第1史 2章 鬼と幼馴染は触れ合えない。

第11話 まっさらな幼馴染

 記憶を消してくれ。


 それが俺の答えだった。

 鬼は「どこまで?」と聞き、俺は「最初から」と答えた。

 あの化け物――神らしい――と出会った時から、俺と唯の人生は大きく変えられてしまった。だから唯には全て忘れ去ってほしかったのだ。

 唯が俺に告白してくれたこと、俺の気持ちが唯に伝わったこと。その事実が唯の記憶からなくなるのは寂しかったが、それよりも唯が傷つかないことが大事だった。

 もし記憶が残っていれば、唯は俺に負い目を覚えるし、俺と唯の関係は昔と変わってしまう。それぐらいだったら、何もかも忘れてしまったほうがいいと思ったのだ。

 唯は完璧に記憶を失い、化け物との出会いも、鬼になったことも忘れ去った。

 学校での騒ぎは、不法侵入者による傷害事件となり、犯人はいまだ行方不明ということになっている。

 俺のクラスメイトはもちろん、学校全体に対して何らかの力を働かせて、みんなの記憶を少しずつずらしたと鬼は言っていた。

 陰陽がどうのこうのと言っていたが、その説明はまったく理解できなかった。


「なに暗い顔をしているんですか!」


 唯が俺の背中を叩いて、怒り爆発とでも言いたげな表情で睨みつけてくる。


「ごめん。悪かった」


 俺は頭を下げて、唯に謝る。

 学校の帰り道。

 暖かい太陽の光を浴びながら、俺たちは帰っているところだった。

今日は期末テストの最終日で、午前までしかテストはなかったのだ。


「さてはテストが散々だったね?」


 唯が悪戯めいた笑みを浮かべる。


「いや、完璧だった。まず間違いなく、赤字のラインは超えられたと思う」

「それで完璧って、どれだけ目標が低いんですか?」

「目標は高い。ただスタート地点が低かっただけだ」

「そっか。それならいいって――よくないからね!」


 唯が俺の腕を叩いて、ツッコミを入れてくる。


「今日の唯はテンション高くない?」

「それはそうでしょ! だって、テストが終わったんだよ。たとえ色々あったとしても、そこはぱーっと忘れるしかないでしょ」


 唯が両手を広げる。

 色々あったというのは、うちのクラスが不法侵入者に襲われたことであり、唯はそのせいでテスト前日まで入院したことを言っているのだ。

 俺はわずかに胸が痛むのを覚えながら、その言葉にうなづいた。


「どうする? カラオケでもいく? 今日の私は気前がいいから、空也がおごってくれるなら、いってあげてもいいからね」


 唯は言葉とは裏腹に、上目づかいで俺を見てくる。

 心臓が跳ねる。

 俺は慌てて視線をそらして、首を振る。


「わりい。今日は予定が入ってるんだ」

「そうなんだー」


 唯があからさまに残念そうな顔をする。


「悪い」

「別にいいよ。気にしてないからら」


 唯がふくれっ面をして、つんと顔をそらす。

 俺は思わずその頬に手を伸ばしかける。

 自分が何者なのかを見失うな。

 鬼の言葉が蘇り、俺は手を下ろした。


「どうしたの?」

「いや、なんでもない」


 俺は首を振り、小さく息を吐いた。


「じゃあ、そろそろ行くわ。俺はあっちだから」


 いつもとは別の道を指差して、唯に言う。


「ふーん」


 唯は疑い深げな目つきで俺を見てくる。


「なんか事件が起きてからさ。私に隠し事をしてない?」

「隠し事はもちろんしている。俺は健全な男子高校生なんだぞ」

 唯は数秒ほど考えこむ顔つきをしたあと、ぱっと頬を赤くした。


「そういうことじゃなくてっ!」

「してねえよ。少なくとも唯が心配することはひとつもない」


 俺は言い切る。

 唯は目を細めて、俺を見る。


「うーん。読めないなあ。子供の頃だったら空也の顔色を見れば、なんでもわかったのに」

「まじか」

「うん。しかも、うちのお母さんと空也のお母さんと私は共犯でしたからね。空也君の家庭内の素行は全て筒抜けだったんだよ」

「いつから?」

「ずっと。だから私は空也よりも空也のことを知っているんだからね」


 唯は自信ありげににやりと笑う。


「わかった。これからは気をつける」


 俺は言い、唯の顔を見る。

 小さな口に、楽しげな目つき。肌は傷つきそうなほど透明で、頬にはかすかな赤みが差している。髪は焼け焦げた部分を切ったせいで、さらに短くなっていたが、唯の小さな顔によく似合っており、昔よりも元気そうにさえ見えた。

 買い直すことを拒否されて、歪んだままのヘアピンはいつもの場所についていて、体の一部のようにしっくりときている。

 手も、足も、頭の先からつま先まで、全てが完全に唯だった。


「な、なに? なんで見てるの?」


 唯が急に恥ずかしげな目つきをする。気にしているのか、髪の毛をしきりに触る。


「なんでもない」 


 俺も急に気恥ずかしくなり、視線をそらした。


「じゃあ、また、明日」

「うん。また明日ね」


 唯はにっこりと笑って、子供のように手を振った。

 俺はその手の爪を見て、また鋭くなっていないことを確かめてしまう。

 それから軽く手を上げて、背中を向ける。

 唯が昔通りの場所にいる。

 それが救いだった。

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