白縫之宴 壱

「やっと外に出られた途端これか・・・最悪の事態だな・・・」

 蟻の巣のような土の迷宮を抜け、漸く外に出たところで第一声。雄飛は頭を抱えた。

 幸い土の下から抜けた入り口は敵から離れている瓦礫の中だ。息を潜めていれば、敵から発見される可能性は少ない。しかし、敵が《本命》である彼女なら話は別だ。『逃げる』という選択肢は初めから手段の一つとして数えるべきではない。

 距離にして約三〇〇メートル。夜半という事もあり明かりは月だけだ。肉眼で彼女を捉えるのは難しい。が、彼女の圧倒的な威圧感は地面を駆けひしひしと伝わってくる。まるで砂上に舞う熱風だ。

「あれが貴方の云っていた『大友若菜』?―――冗談でしょ!?」

 咽喉を鳴らし咲は唾を飲み込んだ。目の前の状況が信じられないのだろう。

「彼女が顕現してるって事は作戦は失敗したって事・・・ですか?」

 咲の隣で香が不安そうに問い掛ける。凌子は雄飛の背中にぴったりとくっ付き控えている。雄飛は彼女達を一瞥する。その視線が全てを物語っていた。再び瓦礫の隙間から大友若菜を観察する。

「・・・当初、翔真は左梁の身体に内包された彼女の霊魂を誘き出す為に左梁を追い詰めていた筈だ。だが、どうやら俺達は勘違いをしていた。恐らく、大友若菜は俺達が此処に来る前から左梁の身体を乗っ取っていた、と考えるべきだろう・・・」

 苦虫を噛み潰すように雄飛は云う。

「どうして大友若菜が表に出る前に左梁を始末しなかったのよ!?奴が左梁の体内に潜んでいる間に決着をつければ―――」

「それは最も俺達が取ってはいけない《悪手》だ」

 雄飛は咲の言葉を真っ向から否定した。

「左梁を殺せば、潜んでいた大友若菜は外に姿を現すだろう。しかし、霊魂そのものの状態では俺達に彼女を捕らえる手段はない。霊魂の状態に術は効かない」

 香は雄飛が考えていた作戦の意図が何となく分かってきていた。

「だから、左梁の身体を弱らせて生命活動を低下させる事で、半強制的に霊魂から霊体の状態にしようとしたんですか?」

「その通り」

 雄飛と香は話を理解しているようだが、咲と凌子は頭の上に疑問符を幾つも浮かべている。「お姉ちゃんはこの手の話全然勉強してなかったもんね?」と香は咲に突っ込まれぐうの音も出ない様子だ。それを見兼ねて雄飛は説明を始める。

「そもそも霊魂とは言葉の通り魂だけの存在だ。だから実体を持たない。実体を持たない者に人間は一切干渉出来ない。イタコなんかは霊魂を口寄せする降霊術を使うけど、あれは人間の身体を外部装置として使用しているから霊魂だけの力だけでは成り立たない。一方、霊魂も基本的に実体を持つ者には干渉出来ない。しかし、稀に魂の相性が良い者同士が惹かれ合って、無意識の内に霊魂を引き寄せてしまう場合もある。左梁の場合は恐らく後者だ。左梁は降霊術は使用出来ないからね。此処まで理解出来た?」

 咲と凌子は静かに頷く。

「では、次に霊体。霊体とは実体を持つ霊魂の事を指す。分かり易く云えば、悪霊に身体を乗っ取られたという感じかな。人が身体を乗っ取られるケースは多々あるけど、さっきも云ったように、特殊な術者以外は魂の相性が合わなければ霊魂は人の身体に介在する事は出来ない。仮に介在されても大概の人間は無意識の内に霊魂を対外に追い出してしまうものだ。だから、人の意識を支配して霊魂が実体のコントロールを握る事は更に難しい。霊魂は所詮死者。生命力に満ち満ちた生者である人の力には敵わない。―――でも、霊魂が実体を握り易くなる時がある」

「それが人の身体や心が弱った時って事?」

 凌子が質問すると、雄飛は「その通り」と答える。

「神楽坂は態と霊体の状態にする為に、左梁をその状態まで持っていこうとしたって事ね・・・」

 咲は納得したように頷く。

「翔真は左梁の高いプライドを傷付け動揺を誘い、攻撃は最小限に留めるようにしていた筈だ。精神が弱れば大友若菜は左梁の身体の主導権を握ろうとする、と。左梁程の霊力に満ちた相性の良い生者はそうそう居ないだろうしね。左梁の身体が生きている状態で身体の主導権を握った大友若菜の霊魂は霊体と化す。しかし、霊体となっても左梁の精神は生きている。ただ眠っているだけだ。大友若菜は左梁の身体をコントロールしているに過ぎない。その力は俺達にとっては脅威ではない。その状態になった瞬間、左梁の身体ごと消滅させる手筈だった・・・」

 水泡と消えた作戦。今は悔やんでも仕方がない。

「その目論みはまんまと外れ、大友若菜は左梁の身体を乗っ取る所か、依り代として顕現したって・・・随分と笑えない話ね」

「反論の余地もないよ」

 雄飛は溜め息を付き続ける。

「何百年も霊魂として存在していた大友若菜が左梁の魂を喰い尽くす程の力を持っていたとは・・・怨霊となっても厄介な女だ・・・」

 暫しの沈黙が四人の間に訪れる。

 戦力の差は明らかだ。加えて、大友若菜は土蜘蛛を従えている。土蜘蛛が使用する糸はアンテナの役割を果たしている。所々に蜘蛛の糸が散りばめられているこの戦場で逃げる事はやはり不可能だろう。闘う以外の手段は残っていない。

 雄飛は屈めていた身をゆっくりと立ち上げる。

「最初から最悪の事態まで想定するのが俺達の流儀でね。厄介な事には変わりないが、《これくらいの力》であれば、翔真は負けないだろう」

 咲と香は雄飛の発言に驚いたように眼を丸くする。

「・・・それ本気で云ってるんですか?」

 香はとても信じられない、と疑うように問う。

「香の云う通り。幾らなんでも人外の伝説級の人物を相手にするなんて無理よ」

 咲も同様の意見のようだ。しかし、雄飛は自信満々に云ってみせる。

「少し前にも云ったけど、翔真は今二割、多く見ても三割程度の力しか使っていない。まあ、正確に云うと、《力を抑えた状態》でしか闘えないように《力を封印》してるんだけどね」

「それってどういう・・?」

 咲が眉を顰める。態々力を使用出来ない状態にするという事自体が不自然なのだ。常に戦場に身を置いている者がいざという時に力を使用出来ない事はそれこそ宝の持ち腐れだろう。

 雄飛は突然着ているシャツをたくし上げる。三人は思わぬ行動にあっけに取られる。そして、三人の視界に《あるもの》が入ってきた。

「これは証拠。俺と翔真は奴と同じ《人外》なのさ」

 雄飛の左の胸元。心臓部分にあるもの。それは、深紅の線描で刻まれた呪いの証だった。唖然とする三人に雄飛は告げる。

「奴が復活しようとやる事は変わりない。俺達も翔真に加勢する」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る