顕現 柒

 山のように積まれた瓦礫の下から一本の腕が這い出る。蝉が土からうずうずと出てくるように、翔真は瓦礫から姿を現した。

「口の中がジャリジャリする・・・」

 木屑や砂に塗れた身体を手で払いつつ、口の中から唾を吐き捨てる。唾の中には赤い液体が交じっている。口の中を少し切ってしまったようだ。


「済まないね。こんなに簡単に吹き飛ぶとは思っていなかったものでね」


 嘲笑するように左梁は口角を上げる。翔真にははっきりとその声が聞こえた。翔真からは少し距離があるが、周囲が涅槃に沈んだように静かなため声が通るのだ。翔真は眉をぴくりと動かしながらも、何も答えず瓦礫の山を掻き分けるように進んでいく。

『強敵と聞けばこんな小僧か?臍で茶が沸くぞ』

 土蜘蛛は魚眼のように丸々とした目玉を左梁に向ける。

「お前の云う通り、奴は小僧だ。だが、実力はお前を愉しませるに値する。存分に力を振るうといい。此処は誰の邪魔も入らん」

 『ほう』と、土蜘蛛は感心するに声を漏らした。

『ならば、我の力。あの小僧に存分に味あわせてやろう』

 巨大な口を更に開き笑う。

 翔真は瓦礫の山から抜け出すと、土蜘蛛の正面に立つ。

―――コイツが土蜘蛛か。初めて見た。それにしてもまあでっかいなぁ・・・

 遠くの景色を眺めるかのように、翔真は土蜘蛛の上から下までも満遍なく見渡す。体長は三階建てのビル位あるだろう。脚の一本一本は人間を難なく叩き潰し引き裂くに違いない。伝承や伝説に名高い土蜘蛛だ。その筋の奴等が見ればさぞかし喜ばれるだろう。

「さて、神楽坂翔真。第二幕といこうじゃないか」

 閧の声を上げるかのように高らかに左梁は告げる。その表情は充実感に満ち満ちていた。闘う前の左梁とは雲泥の差だ。

「随分と楽しそうだな?あの仮面みたいな貌はキャラ作りかよ」

 翔真が呆れたように云うと、

「野暮な事を・・・君なら分かるだろう?《忍》は《己》を殺す者だと。私は弟子を持つ身でもある。己の規範と矜持を示すのも役目だ。しかし、今は生憎と弟子は不在だ。私だって羽目を外して愉しみたい時だってある」

 当然のように左梁は答える。

「《忍》ねぇ・・・俺はそんな風に名乗った覚えはないんだけど」

「名乗らずとも、所詮は同じ穴の狢。人工術機以外で術を使用出来るのは、この世に《忍》しかおらんだろう」

 断言する左梁に翔真は反論する。

「それは違うだろう。術を使用出来る輩なんか大勢いる。呪術師や祈祷師、高僧や陰陽師。世界に出ればもっと同じような奴はいる」

「それこそ違う。忍こそ、この世の万物の力を引き出す術を使用出来る者だ」

「根拠は?」

『我の存在だ』

 翔真の左梁の議論に割り込んだのは土蜘蛛だ。

『我のような高位の妖怪と契りを結べる者は、人間の中では忍だけだ。・・・稀にそれ以外も存在するがな』

 例外の存在を知っている。土蜘蛛はそれを仄めかす。

「アンタ等はそう思っているだけだろ?俺はそんな事思っていない。ただの見解の相違だ。それに、悪党と同じ穴の狢なんて云われるのは御免だね」

 翔真の意見を左梁は鼻で笑い飛ばす。

「己を殺し帝に仕える輩が云うことか?」

 左梁は口を三日月に曲げ続ける。

「君の事は調査済みだ。表向きは天皇に仕える皇宮警察の皇宮護衛官。しかし、これは君の本質ではない。―――君の正体は、風華流忍術継承者。この世に現存する忍術師の血を継ぐ者だ」

