第25話 鬼の名は唯
校庭に生えていた草も枯れはじめ、校庭に静けさが戻ってくる。
俺は校舎を見る。耳をすまして、目をこらす。
草に呑み込まれてもいなければ、炎に焼き尽くされてもいない。叫び声も乱れた足音も聞こえてこない。
大丈夫そうだなと安心するとともに、その静けさが逆に気になる。
誰も慌ててないのか? あれだけの騒ぎがあったのに、いくらなんでも平和すぎるだろ?。
なんでこんなに落ちつているんだ?
そう思った時、「近づかないで!」という金切り声が聞こえてきた。
俺は声が聞こえてきた方向を目を向ける。
うちのクラスだ。そこで騒ぎが起こっている。
俺は駈け出し、校舎のそばに寄った。一階の窓枠に足をかけて、跳び上がり、二階のベランダのふちを掴む。
片手で体を持ち上げて、もう一方の手でベランダの囲いを握り、そのまま勢いをつけて、二階に登る。
教室の中から見えないように中腰になって、教室の中を見る。
唯がいた。
クラスメイトに取り囲まれながら、一人で窓際に立っている。
「あれが、あれが暴れ回っていたの!」
クラスメイトの一人――唯と仲の良かった神田絵里が唯を指差して、声をあげる。周りの生徒の何人かがうなづく。
「私、見たんだから! あれが化物になって、暴れ回っていたんだから! あれは人間じゃないの! 化物なの! やめて! 近寄らないで!」
唯がわずかに手を動かした瞬間、神田が激しく後ずさった。他のクラスメイトもすぐに距離を開ける。
「違う……違う……。私は、私は、私は……」
唯の声はかすれていた。
肩は小さく縮こまり、足が小刻みに震えていて、今にも崩れ落ちそうだった。
「あれは人間じゃないの! みんな見たでしょ! 私たちはあいつに殺されそうになったのよ!」
神田が唯を指差す。
唯は小さく首を振る。その不安げな様子から見ると、唯自身も状況を分かっていないようだった。
草佩主(くさはぬし)がどのような術を行ったのかはわからない。だが唯が鬼となった記憶が神田たちに戻りつつあるのは確かなようだった。
俺は手を握る。
唯がいじめられているのを見るのは、もう十分だった。
「全部、あいつが悪いの! 校庭での火事だって、学校に刃物男が入ってきたのだって、全てこの鬼のせいに決まっているのよ!」
神田が叫ぶ。
俺はその言葉に驚き、足を止める。
学校への不法侵入事件は、未妙が行った記憶の改ざんだ。もし草佩主(くさはぬし)が記憶を取り戻させたのだったら、刃物男なんて言葉は出てこないはずだ。
記憶を戻したわけじゃない。
さらにもう一歩上。
みんなの記憶を捻じ曲げたのだ。
なぜそんなことをした?
それでなんの意味がある?
唯がいじめられる。
学校で騒ぎが起こる。
俺はどうする?
当然、唯を助けようとする。
誘導。
草佩主(くさはぬし)は俺を誘い出すために、唯をはめたとでもいうのか?
なんて回りくどい。そして、なんの意味もない。
そんなことをされなくても、唯を狙っていると一言伝えてくれれば、目の前に出向いてやったのに。
まったく根拠のない想像だったが、俺はその考えが当たっている気がした。
「神罰! 神罰が下るのよ! 鬼のような邪悪な存在は神に滅せられるのよ! ここでその姿を見せなさい! 私たちがあなたを罰してあげるわ!」
神田が高らかに言う。
その声は俺の知る神田の声とは別物で、まるで神に愛された預言者や巫女のように力強かった。
クラスメイト達も神田の言葉に付き従うかのように唯を見ている。
いつの間にか、他のクラスからも生徒が流れ込んできていて、教室は人であふれんばかりになっていた。
誰もがうつろな目つきで唯を見ている。
記憶を捻じ曲げて、心を操って、唯を痛めつけて。
神様って言うのは、どれだけ俺たちを弄ぶ気なんだよ。
俺は立ち上がり、窓枠を掴む。
鍵がかかっているが、気にしない。
力任せに窓枠を引っ張り、ベランダから投げ捨ている。
唯が驚いたように振りかえる。他の生徒はなにもなかったかのように、ゆっくりと唯ににじり寄っている。
「近づくな!」
俺は教室の中に飛び込み、唯の横に立った。
唯は目を丸くしながら、俺を見ている。顔は血の気が引いたように真っ白で、目は泣きだす寸前だったのか真っ赤になっていた。
「くうや? どうして? なんで?」
「今はそれどころじゃないだろ?。さっさと逃げるぞ」
俺は唯の腕をひっぱり、自分の後ろに隠す。
クラスメイトたちを睨みつけながら、窓際に下がっていく。
「ベランダに出ろ。このままだと何が起こるかわかんねえぞ」
「え? でも、どうして? どうしよ? どういうこと? え? あ? なんで?」
唯が不安げに言う。
駄目だな。今は話しが通じる状態じゃなさそうだ
俺は振り返って、唯の首と膝裏に腕を伸ばして、一気に持ち上げた。
「いいか! 俺を信じてつかまってろ!」
俺は言う。
唯は目を丸くしながらも、俺の首筋をぎゅっとつかんだ。
俺は体を小さくしながら、その場で跳ねると窓を通り抜けて、ベランダに出た。
「あいつらを殺せ!」
神田が狂信者のような手振りで、俺たちを指差す。
俺はその目と表情に寒気を覚えながらも、後ろ向きに跳んだ。
一瞬の浮遊感。
風が吹き、唯の爪が俺の皮膚に突き刺さる。
つま先が地面にふれると同時に、衝撃が足元から伝わってくる。
俺は背中から地面に転がって、落下の勢いを消す。
何度も殺されかかったせいか、受け身がうまくなっていた。
「起きろ。行くぞ」
俺は地面に手をついて立ちあがる。
唯も言われたとおり、立ち上がるが、足がふらついている。
俺は片手で唯の肩を支え、もう一方の手でその手を掴んだ。
「大丈夫か?」
「うん。なんとか」
「無理はするなよ。おんぶだったら、子供の頃から何度もしてる」
「嘘つき。小学生低学年ぐらいまでは、私が空也をおんびしてあげていたもん」
唯が唇を尖らせる。それから俺の手をぎゅっと握りしめて、歩き出す。
俺は慌てて唯の歩調に合わせる。
振りかえるが、誰も追ってきていない。
ピンチになるまでは唯の思うままにさせよう。
俺はそう思い、
「確かに子供の頃はお世話になりました」
と返事した。
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