悲願の先にあるもの

 その頃、アル・リド王国軍の幕舎でタウルは意識を取り戻した。

初めに触れたのは、土の感触とは程遠い固い布地だった。周囲の人々が上げるうめき声が耳に障る。湿った薬草の臭いに眼を開ければ、イスマイーラがこちらを覗き込んでいた。仏頂面に輪をかけて酷い顔だった。目の下には疲労のあとがあり、衣服は砂で汚れきっている。おざなりに拭っただろう土汚れの残る手には湿った手拭が一つ。どうやら目覚めるまで看病をしてくれていたらしかった。


「存外にしぶといな、貴方は」


「……残念だったな、死んでいなくて」


 イスマイーラが、心外そうに眉を吊り上げた。


「なんだ、そう思っていたんじゃないのか」


「言うべきことは、他にあるんじゃないんですか」


「ふん、余計な世話をかけさせて悪かったとでもいえばいいか。それとも泣いて喜べばいいのか。そもそもだが、俺はお前に助けてくれと頼んでなどいない」


「では生き埋めになっていた方が良かったと」


「ある意味ではその方がましだったな。ふん。いつまでそこに居るんだ、さっさとダリウスのところに帰っちまえ」


 いまはイスマイーラの顔など、見たくなかった。


「テベリウスが死にました」


 一瞬、言葉が理解できなかった。反芻はんすうし、やがてゆっくりと言葉が胸に降りてくる。


「本当か」


 イスマイーラが、ゆっくりと頷いた。まっすぐにこちらを見つめる視線には、いつものような陰りが無い。何かを期待するような光が、微かに、漆黒の双眸そうぼうから見え隠れしている。


「そうか、死んだか」


 知らず、大きな溜息が漏れた。テベリウスが生きていれば、テベリウス自身が起こした最大の罪を問えたのだが。罪を問う相手が死んでしまっては、もう罪には問えない。証拠や証言をかき集めたとしても、テベリウス自身が認めなければ意味がないのだから。


「ざまあないな。もう諦めちまえ、イスマイーラ。諦めて、共にあの憎き皇族こぞうの首を獲り、氏族われらのの自由を勝ち取ろうじゃないか。なぁ?」


 答えは返ってこなかった。


(言葉すら出なくなったか。いや、黙ってるなんてこいつの柄じゃあない)


 こいつが次に吐き出す言葉は何だろうか。怒りの言葉か、不満か。

俺への同調はこの男に関しては無いだろう。俺が虐殺を求めれば、こいつは否定をする奴なのだから。そんな体たらくだった癖に不思議と馬が合って、かつては戦場で背を預け合ったこともあったが。生憎、今は友でも何でもない。イスマイーラの言い分なんざ聞く義理はないんだが、不思議と耳を傾けてしまう。多分それは、こいつの目的が俺と同じ「氏族の自由」にあるからだろう。

イスマイーラは暫くじっと俺を見つめていたが、やがて不満そうな顔つきで長い溜息を吐いた。


「……いい加減、私怨と褒章の話を混ぜるのは止めませんか。ガリエヌス王はルシュディアークを殺せとは一言も言っていないし、アル・カマルの皇族の処遇についても何一つ言及すらしていません。仮にルシュディアークを殺して、ルシュディアークの首をガリエヌス王の下へ持って行ったとしても、ガリエヌス王が貴方の要求を呑む保証はどこにもありません。そして与えられる褒章も、氏族の自由とは限らないでしょう」


 やはり諦めちゃいなかった。実にこいつらしい。


「保証がなければ作ればいいだろう。アル・カマルの皇族を討ち取ったとなれば、ガリエヌス王は俺達にそれなりの褒章を与えようとする。その時に望めばいい。俺達に対する弾圧を止め、卑賤ひせんの扱いを取り消し、自治を許せと。したら、喜んでやってくれるぜ?」


「それこそ逆鱗に触れる可能性が高い。前にも言ったでしょう、ルシュディアークは鉄女神マルドゥークに通じていると。その事実がある以上、ガリエヌスは鉄女神マルドゥークを手に入れたいと思っている」


 そういえば、前にも聞いたか。ルシュディアークが鉄女神マルドゥークと通じているのだと。そんな奴の首を取れば、氏族の自由なんて言っていられる状態じゃあなくなると。馬鹿な、と笑う俺に、イスマイーラは至極真面目な顔つきで言う。


鉄女神マルドゥークが使えるのなら、という意味では、ご興味がおありのようでした。そして、ルシュディアークという鉄女神マルドゥークを目覚めさせる可能性を詳しく話せば、話半分くらいは信じるでしょう」