 翔真は驚いたように応える。

「まさかね・・・俺の素性まで調べるとは。知られたもんは仕方無い。が、何故このタイミングでそれを俺に云った?闘う前に俺の動揺を誘う手もあった筈だろ?」

 巧妙に隠していた素性。それを知ったという事は左梁の諜報能力も侮れないものなのだろう。翔真は素直に左梁の力量に感嘆した。

「同じ忍術師とて、君の力量を先ずは見たかった、というのが本音さ。こうして腹を割って話しているのは君の実力を認めたから。そして、君を私の仲間にしたいと思ってね」

 左梁の申し出に翔真は呆れを通り越し苦笑する。

「世迷い言だな。俺がそんな申し出を受ける筈ないだろう」

「まあ、聞き給え」

 左梁は顎髭を撫でながら翔真を宥める。不自然な行動に翔真は警戒する。この期に及んで仲間に引き入れる交渉など無意味だと分かる筈であると。しかし、左梁からは殺気どころか身構えもいやしない。好戦的な土蜘蛛が反論しないのも妙だ。

―――どういう事だ?明らかにオカしい。用心深い左梁が俺のような不穏分子を仲間に引き入れようとする筈がない・・・

 翔真の頭の中で考えが纏まらない中、左梁は口を開く。

「そうだな。先ずは私の目的を話そう。君も知りたいだろう、私の目的が?」

 翔真は押し黙る。左梁の云う通り、翔真の任務の中には左梁が女生徒達を誘拐した目的を調査する事も含まれている。が、直接本人から聞くとは夢にも思わなかった。

「私は彼女達を使用して再現しようとしたのだ。嘗て存在した《血族》を。忍の世界の中で最強と謡われた人間と妖怪の混血児。通称、《死吞》をね」

「・・・・本気で云っているのか?」

 翔真は眼の色を変え、鋭い眼光を左梁に向ける。

「そう怖い顔をするな。君も知っているのだろう?《死吞》の強さというものを?」

 左梁に指摘されるまでもない。同業者であれば誰でも知っている《妄想》だ。

 勿論、翔真も知っていた。《死呑》の存在を。

 嘗て、今よりも混迷を極めた世に、人が妖怪に対抗する為に講じた苦肉の策が、自身の中に妖怪の一部を取り込むというものだった。そこから生まれた人間と妖怪の混血児が《死呑》だ。その力は人を遥かに凌駕し、一人で百鬼夜行を殲滅する程と伝えられている。

 《死呑》の名の由来は、文字通り死を呑み込んだ者。死を己の物とした者を示す。死とは妖怪の血液である。人間には妖怪の血液や体液に対する免疫は存在しない。体内にそれを取り込めば、忽ち肉は腐り心は崩壊する。が、稀に妖怪の血液に免疫がある者が存在する。それを最初に誰が証明したかは知られていない。一説では、妖怪の気まぐれで犯された一人の巫女から生まれた子供が《死呑》の祖とされている。

 そもそも《忍》は、遥か昔に存在した《死呑》から血を受け継ぐ者を指す。しかし、多くの流派が生まれ、多くの者が一族以外の者と交流し、結果純血者たる本物の《忍》はいなくなった。時代が流れ血族の力を薄れていったのだ。

「私は《死呑》を再現し、この世に再び敷き直すのだ。腐った人間が作り上げた世界を打倒し、真の強者が治める国を!」

 左梁は腕を大きく広げ、建国を宣言するかのように云い放った。

「・・・莫迦げてる」

 翔真は頭を抱えるように呟いた。

「黒羽香を軟禁していたのもその為か?」

「そうだ。黒羽家は由緒正しい火皇流忍術師の家系だ。彼女は謂わば実験の最終サンプルという所かな。他に誘拐してきた女生徒達は実験体。漸く数を揃えた所で君達に邪魔されてしまったがね」

 左梁にとっては彼女達は人間ではない。目的の為のただの道具なのだ。

「由緒正しいお嬢様達を誘拐するのは中々苦労したよ。ただでさえ薄まった血族の血だ。その辺の雑種では土蜘蛛を受け入れるには分不相応だ」

『我も厭だね。雑種なんかと交わるのは』

 土蜘蛛は頭を振って嘲る。

「つくづく屑の考えってのは虫酸が走るな。女の扱い方も分かっちゃいない」

 翔真は歯を食い縛り殺気を剥き出しにする。

「女を揃えたのは《そういう》意味さ。血液を直接取り込む方がリスクが高いのでね。土蜘蛛に女が凌辱される姿を想像するのはそんなに厭かね?―――それとも君の友人である鳳凌子が妖怪に孕まされる事が我慢ならないのかな?」

