アムジャード防衛戦 1

 一方、ルシュディアーク達は未だその場を動く事が出来ないでいた。

ダリウスの遺志に従って後退するかに思われたアル・リド王国軍が、突如として響いた戦鼓の響きによって形成を変えたのだった。まるで初めからはかっていたかのように横隊を形成し、カムールの方角へ向かう道を身の丈ほどの盾で塞ぎ始めている。岩山の上から眺めていたアクバルの斥候せっこうが警鐘を鳴らすのを耳にしながら、ルシュディアークはアル・リド王国軍を睨んだ。


「とんだ誤算だった」


 指導者を叩けば軍勢は崩れると思いこんでいたのに。


アル・リド王国軍は強いんだ)


 指揮官を失っても統制の取れる軍隊を運用できたからこそ、アル・リド王国は南方大陸の大部分の覇権を握ることができたという事実を見せつけられてしまった。

先刻までの高揚していた気持ちが、すっと、冷めてゆく。

警鐘が単調な音色から変調子に変わったのは、その時だった。

金太鼓の音が兵士達の怒号を巻き込んで、濁ったまま川面の波のように響き渡る。それを合図に、アクバル達の後方に控えていた兵士達が前列に走り出て盾を構え始めた。

ふと、アクバルがこちらを見下ろしていることに気が付いた。黒い双眸そうぼうに強い輝きがある。まるで、まずい状況のなかに打開策でもあるかのような目つきをして。けれど、決して快い光ではない。


「殿下はお下がりください。ここは私達が守ります」


 アクバルがこれから何をしようとしているのかを理解した途端、ルシュディアーク自身の眉間に力が入る。知らず、声色が低くなった。


「お前達と共に戦うと昨日から言っていたはずだが」


「殿下をこの場で失うわけにはまいりません」


「俺を逃さなければ戦線を維持できない将だったのか。アクバルはそういう輩ではないと思っていたが……俺の見込み違いか?」


 アクバルの視線に、先刻までとは違った鋭い光が宿るのを感じた。二の句を告げようとした口を、言葉を重ねて塞いだ。


よりも、アル・リド王国軍だ。戦意を喪失して逃げ出そうという兵士が誰もいない。ダリウスは、い兵士を育てたな」


 明け空の下、夜闇に隠されていたアル・リド王国軍の姿がはっきりとわかる。

遠く、カムールからの細々とした道々を登ってゆく人の影は、さながら大蛇のようで。王国軍の人数をざっと数えただけでも百を優に超える。

闇に姿を隠し、足音草シャッルに足音を紛れさせ、松明を点けずに岩陰にでも潜んでいたのだろう。アクバルの兵士達が弓矢や剣で応戦を開始しているが、数にものを言わせて道を突破されるのは時間の問題だった。


「殿下ぁ、硝子谷からサクルが来ました!」


 スルワラという名の青年が肩にサクルを乗せて走ってきた。上気した顔には余裕の一切が失われている。確実に良くない事があった。そういう顔つきの彼への問いかけを、地響きと揺れが邪魔をした。

ルシュディアークは咄嗟とっさに傍にいたアクバルの腕にしがみついた。まるで大地の奥底で巨大なものが寝返りを打ったような衝撃と揺れだった。眼前で繰り広げられていた乱戦のただ中にいた兵士達の動きが一様に止まり、騒めきはじめている。怒声や悲鳴の入り混じる方向を見つめれば、硝子谷の中央街道の方向から土砂が盛大に空へ吹き上がっている。


は出していないぞ!」


「読み上げます!」


 腰を抜かしたままのスルワラが、がなり声で結縄キープを読み上げた。


「サルマン王子率いる本隊と衝突、第一の壁消失を予期し、硝子谷中央街道の封鎖を独断にて決行! アズライト様率いる三千名が西の小道へ向かい、残るハリル様の軍勢は東の小道へ向かわれました!」


 アル・リド王国軍の主力を引き付けることを止め、各小道に分散して待ち伏せをする方を選んだらしい。あまりに長く中央街道にアル・リド王国軍の主力部隊を引き付ければ小道の存在にも手が行くのは分かっていた。けれど、時期が早すぎる。


「急ぎアムジャードへサクルを飛ばせ。ハリルでは間に合わない!」


「アムジャードからでも間に合いません!」


「間に合わせろ!」


 無謀な言葉にスルワラもアクバルも目を剝いた。

分かっている。くらいは。

けれども最後まで足掻きたい。

アムジャードへ数千名の兵士を東の道に応援を出すよう伝令を出せば間に合うだろうか。いいや、間に合わない。今俺たちがいるこの道を潰した上でハリルと合流し、東の道の防衛に当たる方がまだ可能性がある。


