黒幕 弐

 黒羽咲が誘拐された翌日の昼休み。

 翔真と雄飛は理事長に呼ばれていた。理事長室で二人を迎えた左梁は力無い様子だった。

「二人ともよく来てくれた。先ずは、其処に座ってくれ」

「「はい」」

 二人は左梁に促され来客用の革張りの椅子に腰掛ける。左梁は二人が座るのを見ると、自身も正面に座った。

「左梁さん。先ずは謝罪を」

 雄飛は深く頭を下げる。翔真も同様だ。

「止めてくれ。頭を上げては貰えないだろうか?」

 雄飛は頭を下げたまま首を横に振る。

「いえ。これは我々の失態です。頭を上げる訳にはいきません」

「それは違う。君達が黒羽君の警護に万全を期していた事を私は知っている。昨日の状況を聞いたが、何でも自宅の中で突然姿を消したそうじゃないか。彼女の御両親も君達の所為ではないと仰っている。だから、貌を上げてくれ。そうして貰わないと、これからの話が出来ないじゃないか。君達が今やらねばならない事は、此処で私に頭を下げる事ではないだろう?」

 左梁の言葉に二人は貌を上げる。左梁は朗らかに微笑んでいた。

「二人とも良い眼をしている」

 左梁は満足げに顎髭を撫でる。

「左梁さんの仰る通りです。私達の急務は彼女を救う事です」

「うむ。その通りだ。では、聞かせて頂こう。君達の見解を」

 雄飛は頷くと、鞄の中からファイルを取り出しそれをテーブルの上に広げる。ファイルの中には何枚かの写真が端書きと共に台紙に貼られている。

「これは彼女が最後に姿を消した場所。此処は彼女の自室です」

 簡素な部屋だった。物はベッドと勉強机、本棚。それ以外には何も見られない。

「彼女の部屋は黒羽家の豪邸の最奥の一階にあった。何でも彼女が御両親に云って態々物置だった場所を改造させたそうです。理由は《定かではありません》が、彼女は度々両親の眼を盗んで外出していたようです。クローゼットの中から運動靴が見つかりました」

「ほう・・・真面目な彼女が・・・これは意外だな」

 左梁は眉を顰める。

「しかし、彼女は非行に走っていた訳ではありません。お手伝いさんの話だと、彼女は天体観測が趣味だそうで、部屋を抜け出して星を観に行っていたようです。これもですが、クローゼットの中から組み立て式の天体望遠鏡を発見しました。我々の組織の監視も何度か彼女が深夜に天体観測へ向かうのを目撃しています」

「そうだったのか・・・いや、安心したよ」

 雄飛の言葉に左梁は心を撫で下ろしたようだ。

「彼女が消えたその日。彼女は自室にいました。外には出ていない。監視していた者からも彼女を外部では一切目撃していない」

 雄飛は淡々と知り得ている情報を告げた。左梁の眉間に寄った皺がより深く刻まれる。表情も少しずつではあるが険しくなっている。左梁の頭の中でおよそ考えたくはない推測が横切った。

「・・・それはつまり、彼女が《何者か》に《誘拐》されたのではなく、完全な《密室状態》で《何処かに消えた》と、君は云っているのかい?彼女が例の《神隠し事件》に巻き込まれたと?」

 雄飛は一瞬俯き考えると、直ぐに正面に座る左梁を見据える。

「最悪な場合を想定すると、選択肢の一つとして考えられる事です。勿論、結論付ける事は早計です。私達は彼女の捜索と平行し、所謂神隠し事件を調査する所存です。《神隠し事件》を調査する過程で彼女を発見する手掛りが見つかるかもしれませんから」

「噫、何て事だ・・・」

 左梁は苦しみに満ちたベートーベンのように頭を抱える。

「最も恐ろしい事態が起きてしまった・・・こうならないように私は幾つも対策をしてきたと云うのに・・・」

 後悔ばかりが募るのだろう。

 左梁は神隠し事件の第一被害者が出た時から、既に自身の経営する学校での対策を徹底させていた。保護者にも応援を要請し、夜半の出歩きは全面的に禁止。塾に通う者の為に塾の経営者にまで説得に赴き、生徒達の集団行動を奨励した。生徒達を守ろうと彼は常に心を砕いていた。