「―――その挑発には乗らん・・・」

 翔真は両の拳を握り締め己を抑えた。肌を針で刺すような殺気も海が凪ぐように収まっていく。左梁はその様子を薄眼で見据える。

「見事だ。そこまで友人を侮辱されても尚、冷静さを取り戻すとは・・・君は自分の身内や友人を糸一番大切にしていると聞いていたのだがね・・・」

 翔真の脳裏にあの性悪女の貌が浮かぶ。

―――桐生水織か・・・俺の情報を奴に流したのは・・・

「それで返答を聞きたいのだが?」

「はっ?何のだよ?」

「恍ける事はないだろう?私の仲間になるかどうか、だよ」

 翔真は握り拳を解き手首と足首を回し始める。

「莫迦じゃないの、お前?初めからお前の仲間になるなんて選択肢はないんだよっ!」

 全身を一陣の風と化し、翔真は一気に左梁との距離を詰める。その速さは疾風迅雷の如く。左梁も隣にいた土蜘蛛も反応し切れていない。左梁の懐に入ると、翔真は右腕を引き拳に風と霊力を込める。収束した風と霊力は一種の爆弾だ。叩き込まれた相手は身体に台風そのものを受けるに等しい。

―――一気に決めて《本命》を引き摺り出す!

 翔真は放たれた弓の如く拳を左梁へと叩き込んだ。

 しかし、拳には一切手応えが無い。左梁の身体寸前で《何か》に拳を阻まれたのだ。その何かを翔真は直ぐ近くで確認する事になる。

「蜘蛛の糸か・・・」

「その通り。私の前では《速さ》は無価値だよ」

 翔真の腕に絡み付くように地面から蜘蛛の糸が伸びている。蜘蛛の糸は何重にも絡み付き翔真の腕を左梁の身体直前で拘束していた。蜘蛛の糸を出しているのは、土蜘蛛ではない。狙いを定めていたかのように、土の中から子蜘蛛は複眼を光らせ貌を出している。

―――これだけの蜘蛛を従えるとは・・・左梁では到底無理な筈だ。土蜘蛛本体が左梁の分の霊力を補完しているのか?

 翔真は蜘蛛の糸から腕を振り解こうとする。が、腕は微動だにしない。

「無駄だよ。蜘蛛の糸は人間の髪の十分の一の細さですら、時速三十キロで移動する蜂を捉える事が出来るのだよ。それが鉛筆くらいの太さになればどうなると思う?飛行機など造作もなく捉えられるさ。私に仕える蜘蛛の糸は一本一本がそれに値する。加えて霊力も込められた代物だ。ただの力で動ける筈もない」

 左梁は翔真の目の前で悠々と方便を垂れる。

「お前に云われるまでもないっての!」

 翔真は腕の周囲に風を乱気流させ、腕に絡まった糸をミキサーのように切り刻んでいく。糸は瞬く間に解れていく。

―――よしこれなら自力で動く!

 蜘蛛の糸から腕を解放すると、発生させた風をそのまま利用し、翔真は空中高く飛び上がった。空中へ飛び上がると同時に、土の中に無数にいた子蜘蛛が姿を現し糸を再び吐き出し始める。が、翔真が飛ぶ速さが一枚上手となった。糸は一定以上飛んで来る事はなかった。

―――射程距離は凡そ十メートルってところか・・・

 空中で回転し、翔真は左梁と土蜘蛛の方に向き直る。翔真が逃げたのにも関わらず、左梁も土蜘蛛も一切攻撃を仕掛けて来ない。子蜘蛛達もそれに従っているのか、姿を現した地点から動く事をしない。

―――また不自然な行動・・・こちらが敢えて《背を向けて》逃げてみても攻撃を仕掛けて来ない。用心深い奴が絶好の機会を逃す筈はない。まさか、俺の意図を読んでいるのか・・・

 虫の知らせのように、翔真の脳裏に厭な予感が浮かぶ。

「まさか・・・初めから・・・」

 翔真の額に粒粒と丸い汗が浮かぶ。

「《依り代の魂を殺し奪い取っていた》のか・・・」

 翔真と左梁との距離は二十メートルはある。しかし、左梁は翔真の呟いた声さえも聞いているかのようだった。


「君の云う通り。―――私は既に《完成》している」


 翔真にはその言葉は聞こえない。しかし、勝ち誇る左梁の貌が物語っていた。己の目的は既に達成されているという事を。

 左梁は神を仰ぎ見るように空を見る。

「さあ、儀式を始めよう」

 左梁に付き従うように、子蜘蛛達は一斉に左梁に向かい糸を吐き始めた。それは、獲物を捕らえる場合に用いられるものではなかった。子蜘蛛達が放っているのは薄い桜色が交じった小夜時雨のような糸。それが左梁に降り注いでいく。

 蜘蛛の糸に誘われるように、月光が左梁の身体を照らし出す。

 翔真はその光景に悪寒が走る。

―――あれは《羽化登仙の儀》・・・あれが終われば完全に手遅れになる。時間がないっ!

