顕現 肆

 ―――派手にやってるわね・・・

 咲は暗く湿った廊下を歩きつつ天井を一瞥する。その後ろにはぴったりと凌子が付いて来ている。二人が歩いているのは土壁が周囲を覆う隘路だった。明かりは殆ど無く、点々と松明が置かれている。数メートル先さえも肉眼で見るのは難しい。しかし、閉じ込められていた牢の外には見張りもおらず、此処までは誰にも見つからずに済んでいる。

―――妙ね・・・警備が余りにも杜撰過ぎる・・・

 咲がこの場所に侵入した際、何十という左梁の子飼いの弟子が襲って来た。力量は殆どが自身よりも下だった。しかし、物量の差に圧された事に加え、認めたくはないが自身よりも格上の左梁が出て来てしまっては如何ともし難かった。

 それが、今はどうだろうか。弟子達は一人足りとも現れない。敵地において物事が思惑以上に進む事程不自然な事は無い。咲は警戒心を一層強めるよう心に努めた。

「あの、黒羽さん。私達って今上に向かって進んでるんだよね?」

 身体を縮め恐る恐る歩いている凌子が尋ねる。先刻に見せた勇敢な姿は今は何処かへ。咲は彼女の言動が益々分からなくなった。

―――この子は強いんだか弱いんだか・・・

「そうよ。さっきも説明したけど、此処は左梁が術によって作った土の道よ。謂わば、複雑に入り組んだ蟻の巣ね。一応上に向かって進んでいるけど、正確な出口は私にも分からないわ」

 咲は肩を竦める。

「そっか。―――理事長は何の為にこんな酷い事をするんだろうね?」

 凌子は瞳を伏せ、まるで子供を心配する母親のように呟いた。咲にはその言葉が凌子自身の置かれている境遇を云っているのか、それとも自身に対して云っているのか分からない。

「世の中には誰かを平気で傷付けて、貶めて、苦して・・・そういう事を笑いながら出来る人間がいるのよ。そんな奴等の考える事なんて私達が考えても無駄よ」

「・・・そうなのかな?」

「そうに決まってるでしょ?少なくとも、私はアイツを《殺す》為に此処にいるの。悪いけど、貴女の問答に付き合う気はないわ」

 咲の背中でびくりと凌子が怯えるように身体を震わせる。怒りに任せて凌子に当たってしまった事を、咲は少しだけ心の中で反省する。しかし、咲はどんな理由があろうとも、左梁を絶対に赦す訳にはいかないのだ。

「私ね、その―――」

「静かに・・・」

 咲は後ろ手で凌子の口を掌で塞ぐ。凌子は咲の意図に気付き口を噤む。そのまま分かれ道の角に身を潜め、咲は数メートル先にある階段の先を見据える。

―――数は一人・・・でも、かなり強い・・・私よりもずっと・・・

 咲の顳顬から一筋汗が伝う。全身の毛穴が一気に開いたかのように緩い汗が体中を濡らす。階段の先からは厳重な警戒網のように殺気が張り巡らされている。その網に掛かれば、咲は一瞬にして殺されると悟った。逃げるという概念など初めから持てる選択肢などないのだ。階段の先の人物にとって、咲はただの獲物に過ぎない。

 咲は後ろで小さくなる凌子を一瞥する。

―――この子だけは守ってあげないと・・・

 咲は拳を握り締める。爪が食い込む程握り締め、自身の恐怖心を痛みによって拭おうとしているのだ。

「鳳さん。貴女は此処を動かないで」

 咲は耳元で凌子に告げる。凌子はこくりと頷く。階段から一歩、一歩と敵は降りて来る。心臓の音がその音を掻き消すように邪魔をする。咲は神経を集中し、右手に力を溜める。自身よりも力量が上の者に対抗する有効な手段は《奇襲》だ。敵の虚を付き一気に責め立てる。

―――狙うのは心臓。それ以外には一切眼をくれるな・・・

 自身に暗示を掛けるように、咲は心の中で何度も呟く。心臓を狙え、と。

 咲の扱う炎は熱量も操作可能だ。敵が単独、若しくは複数人を敵にする場合、両者ともに広範囲に使用出来る炎は有効であるが、敵が単独の場合は炎よりも熱量を操り相対した方が効果が高い場合がある。それは、このように狭い空間での戦闘だ。土壁の幅は人一人分、縦は人二人分もない。この狭い空間で炎を使用すれば一気に酸素を消費し、かえって自分を苦しめる事になる。凌子にも間違いなく被害が及ぶだろう。

 一方、熱量の操作のみに特化させれば、酸素の消費は最小限で済み、敵に触れさえすれば大きな痛手を負わせる事が出来る。身体を簡単に飴のように溶かす程の熱量。咲のイメージはやがて右腕に具現化されていく。まるで火口から伸びる溶岩のようだ。

―――さあ来い・・・!

