第23話 校庭で出会ったモノ


 学校に着くと同時に、チャイムの音が聞こえてきた。

 俺は学校の裏手に回って、金網越しに校舎の中を覗きこむ。

 がやがやとした声とともに、みんなが教室から出ていく。

 購買にお昼を買いに行くグループなのだろう。半分以上は持ってきたお弁当を食べているのだが、三割ぐらいの生徒は購買に昼ご飯を買いにいくのだ。

 唯は手持ちのお弁当だから教室だろうな。

 俺はそう思い、自分の教室を覗きこめる位置を探すために、学校の周りを歩く。

 五感が鋭くなっているおかげで、みんなの会話の端々が耳に入ってくる。

ほんのちょっと前までは、俺もあちら側にいたんだよな。

そう思い、少しだけ泣きたい気持ちになる。

 突然、スマホが鳴りだす。

 俺は取り出して、画面を見る。

 未妙からの電話だった。

 さっき別れたばっかなのに何なんだ?

 俺はそう思いながらも電話に出る。


「悪いが『世界』にはGPSもついている。お前の居場所はだいたいわかっている。学校だろう? そこから早いところ逃げろ」


 未妙が一息で言う。


「はあ? どういうことだよ? ちゃんと説明してくれよ」

「お前は説明ばかり要求するやつだな。草佩主(くさはぬし)が動いたんだ。姿を現して、お前の今いる場所に向かっている。

 お前は見つかっていないが、なにかしらの目的を持っている可能性がある」

「つまり草佩主(くさはぬし)が学校を狙っているかも知れないってことか?」


 未妙が黙る。電話越しに伝わる空気が、俺の言葉を肯定していた。


「だったら逆に逃げられないだろ? 学校が狙われているとしたら、どんな理由があるんだ?」

「知らん。そもそもただの通過点という可能性もある。草佩主(くさはぬし)に近づきすぎたら、奴に気付かれるかもしれない。ひとまずそこを離れろ」

「無理だ。学校が狙われているってことは、唯はもちろんみんなが危険にさらされるかもしれないってことだろ? みんなを見捨てて、自分だけ逃げるなんてできない」

「このわからず屋が。だったら隠れていろ。私もそこに向かう」

「わかった。早く頼む。言っておいてなんだけど、俺も草佩主(くさはぬし)には会いたくない」

「そう言ってくれて助かる。今の草佩主(くさはぬし)はあの夜に戦った時よりも数十倍強い。お前一人では逃げ切るのさえ不可能だと思っていろ」

「肝に銘じておく」

「期待している」


 未妙がぶちりと電話を切る。

 俺はゆっくりと息を吐き、どうしようかと考える。

 さすがに草佩主(くさはぬし)と戦いたくはない。

 電話で言っていたことも嘘ではない。

 ひとまずは身を隠しておくか。

 俺はそう思い、いい隠れ場所を思い出そうとする。

 その時、強烈な寒気が襲ってきた。

 反射的に、体を緊張させて縮こまってしまう。

 辺りを見渡して、すぐに気付く。

 

 草佩主(くさはぬし)。


 この場を支配しにきたかのごとく、屋上に立っていた。

 ひらりと飛び降りて、音もなく、朝礼台の上に着地する。

 日の光を浴びながら、両手をだらりと垂れさせて、校舎をじっと見つめている。

 足元からは草が生えだしており、朝礼台を呑みこむと、校庭へと広がりだしていった。

 そのスピードは速く、未妙と戦っていた時とは段違いだった。

 何かしらの狙いがあるのか、草の生えかたは複雑で、延々とまっすぐに伸びている部分もあれば、まったく生えていない部分もあり、描きかけの抽象画のようだった。

 俺はひとまず近くに停まっていた車の裏側に隠れて、未妙に電話をかけた。

 呼び出し音。

 三回、四回、五回と続いて、留守番電話に切りわかる。

 なんでだよ!

 俺は電話を切って、草佩主(くさはぬし)に目を向ける。

 草佩主(くさはぬし)は何をするでもなく、朝礼台に立って、草を伸ばし続けている。

 その範囲は四分の一を占めていて、意図がわからないゆえに、非常に気持ち悪かった。


 どうする?

 あそこに突撃するか?

 バカか。瞬殺されるのは目に見えている。

 遠くから邪魔をする?

 無理だろ。俺が神様の死角をつけると?