 阻止しなければならない。翔真の脳にはその命令が下される。既に形振り構っていられる状況ではない。霊力の出し惜しみもしてはいられない。

「はぁあああっ!」

 両腕と両脚に巻き付くように烈風が吹き荒れる。その力が収束すると、纏った風を砲弾のように放っていく。

「いっけぇ!」

 掛け声と共に右腕と左腕を一気に振り下ろす。と、同時に脚に纏った風を推進力とし一直線に左梁に向かい突進する。

 しかし、両腕から放たれた風の刃は土蜘蛛の強靭な脚の盾によって阻まれる。重なる蜘蛛の脚は鉄壁と化している。脚には切り傷が付いた程度だ。

『邪魔はさせねぇよ』

 左梁を庇うように土蜘蛛は翔真に襲い掛かる。そのまま八本の脚を獣の口のように開き、翔真の身体を噛み砕こうとする。

 土蜘蛛の脚の動きなど翔真にとっては止まっているに等しい。急降下してきた勢いは殺されたが、それでも加速は残っている。

「お前の方が邪魔だっ!」

 翔真は身体を一回転させ烈風を纏った右足を躊躇う事なく土蜘蛛の顔面に叩き込んだ。

『ぐばぁ!?』

 翔真の回転廻し蹴りは土蜘蛛の牙を圧し折る。しかし、血反吐を吐いた土蜘蛛は体勢を少しだけ崩したものの、鋭い眼光で翔真を睨み付けた。

『しゃぁあああああああ!』

 土蜘蛛の口からは子蜘蛛とは比べられない太さと量の糸が発射された。それを糸としてではなく、砲弾として硬質化させ発射したのだ。翔真が急所を狙い貌に近付き過ぎたのが仇となった。蜘蛛の糸の砲弾に圧され翔真の身体は吹き飛ばされる。

―――くっそっ!このままじゃ!

 風を正面と背に纏い何とか体勢を保とうとする。その時、翔真は視線を感じた。それは既に身体の周囲を繭のように囲まれた左梁からの眼光だ。その視線は告げていた。『もう君は手遅れだ』と。

「うらっ!」

 硬質化した蜘蛛の糸を風の刃によって砕いた翔真は、そのまま地上へと降りた。左梁との距離は三十メートル以上離れている。が、左梁の霊力は既に別物と化していた。

 左梁の身体は巨大な桜色の繭に覆われている。その繭の中には人の姿が月の光に照らされ映し出されている。影は陽炎が歪むようにその姿を自由自在に変質させていく。左梁の身体であったものは瞬く間に《別の何か》に生まれ変わったのだ。

 翔真はそれを冷静な眼差しで見据える。長い睫毛が風に生暖かい風で靡く。左梁とは別の何かと化したそれは、既に強烈な圧迫感を発している。

―――流石・・・噂通りの強さは健在かよ・・・

 左梁を包んだ繭を紡いだ糸は風の流れに乗るかのように解かれていく。一本一本の糸が解かれる度、桜の花弁が散り時を決めたかのように舞う。桜の花を舞台にするかのように、繭の中から白無垢に包まれた女が姿を現した。

 腰まで伸びた黒髪は月の光を帯び艶やかに輝く。雪華が舞うように染まる白い肌。その中で紅を塗った唇は大輪の椿の如く咲き誇っている。名刀のように鋭く光る眼光は、敵の全てを見透かすかのようだ。

「さあ、終幕の舞台に興じよう・・・」

 扇で口元を覆い悪戯に微笑む。

 その姿は伝説そのもの。遠い昔、父の仇に復讐を果たすため、土蜘蛛から妖術を授けられたという人物。歴史に名を刻んでいる大友若菜だった。

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