 敵が階段を降り切った瞬間だった。

 咲は全速力で隘路を駆け抜ける。右腕は高温の熱を帯び、鍛冶師によって鍛えられた刀そのものだ。

「はぁあああああああ!」

 咲は弓を放つ如く自身の身体を弾機に一気に右腕を敵に向かって突き放った。敵の姿は影しか見えていない。が、心臓部は間違いなく捉える事が出来る。咲にはその確信があった。が、残り数センチ。手刀が敵に触れる瞬間、右腕に激痛が走った。

「あぁっ!?」

 咲はその激痛の直後、何が起こったのか理解出来なかった。気が付いた時には仰向けに倒れていたからだ。右腕の関節には未だに鈍い痛みが石のように伸し掛かっている。

―――殺される・・・

 咲は敵が腕を振りかぶっているのが見えた。狙いは恐らく首だろう。一撃目で咽喉を潰し声を封じる。二撃目で頭蓋を叩き潰す。至極基本に忠実な暗殺の仕方だ。

「・・・あれ、君は?」

 敵は振り上げた腕を止めた。

「黒羽さん!」

 咲の叫び声を聞き付け、凌子は咲の忠告を無視し必死に駆け寄って来た。凌子は近くにあった松明を持つと敵に向かい叫んだ。

「黒羽さんを放して!」

 凌子は敵に向かい松明を掲げる。炎の明るさに照らされ、敵の正体が露わになる。

「・・・ってあれ!?雄飛くん!?」

「どうして凌子さんが・・・?」

 松明で照らされた男は黒ずくめの格好をした雄飛だった。

 雄飛は予想外の出来事に動揺した。この奥に居るのは《黒羽咲》だけだと考えていたからだ。何故鳳凌子がこの場にいる理由が分からない。が、推測は出来る。左梁がリスクを冒してまで《実験》を急いだからだろう。

「雄飛くんだったのか・・・安心したよ・・・」

 凌子はその場にへたり込んでしまった。友人の登場に安堵したのだろう。

「ねえ。敵じゃないならどいてくれないかしら?」

 雄飛は視線を声の主に視線を戻す。雄飛は咲に馬乗りになっている状態だった。咲の衣服は乱れ、汗でブラウスが素肌にぴったりと張り付いている。頬は上気し息は荒々しい。この状態だけを見れば、雄飛が《悪者》と呼ばれるかもしれない。