「この道を潰した上でハリル達と合―――――!」


 耳の奥が破裂しそうなほどの爆音が轟いた。爆風と吹き上がった風に運ばれてくる焔硝の臭いが鼻をつく。瞬間、アクバルに腕を掴まれ引き倒された。

覆いかぶさるアクバルの背後で、陽もかくやと思わんばかりの閃光と、遅れて熱を帯びた強烈な風が土埃を上げて吹き荒んだのが見えた。

物の焦げた臭いと、やけに遠く聞こえる誰かの叫び声。露出した顔や肌がチリチリと焼ける痛みがする。遠くなりかけた意識の中で、妙にはっきりとした白い物体が一つ、ぼんやりと佇んでいるのだけが分かる。例えるのなら、猫のような白い生き物。四つ足なのに人間のように二足でしっかりと地面を踏みしめて、右前足を黒煙の彼方に向け、開いているかわからない双眸をルシュディアークに向けている。まるで戦況を、全体を見渡し、一度冷静になって指示を出せとでも言っているような。


(まさか。こんな場所に猫がいるはずがないのに)


 薄ぼんやりとした白猫が、黒煙の中に消えてゆく。全ては幻だったとでも言うように。白猫の代わりに現れたのは、熱と痛みと悲鳴のする現実だった。まず、盛大に咳き込んだ。耳も頭も痛ければ喉も痛い。顔もヒリヒリとする。


「――――焔硝ナフトか」


 爆風で可笑しくなっていた耳が正常な聴力を取り戻した時に聞こえてきた最初の単語がそれだった。


「……スルワラ、アズライトへ伝達を。西の道を潰せ」


 傍にいたはずのスルワラの返事が聞こえない。返事の代わりに、力ない呻き声が隣から聞こえた。視線を向ければ、人が倒れていた。首から上が無い。赤黒い物が地面へ盛大に飛び散っている。これは、誰だ。誰何する声へ重なるように、アクバルが呟いた。


「スルワラ……?」


呆然と、周囲を見渡した。雷鳴のような音が断続的に響き渡り、黒煙が上がっている。爆風に吹き飛ばされた人間だったものの欠片が、辺り一面に散らばっていた。


「殿下」


 痛みに顔を歪ませながら起き上がったアクバルの、静かな声がどこか遠くの声のように聞こえる。


「後退しましょう」


「……お前、砦から焔硝ナフトを持ってきているな」


 アクバルの表情が歪んだ。驚きというよりは、化け物でも見つけてしまったかのような戦慄が顔を覆っている。少しの戸惑いの後、意を決したように頷いた。


「部隊後方に配備してあります。数は十二。とても道を上ってくるアル・リド王国軍を足止めできる量ではありません」


「それでいい。それをサクルに括り付け、連中の頭上まで飛ばせ」


「殿下、それは――――」


 正気かと問われる前に、ルシュディアークは叫んでいた。


「生き残っている号令兵はここへ!」


 決してきびきびとした動作ではないものの、声を聞きつけて来た者は二人いた。一人はジェフという、ルシュディアークに随伴してきた魔族。もう一人はマリクという、アクバルと同じセーム首長国の兵士だった。どちらも焦燥を顔に張り付け、仲間達のものなのか自分のものなのかもわからない赤褐色の液体で鎧を新たに染めている。赤い、兵士だった。


「マリク、生き残りの兵士へ、至急隼サクル焔硝ナフトを括り付けて飛ばした上で火矢を射かけるよう伝えろ。ジェフ、お前は今からスルワラの代わりとなり、アズライトへ西の道を壊すよう伝言を。アムジャードには援軍を東の道へ寄こせと伝達しろ。復唱はするな。直ぐにかかれ!」


 さっと、表情を変えて各々の場所へと走り出したジェフとマリクの背を見送りながら、ルシュディアークは握りしめ続けていた手を開いた。やがて眼を閉じ、深く息を吐いて目を開く。沈黙から我に返った仲間達の慌ただしい足音と喧騒の中で、その言葉と光景をはっきりと視認した。


「火矢、放て!」


 慌ただしく飛び立つサクルの姿と、足に括りつけられた焔硝ナフトの重さに耐えきれずに次々とアル・リド王国軍の頭上を落鳥してゆく様を。それを目がけるように赤い焔をまとった矢が放たれ、轟音と爆風が巻き起こる。焔硝ナフトの応酬を見つめながら、ルシュディアークはアクバルへ告げた。


「攻撃を終え次第、この道は放棄。東の道へ転進し、ハリル達と合流する」


 ルシュディアークの瞳に、えもいえぬ炎が宿っていた。


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