第13話 未妙からの説明


 雑木林を抜けて、舗装されていない路地に出る。

 さらに五分ほど林の中を歩いてから、ようやくコンクリートで舗装された道に出れるのだ。

 太陽は高く、蒸し熱かったが、木々の間を通る風が気持ちいい。


「まずはじめにこの世界は目に見えない力で満たされている」

 未妙が人差し指を立てる。

「我々はそれを気と呼んでいる。土地によって呼び方は違うがありとあらゆる物の根源であり、ありとあらゆるものがそれを持っている」

「言っている意味は理解できる」

 俺はうなづく。未妙は信じていなさそうな顔つきだったら、そのまま言葉を続けてくれた。

「原初。宇宙が生まれる遥か昔、世界は気に満ちていた。いや、気だけしか存在しなかった、と言ったほうが適切だろうな。その世界は安定していて、完璧であり、全てを内包する存在だった」


 俺は頭の中に真っ黒な映像を思い浮かべながら、うなづく。


「しかし、その世界でなにかが起きた。完璧に静止した世界で、何かが揺らめいた。その世界は完璧だったがゆえに、その揺らめきは一瞬で広がった。世界は揺れて、完璧さはガラスのように粉々に砕け散った」


 未妙が指をぱっと広げて、俺は闇の中に亀裂が入る映像をイメージした。


「気と気はぶつかりあい、撹乱し、結合し、離れて、近づき、何度も何度も宇宙を生み出し、そして崩壊させた」

「何度も何度も?」

「そうだ。この宇宙が一度で出来たと思っていたのか? この世界が生まれる前に、何億回何兆回と宇宙は滅んでいるんだ」


 俺は息を吐く。壮大すぎて、うまく考えることができなかった。


「その無限に近い崩壊の後、ようやく世界は安定してきていた。しかし完璧だった世界とは違う。二種類の気によって満たされ、その二つが拮抗し合うことにより安定した世界だった」

「それが陰と陽ってことなのか?」

「そうだ。陰陽はこの世界そのもののことなんだ」


 俺はうなづきかけるが、すぐに疑問を覚える。


「鬼の陰陽とか人間の陰陽とか、あれはなんなんだ?」

 未妙は顔をしかめると、「今から話す」と言った。

「その陰陽で満たされた世界で生み出されたものは、全て陰陽に満たされている。陰陽のわずかな違いによって、人は人となり、鬼は鬼となり、神は神となり、猫は猫となった」

「……猫好きか?」

「嫌いではない」


 未妙が力強くうなづいた。


「私がお前たちにしたことは、言葉にすると至極簡単なことだ。初めは私の血を利用して、彼女の陰陽を人から鬼へと変えた。二度目は、お前と彼女の陰陽を交換して、鬼と人を入れ替えさせた。ただそれだけだ」

 俺は未妙がいった言葉を理解しようとする。頭の中で整理して、自分の言葉にしようとする。

「駄目だ。よくわかんねえ」

「なぜ?」

「世界は陰と陽に別れている。それはわかった。だけど俺の中にも陰陽があり、唯の中にも陰陽がある、っていうのがよくわかんねえ」

「世界は陰陽のある気で満たされている。その世界に存在する者も陰陽という原理原則から逃れることはできない。宇宙もお前も一つの存在であることには変わりない。どちらも気が満たされており、それぞれの陰陽を持っている。その存在が持っている気を内なる気と呼び、この世界そのものが持つ気を外なる気とよんでいる」

「なるほど。肉食動物だったら、ライオンだろうがヒョウだろうが肉を食べる。それと同じノリで、この世の中にある存在だったら、宇宙だろうが小石だろうが陰陽を持っている。っていうことなんだな?」

「そうだ。全ての気は等しい力を持っている。その存在にはなんの関係もなく、内在させる気は一定なんだ」


 俺はうなづく。意味はわからなかったが、なんとなくのイメージはできた。


「不易とか流行とか、あれはなんなんだ?」

「それぞれの存在がもつ陰陽の移りやすさを言っている。不易質とは陰陽のバランスが崩れにくい存在であり、流行質とは陰陽のバランスが崩れやすい存在のことだ」

「俺は不易質で、唯は流行質って言ったよな?」

「そうだ。彼女は流行質であったがゆえに、鬼の陰陽を簡単に取り入れてしまった。お前は不易質であったがゆえに、鬼の陰陽に抵抗することができた」

「つまり運が良かったと?」

「そうだが、必然とも言える。極端な流行質を持つ人間は、極端な不易質を持つ人間に惹かれやすい。逆もまた然りだ」

「そんな相性診断もあるんだな」


 俺は言う。

 気も陰陽もなんとなくしかわからなかったが、存在レベルで唯と惹かれあっていると言われた気がして嬉しかった。


「じゃあ、最初に怪我をしたのが俺だったら、なにも問題なかったってことか?」

「かもしれん。だが彼女の鬼となる姿を見て、お前の陰陽になんらかの影響を与えたかもしれん。お前が迷(まよい)神(かみ)に狙われて瀕死となり、鬼となった可能性も十分にある。その場合だと、どちらかが鬼となって殺されていただろうな」


