第10話 そして俺は鬼と成る

 俺は唯の手をそっとおろして、振りかえる。


「鬼。ひとつだけ頼みがある」

「……なんだ?」

「俺が唯を殺したら、お前が俺を殺してくれ」


 鬼が眉間にしわを寄せる。


「唯を殺したら、俺も生きていられない。生きていられたとしても、鬼になる。

 体はこうならないかもしれないが、頭の中が鬼になる。だから、俺が壊れる前に殺してくれ」

「古来よりたいていの人間は大切な人を失っている。それでも人は狂ってない」

「でも俺は狂う。唯のそばで死なせてくれ」

「自分で死ねばいい」

「お前が俺を助けるかもしれないだろ?」


 鬼の目が開く。


「本当に感謝している。

 あの化け物に出会ったのは不幸だったけど、あんたには感謝している。

 唯のことを助けてくれてありがとう。俺のことを守ってくれてありがとう。

 あんたはいい人だから頼んでいるんだ。俺の願いを叶えてくれ」

「……最近のガキは調子に乗りすぎだ」


 鬼は目をつぶる。

 身動きひとつせず、じっとなにかを考えこむ。

 十秒近い時間がたった後、鬼は目を開けて、言った。


「お前が身代わりになるか?」

「できるのか?」


 俺は目を見開き、鬼を見る。


「成功率は高くない。十回に二回か三回程度だと言われている。私もやり方は知っているが、絶対にできるという自信はない」

「どうすればいい? 俺は何をすればいい?」


 鬼を見て、その足にすがらんばかりに近づいていく。


「話を最後まで聞け。それから決めろ」


 鬼は俺が近づいた分だけ距離をとる。


「成功すれば、お前は鬼になる。失敗すれば、お前も彼女も鬼になる。どっちにしろ、誰かが鬼になることは変わらない」

「でも唯が人間に戻れるかも知れないんだろ?」


 俺は唯を見る。

 額からは小さな角が生え、肌は浅黒く変色している。

 手足の爪は尖り、体つきも人とは違っている。

 鬼となって死ぬ。

 本能的な恐怖が胸の内に浮かんでくる。

 でも、そうじゃない。そうじゃないんだ。

 俺は唯のそばに戻って、その髪にふれる。

 炎に焼き千切られてはいたが、昔から変わらない唯の髪の毛だ。

 熱で溶けかかっているが、俺のあげたヘアピンもついている。

 あれだけ暴れまわったのに、これは外れなかったんだな。

 俺は唯の頭をゆっくりと撫でてから、鬼を見た。


「俺を身代わりにしてくれ。ほんの少しでも可能性があるならば、俺はそれに賭ける」

「彼女のために犠牲になると?」

「ああ。俺が唯が生きている世界で、死にたいんだ」

「彼女の命と同じように、お前の命も重いんだ。そのことをわかったうえで言っているのか?」


 一瞬、父さんと母さんの顔が頭をかすめる。

 俺は首を振る。


「わかっていないかもしれない。でも唯を救える可能性があると知ってしまった以上、俺はそれに賭けるしかないんだ」

「なぜ?」

「聞いていただろう? 俺は唯が好きなんだ。唯を助けるためなら、なんだってしたい」


 鬼は顔をしかめる。

 痛みに耐えるかのように、眉間にしわを寄せている。

 数秒の間。

 俺は鬼を見つづけて、鬼は俺を見返し続ける。

 鬼が舌打ちをし、自分の額を手で叩いた。


「お前は……私の弱いところばかり突いてくる」

「悪い。それで俺はどうすればいいんだ?」


 話を戻すために、俺は聞く。

一秒でも早く、唯のために何かをしてあげたかった。


「彼女の横に寝ころべ。それから手をつなぐんだ」


 俺は言われたとおりに横になって、唯と手をつなく。


「今からやることはすごく単純な方法だ。長い歴史で見れば実績はあるが、うまくいかなかったことも無数にある」

「説明はいらないから、早くしてくれ」


 鬼はだだをこねる子供を見るような目つきで俺を見ると、俺と唯の足元に向かった。

 膝をついて、自分の手のひらを俺と唯の手に重ね合わせる。


「陰と陽だ。

 世界は内なる気と外なる気に満ちていて、二つの気は陰と陽に別れている。