 俺は手を握りしめる。

 考えるまでもなく、俺は草佩主(くさはぬし)に対して無力だった。

 何をしたところで、神の邪魔をすることはできない。

 学校のみんなは大丈夫なのか?

 俺は校舎に目を向ける。

 なぜか誰も騒いでおらず、ベランダにも玄関口にも人の姿は見当たらなかった。

 あんな化け物が朝礼台の上に立っていて、校庭が草で覆われているのに、どうしてこれだけ静かなんだよ。

 未妙が言っていた陰陽の違いのせいなのか、草佩主(くさはぬし)が何かをしているのか。

 どちらにせよ、その静けさは不気味で気色悪かった。

 その時、呼び出し音が鳴った。

 俺はすぐさま電話をとって、声をかけた。


「学校だ。草佩主(くさはぬし)はここを狙っている」

「そうか」

 電話の向こう側から風を切る音が聞こえる。

「草佩主(くさはぬし)は奇妙な模様を校庭に描いているんだ。細い線と太い線がぐねぐねと絡み合っていて、金持ちの家にある絨毯みたいな模様を。あれはどういう意味なんだ?」

「わからん。だが草佩主(くさはぬし)の陰陽に適した術式なのだろう。やつがそこで何かをしようとしているのは間違いなさそうだな」

「俺もそう思う。未妙はあと何分でこれる?」

「五分はかかる。全力で向かってはいるが、それ以上は厳しい」

「間に合うか?」

「わからん。奴に聞け」


 俺は舌打ちをする。

 草佩主(くさはぬし)が作っている奇妙な文様は大きさも複雑さも増していた。すでに校庭の三分の一を占めるほどになっている。

 仕上げに入っているのか、細かい線が少しずつ伸びていく。


「神が術式に頼るのは、自らの陰陽では起こせない現象を発生させたい時だ。草佩主(くさはぬし)は少なくとも草以外の何かを望んでいる」

「どうすればいい?」

「なにもするな。草佩主(くさはぬし)が何を狙っているにせよ、お前では何もできない」

「みんなを身捨てろってことか?」

「お前はあの子の前で死にたいのか?」


 未妙の切り返し。俺は言葉を返せない。


「いいか? 無謀はするな。離れろとまでは言わないが、決して近づくなよ」


 未妙はそう言うと、電話を切った。

 俺はわずかに身をのりだして、草佩主(くさはぬし)を見る。

 草の文様は描き終わったのか、ほとんど変わっていない。線の端々が動いている気がしないでもないが、風のせいなのかも判断できない。

 俺はもう少し近くで見てみようと思い、足を踏み出そうとする。

 その時に、気付いた。

 震えている。

 膝から太ももにかけて、小刻みに揺れ続けていた。

 俺は自分の太ももを叩く。

 落ち着けと言い聞かせて、拳を叩きつける。

 震えは止まらない。

 むしろ自分の恐怖に気付いたせいか、大きくなっていく。

 俺は手を伸ばして、帽子を取り、自分の額にふれてみる。

 小さな角がきちんと生えている。

 

 お前は鬼になっているんだろ。びびるんじゃねえよ。

 

 自分を叱って、もう一度太ももを叩く。

 草佩主(くさはぬし)は動いていない。

 だが草の文様も動いておらず、完成間近なのは間違いなさそうだった。

 今この瞬間にも、学校のみんなが危険にさらされている。

 バカ話をしていたクラスメイトも、ただ働いているだけの先生たちも、数秒後には死んでいるかもしれない。

 それを知っているのは俺だけなのに、俺はここで怖くて震えている。


「わかったよ。認める。俺は怖い」


 口に出して言ってみる。

 ほんの少しだけ足の震えが小さくなる。


「怖いことは怖い。無理なことは無理。できないことはできない。それはわかっている。

 それは知っている。草佩主(くさはぬし)は化物だ。未妙でも勝てない。俺なんて瞬殺だ。それは知っている。

 無駄死と犬死の二択しかないのもわかっている。でも仕方ないだろう。俺しからやる人間がいないなら、俺がやるしかないじゃないか。怖かろうか、弱かろうが、邪魔できるのが俺しかいないなら、俺が動くのは間違っていないじゃねえか」


 そう自分に言って、全力で太ももを叩く。

 ずしりとした痛みと共に、足の震えが止まった。


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