第24話 神は校庭で弄ぶ

 よし。

 俺は自動車の影からそっと離れる。

 未妙を見かけたら、その瞬間に逃げ出す。

 草佩主(くさはぬし)が動かないかぎり、俺も動かない。

 ただいつでも動けるように距離だけを詰めておく。

 それだけだ。まずはそれだけを考えるんだ。

 ゆっくり道路を超えて、電信柱の裏に隠れる。

 校庭を囲んでいる金網は手を伸ばせば超えられるほどの高さだったが、物音を立てれば、気付かれるかもしれなかった。


 これ以上は危険か。


 その時、草佩主(くさはぬし)が動いた。

 だらりと垂れ下げていた腕をゆっくりと上げていく。

 身長の倍以上ある腕が水平に伸ばされる。

 手のひらを突き出して、静かに指を動かしていく。

 仕方ない。

 俺は自分の頬をはたいて、お腹に力を込めた。

 立ちあがり、金網に手を伸ばして、その上にまたがる。

 金網の揺れる音がするが、草佩主(くさはぬし)は振り返らない。

 俺は校庭側に飛び下りて、体を小さく丸めながら、草佩主(くさはぬし)に近づいていく。

 少しでも隠れる場所があるルートを選ぼうと、校庭の端を歩いていく。

 突然、風が吹き始める。

 草佩主(くさはぬし)を中心にして、竜巻のような風が吹きあがる。

 俺は地面に手をつけて、前を見る。

 全ての草が立ちあがっていた。

 体をこすり合わせて、祈りのような音を紡ぎだす。


 まずい。


 俺は立ちあがり、草佩主(くさはぬし)へと走っていく。

 吹きかかってくる風に抵抗して、草の文様を踏みしめながら近づいていく。

 キャップが吹き飛び、どこかに飛んでいく。

 あと三メートル。

 草佩主(くさはぬし)は反応しない。

 あと二メートル。

 風を吹かせて、何かを狙っている。

 あと一メートル。

 恐怖が急に胸の内側で甦る。


 もうおせえよ!


 俺は声には出さずに怒鳴りちらし、草佩主(くさはぬし)に飛びかかった。

 草佩主(くさはぬし)の頭上よりも高く位置から、大きく腕を振り下ろす。

 草佩主(くさはぬし)は振り返らない。

 ただ腕を水平に伸ばしている。

 その時、俺は気付いた。

 腕の長さが違う。

 片方だけ一本分短い。


「っ!」


 脇腹に衝撃。

 草佩主(くさはぬし)の腕が見えない位置から飛んできた。

 俺は空中でバランスを崩す。

 足が浮いて、頭から落ちる。

 地面に手をつき、衝撃を和らげて、すぐに立ち上がる。

 その場から離れて、追撃を避けようとするが、草佩主(くさはぬし)は振り返りもしない。

 一本の腕だけが俺を狙っている。


 俺は片腕の三分の一にも値しないってことかよ。


 怒りを覚えるが、それはそれで好都合だった。

 少なくとも全力で反撃されて、一瞬で殺されることはなさそうだった。

 草佩主(くさはぬし)が動きだす。

 水平に伸ばしていた腕を振りまわし、鞭のようにしならせだす。


「ん?」


 俺は耳の奥に違和感を覚えた。

 耳鳴りだ。甲高い音が鳴り響いている。

 まずい。何かが始まった。

 俺はそう思い、なんの作戦も練れないまま殴りかかろうとした。 

 その時、


 「どけっ!」


 未妙の叫び声が聞こえた。

 

 俺は後ろに向かって、全力で跳ぶ。

 目の前が赤く染まり、巨大な炎が噴き上がる。

 草佩主(くさはぬし)は避ける間もなく、呑みこまれる。


「炎・炎・炎」


 未妙の声とともに、炎が膨れ上がる。


「吸・炎・焼」


 火の色が変わり、明るく輝く。


「離れていろ! 炎・煉・爆」


 ぎゅっと何かを握り潰すような音がし、炎が急に小さくなる。

 爆発。

 圧縮された炎が、目がくらむほどの光を発しながら、白々と燃えた。

 火の中から、未妙が飛び出してくる。

 銀色の髪をたなびかせて、炎を身にまとったまま、俺のそばに着地する。

 俺は思わず後ずさる。

 未妙の体は熱く、溶岩が落ちてきたかのようだった。


「近づくな。死ぬぞ」


 未妙がいつもの声音で言う。


「熱くないのか?」


 俺は思わず聞いてしまう。


「熱いことは熱い。酸素もほとんど吸えないから息苦しい。だが死にはしない」

「そうか。それはつらいな」


 俺はもう三歩ほど後ずさった。


「炎。伸。遠」


 未妙は腕を振りあげて、草の文様に手を向ける。

 身にまとっていた炎が飛び出していき、草の文様を燃やしだす。

 未妙から炎が消えて、赤々とした肌が見えてくる。


「まだ近づくなよ。冷めてないからな」


 未妙はそう言って草佩主(くさはぬし)が立っていた場所に目を向ける。

 神を呑みこんだ炎は衰えることを知らないのか、延々と燃えている。


「やったのか?」

「いや驚いたかもしれんが、ダメージは負っていないだろう。相手の隙をついて、こっちの全力を叩きこんだが、<宿返し>は発動させていない。今の草佩主(くさはぬし)は倒す術はない」