 鬼には鬼の陰陽があり、人には人の陰陽がある。今から私はお前の陰陽を揺るがし、彼女の陰陽を操る。

 二つの陰陽でバランスを取り、彼女の中から鬼の陰陽を滅ぼし、お前の中から人の陰陽を滅ぼす。

 それによってお前と彼女の陰陽は反転し、彼女は人となり、お前は鬼となる。

 だが鬼の陰陽は人の陰陽よりも流行質ではないが、不易質を持つ。

 ゆえに彼女の体から鬼の陰陽を消せず、ただお前の体に鬼の陰陽が乗り移る可能性もある」


 俺は鬼に目を向ける。


「わからんだろうが、聞いておくこと自体が役立つこともあるんだ」

 鬼はそう言うと、俺から視線をそらして、手の甲に向けた。手の甲にある文様が淡く輝き、痺れるような痛みが伝わってくる。


「多少は痛むが気にするな。いくぞっ!」


 鬼が言俺と唯の手を強く握りしめた。 

 瞬間、強烈な痛みが流れ込んできた。

 指先から心臓に向かって、雷が走り抜ける。神経が切り裂かれるような痛みが腕の中を通り抜けていく。


「っあああああああああああ!」


 俺は体をのけ反らせて、絶叫する。

 意識があることを恨みたくなるような痛みが、腕から心臓までを支配する。


「こいつは――そうか――不易質か――」


 鬼が何かを言っている。

 俺はもう一方の腕を鬼に伸ばして、やめさせようとする。

 理性も何もかもを忘れて、爪を突き立てる。


「我慢しろ――あと少しだ」


 鬼が更に強く握りしめる。

 痛みが全身に広がった。

 首の裏から尾てい骨に向かって、熱せられた鉄棒が突き刺さったかのようだった。

 俺は痛みのあまり手足に力を込めて、体をばたつかせる。

 頭の中が白くなる。

 力が抜けていき、意識が遠くにいきそうになる。

 深い穴の中に落ちていくような浮遊感を覚えて、俺は自分が死んだんだなと理解した。


「安心しろ。お前は生きている」


 鬼の声が聞こえる。

 俺は目を開けて、鬼を見る。

 いつの間にか、痛みはなくなっており、ただ軽い痺れを感じているだけだった。

 俺は意識的に息をしながら、自分の体を見る。

 手足がきちんとあることが信じられなかったのだ。


「しかもうまくいった。少なくとも二人の陰陽はうまく調和された」


 鬼は立ち上がって、俺と唯を見比べている。


「唯は……唯は……唯は……」


 俺は顔を横に向けて、唯を見る。

 透き通った肌に、子供のように小さな口。焼けながらも潤いのある黒髪。手足はしなやかに伸びていて、爪はかよわげな丸みを帯びている。

 額に生えていた角はなく、昔なじみの顔つきをしている。


「ゆいっ! ゆい……ゆい……」


 俺は寝返りを打って、唯のそばに近寄る。

 安堵と、喜びと、胸の高鳴りがいっしょくたになって襲いかかってくる。

 自分が鬼になること。

 それさえも救いのようだった。


「時が経つまでは断定できないが、たぶん大丈夫だろう。


 彼女からはもう鬼の陰陽は消え去っている。お前の不易質も合わさり、陰陽の乱れも起こしにくくなっただろう」

 鬼の体から文様が消えていく。


「ありがとう……本当にありがとうございます」

「そんなことはどうでもいい。それよりも言いたいことがある」


 鬼が俺の顔を覗き込む。


「達成感丸出しの顔をしているところ悪いが、ことは想像通りには運ばなさそうだ」


 俺は目だけで疑問をあらわす。


「お前にもチャンスがある。鬼にはならない可能性がな」

「え……」


 言葉の意味がわからなくて、頭の中が真っ白になる。


「まあ、それは後回しだ。もっと優先するべきことがある」

 鬼は顔をあげて視線をそらすと、どこから取り出してきたのか長方形の物体を見せてきた。

 手のひらサイズのそれはスマホのようだった。


「こいつを使う前に教えてくれ」


 鬼はそのスマホらしき物をいじりながら聞いていた。


「彼女の記憶をどうしたい?」

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