白縫之宴 参
―――童子切安綱・・・己の霊力を注ぎ込む事で、思うままに刃の威力を変化出来る妖刀・・・まさか、再び此の目で見える事になろうとはな・・・
若菜は掌で巻物をあやすように弄ぶ。切っ先を向ける翔真から発せられる殺気と闘気が交じり合い、それがとても心地好く思えた。
嘗て、若菜は土蜘蛛から授けられた妖術を用いて数百という人間をその手に掛けた。
そして、思う事があった。
『人を殺すという行為こそが、この世で最も尊ぶべき行為である』と。
この世で人間だけなのだ。同族である人間をあらゆる手段を用いて殺めるのは。他の動物は他種の動物を殺すが、同種の動物を殺す事は殆どしない。その行為に及ぶ場合には必ず理由がある。それは縄張りや配偶者の奪い合いなどだったりするのだろう。その行為の根源たる意志は、生存本能という《生》への渇望だ。
しかし、人間にはおよそそれが無い。
人間は長年の間で《生存本能》を欠落させた。《生》に対する執着を失ったのだ。故に、人間は同じ人間を、何かと理由を付けて殺す事が出来る。程なくして殺人は人間にとって一種の娯楽と成った。狙った獲物を仕留め笑みを浮かべるのは、人間だけだ。
「よいなぁ・・・その覇気。その闘気。その殺気こそが、何よりも儂が人に求めているものだ・・・」
絶頂を迎えた素女のように恍惚の表情を浮かべる若菜。
一方、翔真は顔色一つ変えず沈黙を貫いていた。
―――隙があるようで隙がない・・・が、このまま構えているだけじゃ埒が明かないか・・・
脇に構えていた腕を徐徐に脇に寄せ八相へと構え直す。柄を握り直し、手首を内側へと締める。初太刀で先の先を取る。翔真は風を両脚に纏い始める。
若菜が掌で遊んでいる巻物が少しだけ宙を舞う。
その時だった。
翔真は一気に両脚に溜めた風を解放した。その風圧は土を簡単に抉り取り、土埃は逆巻く。両者の間合いは瞬きする間も無く収斂した。
「はぁああああっ!」
肩から胴体までを斜めに一気に斬り裂く。白刃は若菜の肩口を目掛けて振り下ろされた。立てられた刃は人間の肉と骨など造作もなく斬るだろう。
「―――まあ、簡単には斬らせてくれないか・・・」
翔真は恨めしそうに振り下ろした刃の先を見据える。
「剣捌きは上々。躊躇いないの剣筋は見事・・・達人と呼べる領域ではあるな」
白い歯を覗かせ、若菜は愉し気に云う。
翔真の一太刀を防いだのは、若菜の持つ巻物。翔真が刀を振り下ろす瞬間、巻物は忽ち大蛇の如くうねり広がった。それが若菜は護るように刃を防いだのだ。
「そいつはどうもっ!」
翔真は間合いを切る事なく、その場で身体を反転させ再び剣戟を若菜へと叩き込む。大蛇の鎌首が刃と鎬を削り烈火の如く火花を散らす。
「むうっ・・・」
若菜は繰り返される剣戟を紙一重で受けきっていく。が、翔真の剣戟の力に圧され少しずつ後方へと下がっていく。枚挙に暇が無い程の剣戟に加え、翔真は一切間合いを切る事をしなかった。ただ只管に上半身を半回転させる事で得られる力。加えて、風の力を更に速さと重さに乗せる事によって、若菜に反撃の機会を与えまいとしたのだ。
若菜は自在に巻物を操り間合いの切り時を見定める。
―――このまま儂に《態と》間合いを切らせて隙を作らせるか、それとも儂が間合いを切るのを待っているか・・・何れにせよ、思うようにはいかせぬよな・・・
「おりゃぁああああっ!」
右足を更に踏み込み翔真は刀を下から斜めへと斬り上げた。「くっ!?」と苦悶の表情を浮かべ若菜の腕は肩より上へと圧し出される。若菜の身体は無防備に曝される。翔真はその隙を見逃さない。斬り上げた手首を返し、そのまま再び刀を斬り落とした。
―――ここ!