「<宿返し>を使えばいいんじゃないのか?」

「この場で? 学校にいる巻き込みたいのか? <宿封じ>を使ったところで、<始終>を使った時と同等の戦闘は起こるんだぞ?」


 未妙が言い、俺は「すまん。考えなしだった」と頭を下げた。


「気にするな。それよりも集中しろ」


 未妙が火柱に目を向ける。

 赤々と燃える炎の向こうで、人影のようなものが動いていた。

 空に向かって片手を伸ばし、何かを行っている。


「まだ術は終わっていないのか?」

「いや、それはない。邪魔はできたはずだ。すでに発動していた徴候はあるが、中断されられたことは間違いない」


 未妙が身構える。俺は目をこらして、炎を見る。

 突然、炎の先が割れた。

 二またに分かれて、大量の草が真上に伸びる。


「なんだあれ?」

「知るか!」


 未妙はその草の塊に向かって、火の塊を撃った。

 草の一部が燃えるが、すぐに別の草に覆われる。

 太さも増しており、未妙が生みだした炎をかき消してしまう。


「神から見れば、ライターの火と変わらないか」


 未妙が舌打ちをする。

 草の塊は未妙の炎を呑みこむと、二手に別れた。

 草佩主(くさはぬし)がその中から現れる。

 まったくの無傷で、じっと俺たちを見ている。

 手のひらを突き出し、何かを握り潰すかのように、指を折り曲げる。

 一瞬の間に、大量の草が俺たちの周りで生えた。

 高さは優に数メートル以上あり、その一本一本は人間の腕よりも太かった。


「逃げるぞ! 全力だ」


 未妙が体に炎をまとわりつかせて、全身を使って、草の檻を焼く。

 俺は未妙に続いて、檻の外に出る。


「はあ?」


 俺は目を疑った。

 巨大な草が何十本と生えていた。どの草も校舎の高さを超えていて、別世界になっていた。

 よく見るとその巨大な草は細い草が絡み合って出来ているようであったが、それでも殴り飛ばされたら、致命傷になるのは間違いなかった。


「炎・円・飛」


 未妙が炎で平らな円を作りだす。ブーメランを投げる要領で、その炎の円盤を遠くに飛ばす。

 巨大な草の根元を切り落とし、強制的に細い草に戻す。


「これ以上ここにいれば、死人が出る。私は全力で逃げから、お前は『世界』を持って、隠れていろ」

 未妙は一瞬だけ俺に視線を向けると、草佩主(くさはぬし)に向かって走りだした。

「炎・炎・炎」


 跳び上がり、巨大な火の塊を生み出す。


「少しは苦しめ!」


 未妙が腕を突き出すと火の塊を持って、草佩主(くさはぬし)に向かっていった。

 草佩主(くさはぬし)は動かない。

 周りに生えた草が動き、盾のように立ちふさがる。

 爆発。

 草が燃えて、煙が上がる。

 俺はその場から動けない。あの場に行けば、足手まといにさえなれないことはわかり切っていた。

 燃えた草の周りに、別の草が生えて、未妙と草佩主(くさはぬし)を呑みこむ。


「未妙っ!」


 二人のいた場所から風が吹く。

 炎の竜巻が現れて、未妙がその中から飛び出してくる。

 巨人の腕のように絡み合ったが草が未妙を追う。

 未妙は炎を身にまとって、巨人の指に捕まらないようにする。

 草の発生があまりにも早いせいか、未妙の炎は弱くか細かった。


「未妙っ!」


 俺の声に反応したのか、未妙が目の端で俺を見てきた。

 わずかな余裕と明確な意思。

 計算通りだと言っているような表情だった。

 俺は未妙を信じて、その場にとどまることを決めた。


 未妙の口が微かに動く。炎が一気に膨れ上がる。

 巨人の腕を焼き、周りの草を焦がしていく。

 未妙は背を向けて駆けていく。草佩主(くさはぬし)も大量の草をまき散らして、未妙を追い掛ける。

 二人の姿が離れていき、すぐに見えなくなった。

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