 未妙が視線をそらして言う。気を遣われているのが、ありありとわかり、俺は逆に申し訳なくなった。


「それで、石を置く行為とどう繋がってくるんだ?」


 俺は未妙に気を遣われないために話を戻す。

 未妙は表情を固まらせて、俺を見た。不思議そうに目を丸くして、まぶたを瞬かせる。


「ああ。そうだ。今から話す」


 素早い身振りを交えて、慌てた口調で言われる。

 うん。当初の目的を忘れていたな。

 俺はそう思うが、言葉にはしないことにした。

 思っていることを全て口にしていいわけじゃないことぐらい俺だって知っているのだ。


「神とは何度も何度も行われた宇宙の生成の過程で生じた存在だと言われている。陰陽が不安定から安定へと変わっていくなかで、そのバランスを整えていったのが神だ」

「神様が陰を増やしたり陽を減らしたりしたってことか?」

「違う。宇宙が滅びるたびに、宇宙の外に気が溢れ出た。その溢れ出た気が物質化したのが神だ。言うならば、神はもっとも気に近い物質であり、もっとも物質的な気とも言える」

「なるほど。なんとなくイメージはできた」


 俺は言う。深く踏み込むとこんがらがりそうだったので、考えないことにした。

 未妙は覗きこむような目で俺を見つめてから言った。


「ざっくり言うと、私は人間に迷惑をかける神を殴り飛ばすことを生業としている。以上だ」

「さすがに雑すぎじゃね!?」

「理解していない人間に説明するのがむなしくなってきたんだ」


 未妙がため息をつく。


「それはさすがに言いすぎだと思うよ? 俺も結構がんばっているって?」

「そうか。ならもう少しだけ説明してやろう」


 未妙は仕方なさげに言う。


「神は特別な存在であるが、一つの性質を持っている。気にもっとも近い存在であるがために、内なる気と外なる気の調和を欲するんだ」

「調和?」

「自分の陰陽とある一定のエリアの陰陽のバランスを近づけるんだ。しかし自分の陰陽を変えるのではなく、地域の陰陽を変えるんだ」

「どうやって?」

「内なる気と外なる気は別々のものであるが元はひとつだ。常に一定の相互干渉が起きている。つまり、その地域に存在する物の陰陽をかえれば、地域の陰陽も変わるんだ」

「雰囲気みたいなノリか? 『テンションを上げていこうぜ!』って言って、場の空気を盛り上げる的な」

「……まあ、間違っていはない」

 未妙はなぜか不快そうな顔をした。

「陰陽を変える相手は地域に影響力を与える存在がいい。つまり人間が適当なターゲットなんだ」

「てきとーな?」

「そっちじゃない。適切なのほうだ」

「あ、ああ」


 俺は知っていたという顔でうなづいた。

「神にとって地域との調和は非常に重大な問題なんだ。それによって神の立ち位置は大きく変わるんだ。それが和魂(にきたま)と荒魂(あらたま)というやつだ」

「テ、テレ玉?」

「わざとだな?」


 未妙が睨みつけてくる。俺は素直にごめんなさいと謝った。

 わからないことばかりだったので、場を和ませるために、ちょっとボケてみようと思ったのだ。


「和魂(にきたま)と荒魂(あらたま)。単純に言うと、人間に対する神のやり口だ。和魂(にきたま)となった神は恩恵を与える形で人に影響を与えようとする。荒魂(あらたま)となった神は災害を与えることで人に影響を与えようとする。どちらも同じ神であり、目的自体は変わらない」

「二重人格的な感じなんだな?」

「わかりやすいのなら、そう思ってもかまわん。陰陽師と行動する儀鬼はたいてい荒魂(あらたま)となった神を和魂(にきたま)に変えることを生業としている。彼らはある組織に属する個人事業主であり、そこから情報を手に入れて、飯のタネを探すわけだ」

「未妙は?」

「私も似たようなものだ。ただ迷(まよい)神(かみ)の専門をやっているために、誰もチームを組んでくれないがな」

「なんで?」

「迷神は危険なうえに儲からないからだ。土地に根付いた神ならば、実力もある程度わかっているし、その地域の人間からたんまり報酬をもらえる。迷神に対しては、『さわらぬ神にたたりなし』というのが基本的な方針なんだ」

「未妙はなんで、その迷神って言うのを狙っているんだ?」

「別に。ちょっと因縁があるだけな」


 未妙は視線をそらす。あからさまに話したくなさげな素振りだ。

 俺も強く聞き出そうとは思ってもなかったので、「そもそも迷神ってなんだ?」と話題を変えた。


「迷(まよい)神(かみ)は世界を放浪する神だ。自らの地域を求めていることもあれば、求めていないこともある。彼らはその地域に通りかかると恩恵や災害をもって陰陽を変えようとする」

「あいつも?」

「そうだ。荒魂(あらたま)の迷(まよい)神(かみ)であるがゆえに、お前たちを狙ったんだ」

「なんだ俺たちだったんだよ?」

「知らん。人間から見ると、神は理不尽であり、気ままでもある。その行動原理を全て知ることは絶対にできない」


 俺は息を吐く。

 自分や唯が気まぐれの犠牲になったのかと思うと、気持ちをどこに向ければいいのかわからなかった。


「お前にやってもらっているのは、いわば門番の設置だ。迷(まよい)神(かみ)の根城となりえる場所に先回りして、網を張る。そうすれば、やつがここに立ち寄ったさい、ちょっとした小競り合いが起きるし、その存在を検知できる。私たちはその行為を〈宿封じ〉と呼んでいるんだ」


 未妙が言う。

 狙っていたかのようなタイミングで、舗装された道が見えてくる。


「ようやく理解できた。つまり俺は未妙の手伝いをしているってことだな」


 俺は言う。

 未妙はじっと俺を見つめると、ため息をついて言った。


「今まで説明した時間を返してくれないか?」

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