「ごめん。直ぐに退くよ」

 雄飛は直ぐ様立ち上がり、咲に手を伸ばす。「ありがと」と云い、咲は雄飛の手を取る。咲は衣服に付いた泥を手で払うと、

「・・・貴方の仕業だったのね?此処の警備を無効化したのは?」

 と、すっかり冷静な頭になった咲は尋ねる。

「正確には俺と俺の部下、だけどね。あらかた敵は制圧した。掴まっていた女生徒達の保護も順調に進んでいるよ」

「そう。それは何よりね」

 咲はぶっきらぼうに返事をする。雄飛はそれを見て含み笑いをする。

「それにしても、学校とは違って随分と《野性的な》素振りだね。《淑女》からは程遠い」

「それは悪かったわね。貴方こそ大分素行が悪いのではないかしら?女の上に馬乗りになっても動揺しないなんて。《こういう事》に慣れている証拠じゃないの?」

「君のご想像にお任せするよ」

「そう。じゃあ、そうさせてもらう。―――ところで、私を利用した事に謝罪はないの?」

 雄飛はそれを鼻で笑う。

「それはお互い様。君がもっと上手く左梁の拠点へのルートを残してくれていれば、早く助けに来れたんだけどな」

 咲の眉がぴくりと吊り上がる。

「状況証拠と左梁の力を鑑みれば、私の部屋の床下に《人工的に》通路を作って侵入した事くらい直ぐに分かると思うけれど」

 雄飛の口元が三日月型に引き攣る。

「君がもっと好戦して結界の一つでも壊してくれれば大人数を楽に侵入させられたのにな」

「自分の無能を棚に上げるなんて小さい男ね」

「さっきまで泣きそうな貌をしていた人に云われたくないな」

 二人は睨みを利かせ押し黙る。

「これ以上は止めましょう・・・此処で私達が争っても何の益も無いわ」

「そうだね。此処で手打ちとしよう」

 二人の皮肉り合いが終わると、雄飛は安心したように座っている凌子に手を伸ばす。凌子はそれに気が付くと雄飛の手を握り立ち上がる。

「それで、どうして凌子さんが此処にいるの?」

 雄飛は少しだけ呆れたように尋ねる。

「実は、理事長に誘拐されたみたいで。理事長室に呼ばれて御手洗くんに襲われた所までは覚えているんだけど・・・」

「「御手洗に襲われた!?」」

 雄飛と咲の驚きは見事に一致したようだった。一言一句漏らさずユニゾンしたのは、二人の驚きが全く同じだった証拠だろう。一方、凌子も二人の声に驚いているようだ。

「でもでも、この通り怪我とかもしてないし。確かに、怖い思いはしたけど・・・」

 焦ったように身振り手振りで説明しようとする凌子に、雄飛と咲は頭を抱えた。

「どうして今そういう事を云うわけ?さっき此処にいる理由聞いた時は左梁に連れて来られた事しか云ってなかったじゃない?」

 牢屋を出た直後、咲は凌子に此処にいた経緯を尋ねていた。その時には御手洗良和の話は一切出て来なかった。

「あの時は何で此処にいるのって聞かれただけだったから」

「そう云う問題?」

「・・・ごめんなさい・・・」

 凌子は反省するように肩を竦める。さながら、母親に説教されている子供のようだ。

「理由は分かったよ。でも、どうやって御手洗から逃げられたんだい?」

 雄飛は呆れたように頭を掻きながら尋ねる。

「多分・・・ううん。絶対、神楽坂くんのお陰!」

 凌子は満面の笑みでそう答えた。雄飛は首を傾げる。時間を鑑みれば、雄飛は自身と別れた直後、左梁の拠点へと向かった。翔真が凌子を助ける事は不可能な筈だ。

「・・・成る程。そう云う事ね」

 雄飛の隣で咲は得心がいったように頷いた。

「君には分かるのか?」

「ええ。私も同じように助けられたものだしね」

 咲は凌子のブレザーの胸元を指差す。

「あの校章の部分に神楽坂翔真特製の《対人兵器》の《人工術機》が内蔵されている。威力は折り紙付き。何せ左梁の呪符を一撃で焼き切るくらいだもの」

 雄飛は注意深く校章部分の《気配》を探ってみる。確かに、咲の云う通り何らかの人工術機が隠されているようだ。雄飛は溜め息をつき頭を抱えた。翔真が作成した人工術機の威力を雄飛は厭と云うほど知っていたからだ。

「あの莫迦・・・何てものを一般人に使わせているんだ・・・」

「それは違うわね」

 咲は頭を抱える雄飛の言葉を真っ向から否定する。

「確かに術を使用しているのは彼女の意志や防衛本能に拠るものだと思う。でも、その術の威力の源は全て神楽坂翔真が肩代わりして負担している筈よ。私の時も思ったけど、鳳さんには術に因る負荷は一切見られない」

「・・・君に云われなくてもそれ位分かってるよ」

 咲は顳顬を指先で触れる。

「じゃあ、どうしてそんな悩んでるのよ?」

「翔真は彼女を信用し過ぎている。彼女が今のように敵の手に落ち利用されれば、割を食うのは翔真自身だ。アイツは他人に対して甘過ぎる・・・」

 何かを逡巡するように雄飛は臍を噬む。咲には雄飛の頭の中まで覗く事は出来ない。しかし、雄飛が抱く感情は、自身が嘗て妹に抱いた感情と同じだと思った。少しでも手を離してしまえば割れてしまいそうな水晶のような想いだ。

