第12話 命の恩人-未妙
舗装された道から外れて、雑木林を十五分ほど歩いた時、目的の場所が見えてきた。
古びた社。
高さは俺の肩ほどしかなく、木で造れた建物は全体的に黒ずんでいる。
鳥居もなければ、神域をあらわす境界線もなく、お賽銭箱があったと思しき長方形の台座だけが残っている。
二度頭を下げて、二度拍手して、もう一度頭を下げる。それからポケットに入れておいた手のひらサイズの石を社の前に置く。
かすかな耳鳴りとともに、空気の変わった気配がする。
「遅い。三十秒の遅刻だぞ」
背後から声。
俺は驚いて、体をびくつかせてしまう。
振り返り、ふうと息を吐く。
俺と同じの年代の女の子が立っていた。
目つきは鋭く、唇は一直線に閉じられている。髪の毛は背中を隠すほど長かったが、今は動きやすいようにポニーテールにまとめられている。
そのしなやかで軽そうな体付きと、動きやすさを重視した黒のジャージを着ている姿は、短距離走を好むスポーツ選手のようだった。
未妙。
彼女こそが俺と唯を救ってくれた鬼であり、俺の管理人だった。
「時間に厳しすぎるだろう」
「いや、優しすぎるくらいだ」
未妙はそう言い、俺の目の前に拳を突き出す。
「三十秒あれば何十人と死ねる。そのことを理解しておけ」
平坦な口調。
俺はその雰囲気に気押されて、鳥肌が立つのを感じた。
「わかったけど。だったら自分でやってくれよ」
「やれないから頼んでいるんだ。それにお前も私といたほうが安心だろ?」
未妙が言う。
俺は返す言葉がなかったので、しかたなくうなづいた。
「どうだ? 鬼には慣れてきたか?」
未妙は数メートルの距離を置いて、古びた社の周りを歩く。地面が雑草で覆われているせいか、足音はほとんどしない。
「おかげさまで。昨日の夜はタオルケットを引き裂くだけですんだよ」
「そうか。それはよかった。お前は不易質だから大変だろう?」
「それなりにな」
俺は謙遜さを込めて言った。
実際は、とてつもなくハードだった。
性格が変わってしまったかのように怒りっぽくなり、ちょっとしたことで苛立ってしまうのだ。それだけだったらよかったが、その苛立ちや怒りをもとにして、鬼と化してしまうのだ。
外見が変わり、額には角が生え、手足の爪は伸び、獣のような体つきになる。
机を叩けば、穴が開き、辞書を掴めば、真っ二つに切り裂いてしまう。
力が尋常ではないほど強くなり、暴力的な衝動が押し寄せてくるのだ。
穏やかな気持ちでいれば問題ないらしいのだが、穏やかさを保つハードルが高くなっていた。
その上、時期も悪かった。
テスト勉強と言う非常にストレスのたまる作業をしなくてはならず、通算三十本近いシャーペンをへし折ってしまった。
未妙曰く、俺の元からあった陰陽と唯から引っ張り出した鬼の陰陽が対立している状態であり、そのために不安定になっているとのことだった。バランスがとれて、ふたつの陰陽が混ざり合えば、落ち着きを取り戻せるらしい。
その言葉通り、今は少しずつコントロールできるようになってきている。
ただ怒れば鬼になるし、鬼になれば人間離れした力と人間らしからぬ暴力性を持ってしまう。
ちょっとしたことで苛立ち、相手を殺す。そんな性質を持ってしまったことが、体が鬼になる以上に恐ろしかった。
「唯はこんなことはなかったんだろう?」
俺は自分の手を見ながら、聞く。
「ああ。彼女は流行質だったからな。すんなり馴染んでしまっただろうな。鬼の陰陽に対する拒否反応はほとんどなかっただろうし、めったに怒らない性格をしていたならば、鬼になった自覚さえなかったかもしれんな」
未妙は「まあ、今さら本人に聞いても、事実はわからないがな」と付け加えた。
唯は俺ほど苦しまないですんだ。その言葉を聞くだけで、俺は気持ちが軽くなるのを感じた。
「うん。問題ないな」
未妙は古びた社を見終わると、満足げにうなづいた。
「前からやっているけど、これはなんなんだ?」
俺は聞く。
鬼となってから毎日のように呼び出されて、古びた神社に石を投げ込む作業をしているのだ。その回数は十回以上に及び、この町にこれだけの打ち捨てられた神社があることに、俺は驚いていた。
「説明はしてやっただろう。〈宿封じ〉だ」
未妙は面倒くさそうに言う。すでに社に背を向けて、歩き出している。
「それだけでわかると思うか?」
俺は未妙の横に並んで聞く。
未妙は命の恩人であり、様々なことを教えてくれる先生でもあったが、なぜかずっとタメ口だった。唯を助けてくれたあと、敬語を使っていたら、「その気色悪い話しかたをやめてくれ」と言われてしまったのだ。
「そう言われれば、そうだな。というか、私がこの町にいる理由はなんだ?」
「知らねえよ」
「そうか。それは申し訳なかった。他の町で見つける協力者と同じ扱いをしてしまったな」
未妙は言う。申し訳なさそうな感じは全然していない。
「ならば根源から説明してやろう。お前の知恵では要点だけを聞いても、決して理解できないだろうからな」
「遠まわしに馬鹿にしていないか?」
「この数日の会話によって把握したお前への素直な評価だ」
うん。馬鹿にしている。
俺は感情が高ぶらないように、ゆっくりと息を吐いた。
鬼となった初日はこんな言い回しだけで、鬼となって、未妙に殴りかかってしまったのだ。
もちろん殴りかかった瞬間には、意識を失い、目覚めたときには地面に這いつくばっていた。
未妙は俺を横目で見ると、「成長したな」と鼻で笑った。
「いつまでも鬼じゃいられないんでな」
「それはいい言葉だ。お前が鬼もどきではなく、立派な鬼人になってくれたら、安心できる」
鬼の陰陽を取り込んだ人間のことを、鬼人と言い、鬼とは明確に区別しているらしい。
俺はその違いがわかっていないし、そもそも陰陽の意味さえよくわかっていない。
聞くたびに、「鬼もどきには理解できん」とか「黙って働け。命の恩人なんだろ?」とはぐらかされていたからだ。
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