風雲児 参

 凌子が教室に向かう頃には、既に三時限目が終わる鐘が鳴っていた。

 警察の事情聴取は思っていたよりも迅速に事が進み、凌子は一時限目が終わる頃には学校に到着していた。二時限目の授業には間に合う筈だったのだ。警察から学校へ概ねの事情は既に連絡されている。遅刻の理由は明白であり、学校に連絡をした警察官も心配はいらないと電話越しで伝えていた。だからこそ、凌子はすんなりと教室へ向かえると思っていたのだ。

 しかし、凌子は小一時間、教育指導の教員と属託で来ている心理療法士の二名に延々と説教をされる羽目になった。説教と云っても一方的に叱咤されたりする訳ではない。《昨日の出来事》が尾を引いていたのだ。

 雄飛が懇切丁寧に説明していたとしても教師陣を説得するには至らなかったのだろう。凌子は寧ろ、事故の事ではなく御手洗との件ばかりくどくどと聞かれる羽目になった。『彼とは他にトラブルは無いのか?』、『本当はどちらが悪かったのか?』、『彼との関係を良好に保ちなさい』等、二人は御手洗を庇う弁が妙に立っていた。凌子の両親よりも御手洗の両親は社会的立場が高い。教師陣としては、御手洗の味方になるという選択肢を取る者が多いのだろう。

 それ以外にもう一つ、凌子を咎めなければならない理由が彼等にはあるのだ。

 国内で有数の進学校で、所謂イジメ問題が発生するのは社会的立場から見ても致命的な死活問題になる。マスコミに知られる事など以ての外だ。内部で潰せる事柄は徹底的に潰す。それがこの学校の暗黙のルールだ。

 凌子が知っている範囲でも、《大きな問題》を起こした生徒は問答無用で退学させられている。勿論、詳しい事情は生徒達には明かされる事は無い。突然、何の前触れも無しに《退学》という名目で知らされるのだ。凌子と御手洗の場合は、学校にとって未だ《大きな問題》と判断されていないに過ぎない。

 凌子は辟易としながら漸く教室に着いた。

 休み時間になったばかりだった為、それ程注目されずに教室へ入る事が出来たのがせめてもの幸いだ。警察から学校へ連絡された時に担任には事情が伝わっている。しかし、生徒達にはそれは伝えられていないようだ。席に座る前に何人かには話掛けられたが、理由は家の事情という事になっているようだった。凌子はそれに苦笑いをしながら自分の席に腰掛ける。席に着くと、隣の席で読書をしていた雄飛が声を掛けて来た。

「随分お疲れみたいだね?」

 雄飛は本の頁を捲る。

「ちょっとね・・・朝からバタバタしちゃって」

「そっか。美月さんが随分と心配してたよ。『空手部の朝練なんて行かなきゃ良かったぁー』って身も蓋もない暴言吐いてたし」

 雄飛は大袈裟に美月の物真似をする。凌子はそれをくすくすと笑いながら、

「ちょっと似てるかも。でも、美月ちゃんの前ではやらない方がいいかも」

「当然。怒られるに決まってるからね。―――おっと。噂をすればなんとやらだ」

 のしのしと音が聞こえるかと思うくらいにこちらに向かって来る人物がいる。それは勿論、砂川美月だ。美月は凌子の前に立つなり、

「りょーこー!超ー心配したよー!」

 愛猫を可愛がるが如く凌子を抱き締め撫で回し始める。凌子は美月にされるがままだ。

「美月ちゃん、どうしてそんなに心配してるの?先生から事情を聞いてる筈じゃ・・・」

 美月は凌子の頭を撫で回しながら貌を耳の傍に近付ける。

「―――凌子が今日の朝、事故に遭いそうになったって事はもう知ってるよ」

 凌子は耳元で伝えられた事に思わずはっとし、美月の貌を見る。

「どうして知ってるの?」

 美月は悪戯な笑みを浮かべると、再び耳元に貌を近付ける。

「私の後輩が偶々その場にいたらしくてね。それで凌子だって分かったみたい。学校に遅刻しそうだったから凌子の無事を確認した後に直ぐに学校に向かったらしいけど」

 美月は満足したのか凌子を手放すと、雄飛の机の上に腰掛けた。雄飛は何事も無いように読書を続けている。

「だから、その話を聞いた時、学校飛び出して凌子の所に向かおうと思ったんだ。だけど、後輩に止められちゃってさ。無事みたいだから行く必要はないんじゃないかって。凌子を助けたのは同じ高校の生徒みたいだったから大丈夫だって云うしね」

「俺も止めたけどね」

 美月の横で雄飛が溜め息混じりで呟く。美月はその声に一瞬ムッとした貌をしたがそのまま話を続ける。

「でもやっぱり気になって仕方なかったんだよね。―――今日の一時限目って体育だったでしょ?」

「ああ、そうだったね」

 雄飛は相槌をうつ。

「だから、凌子を助けた奴は遅刻して来るだろうって思ってさ。授業受けながら校門の前を注意深く見ていた訳よ。そうしたら案の定、急いでいる生徒が一人校門に来てさ。あっコイツだなって思って、引っ捕まえて事情を聞いた」

「相変わらず無茶するね、美月ちゃん・・・」

 間違っていたらどうするつもりだったんだろう、という疑問は置いておいて、凌子も自身を助けてくれた人を校内で探すつもりでいた。美月が先に探してくれていたとなれば、それは渡りに船だ。

「私の感がよく当たるの、凌子も知ってるでしょ?今回も大当たりってわけよ。私は生徒会長権限を行使して、その生徒に遅刻した理由を聞いたのね。そしたら、学校に来る途中で事故に遭いそうな子を助けて遅れたって云うのよ」

「その人って髪短くて、爽やかな感じの人だった?」

 凌子の疑問に美月は首を傾げる。

「爽やかかどうかは知らないけど、髪は短めだったかな。身長も低かった。まあ、それは置いといてやっぱりビンゴみたいね。ソイツ、《適当に》理由付けて昼休みに生徒会室に呼び出しといたから。凌子を助けてくれたお礼をしないといけないし」

 また無茶な事を、という愚痴が雄飛から聞こえて来るようだった。凌子もそこまでしなくても、と取り敢えず反論してみる。

「別に呼び出さなくてもいいんじゃないかな?ほら、私がその人の教室に行けばいいだけの話だし」

「まあいいじゃん。ソイツも分かりましたって素直に返事してたし」

 美月は一連の出来事を思い出すように頷いている。

「という事で、昼休みは生徒会室集合ね。ついでに、雄飛も来といて。凌子を助けたの転校生っぽいから情報収集もしといて。優秀な奴だったら生徒会へ入れるつもりだから。凌子を助けたのはポイント高いよ」

「・・・了解です」

 嬉々として話す美月に対して雄飛は坦々と返答する。生徒会の『蒼焔コンビ』と云われる二人。まるで反対の性格の二人なのに何故か阿吽の呼吸が生まれる。そんな二人のやり取りを見るのが凌子は好きだった。

「美月ちゃん。その人の名前って分かるかな?その・・・事前に知っておきたくて」

 凌子は純粋に名前を知りたかった。自分を助けてくれたその人物の名前を。

「ああ、名前ね。確か・・・」

 その時、四時限目が始まる鐘が鳴る。

「神楽坂翔真」

 鐘の音と共に彼の名が告げられた。

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