「・・・この話は此処でお終いにしましょ。切りがないわ。それよりも、早く此処から出ましょう?敵がいないなら直ぐにでも」

 咲は凌子の隣に立ち頭を撫でる。

「こんな子をこんな危険地帯にこれ以上置いておくなんて出来ないわ」

「黒羽さん・・・」

 凌子は咲の手を握り締め、

「ありがとう」

「お礼を云うのは私の方よ。貴女がいなければ私はあの牢から出る事さえ出来なかった」

 お互いを想い助け合って此処まで辿り着いたのだ。二人の間には何時の間にか小さな友情が生まれていた。

「そうしたいのは山々なんだけどね・・・でも、それは出来ない」

「どうしてよ?誘拐されていた人達はもう助けたんでしょ?」

「ただ一人を除いてね・・・」

 含みのある云い方だった。咲は雄飛の態度に苛立ちを見せる。

「引っかかるわね。云いたい事があるならはっきり云いなさい」

 咲の追求に雄飛は重苦しい口を開いた。

「・・・君の《妹》が未だ見つかっていない・・・」

「えっ・・・」

 咲は雄飛の言葉に頭が真っ白になった。言葉が口から出て来ず、考えが頭の中で纏まらない。雄飛の云っている事が一切理解出来ない。

「何云ってるのよ・・・?私の妹は・・・香は・・・左梁に殺されたのよ!私の目の前で!私の目の・・・前で・・・」

 言葉にするだけで感情の奔流を止める事は出来なかった。咲の瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。吐き出した事実に胸が雁字搦めになる。水の中で息が出来ないような感覚に襲われ、咲の心は暗転しそうになる。

「黒羽さん!しっかりして!」

 咲の身体を支えたのは凌子だ。凌子は倒れ込む咲をゆっくりと座らせた。

「やはり、君は《黒羽香》が死んだと思っていたようだね。それが、左梁の掌中だとも知らずに・・・」

 咲は俯き口を噤む。


 月が今にも落ちてきそうな夜だった。いつものように仕事の為、人気の無い獣道を私と香が走り抜けている時だ。

 仮面を貌に張り付けたような男だった。それが一度目の左梁禅譲との闘い。

 相対した瞬間、何の前触れも無く戦いは始まった。未だにどうやって左梁と闘ったは思い出せない。ただ、左梁が自分達よりも格上で、その強さに圧倒されたのは身体が覚えている。私達は防戦一方となり、遂に逃げ場の無い崖へと追い詰められた。崖下は先日の台風で水嵩が増した濁流。落ちれば一溜まりもない。私達は一瞬の隙を突き逃げる事だけを考えていた。

 だが、お互いに分かっていた。逃げられるのはどちらか《一人》だけ。どちらか一人を犠牲にするしか生き残る道はない。私は姉として、妹を逃がす事を最優先に考えていた。だから、あの時、無謀にも左梁に正面から闘いを挑んだ。

 そして、その時は訪れた。

 香が目の前で斬り殺されたのだ。

 左梁の土葬術によって作られた鉄よりも堅い土剣。

 標的にされたのは、本当は私だった。そう自分で仕向けたのだ。

 しかし、斬られたのは私ではなかった。必死の形相で香は自分を弾き飛ばした。月明かりの中で鮮血が舞う。空中で身動きが取れない私の手は香を掴む事さえ許されなかった。

 今でも覚えている。声は聞こえなかった。でも、姉妹だからこそ分かる。香は私に『逃げて』と云った。本当は姉である私がやらなければならないのに。姉である私が妹を守らなければならないのに。そんな想いを持っても現実はただ現実だけを目の前に突き付けた。私は何も出来ず、荒れ狂う川の中へと落ち、程なくして意識を失った。

 目覚めた時、身体中の痛みで意識がはっきりと蘇った。私は運良く下流の河原に漂着していたのだ。それから必死に妹の事を探した。探して探して探し尽くして。最後に分かったのは、妹の死と妹を殺した者の名前だった。

 突き止めたのは私だけ。一族の人間は誰一人真実に辿り着く事さえ出来なかった。だからこそ、私は誰一人さえ信用せず、誰一人さえ頼らず、誰一人さえ巻き込まないように事を進めて来た。ただ、妹を殺した左梁禅譲への復讐だけを生きる糧としてきた。それなのに―――


「・・・生きて・・いるの?」

 自分が成さねばならない事は、復讐ではなかった。

「本当に・・・生きているの・・・?」

 自分が成さねばならない事は、妹が生きている事を信じ切る事だった。

「ああ。彼女は生きている」

「・・・そう・・・」

 嬉しい事である筈なのに、咲は止めどなく流れる涙を止める事が出来なかった。今まで募った想いが胸に押し寄せ心を満たし溢れて出したからだ。

「良かったね・・・黒羽さん・・・」

 凌子は咲を覆うように抱き締める。凌子の瞳からも小さな雫が溢れ出していた。咲の心の中にある想いが伝わるように。

「うん・・・」

 咲はただ泣き続けた。今まで閉じ込めていた想いを解き放つように。

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