翔真の正面に突如光の鱗粉が舞った。それは、蛾が羽撃いた時のように羽根の動きに合わせ広がっていくようだった。一瞬、その光に眼を奪われた翔真。正面から既に若菜の姿は消えていた。が、その気配を辿りその影を直ぐに発見する。
若菜は上空から伸びる蜘蛛の糸に優雅に掴まり翔真を見下げている。蜘蛛の糸は自在に伸縮し、若菜はするりするりと優雅に空へと昇っていく。
「貴殿には散々やられた手だ。有り難く貰うといい・・・」
若菜はくすりと微笑み指を一つ鳴らした。
鱗粉のように舞う光は熱を帯び、一気に翔真の周囲を爆発へと巻き込んでいった。耳を劈く音が大地を揺らす。それは一つではない。爆発が爆発を呼び込むように広がっていく。翔真はけたたましい爆音と共に、その爆発に呑み込まれていった。
『久方振りに見たな。お前の『鱗火ノ舞』は・・・』
土蜘蛛は懐かしい景色を思い返すように云う。若菜は糸を椅子の形へと編み上げ腰を下ろすと、
「何だ?その好々爺のような台詞は。昔のお前なら敵があれに呑み込まれる様を腹を抱えて笑っていたであろう?」
『・・・違いねぇ。だが、それは敵があの中に《呑まれた》場合の話だろ?』
魚のような目玉を動かし、土蜘蛛は若菜を横目に見る。若菜は絹のような黒髪を耳元からかきあげ悪戯な笑みを浮かべる。
「・・・身体も漸く馴染んできた。そろそろ妖術師としての儂の力を示してやろうぞ・・・」
『ああ。分かった』
二人は爆煙から飛び出した一陣の風を見逃していなかった。
「あの野郎・・・味な真似を・・・」
身を中腰にし、頬についた煤を手の甲で拭い翔真は恨めしそうに云った。身体からは白い煙が上がり、服は所々焦げのような跡が点在している。額からは血が滲み皮膚が裂けていた。
「あの爆発に対して圧縮した風で対抗するとは、中々考えたもんだな。でも、相手の術の方が一枚上手だったか?」
背後からの冷静な声に翔真はムッとしたように眉を顰める。
「爆破の威力が少しだけ・・・な。あの鱗粉みたいな光の一粒ずつが手榴弾並みの威力だぜ?澄ました貌でやってくれるっての・・・」
地面に刺した刀を握り直すと、翔真は立ち上がる。
「それで応援は必要か?」
振り返ると、雄飛が腰に手を当て立っていた。その後ろには三人の女性がいる。翔真は凌子と咲の貌は知っていたが、もう一人は知らなかった。が、作戦の事を鑑みれば、その女性が咲の妹の香である事は直ぐに理解出来た。
「必要だからお前此処に来たんだろうが。作戦通りだ」
「俺は、まさか若菜姫が復活していると思ってなかったけど?」
図星を突かれ翔真はバツが悪そうに眼を逸らす。
「それはまあこっちも予想外だったんだよ。あの野郎、初めから左梁の魂を体内で喰ってたんだ。その上、ダミーを用意されちゃ判別も付かない。使用している身体も霊力も《左梁》そのものだったから、本性出さない限りは無理だって」
翔真は肩をくるくると廻しながら説明する。雄飛は渋々であるが、納得したようだ。
「まあ、仕方が無いか・・・こうなった以上、奴は此処で仕留める。お前も《それ》を出してるって事は、そのつもりなんだろ?」
雄飛は翔真が右手に持っている童子切安綱を指差す。
「そりゃそうだろ。あんなもんはこの世に野放し―――」
「神楽坂くん!おでこから血が出てるよ!」
雄飛の後ろ側から走って来た凌子は焦るように翔真へと近付いて来た。翔真は少し驚いたように額に触れる。指先に湿った感触が伝う。
「これくらい大した事じゃないですから」
「駄目だよ!」
有無を云わさず、凌子はポケットから取り出したハンカチで半ば強引に翔真の額を抑える。その為、翔真はお辞儀をするような体勢にならざるを得なかった。自分の怪我云々の前に、翔真は凌子に云わねばならない事があった。
「鳳先輩。巻き込んでしまって本当に申し訳ありません。俺の所為でこんな戦場にまで連れて来てしまった。最悪の状況は想定していたとはいえ・・・俺の失態です」
翔真は眼をとじ悔いるように謝罪する。凌子は額をしっかりと手で抑えながら応える。
「私は全然気にしてないよ。それに、此処に来ちゃったのは、理事長に連れて来られたからだし。神楽坂くんの所為じゃない」
凌子はいつものようににっこりと笑ってみせる。
「でも、そうなったのは俺の所為です。俺に関わらなければ、先輩は御手洗に襲われたり、左梁に攫われたり、怖い思いをする事はなかった・・・あの時、俺が助け―――」
