する人に、愛されながら殺されたかっただけ。宗くんはそれが出来る人だと思った」
現子はどうして亜緒に自分のことを話しているのか分からなかった。
亜緒が自分に興味があると言ったから話しているのだと思った。
私のことに興味を持ってくれたことが嬉しかったのかもしれないとも思った。
そのうちに話すとか話さないとか、考えるのもどうでもよくなっていった。
「少なくとも私を殺した人は、死ぬまで私のことを忘れたくても忘れられないでしょう?」
「そうでもないさ。この世には任意の記憶を消してくれる人もいる」
「それでも、私は私のことを好きだと言ってくれた人に殺されたいと思う」
「君を好きだという人に殺されることが望みなら、少年まで殺す必要は無いはずだ」
「死ぬ直前に私は宗くんを殺したくなってしまったの。彼なら私と一緒に逝ってくれる気がした。でも、違ったみたい……」
「藤野宮 宗一郎は共に生きることに愛情の価値を見出している。共に死ぬのは生きた後でも遅くはないのに」
「それでは遅いの。私は醜く老いさらばえて死ぬのは嫌なの」
「やれやれ。君にとって価値があるのは外見だけかい?」
「綺麗ごとだわ。人間中身が大事だって言いたいのでしょうけど、現実に外見よりも中身を見てくれる人が何処にいるっていうのよ」
「だから中身の無い薄っぺらな男を死出の旅路の道連れに?」
「だって独りぼっちは嫌なんだもの。宗くんは私のことを永遠に愛すると言ってくれた」
「口先だけさ。永遠なんて言葉は重過ぎて、簡単に口に出来るものじゃない。彼は永遠という気が狂うほどに遠くて深いその意味さえも、考えようとすらしないんだ」
この世界の何処かに、少女とずっと一緒に居てくれる人が居ると思った。
ここから亜緒は三拍子の束縛を解いた。
すべての動作を一定の拍子で続けるのはしんどいらしく、呼吸が荒れている。
「三拍子の所作」は現子を軽い催眠状態に落とすためであり、その作用が無ければ亜緒の言葉に耳を貸したかは疑問である。
亜緒が『宵闇』を手にした黄泉帰りとガチで
「それじゃ、私はどうすればいいの……」
「黄泉へ逝く方法を探そう。一人が寂しいなら、僕が一緒に逝ってやるから……」
「ずっと一緒に居てくれる?」
「僕でよければ」
「全然イイよ。お兄さんみたいな人は結構好みだから」
少女が笑顔を作ったすぐ後のことだった。
「
亜緒の合図で鵺が現子の身体の中へと滑り込む。
その刹那、現子は放心状態のように焦点の定まらない視線を
再び開くと、辺りを窺うように視線を泳がせる。
それから少女は自分の手を見て指を閉じたり開いたりしてから、自らの体のあちこちを確かめるように触れていく。
少女の頭には可愛らしいネコミミが存在を主張するかのようにパタパタとあった。
「鵺……」
亜緒が話しかける。
「亜……緒……」
亜緒は一先ず安堵する。現子の殺意を感じない。
「あー、亜緒、亜緒、亜緒、亜緒……亜緒!」
鵺は声帯を使って声を出す感覚が楽しいらしく、飼い主の名前を嬉しそうに呼び続けた。
「調子はどうだい?」
「問題ない。どこも痛くない」
「それは良かった」
どうやら鵺は生きる死体と上手く融合できたようだ。
鵺は本来「よくわからないもの」という意味を持つ。
鵺が明確な形を与えられ、一般にその名を知られて市民権を得たのは平家物語かもしれない。
猿の頭、狸の胴体、虎の手足、尻尾は蛇という馴染みの姿だ。
しかし、当の平家物語には怪物を「鵺」と記した一文はどこにも無く、「鵺のような声を出す化物」として書かれている。
化物の名称が「鵺」とはどこにも書かれていないのである。
加えて様々な文献、読み物によって姿かたちも異なる。
不定形の怪異なのだ。
亜緒は懐からミントキャンディーを取り出すと、その一粒を口に投げた。
鵺が現子の意識を取り敢えず押さえ込んでくれたことで、当面の危機は去ったことになる。
古い柱時計が午前三時を告げた。
「
「いい匂いする」
ミントキャンディーに鵺は興味を持ったらしく、鼻をスンスンと鳴らす。
「午前三時のおやつ……」
亜緒が懐からミントキャンディーを取り出して渡すと、鵺はたどたどしい手つきで包みから真っ白な菓子を取って口の中へと入れた。
「なにコレ、鼻が変になった!」
鵺から飛び出した甘い白は、淡い橙が灯る行灯に当たって落ちた。
隣の座敷を見ると散乱した畳やボロボロになった襖で目も当てられない状態だ。
「ひでぇ有様……」
亜緒は力なく笑って項垂れた。
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