第22話 牛丼屋のひと時
悩みに悩んだあげく、俺は牛丼屋に行くことにした。
自分でもそれはどうかなと思う選択肢ではあったが、すごく食べたかったのだ。
俺は四日ぶりの外出でテンションが上がるのを押し殺しつつ、駅前の牛丼屋に向かった。
服装は今年買ったシャツとジーパンにキャップというもので、知り合いに見つかりにくいことを意識した。会ったら会ったで仕方ないができれば、説明する手間暇をはぶきたかった。
マンションを出て、日差しの強さと熱気の凄まじさに驚き、体中から汗が噴き出してきた頃、俺は目的地である牛丼屋についた。
中学生の頃、部活かなにかの帰り道には入ったことがあるお店で、俺と同じ年代のお客さんは一人もいなかった。
俺は牛丼大盛りの食券を買って、席に着いた。目の前に置かれたお冷を一気に飲み干してから、一息つく。
牛丼のタレの匂いがお店の中に広がっていて、俺は唾を何度も飲み込んだ。
何もしないでいると他人の牛丼を眺めてしまいそうだったので、スマホを取り出して、どうでもいい記事を見て、待ち時間を耐え忍ぶ。
八分後、カウンター越しに店員が近づいてきて、目の前に牛丼が置かれる。
俺はスマホから目を離して、「いただきます」とつぶやき、箸をつける。
口を大きく開けて、のみこむように頬張り、肉汁と甘いタレが口の中に広がっていくのを感じる。
うまいなあ。
俺はしみじみと思い、それから読みかけの記事を読んでしまおうかとスマホに手を伸ばそうとした。
ながら禁止っ!
頭の中で、唯の声が響き渡った。
俺は胸の痛みを覚えて、スマホの画面を消した。
何百回と一緒にごはんを食べていて、そのうちの二十回に一回程度は、「ながら禁止っ!」と唯に怒られていた。
むっとした顔つき。
箸を置いて、俺を指差す仕草。
うちの母さんをまねた叱り口調。
その全てが一瞬で思い出される。
ふたが開いて、中身がこぼれ出たように、唯のいた記憶が頭の中を埋め尽くしてくる。
俺はなすすべもなく、そのイメージに押し流される。
あの時、あの場所で、草佩主(くさはぬし)と出会わなければ。
俺が「勉強を教えてくれ」と頼まなければ。
違う。
勉強を口実にして、俺は唯と二人になりたかったのだ。
結局、俺は唯のことがずっと好きで、一緒にいられる口実を作れるがために、自分の頭の悪さにさえ感謝していたのだ。
そんな気持ちさえなければ。
ちゃんと告白して、唯や俺の家で二人で勉強していれば。
あんなことは起こらなかった。
俺はどんぶりを持ち上げて、牛丼を口の中に流し込む。
「だったら」も「していれば」考えたくはなかったが、鬼も神も知りたくなかった。
ただ頭が悪くてなんの取り柄もない高校生でいたかった。
鬼人になんてものにはなりたくなかった。
未妙が草佩主(くさはぬし)を倒してくれたとしても、俺はずっと鬼人で普通の人とは違うと感じざるをえない。
唯と俺はもう別の世界で生きてしまっているのだ。
昔とは違う。もう戻れない。
俺は息をとめる。
今の感情に押し流されると、鬼になってしまいそうだった。
五分近く息を止め、それからゆっくりと吐き出していく。
「大丈夫。いける」
俺は小声でつぶやいてから、牛丼に箸を伸ばす。
一心不乱で食べていき、目の前の牛丼だけに集中する。
食べ終えれば、少しは落ち着くかと思ったが駄目だった。
俺はどんぶりを横にどかすと、スマホを開いて、唯からの連絡を見返してしまった。
「体調悪いんだって? 大丈夫?」
「学校にはいつごろこられそう?」
「見舞いが欲しいだったら、いつでも言ってね」
「今日はどう? よくなった?」
「みんな心配しているよ?」
「電話してもだいじょうぶ?」
「学校にはいつごろ戻れそう?」
「本当に大丈夫なんだよね? 嘘ついてないよね?」
「嘘ついていたら怒るからね!」
「怒ってごめんなさい。ゆっくり休んでください」
「おやすみ。電話してもよくなったら、教えてね」
俺からの返信は全てそっけなくて、「だいじょうぶ」「りょうかい」「わかったら、教える」ぐらいしか返していない。
電話して、声を聞いてしまえば、自分がどうなるかわからなかったのだ。
その時、俺は気付いた。
そうか。今なら学校に行けるのか。
さすがに授業は出れないけれど、お昼休みの間にいけば、唯の姿ぐらいなら見れるかもしれない。
今の俺の視力なら、相手が見えない距離でも確認できる。
時間を見て、学校までの距離を計算して、お昼休みに間に合うことを発見する。
俺はどんぶりにくっついていた米粒をかきあつめて、最後の一粒まで食べ終えてると、すぐに立ち上がって、学校に向かって走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます