第1史 3章 そして俺は自分の日常を殺す

第21話 未妙の隠れ家

 

 未妙の隠れ家は、普通のウィークリーマンションだった。

 駅から歩いて十五分ほどの立地で、他の部屋にはサラリーマンや建築関係と思われる兄ちゃんが住んでいた。

 部屋の中は殺風景で、テレビや冷蔵庫など生活に必要な物は一通りそろっていたが、ただそれだけしかなかった。

 未妙の性格がわかるようなものは一つもなく、食器は全て使い捨てで、それさえも封が切られていないままだった。

 全て外食ですませているので、家で食べることはないらしい。

 俺はその部屋の隅にボストンバッグを置き、ここに来る前に買った薄いマットレスを敷いて、自分のスペースとしていた。

 未妙はまったく気にしておらず、「どこでも好きな場所を使えばいい」と言っていたが、俺には俺なりのルールを設けて、このスペースだけは自由に使おうと思っていたのだ。


 俺はその部屋の中で四日間過ごした。

 家からは一歩も出ず、テレビを見たりスマホをいじったりしながら、ひたすら過ごしていた。

 目が疲れると、体を鍛えるために筋トレをしてみたり、鬼となって体を動かしたりしてみたが、玄関に近づくことさえなかった。

 未妙曰く、この部屋には結界が張られており、外から見ると俺の陰陽ではなく別人の陰陽のように見えるらしい。

 未妙が『世界』で行っているのも同じ原理らしく、神様でも簡単には見抜けないと言っていた。

 

 電話やメールなどは問題ないと未妙が言っていたので、母さんには毎日連絡を取っていた。

 心配をかけないようにしたいと思い、元気であることを伝えて、それからちょっとした会話を楽しんだ。

 家を出る前はどうでもよかったような話題ばかりだったが、今は声を聞けるだけで嬉しかった。

 母さんが「あんたが勝手に出ていったせいで、お父さんがずっと不機嫌なのよ。電話にも出ようとしないし」なんて言っていることさえも気持ちを和ませてくれた。

 

 唯からもラインで連絡があり、「大丈夫? 体調を崩したんだって?」と心配された。

 俺は学校では体調不良で長期のお休みという話になっているらしく、文面を考えるのに苦労した。

 生活費をくれたばかりではなく、学校にまで嘘を吐いてくれた。理由を言わずに家を出たバカ息子だと言うのに、何から何まで世話になってしまっている。

 親ってすごいなとしみじみと思う。

 離れてみて、あの人たちの愛情のすごさに初めて気付いた。

 戻ったら親孝行をしようと強く思っている。

 そんな暇ではあるが、気を抜いてはいけない日々は、五日目のお昼に突然終わりを告げた。

 未妙がふらりと帰ってきたのだ。

 

    *  

 

 今までは朝方に戻ってきて、数時間ほど眠るとすぐに出かけるという風だったので、昼に戻ってくるのは非常に珍しかった。

 玄関を開けて、見慣れた短パンとキャミソールの姿で足早に入ってくる。

 俺は昼のワイドショーでやっていた大物芸能人の事務所独立騒動を見ていて、「大物と言えども事務所とは戦うべきではないな」と 一人うなづいていたところだったので、かなり驚いた。

 服装も家から持ってきた部屋着用の短パンとTしゃつというだらけ切ったもので、家族以外に見せられる姿ではなかった。

 俺は慌ててもう遅いと思い、その恰好で迎え撃つことにした。

 未妙が大股で歩いてきて、俺の横であぐらをかく。


「暇か?」


 自分の膝に頬杖をついて聞いてくる。


「暇といえば暇だな。やることもないし」

「そう言うと思った」


 未妙はポケットに手を突っ込むと、『世界』を俺の前に置いた。


「貸してやる。散歩でもしてこい」

「なんで?」

「ここで休んでいるのが一つ。もう隠れている必要がないからというのが一つ」

「どういうこと? もう少し説明してくれ。俺に関係あるんだろう?」


 俺は聞く。話を聞くまでは『世界』に手を伸ばす気はわかなかった。

 未妙は「本当に聞きたがりだな」とぼやいてから話しだした。


「草佩主(くさはぬし)を和魂に戻す手段として、<始終>ではなく、別の手段を用いると言っただろう。私はそのための準備を今までしていたんだ」


 未妙が床をこつこつと叩く。


「迷神はその地域に入ると根城を作る。その邪魔立てをするのが〈宿封じ〉だと言う話はしただろう?」

「ああ。覚えている」

 俺は古い社に小石を投げいれていた光景を思い出す。

「あれの上位の陰陽術として、<宿返し>というものがあるんだ」

「〈宿返し〉?」

「そうだ。迷神は古い神社や過去の聖域を自らの根城し、そこを拠点として陰陽の調和を図ろうとする。<宿返し>とはその性質を利用して、相手の力を一時的に削ぐ術だ」

「なるほど。まったく理解できない」


 俺がそう言うと、未妙は「知っている」とうなづいた。


「具体的に言うと、拠点を囲んで、別の陰陽が発生するように準備する。そしてタイミングを定めて、一度に拠点周りの陰陽を変化させるんだ」

「そうすると、どうなるんだ?」

「神は混乱し、調整を図る。<宿返し>によって生まれたノイズも取り入れた形で、内なる気と外なる気の調和を図ろうとする」

「そういうことは、つまり?」


 俺は更に聞く。未妙は一瞬がっかりしたような顔をしたが、話を続けてくれた。


「偽物の陰陽と調整してしまった神はその力をおおいに減じられる。

 内なる気と外なる気の調和が取れない状態で、力を行使しようとするんだ。掴みどころがなければ、どれだけの怪力でも物を持ち上げられないように、神も外なる気を操れなくなる」

「あの<始終>だっけ? あれと同じ効果があるってことか?」

「短期的には<宿返し>のほうが神の力を抑制できると言われている」

「すげえじゃん。なんで最初にそれをやらなかったんだよ」

「<宿返し>は神の拠点が多くなければ意味がない。少なすぎればノイズの量が足りず、神は内なる気と外なる気を調和してしまう」

「ああ。そっか。言われてみればそうか」

「言われなくてもわかってくれ。私は<宿返し>の準備を終えた。もうこそこそ隠れまわる必要がない。だから『世界』を貸そうと言っているんだ」

「で、休んでいるっていうのは?」


 俺が聞く。未妙は顔をしかめて、「覚えていたか」と愚痴をこぼした。


「陰陽術を使いすぎた。これ以上やると私の陰陽が乱れて、儀鬼の力を使えなくなる」

「つまり、陰陽術を使うと未妙の陰陽が乱れて、儀鬼の力を使えなくなるんだな?」


 俺はまったく理解できなかったのでオウム返しをしてみた。

 未妙が露骨にいやな顔をする。


「陰陽術は人間の陰陽のための術だ。私は元陰陽師ではあるが鬼だ。

 陰陽術を使うためには、むりやり鬼の陰陽を人間の陰陽に似せて、それから術を行う必要がある。

 非常に疲れる上に、やりすぎると人間の陰陽と鬼の陰陽が混在した状態となり、儀鬼の力を発揮できなくなる。鬼は不易質だからな。一度変えると戻すのにも骨が折れる」

「ふーん。なんかよくわからないけどすげえな」

「そのリアクションが想像できたから説明するのが不快だったんだ」


 未妙が睨みつけてきたので、俺は慌てて手を振る。


「いや、違う。真面目に感心しているんだぜ。鬼から人間に戻れるってことだろ?」

「見せかけだけだ。それに人間の陰陽に一時的に戻ったところでなんのメリットもない。

 だが元陰陽師で儀鬼などという存在は私ぐらいだから、誰も必要としていない技術でもある」

 未妙はそう言うと、「わかったか? だから私はここで休息をとっておき、草佩主(くさはぬし)との戦いに備える。お前は自由行動だ」と『世界』を前に押し出してきた。


 俺は「じゃあ遠慮なく」と頭を下げて、『世界』を手に取った。

 重みといい厚さといい、普通のスマホとなんら変わらない。


「アプリはすでに起動してある。充電も終わっている。久々の外の世界を満喫しろ。だが自分の家には戻るなよ。草佩主(くさはぬし)の網を張っている可能性もある」


 未妙は立ち上がり、「私は休む」と宣言すると、ベッドに向かって歩いていった。倒れこみ、その数秒後には寝息が聞こえる。

 あの寝付きのよさは何度見ても尊敬できるよな。

 なんかの映画で「優秀な兵士は一瞬で休息をとれる」って言っていた気がするけど、未妙は少なくとも当てはまっている。

 俺は一人でうなづいてから立ち上がる。

 玄関を見て、自分のボストンバッグを見て、考える。

 さて、どこに行きますか。

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