「その詳しい話を、お前がするのか?」


「します。そのためにアル・カマル皇国に潜んでいたのですから」


「ふん。ならば早いところあの糞皇子を捕まえて連れて来いよ。もう無理だろうがな」


 失笑が漏れた。打ち付けた腰が痛んだ。


「そもそも、だ。ガリエヌス王が鉄女神マルドゥークを欲しがっていたとしても、戦をしたがっているサルマン王子の方はそう思っちゃいないぞ。あの殿下は鉄女神マルドゥークの存在すらも疑っている。そんな奴にどうやって説得して停戦までさせるんだ。王弟ロスタム殿下に取りなしてもらうのか。はっ、ま、無理だわな。サルマン殿下の方が強情過ぎて王弟殿下の方が折れちまうわ」


「いいや、折れるわけがない」


 周囲を意識してか、声は小さい。しかし、声色は鋭かった。


「王弟殿下はアル・リド王国内では珍しい位の親アル・カマル派。きっとお耳を傾けてくださる」


 その言葉に、呆れてしまった。あぁ、聞く気が失せる。言葉を紡ぐのも億劫だ。でも、諦めの悪いこいつには分からせてやらなくちゃならない。何しろ元、戦友だ。放っておいては寝覚めが悪い。


「あのなぁ、それは今、お前が俺の言葉を否定したのと変わらんぞ」


 ルシュディアークが、ダリウスが。

 ロスタムが、ガリエヌスが。

 たとえ鉄女神マルドゥークを欲していたとしても、俺達の言葉を聞いてくれる絶対的な保証なんて無い。


「イスマイーラ、夢を見るなとは言わんが、夢に可能性を賭けようとするな。そもそも王や貴族達が俺達の話に耳を傾けてくれたことがあったか。思い出せよ、故郷で待つ多くの仲間達の話を。不満を書いた嘆願書を送りつけただけで打ち首だぞ」


 氏族への弾圧を止めて欲しいと言えば、営地や集落を囲うような壁を築き閉じ込めたじゃないか。テベリウス達からの暴力は少なくなったが、代わりに自由が無くなったじゃないか。閉じ込められては生活できないと言えば半年に一度、氏族の若い男女に王都での労働を課せられたじゃないか。真面な労働であれば運がいい。けれどもその大半は王都で流行っている剣闘試合に駆り出されるか、口にするにも吐き気のする仕事をさせられる。そして真面目に仕事をやり遂げて王都から帰ってきた人数は、行ってきた人数の半数以下だ。しかも持ち帰る日銭は家族共に生活するのがやっとの額。こんな散々なことをされているのに、どうしてこいつは。


「俺達を見捨てた国を、なぜ信じようとする」


 イスマイーラの瞳にはルシュディアークとロスタムを信頼する光があった。絶望の中での希望を見出したという思いがあった。どちらも故郷を失い、共に長じる中で失っていったものが。


「……いや、同じか」


 俺もルシュディアークの死で、悲願が果たされると信じている。

イスマイーラはルシュディアークの言葉が、氏族の悲願を叶えるものだと信じ込んでいる。死と生とでは全く違うが、本質は同じだ。保証のないまま勝手な思い込みで氏族の自由というをルシュディアークに託している。


「くそ、お前と話していると調子が狂う。やっぱりどっかに行っちまえ」


 毛布を被りなおそうとした時、幕舎の外が俄かに騒々しくなった。

はっと息を詰めると、幕舎の外からダリウスが顔をのぞかせた。小さな丸く愛らし目がタウルを見つけると、口元をほころばせた。


「思ったより顔色が良さそうで安心したぞ」


「これは見苦しいところを」


「よい、よい、寝ておれ。幸運にもかすり傷程度で済んだとはいえ、さっきまで生き埋めになっていたのだ。無理などせず、まずはしっかりと怪我を治さねばな」


 取り繕うように視線を泳がせた俺へ、ダリウスは眉を上げた。


「ん、何か不足があるか。あるならば遠慮せずに言うと良い」


 言葉を探しあぐねている隙に、イスマイーラが割り込んだ。


「タウルは怪我を負った兵士に幕舎の中で休む許可をお与えくださったことに驚いているのです。その、テベリウスとはあまりにも対応が違い過ぎたので」


 テベリウスにとって、兵は駒だ。怪我をした兵は捨て置き、失敗した兵は殺した。有用と思えば軍馬のように潰れるまでこき使う。結局テベリウスは人を使い潰すことしか考えてなかった。