「左梁さん。どうか心をしっかりと持ってください。私達が《必ず》黒羽咲を保護してみせます」

 決意を改めた雄飛を左梁は一瞥すると、

「―――私は君の言葉を信じるよ。どうか私の大切な生徒を救ってくれ」

 何かに縋るように頭を深々と下げた。

「はい。必ず・・・」

 雄飛は静かにそう告げた。


 雄飛と翔真は理事長室を出た。暫く進み教室棟に差し掛かると、その廊下には凌子と美月が立っていた。

「話は済んだの?」

 美月は深刻そうな貌をしている。凌子も同様である。昨晩から黒羽咲の状況を聞いていた二人は気が気でいられなかった。

「まあ、取り敢えず・・・」

 雄飛はそれ以上何も云わなかった。と同時に歩く足を止めもしなかった。それは意図的に口を噤み私達を避ける行為だ、と凌子も美月も何となく悟っていた。しかし、美月は雄飛の態度に納得がいかない。

「私達には何か出来る事はないの?」

 生徒会長としての自負なのだろう。自身の通う高校。加えて、同学年の生徒が突然行方不明になったのだ。正義感と責任感が人一倍強い美月はこの状況を静観出来る筈も無い。

「気持ちは嬉しいけど・・・ないよ。二人に出来る事は自分の身を守る事と彼女の無事を願う事だけだ。昨日も云ったけど、此処からは俺達の仕事だ」

「昨日と同じ言葉なんて聞きたくない!私は黒羽さんを助ける為に《私達が》何を出来るかを聞いているの」

 雄飛は困ったように頭を掻いた。一方、翔真はそれをただ傍観していた。雄飛に止められていたからだ。これ以上は彼女達に情報を渡してはいけない、と。

「・・・じゃあ、はっきり云わせてもらうけど、君達は《邪魔》なんだよ。迷惑だ。《子供》が《大人》の仕事に首を突っ込むのは止めてくれ」

 美月は雄飛の言葉で額に青筋を立てる。

「皇宮警察の警視正だか何だか知らないけどさ、私達の《気持ち》が分からないならアンタ等だって充分子供よ!《女心》が分からないお子様よ!」

 美月の声は廊下中にけたたましく響き渡った。その大きな声と迫力に寛いでいた生徒達はしんと鎮まりかえる。

「どうぞ勝手に何でも云ってくれ。子供の駄々に付き合っていられる程、俺達は暇じゃないんだ。―――さあ、翔真もう行くぞ」

「・・分かった」

 雄飛と翔真がその場を離れようとすると、

「ちょっと待ちなさいよ!」

 二人は背後から聞こえる美月の制止を無視する。だが、翔真の身体は何かに引かれるように歩みを止めた。三階に差し掛かった階段で、だ。翔真は振り返ると、其処には翔真のブレザーの裾を掴んだ凌子がいた。

 翔真は困ったように頬を掻くと、

「鳳先輩も砂川先輩と同じ意見って事ですか?」

 裾を掴んだまま俯いている凌子は返答しない。翔真は仕方なく凌子の手を振り解こうと振り返った。凌子の手は簡単に離れた。しかし、凌子は今度はブレザーの腕の裾を掴んだ。

「鳳先輩いいかげ―――」

「心配なんだよっ!」

 普段大人しい凌子がこんなにも大きな声を出した事は今までに一度も無かった。廊下や教室内から見ていた生徒達は驚きを隠せない。翔真も同じだった。そして、翔真からは見えていた。凌子の瞳に映った強い意志と涙の雫を。

「私達は心配なの!《雄飛くん》と・・・《神楽坂くん》が・・心配なの!」

 息を切らし、凌子は叫ぶ。己の気持ちを只管に言葉に乗せて。

「心配・・・なの!」

 肩を震わせ、凌子は叫ぶ。己の気持ちを只管に言葉に乗せて。

「し・・んぱ・・・い・・・」

 涙を流し、凌子は叫ぶ。己の気持ちを只管に言葉に乗せて。

「もういいです、先輩」

 大粒の涙をほろほろと流す凌子の手を握り翔真は謝罪する。

「・・・先輩の気持ちは充分噛み締めました。―――まさか、《あの人》と同じ事をまた云われるとは思わなかった・・・」

 翔真は悲しそうに呟いた。凌子には翔真の最後の言葉が上手く聞こえなかった。何故、自分の貌を見て、こんなに壊れてしまいそうな万華鏡のような表情をしているのか。凌子はそれが分からなかった。