翔真は強い力に引かれ思わず膝を付いた。
「そんな悲しい事云わないで」
「えっ・・・?」
何時の間にか、翔真は凌子に抱き締められていた。貌は胸元に寄せられ心臓の音がとても近く、そしてそれが心地好い。戦場でこんな感覚は初めてだった。
「誰かの命を救ったのを後悔する事だけは、絶対にしちゃ駄目。命は誰にだって一つだから。たった一つだから大切にしたいと思えるんだよ。神楽坂くんが私を助けてくれたのは、ただ私を可哀想だと思ったから?危ないと思ったから?―――私はそんな風に思わない。神楽坂くんは人の命を大切に出来る心があるんだよ。私にはそれが分かる。―――だから、私を助けた事を後悔するような事はやめて。だって、あの時、神楽坂くんが私を助けてくれなかったら―――」
凌子は抱き寄せていた翔真の身体を離す。そして、凌子は翔真を一途な瞳で見詰める。翔真は凌子の瞳に吸い寄せられるように視線を逸らす事が出来なかった。
「私は神楽坂くんに会えなかったんだから・・・」
何処まで続く青空に舞う太陽の光。彼女の笑顔に翔真はそれを見た。その時になって思い出した。正木美弥子が云っていた言葉を。自分の内にある心を。彼女はこの戦場でさえも己のものとしてしまう力を持っている。そんな気さえもした。
―――なるほどな・・・正木さんが護りたくなる気持ちが漸く分かったよ・・・
翔真は凌子が額を抑えていた手をそっと外すと優しく握り締めた。「か・・神楽坂くん!?」と、凌子は頬を赤らめ動揺する。抱き締める方がずっと動揺する行為だろうと、翔真は心の中でくすりと笑ってしまった。
翔真はその手を離すと、立て膝をつき、抜き身の刀を凌子の前へと差し出す。
「此処に誓いを」
その体勢のまま翔真は目蓋を閉じる。
凌子は、目の前で膝をつき何かを待つ翔真の行為を何となく何処かで見た事がある気がした。それが何かは思い出せない。頭の中で靄が掛かったようで上手く思い出せない。
「これは『剣誓ノ儀』」
二人から少し離れた所から雄飛は説明する。
「『命を掛けて我が君主の命を護る』って意味がある。その誓いを受ける方法は一つ。翔真の刀を受け取り、刃を翔真に向け再び刀を返せばいい。そんな重苦しく考えなくていいよ。翔真は君を護る《覚悟》をしたいんだ」
それ以上、雄飛は何も云わなかった。凌子に全ての選択権を委ねるように。
それ以上、雄飛は問わなかった。翔真の心の内にある《真意》を。
凌子は翔真に命を掛けて欲しいとは思わない。しかし、《そういう》覚悟が必要な場所なのだ。この戦場は。彼の気持ちを無碍には出来ない。
凌子は胸に刻み込む。命を掛ける者の覚悟を受ける覚悟を。凌子は刀を受け取り、翔真に切っ先を向ける。
「誓いを受けます。どうか、御武運を・・・」
翔真は返された刀を受け取り立ち上がる。
「有り難う御座います。では、ここからは『凌子さん』と呼ばせて貰いますよ」
振り返らず翔真は云った。凌子は胸の奥が燃えるように熱くなるのを感じた。
「分かった。私も『翔真くん』って呼ぶ!」
凌子は分かっていた。翔真が視線の先に敵を見据えながら微笑んでいる事が。凌子は堪らなく嬉しかった。力の無い自分が大切な人の力になっているという事が。決して眼を逸らす事なく、凌子はただひたすらに翔真の姿を見守り続ける決意をする。
「雄飛!陣を敷け!」
「もうやってるよ」
雄飛を中心にし、波立つ海原のように蒼い光が周囲を包んでいく。その光の中に翔真以外全員が包み込まれた。翔真はそれを確認すると、
「黒羽咲と香。俺が合図を出したら手筈通りに頼む」
雄飛の後ろに立っていた咲は不承不承納得したように、
「分かったわ。ただ、アンタがやられたら作戦も何もないんだから、しっかり闘いなさい」
一方、香は作戦通りに地面に何か陣のようなものを書き始めている。
「任せろ!俺は絶対に勝つ!」
刀を持った手を空高く翳し翔真は勝利を誓う。
「此方は俺に任せておけ。お前は思う存分力を解放しろ。但し、くれぐれもこっちには矛先を向けるなよ」
釘を刺すように雄飛は翔真に対して忠告をする。
「ああ。―――それじゃ、いくぜっ!」
翔真は脇に構え体内の霊力を一気に放出し始めた。
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