しかし、反面ダリウスは兵を人として扱ってくれている。怪我をした兵を後退させ幕舎で休ませ、失敗した兵には機会を与えた。有用な兵は登用し、隊を率いる長としての役割をも与える。


(同じ将でありながら、こうも扱いが違うとはな)


 テベリウスの元に居た誰もが驚きに目を見張った。そう、俺すらもだ。扱いの差に嫉妬を禁じ得ない俺へ、ダリウスはイスマイーラの隣に腰を下ろし、俺をじっと見つめて、ふむ、と、頷いた。


「あやつは根っからの貴族であったからなぁ。兵や人を駒程度にしか考えておらんかったのだよ。奴隷制の無いアル・カマル皇国の民であったお前達には分からぬだろうが、貴族にとって隷民とは使い潰すのが普通の考えでな、使い捨ての道具と変わらぬのだよ」


 ははぁ、だから血も涙もないことも出来たというわけだ。

 納得しかける俺を、ダリウスは責めなかった。


「しかし、将であった時代の長い私はそういう考えをしておらん」


「と、いうと」


「兵士は我が国の階級制の外にある。元が隷民であろうが、平民であろうが、兵士という立場の前に階級は意味を為さなくなる。兵はみな、国の刃であり、盾であり、王国で唯一の階級にとらわれぬ者すなわち人だ。自己の命を顧みず、己が身体一つで国の礎を築いてくれる者達を労い、少しでも良く扱おうというのは将としての考えなのだ。まぁ、若干、為政者の考えと似ておるかな。テベリウスはその考えを持てなかったのだよ。性根から貴族であったがゆえに。そして、功も焦りすぎた」


「運よく岩柱の崩壊に巻き込まれずにおられたというのに、その先で討たれてしまったのは本当に残念に思います」


「向こうに皇子が居れば誰しも功を焦ろう」


 ダリウスは、鷹揚おうように頷いた。


「さて、タウルと言ったか。そなたの頭はテベリウスであったが、今日付でサルマン殿下が貴殿らの直接の頭となる。異論はあろうが、認められぬ」


 異論など、誰があるだろう。テベリウスが死んだことだけでも天に昇るほどの心地がするというのに。緩みそうになる口元を引き締めて、目を伏せた。


「寛大な処置、有難く存じます」


「うむ、よい。そなたは怪我を癒し、しっかりと力を蓄えた後に、後方から来られるサルマン殿下と合流をせよ。合流した後は、殿下の御意志に従うものとする。そしてイスマイーラよ。そなたと私は、明朝、日の出と共にルシュディアークとカムールの騎兵へ一斉攻勢をかける。今から準備をせよ」


 イスマイーラが、微かに腰を浮かせた。


「それは……」


「ダリウス様、こいつはルシュディアークに通じているのですよ。そいつにダリウス様の供をしろというのは……」


「お前もイスマイーラが我が軍の裏切り者だと、そう見るか」


「いえ、それは」


 言い淀む俺の姿に、ダリウスはにこりともせずに立ち上がり、幕舎の間仕切りをまくると、言い添えるように口にした。


「これは私の個人的な意見だが。イスマイーラもお前も、私には同じように映っておる。お前達の求める氏族の悲願とやら、大いに認めてやろうと私は思っているのだ」


「それは、ルシュディアークと対面し、話をしてくださると、と?」


 逸る気持ちを抑えるようなイスマイーラの声を聞きながら、生唾を飲み込んだ。もしかしたら、もしかしたならば。氏族の悲願がルシュディアークを殺さなくても叶うかもしれない。僅かに踊る胸に微かな期待が滲んだ。


「……いずれ、アル・カマル皇国もまた、アル・リド王国になる。働き次第ではくらいは許されよう」


 そう言って、ダリウスは幕舎の外へ出て行った。

 その背中を、二人は暗い思いを抱きながら見届けた。


(それでは、駄目なのだ!)


 アル・カマル皇国がアル・リド王国になったところで、何一つ変わらないのでは意味がない。氏族おれたちが求めるのは、誰にも蔑まれず、従わされない自由なのだ!


「イスマイーラよ」


 感情の無い視線を見上げながら、俺は譫言うわごとのように呟いていた。


「俺は……もう二度と虐げられたくはない。だから、もう一度、立ち上がろうと思う」


 かつての戦場で、共に血と涙を流した者達と剣を取る。

 結局、誰にも頼らず血路を開くしかないのだ。

 いま、それがはっきりと分かった。分かってしまった。





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