「翔真、此処を離れるぞ!」


 雄飛は唐突に翔真の肩を掴み目配せをする。翔真は雄飛の視線を眼で追う。すると、雄飛の云っている事が漸く分かった。

「どうやら理解したいみたいだな?これ以上の面倒事は御免だ」

 二人を見る眼、つまり、翔真と凌子を見る篠突く雨のような視線。翔真が凌子を何らかの理由で泣かせているとしか見えない、言い訳し難い状況。切羽詰まって頬を上気させる凌子の表情は嘸かし翔真への侮蔑を誘うだろう。

「ごめんなさい、鳳先輩。先ずは此処を脱出します。―――ちょっと失礼」

「ふえっ!?」

 凌子が驚くのも無理は無い。翔真は何の躊躇いも無く凌子を抱き上げたのだ。所謂、お姫様抱っこというヤツだ。

「待って、神楽坂くん!急にこんな事されても心の準備が!?」

 所在無く腕をばたつかせている凌子に、

「お言葉は移動した場所でお聞きします!しっかり掴まって!」

「はいっ!」

 翔真の勢いに圧倒され、凌子は翔真に身体を寄せ首元に腕を掛ける。翔真はそれを確認すると、窓を全開に開いた。

―――あの莫迦!

「ちょっと待―――」

 雄飛の腕は翔真を止めるに至らず、伸ばした腕は次の瞬間には頭の方に移っていた。雄飛は頭を抱えた。翔真は窓から飛び降りたのだ。此処が三階だという事もお構いなしに、だ。

「あの子何考えてんの!?」

 美月は翔真が飛び降りた窓に一目散に走って行き下を見る。窓枠から上半身を出し念入りに落下した二人の無事を確認する。幾ら運動神経の良い人物であっても人を抱えて飛び降りたのだ。飛び降りた先が中庭の芝生であろうと、無事であるとは考えにくい。二人を見ていた生徒も同様のようで一斉に窓の外を見る。が、美月の懸念は一気に吹き飛んだ。

「・・・嘘でしょ!?」

 安心と同時に迫って来た感情は驚きだった。

 翔真はけろっとした表情で立っていたのだ。凌子も其処で下ろされたのか、翔真の隣で立っている。怪我一つ無い様子を見て美月はほっと胸を撫で下ろした。

「アンタのお友達はどうなってんのよ?」

 美月は振り返り悪態を付いた。文句の一つも云いたくなるだろう。

「あれ?」

 美月はきょろきょろと周囲を見渡す。生徒が今の騒ぎで廊下に集まっているからだろうか、雄飛の姿が何処にも見当たらない。


『おい!アイツ急に走り出したぞ!』


 男子生徒の声だった。彼は中庭の方を指差し云った。美月は彼の指差す方向を見るために再び窓際へと駆け寄る。美月は其処で気付いた。

―――アイツ等まさか・・・!?

 美月が窓際から貌を出した時には既に遅かった。翔真は瞬く間に凌子を置き去りにしてその場を去ったのだ。凌子は中庭で唖然としながら翔真が走り去った方向を見詰めている。

「やられた・・・」

 美月は窓際から離れると、一人ごちながら溜め息を付いた。二人が姿を消した理由など考えずとも分かる。

―――私と凌子がこれ以上、この件に首を突っ込ませない為だ。と、同時に、私達を危険な眼に遭わせない為。でも、私達の気持ちは伝わったでしょ・・・

 最初から美月は二人が自分達の協力を受けるとは思っていなかった。美月が強引に迫ったのは確かめる為だ。二人が自分達とは違う場所に立っていたとしても、《同じ気持ち》を持っているか、を。あの場面で仮に雄飛と翔真が自分達の申し出を受諾していたら、きっと手が出ていた所だっただろう。二人の本音が見えただけで充分収穫はあった。凌子が泣き出した事だけは計算外だった。

「ちゃんと助け出してね。頼んだよ、二人とも・・・」

 力無い自分を歯痒いとも思う。しかし、助ける力を持った者を信じられるだけで、胸の内の不安を少しだけ和らぐのだった。

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